聖遠征隊 4

礼拝室と呼ばれているその部屋は、入り口を入った正面の壁際に時空神アベレフセロスの紋章を祀った小卓が置かれている、それほど広くはない部屋だった。

今そこに、もう一つのテーブルが運び込まれて、その上に不思議な形をした物体が五つ置かれている。それは、蓋をされた脚の無い香炉から、先細りになった太い綱が伸びたような形をしていた。材質は金属とも樹脂とも判らない灰色で、表面が濡れたような光沢を放つものもある。

「殉教者の方々の魂炉です」

 その物体を指して神官が言った。

初め物体に気を取られていたカーメルは、聞き逃しそうになった神官の言葉を頭の中で繰り返して急激に意識が鮮明になるのを感じた。

目の前にあるのが人の魂を収めた器――。

「この方々のおかげで、今回の遠征に必要な資材をそろえることが出来ました。お時間は取らせないので、黙祷による敬意のみお示しください」

 カーメルの心の動きに気付いた様子もなく、神官は手首に鎖で巻くようにして持っていた小さな紋章を額の前に掲げて目を閉じる。カーメルもそれに合わせて目を閉じ、こうべを垂れた。

「ありがとうございました」

 数十秒経ったところで神官が言い、カーメルも顔を上げる。両隣にいるラーチャーとフォルゾイも同じように顔を上げるのが視界の隅で見えた。

「この方々には、もうひと役お願いすることになります。ラーチャーさん――」

 言われるとラーチャーが前に出て、持っていた旅行鞄に魂炉を詰め始める。

「アベレフセロスの導きを受けられる事に変わりはなくとも、神の御意志を示す為この世界で少しでも多くの役をこなせる事に、皆さま喜ばれているでしょう」

 神官はラーチャーの手元を見ながら言うと、もう一度アベレフセロスの紋章を額にかざしてから、祀ってある方の紋章にも一礼して顔を上げた。

「――さて、それじゃあ時間もないことだし、急ぎましょうかね。皆さん、とりあえず移動しましょう」

 

黄色い人工照明に照らされた工房の中では、殉教者によってもたらされた部品をわかつりとして組み立てる為の作業が、着々と進められていた。それと並行して、機に『天界のしるべ』を組み込むための作業も。

カーメルは、その組み立てられていく機の神獣の様な姿を無言で見つめていた。

「おめでとう、聖騎士カーメル――いや、カーメル殿」

 後ろから声をかけられ、驚いて振り返る。

「ラーチャー様……まだ私は――」

「そなたが正式に騎士として機を賜るときには、私はここにらんでな。祝いの言くらい、数時間前倒しで述べさせて貰っても構わんだろう。それにしても、立派な機だな」

 ラーチャーはカーメルの隣に並び、組み立てられていく機を見た。

古来、戦士は軍馬を得ることで騎士となったが、魔法具が一般化した時代に乗馬で戦うことに優位性はなく、従って騎士の意味もやや異なったものとなってきている。現在、戦士と騎士の違いは、戦闘能力を人の形態のもの以上に拡張する機を使う術を持つかどうかがひとつの区分となっていた。

「これは、神話として伝わっていたアベレフセロスの御使いたる神獣を魔法学で顕現させた奇跡の、そして世界最強の機。私が村から救い出した少女が、この機を駆る者として選ばれるとは我が生涯最高の誉れだよ。この国に、これを止められる武器はない。恐らく魔人兵団が出てきても抑えられることはないだろう。この国の元老院連中がこれの正体に気付けば、友好国に煉獄の業火を召喚する魔法具の貸与を申し入れるかもしれんが、その魔法具が届くころには邪教都市アラヌはアベレフセロスが導く天界の地へ姿を変えている」

「今回は何があっても、我々の勝利は揺るぎませんな」

 いつの間にか隣に来ていた神官が、ラーチャーの言葉の続きを引き受けるように呟いた。

「神官殿、聞いていたのか。人が悪い」

「いやいや失礼。自分も同じ気持ちなもので、つい口を挟んでしまった。これは、まさしく我々が数百年にわたって夢見ていた世界最強の兵器ですからな。この機がその本当の力を見せた時、それを止められる可能性があるのは煉獄の業火のみ。そして、卑劣なるが臆病でもあるこの国の連中は、自ら煉獄の業火を召喚する術を持たない。ここは、この機の力を世界に知らしめるために最適の地でもありますな――さて」

 神官は、言葉をきってカーメルを見た。

「カーメルさんは少し休んだ方がいい。あと二時間もすれば、その魔法甲冑に機を繋ぐ作業が始まるから、そうなったらアラヌへ着くまで休む暇は無いからねぇ。正直言えば機を操るための訓練にも少し時間をとりたいところなんだが、状況が状況だけにそれも難しい。このへん、貴女には少し無理させすぎかなって思ってるんだよ。いや、申し訳ない」

