君がいる場所、僕がいるべき世界

Ren

第1話 かつての天才、今の天才



「朝から何やってるんだ、あの人は……」



登校してきたばかりの俺は、校庭の片隅で一人地面に這いつくばるようにしている女生徒を見つけた瞬間、ため息をこぼした。いくら日常茶飯事とはいえ、まさか朝からこうして彼女の姿を見ることになろうとは思わなかったのだ。


触らぬ神に祟りなし。


俺は何も見ていないことにして、さっさと校舎に向かおうとする。


しかしそれよりも早く、彼女――御堂あかりが俺の存在に気づいてしまい、



「あっ。おはよー、風見くん!」



元気よく手を振り、笑顔で挨拶してくるのだった。


こうなってしまったら、さすがに無視するわけにもいかない。

正直気は進まなかったが、俺は諦めて挨拶を返すことにした。



「おはよう……ござい、ます」



すると、たったそれだけのことで彼女は笑みを浮かべる。


挨拶されたら、挨拶を返す。そんな特別でもなんでもない普通のことで、どうして彼女がそんなに嬉しそうに笑うのかが俺には全然わからなかった。


理解できないから、近づくのを躊躇ってしまう。


彼女と関わりたくないのはそれだけが理由ではないけど、そのことも十分に理由の一つにはなっていた。



「うーん、やっぱりないなぁ……」



彼女は俺から視線を逸らすと、再び地面を向いてしまう。

そうして何かを探すかのように、きょろきょろと辺りを見回した。


そんな彼女の姿を見ても、手伝おうとする生徒は誰一人としていなかった。

見て見ぬフリをして校舎に入っていくか、ただ遠巻きに見ているか、そのどちらかしかいない。


きっとみんな、できることなら彼女とは関わりたくないと思っているのだろう。


俺にはその気持ちが痛いほど理解できた。


クラゲみたいに掴みどころのない性格に、何を考えているのかまったく読めない行動の数々。更には、明るく元気で人の気持ちなんてお構いなしの何かと目立つ年上の先輩――。


平穏無事に学校生活を送りたい俺にとって、彼女は天敵でしかない相手だった。


だけど誰にも手伝ってもらえず、独りぼっちで探し物をする彼女の姿が昔の自分と重なって、ずきりと胸が痛んだ。


俺は、知っている。そこにいるはずなのに、まるで透明人間のような扱いをされる悲しみや苦しみ……そして、孤独を。


親近感とでも言うのだろうか。

俺はこのとき初めて、彼女に対して良い感情を抱いた。


だからなのかもしれない。

普段の俺なら絶対にしないことを、この日してしまったのは。



「先輩はさっきから何を探してるんですか」



自分の意思で彼女に近づき、自分から彼女に話しかける。


それこそが、普段の俺なら絶対にしないことだった。


見下ろす俺と、見上げる彼女の視線がぶつかる。

ぽかんとしていたのはほんの一瞬のことで、すぐいつもの彼女へと戻った。



「ふっふっふ、気になる?」


「そりゃあ……朝から地面に這いつくばってる知り合いを見たら、さすがに無視はできませんよ」


「じゃあさ、風見くんも一緒に探すの手伝ってよ」


「まぁ、そのつもりで声をかけたから別にいいですけど――」



そこまで言ってから、ふと彼女の髪の長さに違和感を覚えた。


昨日までは肩よりも少し下まであった艶やかな黒髪。それが今日は何故か、うなじが見えるほどまでに短くなっていたのだ。


気のせいではないのだとしたら…………まさか。


そんな俺の視線に気づいたのか、彼女が笑いながら答える。



「あ、これ? 切っちゃった」


「いや、切っちゃったって……。なんですか、失恋でもしたんですか」


「違う違う。実はね、キョウコが次の話で髪を切られるんだよ。それも犯人に!」


「……ちょっと待ってください。まさかとは思いますけど、だから自分も髪を切ったとか?」


「十五センチ、だったかな。どうせだからばっさりいってみたんだ。あ、これ自分で切ったんだよ。どう? 結構上手く切れてると思わない?」



にこにこと笑う彼女に気づかれないよう、小さなため息をつく。


本当にこの人は、芝居のこととなると周りが見えなくなるな……。


彼女が言う“キョウコ”とは、今彼女が出演している『万能探偵キョウコ』というドラマの主役の名前である。そしてそのキョウコを演じているのが、なんと目の前にいるこの人だと言うのだから驚きだ。


