第3話 ぶつかり合う本音



「おはよ、風見くん」



翌日。登校した俺を待っていたのは、昨日ドラマの撮影中に倒れて病院へと運ばれていった御堂あかりその人だった。

ひらひらとのんきに手を振っては笑みを浮かべている彼女に唖然とする。

まさか昨日の今日で普通に登校してくるとは思いもしなかったのだ。



「昨日はごめんね。ちょっと強引すぎたかなって、あのあと反省してて」


「それは別に……って、そんなことよりも、登校してきて大丈夫なんですか。その、体調のこととかは……」


「全然平気。今はだいぶ落ち着いたから。それよりも風見くんに少し話があるんだけど、いいかな?」



この雰囲気からして十中八九、昨日のことについてだろう。


今までの俺なら、絶対に知りたいと思わなかった。

たとえ目の前で倒れたとしても、面倒ごとに巻き込まれたくない――その気持ちのほうが強かったからだ。


それが今では、まったく逆の気持ちが芽生え始めているというのだから笑ってしまう。あれだけ自分からは近づかないようにしてきたはずだというのに。


そう、俺はいつの間にか御堂あかりを知りたいと思うようになっていた。


だから断るという選択肢は最初から俺の中に存在しなくて、



「俺も、全然平気です」



そうはっきりと答えていた。


彼女はこくりと頷き、移動を始める。どこに向かうつもりなのかわからなかったが、大人しく俺もそのあとについていく。


人気のない校舎裏までやって来ると彼女はくるりと振り向き、とんでもないことを言い出した。



「実は私ね、がんなんだ。あ、別に今すぐ死ぬってわけじゃないよ? がんって言っても、私のはそこまで深刻なわけじゃないから」



あんなにも苦しそうに顔を歪めていたのだ。何かあるとは思っていた。

でもまさかその原因が、がんにあったなんて完全に予想外で。


頭が真っ白になった。



「それでもまぁ、痛みの他にも突然吐き気が襲ってきたり、なかなか大変なんだけどね。だけど誰にも知られたくなかったから、普段はなんでもないフリをしてずっと痛みに耐えてた」



切なそうに微笑む彼女の姿に、鋭利な刃物で刺されたかのような痛みが胸を襲う。



「これからもそうやって、誰にも知られないよう隠し通していくつもりだったのに――まさかみんなの前で倒れちゃうとはね。しかも風見くんにまで見られるなんて、私ってついてないなぁ」


「…………どう、して」


「ん?」


「どうして……痛みを我慢してまで隠すのか、俺には……わからない。そこに一体、どんな意味があるって言うんですか……?」



まだ動揺しているからなのか、俺の声は自分でも驚くほど震えていた。


すると彼女は人差し指で頬をかきながら、困ったような表情をして答える。



「だってほら、たったそれだけのことで休業なんかしたら、たくさんの人たちに迷惑がかかるでしょ? そんなこと、私にはできないよ」



なんだそれ……。何なんだよ、その理由は……?


自分のことなのに、肝心の“自分”を二の次に考えている彼女にだんだんと腹が立ってきて、気づけば俺は怒鳴っていた。



「そんなの、命に比べたら全然安いじゃないか……! 誰かのことを考えている暇があるのなら、まずは自分のことを一番に優先しろよっ!」


「そう……だね。風見くんの言う通りかもしれない。でもね、今言った理由以上に私は――このまま生き続けることを望んでないんだよ。だから痛みを我慢したまま、毎日を生きてる。治すつもりが……最初からないから」



まるで頭を鈍器で殴られたかのような、そんな衝撃的が彼女の言葉にはあった。


いつも明るく元気な姿ばかり見ていたせいか、暗い感情とは無縁なのだと、心のどこかでそう勝手に決めつけていたのが原因かもしれなかった。



「なら……先輩が毎日見せてくれたあの笑顔も全部、演技だったって……そう言うんですか?」


「……ううん。それは違うよ。あれは演技なんかじゃなくて、心の底からの笑みだった」


「だったら――だったらなんで、『生き続けることを望んでない』なんて、そんなこと言うんだよ……っ!」



それまで笑みを浮かべていた彼女の表情が凍りつく。


そして次の瞬間――ぎゅっと拳を握りしめ、彼女は叫んだ。



「だって私には、何もないからっ! これから先も生き続けたいと思う“理由”が、ないんだもの……!」



今まで溜め込んでいたのだろう感情を一気に爆発させるその姿はとても人間らしくて、初めて本当の“御堂あかり”を見れたような気がした。



「わ……私はずっと、誰かの希望になりたかった……っ。誰かが私を見て、生きることも悪くないって、そんな風に思えるような存在になりたかったから……! 今まで女優をやってこれたのもそう、この目標があったからと言っても過言じゃない」



でも、と。悲しそうな声で彼女は続ける。



「がんになってから、その目標は変わっていった……。自分の存在を忘れてほしくない、御堂あかりっていう存在を一人でも多くの人に覚えていてもらいたい――ただその思いから芝居をするようになっていった! だからみんなが見ている私は本当の私じゃないっ……。だって本当の私は、ずっとそんなことを考えながら、自分勝手な理由で芝居を続けてきたんだから」


