第2話 ネズミの森のヘンちゃん

 ヘンちゃんはすぐそばに雑木林を見つけて、中へ分け入りました。歩きながら辺りをながめます。

「こんなに大きな木、初めて見たよ。それに、ここまでたくさんあるなんて。森ってすごいんだなぁ」

 本当は、動物園の木よりちょっと背が高いくらい。どこにでもある木です。数だって、何十本かが集まっているだけ。でも動物園から出てきたばかりのヘンちゃんにはわかりません。

 暗さにはなれています。夜はいつも暗いオリの中にいるからです。ただ、ここはオリの中と雰囲気が違います。だからヘンちゃんは、張り切った気分の奥から怖さがにじんでくるようにも感じました。

 がさっと音がして、ヘンちゃんはおどろきながら立ち止まりました。音が聞こえたところをドキドキしながら見ると、そこにいたのはただのバッタでした。

「もう、びっくりさせないでよ」

 ヘンちゃんは、バッタを放っておいてまた歩き始めました。でも別の音を耳にして、もう一度足を止めました。

 シャー……

 聞いたことのない音です。雨が降っているときと似ているような。今夜は星や月がよく見えるくらいの晴れですけど。

「行ってみよう」

 ヘンちゃんは音が聞こえる方に走っていって、体中の血がこおった気分になりました。

 そこにいたのは見たことのない生き物。さっきの音はこれが出していたみたいです。

 頭は小さいけど、胴がものすごく長いです。どこからがしっぽなのかわかりません。足はないのでしょうか。体が茶色いウロコでおおわれていて、目はぎょろりとしています。

 それはヘビでした。ヘンちゃんは初めて見たのに不思議と怖さを感じます。ヘンちゃんの中に眠っていた野生の感覚が、危険な動物だと教えているのです。

 ヘビの前には、ヘンちゃんよりも小さな動物。こちらもしっぽが細長いですけど、足はあります。灰色の毛が生えていて、まん丸の目でヘビをにらんでいます。

「お、オレはお前なんか怖くねえんだからな! ちちち近づいたら、かみつくぞ!」

 野ネズミです。くわっと口を開けて、鋭い前歯を見せつけます。これはネズミが敵をおどかすときの仕草ですけど、しっぽがふるえてしまっています。

 ヘビはちっともひるみません。野ネズミを晩ご飯にするつもりみたいで、ゆっくりと近づいていきます。

 ただ、ヘビもより大きなものを食べてよりおなかいっぱいになりたいのかもしれません。新しく現れたヘンちゃんに振り返って、迫ってきました。

「ひっ……」

 ヘンちゃんは後ずさりしました。かまれたら大変なことになりそう。巻きつかれたら苦しそう。それもヘンちゃんの中にある動物としての感覚が教えてくれたことでした。

 ヘンちゃんはいろんな恐怖でいっぱいになりました。自分がふるえているのかどうかすらわかりません。泣きそうになってしまったけど、あふれたのは涙じゃないものでした。

「わにゃんちゅう!」

 ヘビも野ネズミも、ヘンちゃんの声におどろきました。

「わにゃんちゅう! わにゃんちゅう! わにゃんちゅう!」

 ただほえているだけです。でも、ヘビには意外すぎることでした。ヘンちゃんの声は犬みたいに大きくて、ネズミがチューチューいうのとは比べものになりません。近づいて平気なのか平気じゃないのかわかりません。

 ヘビが出した結論は、「もし強い動物だったら危ないかも」でした。強いかもしれないヘンちゃんをおそうより、間違いなく弱い動物をおそう方が安全です。

 それならやっぱり最初に狙っていた野ネズミを食べる? いえいえ、もしかすると食べている間にヘンちゃんがおそいかかってくるかもしれません(そんなこと、おびえているヘンちゃんにはできませんが)。

 だからヘビはにょろにょろと身をくねらせながらどこかへ行きました。ヘンちゃんがほえるのをやめたのは、ヘビの姿が見えなくなってからしばらくたった後。

「ふう、怖かった」

 そういえば、どうして足がないのに歩けるんだろう。今ごろになって気づきました。

「お前、すげえじゃねえか!」

 野ネズミが駆け寄ってきました。

「オレはネズろう。お前のお陰で命拾いしたぜ。ま、まあ、いざとなればヘビなんかガブッとかみついて追っ払ってやったんだけどな!」

 とてもそんなふうには見えませんでしたけど。

「ぼくはヘンちゃん。アフリカの森をさがしてるんだ。今まで一匹で暮らしてたけど、そこに行けば仲間がいるんだ」

「そうなのか。大変そうだな」

 ネズ郎が答えたとき、ヘンちゃんは目を疑いました。さっきは怖い目にあっていたので気づきませんでしたけど、口になつかしいものが生えています。

「ネズ郎の前歯、よく見せてよ」

「これか?」

 ネズ郎が口を開けるなり、ヘンちゃんはおどろいて跳びはねました。

「ぼくのお母さんと同じだ! ぼくだって同じでしょ?」

 ヘンちゃんが口を開けてみせると、ネズ郎はうなずきました。

「たしかに同じ前歯だ。オレも、オレの群れにいるやつらも」

「てことは……ネズ郎って、もしかしてぼくの仲間? ここがアフリカの森なの?」

 もちろんそんなところまで来ているわけありません。でもネズ郎は『アフリカ』という言葉を聞いたのが初めてで、ヘンちゃんの質問に「はい」とも「いいえ」ともいえませんでした。

