第2話 魔法の言葉
放課後。俺は家までの道を歩きながら、ぼうっとしていた。
あれから彼女とは一度も会っていない。
俺を昼食に誘うため教室までやって来ることも、廊下ですれ違うことも今日に限ってなかった。
もしかしたら、彼女も彼女なりに気にして避けているのかもしれない。
まぁ、会ったところでどんな態度をとればいいのかわからないので、会わないで済むのならそれに越したことはなかった。
そんなときだ。いつも通る公園の前から、何やら騒がしい声が聞こえてきたのは。
「きゃーっ、こっち向いてー!」
見てみると、公園を囲むようにして人だかりができていた。
近くに芸能人でも来ているのだろうか?
そんなことを思いながら、俺は公園を通り過ぎようとする。
けれど大勢の人たちの間から、ちらりと見えた人物の姿に思わず足を止めてしまうのだった。
一瞬だけだったけど、あれは……間違いない。短く切られた艶やかな黒髪、すらりとした身長、そしてうちの学校の女子制服――。彼女は、御堂あかりだ。
「……っ、勘弁してくれ」
今朝といい今といい、どうしてこう偶然というのは重なってしまうものなのか。
公園内には機材を持った撮影スタッフがいるのも見えたから、きっとこれからドラマでも撮る予定なのだろう。彼女はあれでも人気がある女優だ。こんな場所でドラマの撮影があると知れば、ファンが殺到してもおかしくない。
俺は顔を伏せると誰にも気づかれないよう、そっとその場から離れていこうとした。あんな別れ方をしてしまったせいか、顔を合わせづらくてたまらなかったのだ。
しかし不意に彼女がこちらを向き、
「あーっ!」
と、大きな声を上げながら俺がいる方向を指差してきたことで、状況は一変する。
う……嘘だろ!?
これだけの人がいる中でピンポイントにこちらを見てくる彼女に驚きすぎて、完全に俺の足は止まっていた。その間にも彼女は見物客をかき分けるようにして、ずんずんとこちらに向かって進んでくる。そうして俺の前までやって来た彼女は、俺の手を掴み――何故か満面の笑みを浮かべた。わけがわからず戸惑う俺を余所に、公園内で待機していたスタッフに向かって彼女はとんでもないことを言うのだった。
「見つけましたよ、代役!」
信じられないといった顔で彼女を見つめると、彼女もまた俺を見つめ返してくる。その表情はどこか嬉しそうだったけど、相変わらず何を考えているのかわからなかった。
「な……何言ってるんだ、あんたは。いきなりわけのわからないことを言い出したりして……何なんだよ、代役って……!」
掴まれていた手を振り払う。俺は敬語を使うことも忘れて、思ったことをそのまま口に出していた。けれど彼女は気にした様子もなく、笑みを浮かべたままだ。
「これからこの公園でドラマの撮影をするところだったんだけど、端役の人が急に来れなくなっちゃってね。それで今、代わりの人を呼ぼうとスタッフさんたちが頑張ってくれてるんだ。でも突然だったこともあって、これがなかなか捕まらなくて――」
「違う……っ、俺はそういうことを聞きたいんじゃない! 俺が知りたいのは、どうしてそこで俺が出てくるのかってことだけで……!」
「君にならできると思ったから」
さらりと、なんでもないことのように答える彼女にますます困惑する。
「い、意味が……わからない」
「この大勢の中に風見くんを見つけたとき、思ったんだよ。頼むなら、君しかいないって」
「……なんでそんなに、俺のことを……信じられるんだ? 俺はどこにでもいるただの高校生で、演技なんて……全然、なのに」
どうしてそこまで言い切れるのか、その根拠は一体どこから来るのか。
それが気になって気になって、仕方がなかった。
彼女はふっと微笑むと、「そんなの簡単だよ」と言った。
そして自信満々な声で続ける。
「だって芝居は嘘をつかない。あのときに見た君の演技だってそう。どんなに興味のないフリをして演じていても、私にはちゃんと伝わってきたんだから。演じるのが楽しくて仕方ないっていう、君の気持ちが」
「!」
息を呑み、彼女を見つめる。
わかってしまったからだ。彼女の言う“あのとき”というのが、一年前……俺たちが初めて会った日のことを指しているということが。
それは、演劇部に所属している友達の頼み事から始まった。その日まで普通の生活を送っていた俺に、突然練習に付き合ってほしいと言ってきたのだ。
二度と舞台には立たないし、絶対に何も演じない。
そう固く心に誓っていたから、最初はその頼みを断った。が、友達は本気で困っていたようで、人数が足りなくてまともな練習にならないのだと、深いため息をついていた。その姿に罪悪感を感じてしまった俺は、今日だけという条件付きで引き受けてしまったのだ。
彼女に会ったのは、ちょうどそのときだった。
偶然体育館に来ていた彼女は舞台の上で与えられた役をこなす俺を見つけると、何も言わずただ静かな瞳を向けてきた。
そうして練習が一通り終わった頃、不意に聞いてきたのだ。
――ねぇ、どうして君は心を偽ってまで興味のないフリをして演じているの?