「大丈夫です」

 カーメルは組み立てられていく機から視線を逸らさず、静かに答える。

身体の奥底から湧き上がってくる、今までの人生で経験したことがないような充実感と高揚感は抑えることが出来ず、ともすれば指先や膝が震えそうになる。こんな状態で休めるはずがないと思った。

もうすぐ自分は世界最強の騎士となり、天界への導を示す。今までの人類の歴史の中で誰も経験したことのない世界を見るのだ。まだ正式には騎士になってすらいない一介の名も無き聖戦士に過ぎない自分が、数時間後には誰にも止めることのできない無敵の存在として歴史に刻まれる正義を成す――これがアベレフセロスの来示のように感じられ、精神の深層から不思議なエネルギーが止めどなく溢れてきた。

「その通り。そなたなら絶対に大丈夫だ。いま傀儡回しのすべにおいて、そなた以上の手練れはおらん。賊どもに今までの修練の成果、存分に見せてやればよい」

 ラーチャーの言葉に、高揚感が更に高まっていくのを感じる。

「……はい」

 無意識のうちに、静かだが力のこもった声で答えていた。

「――さて、私はそろそろ行かねばならん」

 言いながら、ラーチャーがカーメルの方へ身体を向けた。カーメルもラーチャーを正面から見れるように姿勢を変える。

「幼いころより我が娘の様に思うてきた、そなたの晴れ姿をこの目で見ることが出来んのは残念至極だが、これも聖なる使命を授かった者の宿命。私は老いぼれの身でできる精一杯の仕事をして、少しでもそなたの役に立てる様に努めよう。カーメル殿、神の恵みとご武運があらんことを」

 言い終わると同時にラーチャーは上位の騎士に礼を示す様に、膝まづいてカーメルの爪先の前に自らの右手の指先を揃えた。元々は自分の言動が礼を失していたなら指先を踏み潰してもよい、という意味をもつ所作だった。

ラーチャーの行動にカーメルは息をのみ、反射的に自分も膝まづく。

とっさに口に出そうになった、やめて下さい、頭を上げて下さい、という言葉を飲み込んだ。この状態でそれを口に出すのは、自分が相手より上位だと認めて指示を出す、という意味になってしまう。

わたくしごときに勿体なきお言葉……ラーチャー様にも神の恵みとご武運をお祈りいたします」

 ラーチャーが差し出している右手の横に自分の右手を並べ、それだけの言葉を絞り出すのが精一杯だった。

しばらくの間、二人は、お互いに姿勢を変えず言葉を発することもなかった。それから、ラーチャーは両手でカーメルの上腕の付け根を軽く握り、自分が立ち上がるのに合わせてカーメルも立ち上がるように導く。

先に立ち上がった方が上位だという意味になる状況で、同時に立ち上がるように促すことで敬意を示したのだと気付き、カーメルは身体が震えるのを感じた。

「本当に……今まで、ありがとうございました……」

 震える声で言うカーメルに、ラーチャーは彼女の頭を自分の肩へ抱き寄せることで応えた。


ラーチャーが出立して二時間が経とうとしている。

カーメルはラーチャーを見送った後、神官の勧めるまま自室に戻ったが、やはり高揚感と喪失感が深く混ざり合ったような感情の波に呑まれてしまい、眠ることが出来なかった。時間の感覚も曖昧なまま、ぼんやりと壁や天井を見つめていると、誰かがドアをノックした。

「どうぞ」

 応えながら立ち上がりドアを開けた。

「姉上……神官殿がお呼びです。……お疲れのようですが大丈夫ですか?」

 ドアの外に立っていたフォルゾイが、ためらいがちに言う。

「すこし緊張してるせいかもしれませんね。大丈夫です。行動に支障はありません」

 言いながら部屋を出て、フォルゾイと一緒に歩き出す。

先程さきほどラーチャー師から神官殿に連絡があったそうです。あちらは順調だとのことでした」

「……」

「上手く敵があちらへ誘導されてくれればよいのですが――」

「関係ありません。仮に、敵が囮に誘導されなかったとしても、私たちは自分に与えられた使命を忠実に果たすだけです。そもそも聖騎士を魔人兵団の囮に使うなど――」

 言いかけてから、カーメルは弟に対して言うべきではない心中のくすぶりまで口に出していることに気付いた。同時に、それを口に出すことはラーチャーの使命を否定することに繋がることも。

そうして会話は途絶え、二人は無言で暗い廊下を歩いた。

やがて目的とする扉の前へ着き、フォルゾイが扉を開ける。目前には、黄色い人工照明に照らされて、重馬二頭分ほどの大きさを持つ機が置かれていた。

起動すれば誰にも止めることのできない世界最強の魔法兵器にして、カーメルを聖騎士たらしめるしるし

カーメルは、ゆっくりと深呼吸をして扉の中へ入って行った。

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