「それ、森の名前なのか? よくわからねえけど、ここはいいところだぜ。さっきみてえなやつには困らされるが、食いもんはいっぱいあるんだ。何ならお前も住んでみろよ。一匹だけじゃさみしいしな」

 誘ってもらえたのはヘンちゃんにとってうれしいことでした。

「それに、お前の声はでかさがすごかった。オレたちの群れで役に立つかもしれねえ」


 ヘンちゃんがネズ郎から案内されたのは、木の根もとにできた空洞でした。とても広くて、中に野ネズミが何匹もいます。ここは野ネズミの集会所だと、ネズ郎が説明してくれました。

「長老、このヘンちゃんを群れの仲間にしてやろうと思うんだ」

 集会所に居合わせた野ネズミたちがおどろいているなか、ネズ郎は一番年寄りの野ネズミに申し出ました。長老は年を取っていても視線が鋭くて、ヘンちゃんを注意深く観察します。

「ヘンちゃんとやら、お前は何という動物だ」

 ヘンちゃんは仲間として認めてもらうために好かれなきゃいけないと思って、はっきりと答えました。

「ぼく、イヌネコネズミヘンナモンダだよ」

「ふむ、ネズミとは付くようだが……」

 長老はむずかしそうな顔をしました。他の野ネズミは「私たちより大きいよ」「一緒にいて大丈夫?」とざわつきます。でも、すぐネズ郎が間に入ってくれました。

「こいつはいいやつなんだ。それに、すごいことができるんだぞ。ヘビが逃げるほど大きな声でほえられるんだ!」

 長老は、もう少しだけ考えてから結論を出しました。

「それは便利そうだ。ここで暮らすことを許そう」



 こうして、ヘンちゃんは野ネズミの群れで生活し始めました。でも、ただ毎日起きてご飯を食べて遊んで寝るだけじゃありません。大事なお仕事を任されました。その大きな声で群れ全体にお知らせを伝えることです。


「わにゃんちゅう! みんな、起きる時間だよ!」

 野ネズミは夜行性といって、夕方から後に目を覚まして夜中動き回ります。ねぼすけもいますけど、ヘンちゃんが目覚まし時計代わりとしてほえ始めたのですっきり起きられるようになりました。


「わにゃんちゅう! ヘビが近づいてくる! かまれないように注意!」

 ネズ郎がいっていたとおり、ここにはときどきヘビが出ます。野ネズミは忍び寄ってきたヘビにつかまれば丸飲みにされてしまいます。

 でもヘビが見つかったときすぐヘンちゃんに伝えてほえさせれば、早めに逃げておくことができます。ヘンちゃんはほえてヘビを追っ払う役も頼まれそうになりましたけど、さすがに怖いのでやめさせてもらいました。



 一週間もたつと、ヘンちゃんはすっかり群れでの暮らしになれました。動物園にいたころは朝起きて夜眠っていましたけど、今は野ネズミたちと一緒に夜中起きています。

 野ネズミたちは、ヘンちゃんが群れのために働くので仲よくしてくれました。自分たちより大きなヘンちゃんにぴったりのベッドまで用意してくれたくらいです。

 ヘンちゃんのベッドは人間が捨てていった木箱。ヘンちゃんはその中に草をいっぱいしきつめて、お布団代わりにしました。あんまり寝心地がいいので、ヘンちゃんと一緒に寝る野ネズミもいます。ネズ郎です。

 その晩も、ヘンちゃんはネズ郎と一緒に目を覚ましました。

「いつもお邪魔してすまねえな」

「いいって。毎日楽しく暮らせるのは、ネズ郎がここに連れてきてくれたお陰だし」

 ヘンちゃんはうれしさのあまりにしっぽを立てて、大きく振りました。野ネズミはそんなことをしませんけど、ネズ郎はヘンちゃんが喜んでいるときの仕草だともう知っています。

「オレたちも助かってるし、いいことばっかりじゃねえか」

 しゃべっていると、他の野ネズミがベッドをのぞき込んできました。まだ小さな子ネズミたちです。

「ネズ郎、ヘンちゃん、遊ぼうよ!」

「そうだな」

「行こう!」

 ネズ郎もヘンちゃんもすぐに返事して、ベッドから出ました。

 ヘンちゃんはネズ郎や子ネズミたちと遊ぶことがよくあります。動物園ではずっとオリに一匹だったので、ネズ郎と一緒に眠ることもみんなで遊ぶこともすごく楽しみ。お向かいのシカたちがやっていたことをできるようになったわけです。