整った顔立ちに、ぱっちりとした二重。長く細い手足と、女子にしては高い身長。スタイルがいいというのは、きっと彼女みたいな人のことを指すのだろう。


そんな彼女の正体は、男女ともに絶大な人気を誇る実力派女優。

誰もが知っている知名度の高さに、彼女の出演したドラマや映画は必ずヒットするなんて言われたりもしていて、一年先までそのスケジュールはびっしりと埋まっているとの噂もあるほどだ。……ただし、わけのわからない行動のせいで学校では「変人」と言われているのが玉に瑕だけど。


でも当の本人は周りの言葉など気にせず、自分のしたいように振る舞う。

いつでも自信をもって、嘘偽りのない御堂あかりを見せてくれる。


そんな彼女の強さが、今の俺には眩しくて仕方がなかった。



「――で、先輩はさっきから何を探していたんですか」



その場にしゃがみながら、再度尋ねる。


すると彼女はキラキラと目を輝かせ、よくぞ聞いてくれたとでも言わんばかりの表情をして俺を見つめてきた。



「私が探してるのはね、決して目には見えないものなんだよ!」


「…………すみません、よく聞こえませんでした。もう一度いいですか?」


「だーかーらー、決して目には見えないものだってば」



わけがわからない人だとは前々から思っていた。思っていたけど……いや、まさかここまでだったとは……。



「それは……その、不可能なんじゃないですか? 目には見えないものを探すなんて、普通に考えて」


「だよね。私もそう思う」


「はぁ……? それがわかってるなら、どうしてそんな無駄なことを?」


「見つけられるかどうかが重要じゃないからだよ、風見くん」



それまで柔らかい雰囲気だった彼女の様子が変わる。俺を見つめるその瞳は、普段の飄々とした彼女からは想像もつかないほどに真剣だった。



「私が知りたいのは――興味があるのは、探しても探しても見つからないものを、それでも探すっていうときの気持ちだからね」


「……それを知るために、こうしてわざわざ見つかるはずのないものを探してるってわけですか」


「そういうこと」


「ついでだから聞きますけど……家からここまで、ずっと探しながら歩いてきたとか言わないですよね?」


「えっ、すごい! よくわかったね、風見くん」



嫌な予感が見事的中し、俺は頭を抱えたくなった。


誰にも理解されない、孤独な天才――御堂あかり。


彼女は基本、芝居のことしか考えていない。

どうしたらより役に入り込めるのか、どうしたらもっと上手く演じられるのか……。どこに居ても、何をしていても考えるのは芝居のことばかり。


十五センチ切ったという髪だってそうだ。

すべては自分が演じるキョウコの気持ちを知りたいがためにやったこと。


だけどそんな彼女のことを理解できる人は、彼女の周りには一人もいなかった。

いや、理解しようとしてくれる人がいないと言ったほうが正しいかもしれない。


しかしなんの冗談なのか、俺には彼女の突飛すぎる行動の数々が不思議と理解できてしまっていた。……というよりも、身に覚えがありすぎて、とても他人事とは思えなかったのだ。おかげで今日もおかしなことをしているなとは思いながらも、彼女自身に引いたことは一度もなかった。



「本当、先輩はやることなすことすべて唐突ですよね。いい意味でも、悪い意味でも」


「そうかな?」


「そうなんです。ひょっこり現れては毎回のように絡んでくるし、他人の事情なんてお構いなしで振り回すし……。俺が知ってる限りじゃ、先輩くらいなものですよ。ここまで色んな意味ですごい人は」