「先輩……」


「風見くんだって、本当のことを知って――ううん、本当の私を知って、幻滅したでしょう……?」



俺はその言葉を否定するように、そっと首を横に振った。



「幻滅なんてしない。するわけないじゃないですか」


「嘘……だよ。そんなの、嘘に決まってる……」


「俺はたとえ先輩がどんな思いから今まで多くの役を演じてきたのだとしても、そんなの関係ないって思ってます。だって俺はあなたのおかげで、本当の気持ちを……本音を、口に出すことができたんですから」



何も知らない、見えない、聞こえない――。そうやってずっと逃げてきた俺の手をとって、「もう独りじゃない」と、彼女は言ってくれた。その言葉がどれほど嬉しく、どれだけ俺を救ってくれたのかなんて、きっと俺にしかわからない。


自分の気持ちを素直に認める。そんな勇気を彼女はくれたのだ。


彼女がいてくれたから、彼女がたくさんのことを俺に教えてたから……今の俺がいる。それなら今度は、俺の番だ。

悲しみに押しつぶされそうになっている彼女に、独りぼっちではないと教えよう。

ありきたりな言葉ではなく、俺の――俺自身の言葉で、想いを伝えよう。



「……あのとき、先輩は言ってくれましたよね。独りじゃない、私がいるって……。だったら、俺だってそうです。生き続ける理由がないっていうのなら、俺がその理由になります」


「え……?」


「俺、役者に戻ろうと思っています。だからいつか俺と共演しましょう、先輩」


「う、嘘……。だって……っ、だって風見くん、は……」


「あなたのおかげで勇気をもらいましたからね。もう一度、一から始めてみようって、そう前向きになれたんです」


「っ……」


「だから先輩、生きてください。がんは決して治らない病気じゃない。早期治療なら、たとえがんだって治る可能性は高くな――って、うおっ!?」



どんっと、彼女が俺にぶつかってくる。


突然の体当たりに驚いたけど、その肩が震えていることに気づいて文句も引っ込んだ。



「ずるい……っ、ずるいよ、君って人は……! そんなこと言われたら、君と一緒に演じたくなっちゃうじゃないっ。これから先も生き続けていたいって、そう思っちゃうじゃない……!」



しがみついてくる彼女をどうにか安心させてあげたくて、俺はその華奢な背中に手を回し、子供をあやすようにぽんぽんと軽く叩いてやった。

もう大丈夫だと、もう強がらなくてもいいのだと、そんな思いが伝わればいいなと気持ちを込めながら。



「っ……う、あっ……う、うぅわあぁあああああああ……っ!」



不安や恐怖を胸に閉じ込めたまま、毎日を笑顔で過ごしていた彼女は、きっと今の今まで泣くのを必死に堪えていたのだろう。声を押し殺すことなく大声で泣くその姿は小さな子供のようでもあり、か弱い一人の女の子でもあった。






それから暫くして、彼女は落ち着きを取り戻し始めた。


だけどまだ涙は止まらないのか、時折「ぐすっ」と鼻をすする音が聞こえてくる。



「……ねぇ、風見くん。どうして風見くんは、役者を辞めちゃったの? 天才子役だって言われてたのに」


「えっ……!? な、なんでそのことを……!?」


「さっき自分で役者に戻るって言ってたのもあるけど――本当はその前から風見くんのことを知ってたんだ、私」



今明かされる新事実に動揺し、慌てて彼女と距離をとる。信じられずに泣き腫らした赤い目を見つめていると、またもや驚きの言葉を聞くことに。



「小さいときから君のファンだったから。あの頃の君はキラキラと輝いていて、何かを演じることが楽しくて楽しくて仕方ないって、そんな表情をしていたのを覚えてる。君のようになりたい、君の目に映る世界を私も同じように見てみたい――。そんな思いでこの世界に飛び込んだのが、最初のきっかけだった」


「いや、あの……それはさすがに言いすぎというか、美化しすぎというか……」


「どうして信じてくれないのかな。風見くんは私の希望で、ずっと憧れだったんだよ?」



面と向かってそんなことを言われると恥ずかしさで居たたまれなかったが、同時に納得もしていた。


ずっと疑問だったのだ。どうしてあれだけ大勢の生徒がいるのにもかかわらず、俺なんかに構ってくるのかが。



「これでもね、風見くんには感謝してるんだ。だってあの日、君を見ていなかったら私は女優を目指していなかったわけだし、何よりこうして風見くんと知り合うこともなかっただろうから」


「そ……そう、ですか……」


「ねぇ、風見くん。聞いてもいい? どうしてある日突然、芸能界を引退したの?」


「うっ……。それは、その……」



期待のこもった目で見つめられ、俺は言い淀む。


言えるわけがなかった。足を引っ張り合い、表では媚びへつらいながらも裏では何を言っているのかわかったものではない――そんな芸能界に嫌気が差し、恐ろしくなって芝居の世界から逃げ出したなんて、そんなこと。



「――まぁ、俺のことは別にいいじゃないですか」


「あっ、露骨に話逸らした」


「それよりも! 先輩、さっきの話忘れないでくださいね。俺、本気ですから」



真剣な眼差しを向けたまま念を押すと、彼女は小さく笑った。



「わかってるよ。風見くんが作ってくれた、私の“これからの生きる理由”だもんね。というわけで、はい!」



突然、小指を差し出してくるので俺は首を傾げた。



「なんですか、これ?」


「約束の指切り。これなら風見くんも少しは安心かなと思って」


「……本当、先輩の行動は読めませんね」



彼女のほっそりとした小指に自分の小指を絡め、俺たちは約束を交わす。


二人しか知らない、秘密の――未来へと繋がる約束を。




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