 一昨日はかくれんぼ。昨日は木の実拾い。今日は鬼ごっこをすることになりました。

 最初の鬼はヘンちゃん。ネズ郎と子ネズミたちが逃げていって、ヘンちゃんは追いかけます。

 野ネズミは小回りが利くので、ヘンちゃんはなかなか捕まえることができません。ちっとも鬼が変わりませんけど、ヘンちゃんにしてみればみんなで駆け回るだけでも楽しいことでした。追いかけているうちに、ヘンちゃんも熱が入っていきます。

「待てー!」

 ヘンちゃんの前には、走りながら笑う子ネズミが三匹。さっきまでと同じパターンなら、この三匹はもうすぐ散り散りになります。ヘンちゃんはどの子を追いかけようか迷っている間に逃げられてしまいます。

「今のうちに捕まえちゃえ!」

 ヘンちゃんはぴょんっとジャンプして、子ネズミたちに飛びかかりました。子ネズミたちがヘンちゃんに振り返って――

「キャー!」

「そのツメは!」

「猫だ! ぼくたちネズミを捕まえて食べる!」

 ものすごいおどろきよう。ヘンちゃんの方もびっくりして、子ネズミたちの手前に着地しました。

(ぼくのツメが怖いの?)

 ヘンちゃんのツメは猫と同じで出したり引っ込めたりできて、いつも先がとがっています。子ネズミたちはみんな距離を開けてふるえ始めました。

「ごめん。びっくりさせちゃったんだね」

 ヘンちゃんがあやまっても様子は変わりません。

「お前、そんなツメを持ってたのか……」

 さっきまで一緒に寝ていたネズ郎でさえ同じです。ヘンちゃんは足もとが急にくずれたような気分がしました。


 ヘンちゃんのツメが猫みたいだったことはすぐ群れ全体に広まって、ヘンちゃんは集会所に呼び出されました。待ち構えていた長老は、初めて会ったときよりもずっときびしい顔です。

「猫のように鋭いツメを隠しておったのか」

「ごめんなさい。隠してるつもりはなかったんだよ」

「お前に悪気があるかどうかは関係ない」

 長老の鋭い視線は、もうヘンちゃんを貫きそうなくらいです。

「そのようなものを持っている動物は危険すぎる。群れに置いておけん」

 ヘンちゃんにはショックな一言でした。追い出さないでほしいと頼みたいですが、集会所に来ている他の野ネズミもおびえた瞳で見つめてきていて、とてもいえそうにありません。

「ちょ、ちょっと待てよみんな」

 ネズ郎が他の野ネズミを見渡しました。

「ヘンちゃんがいろんなときにほえてくれて、助かっただろ? そりゃあ……猫のツメはおっかねえけどよ……」

「誰かがケガをしてからでは遅いのだぞ」

 長老はとりつく島もありません。

 ヘンちゃんとしては、かばってもらえてうれしいです。でも、ネズ郎も声がふるえています。ヘンちゃんは余計申し訳なくなってきました。

「いいんだ、ネズ郎」

 だからヘンちゃんはネズ郎を止めました。

「ぼく……ここを出てくよ」


 夜が明ける前に、ヘンちゃんは群れから出ることにしました。なごり惜しいですけど、こうなったからには長々いてもつらいだけです。

「悪い。せっかく一緒にいてくれてたのによ」

 見送りに来てくれたのはネズ郎だけ。仲よくしてくれた野ネズミは他にもたくさんいるので、ヘンちゃんはお別れをいって回りたくなっていました。でも、また会っても怖がられるだけかもしれません。ネズ郎だって、本当は猫のツメが怖いはずです。

「仕方ないよ。短い間だったけど、楽しかった」

 ヘンちゃんは悲しみを追い払おうとして、一週間前に考えていたことを振り返りました。

「ぼく、アフリカの森をさがしてたじゃないか。そこには仲間がいるんだ。ネズ郎たちが仲間だと思ったけど、そうじゃないみたい……だから、ここはアフリカの森じゃなかったんだよ」

 そもそも、アフリカの森はハトやスズメが知らないくらい遠いところにあるはずです。そう簡単にたどり着けるとはヘンちゃんにも思えません。

「もっとさがして、次こそアフリカの森を見つけるんだ」

「そうか……頑張ってくれよ」

 ネズ郎は、小さな木の実をお弁当としていくつも渡してくれました。ヘンちゃんはハムスターやリスのような頬袋があるので木の実を全部詰め込んで、ネズ郎にお別れをいってから野ネズミの群れを後にしたのです。

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