「でもさ、そう言いながらも風見くんは毎回ちゃんと私の相手してくれるよね」


「それは……その、下手に逃げ回るよりも先輩の相手をしたほうが疲れないと思っただけで」



彼女は「そっか」と一言口にすると、それ以上は何も言ってこなかった。

それが逆に、俺を落ち着かない気持ちにさせる。



「……それで結局、決して目には見えないものっていうのは何なんですか」



この妙な空気に耐え切れなくなり、やや強引ではあったが話を戻す。

彼女のほうは特に気にした様子もなく、素直に答えてくれた。



「恋心だよ。相手を恋い慕う気持ち」



ああ、なるほど。確かに相手を想う気持ちなら、目に見えなくて当たり前だ。


俺は納得したように頷いた。



「ただやっぱり俺としては、こういうことは控えたほうがいいと思いますけどね」


「こういうことって?」


「だから、役の気持を考えるあまりところ構わず色々試そうとしないでくださいって意味ですよ」


「もしかして風見くん、私のこと心配してくれてる?」


「はい!?」



予想外の彼女の発言に、気づけば大きな声を上げてしまっていた。


心配って、俺が……先輩を!?



「な――にを言うのかと思えば、冗談も休み休み言ってくださいよ。ありえません、そんなこと」



俺は、彼女が勝手に作り上げた“優しい風見俊介”を否定する。

だというのに、彼女はどこか納得いかないという顔をして唸っていた。



「うーん……。さっきの風見くんからは、私がこれ以上周囲から浮かないようにっていう優しさを感じたんだけどなぁ」


「っ……いい加減にしてください! 何度違うと言ったらわかって――」


「じゃあ、質問。私のためを思っての言葉じゃなかったのだとしたら、どうしてあんなことを言ってくれたの?」



真っ直ぐな瞳に見つめられ、気づけば俺は目を逸らしていた。



「あれは……人として当然のことを言っただけで、俺は別に……そんなつもりなんて……」



まるで言い訳のような言葉が自然と口からこぼれていく。

その間も、俺の胸にはもやもやとしたものが渦巻いていた。


彼女の目に映っている俺は……本当の俺ではない。

だから俺の言葉もすべていい意味で受け取れるし、勝手に“優しい風見俊介”を作り上げることもできるのだ。それが俺には、どうしても耐えられなかった。


できることなら、今すぐにでも教えてあげたかった。

本当の俺がいかに弱くて、卑怯なやつなのかを。

そして――壊してしまいたかった。

彼女の目に今も映っているであろう、偽りの風見俊介を。



「……うん、やっぱり。自分では気づいてないだけで、風見くんは優しいよ」



それなのに、彼女はわかってくれない。

偽りを真実だと思い込み、何気なく口にしたその言葉が俺の傷をえぐるということに気づいてくれない。



「……がう」


「え?」


「違う……っ、俺は優しくなんてない……! だって本当の俺は……ただの卑怯者で、弱虫で――!」



そこまで言いかけたところで、ハッとする。


え……あっ……。お、俺……今、なんて……?


気づいたときには、もうすべてが遅かった。

あの彼女が珍しく驚いた顔で俺を見つめていたのだから。


誰にも気づかれないよう、必死に隠し続けてきた暗い気持ち。

それをついに俺は言ってしまったのだ。

両親や友達にではなく、もっとも苦手としている――御堂あかり本人に。


本当なら、彼女の目に映る偽りの風見俊介を壊せたことを喜ぶべきところなのに。気づけば俺は校舎に向かって走り出していた。


それはまるで彼女から逃げるかのようで……。


逃げる? なんで俺が逃げないといけないんだ?


そう、逃げる必要なんてどこにもない。

俺は何も悪いことなんてしていないのだし、そもそも彼女に知られて困ることなんて一つもないのだから。


だけど今、こうして俺は走っている。

一刻も早く、彼女の傍から離れようとしている。


自分のことなのに、わけがわからなかった。





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