どこまでも真っ直ぐな瞳のまま、不思議そうな顔で。
あのときのことは今でも忘れられない。
そのくらい彼女が何気なく口にした言葉が、俺の胸に深く深く突き刺さっていた。
「だからね、風見くん。私はどうしても君にやってほしいと思ってる。私にたくさんの感動をくれた君にならできるって、信じてるから」
ぎゅっと俺の手を優しく包み込むようにして握ってくる。
その手の温もりと真剣な眼差しに、俺は何も言えなくなってしまった。
現在でも過去でもなく、いつも未来を見ている彼女の真っ直ぐな瞳が、ずっと苦手だった。後悔ばかりしている俺とはあまりにも違いすぎて、一緒にいればいるほど自分の弱さが目立つようで……見ていられなかったのだ。
俺は芝居から逃げ、彼女は今も芝居を愛し戦い続けている。
彼女と距離が近づけば、心の奥底に閉じ込めていたはずの感情を呼び起こされてしまう日がきっと来てしまう。そんな予感がしていたからこそ、自分からは決して彼女に近づかないようにしていた。
話しかけられても適当に相槌を打って、昼食に誘われてもやんわりと断って、そうやって彼女とは一定の距離を保って過ごしてきた。
それなのに、今はこうして手を握られ、固く閉ざした心のドアを何度も叩いては真剣な表情で伝えてくる。俺にならできる、信じていると――。
「……っ」
だけど俺はどうしようもなく弱いから、過去のことを思い出すだけで怖くて、みっともなく震えてしまう。足を一歩前に踏み出すことを躊躇ってしまう。
そんな俺の弱さを目の当たりにしても、彼女は決して諦めなかった。
「大丈夫だよ、風見くん。君は独りじゃない。友達や家族、それに私だっている。もう怖がる必要なんてないんだよ」
尻込みする俺の背中を押すように、魔法の言葉をかけてくれる。
――君は独りじゃない。
それは俺がずっと誰かに言ってもらいたかったことで、
――もう怖がる必要なんてないんだよ。
真っ暗な世界を一人きりで歩き続けてきた俺にとって、とても意味のある言葉だった。
「俺、は……」
彼女のあたたかな言葉が胸に広がっていくのを感じる。
あの日から輝きを失ったと思っていた俺の世界が、徐々に色を取り戻していく。
「っ……俺は……」
今まで気づかないフリをしていた。そんなことはありえないと、そう自分に言い聞かせてきた。
でも彼女に見破られ、認めざるを得なくなってしまった。
あれほど否定していた“何かを演じる楽しさ”が、今も変わらず俺の中に残っているのだと。演じることから逃げ出した俺自身が、本当は誰よりも演じることを愛していたのだということを――。
「俺は……っ、芝居が、したい! 本当は、ずっとずっと演じたかった……!」
これが、嘘偽りのない俺の本当の気持ちだった。
一度体験してしまった絶望や恐怖は、そう簡単に消し去ることなんてできない。
またあのときと同じ気持ちを味わうことになるのではないかと、そんなよくないことばかりを考えてしまう。
だけどそれでも俺は、前に進みたいと思った。
暗く淀んでいる世界にも光があることを思い出したから。
無理矢理、自分自身を納得させようとしても、自分の心までは完全に騙せないのだと気づかされたから。
だから俺も怖がるばかりではなく、もう一度挑戦しようと思ったのだ。
かつて自分がいた世界に。そして――今、彼女がいる世界に。
◆ ◆ ◆
「彼は一度もリテイクを出すことなく、完璧に演じきってくれます。だから監督、私を信じてください!」
彼女のこの言葉が決め手になったようで、人気と実力を兼ね備えた御堂あかりが言うのならばと監督が折れ、俺の端役としての飛び入り参加が決定することになった。おかげであり得ないほどのプレッシャーを抱えることになったが、自分で一度引き受けると決めたのだからと最後まで全力で挑んだ。
その結果、撮影は滞りなく進み、特に何かアクシデントが起こることもなく無事に撮影は終わったのだった。
「何かを演じるのなんて、演劇部での練習を抜かせば数十年ぶり……か。久々だったな、この感じ」
たった三つしかない台詞でさえも演じている間は心臓がドキドキとうるさかったし、手のひらにはびっしょりと汗をかいてしまうほどに緊張していた。
でもそれ以上に、演じることへの懐かしさと楽しさが勝っていたから、なんとかやりきることができて安心していた。
「だ、大丈夫ですか!?」
そのとき、スタッフの慌てた声が向こうから聞こえてきた。
反射的に振り向くと、そこには地面に膝をついてうずくまる彼女がいた。
苦しそうに顔を歪め、何かに耐えるよう歯を食いしばっている。
彼女との付き合いは一年そこらだけど、あんな姿は初めて見たので驚きを隠せなかった。その尋常ではない様子に思わず走り寄ろうとするが――瞬間、ぐらりと彼女の体が傾き、地面へと倒れてしまう。
「きゃあああああっ!」
女性スタッフの叫び声に、他のスタッフたちがぎょっとしたように目をむく。
「み、御堂さん!? しっかりして、御堂さん!」
「おい、待て。下手に動かすのは危険だ。そのままにしといたほうがいい」
「誰でもいいから救急車呼べ! 早くっ!」
突然のことにその場は騒然とし、入り口近くにいた見物客たちにも動揺が走る。
俺自身もまた混乱していたこともあり、ただ見ていることしかできなかった。
結局、その日の撮影は中止。
彼女は到着した救急車に乗せられ、病院へと運ばれていったのだった――。
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