聖遠征隊 3

 幼いころ住んでいた村では、いくつもの小さな部屋に仕切られた大きな建物で、多くの家族が生活していた。

そのころの記憶はすでに薄れ、最近では一緒にいた家族の顔もよく思い出せないが、二段ベッドを二基おくと通路しか残らない部屋で、カーメルは両親と兄の四人で暮らしていた。

ママと呼んでいた女性が、お前の髪はパパに似て奇麗だねと言いながら頭をなぜてくれていたことは覚えているが、パパと呼んでいた男性がどんな髪をしていたのかは覚えていない。恐らくは、自分と同じような金色で細くまっすぐな髪だったのだろう。

朝起きると、食堂と呼ばれていた広い部屋へ行き他の大勢の家族と一緒に朝食をとる。それから兄は教室と呼ばれる部屋へ勉強をしに行き、カーメルは週のうち一日か二日は兄とは違う教室へ通ったが、ほとんどの日は両親と一緒に農園へ行って両親の農作業を手伝いながら、同じように親の作業を手伝いに来ている同じぐらいの年齢の子供たちと遊んで過ごした。正午を少し過ぎた時間になると、兄や兄と同じ年ごろの子供たちも農園へやって来て、学校で習った勉強のことを話しながら農作業を手伝う。

日が暮れる少し前になると大人たちは作業に使っていた道具を片付け、皆で建物へと帰る。三日に一度は建物へ帰るとシャワーを浴びることが出来たが、それ以外の日は濡らしたタオルで身体を拭いてから食堂へ行って、朝と同じように他の家族と一緒に夕食をとった。

数日に一度はカーメルの家族に食事当番が回ってきて、それが朝食当番であれば普段よりずっと早起きをして、夕食当番であれば農作業を早く切り上げて、当番となっている他の家族と一緒に食堂で食事の準備をした。

そんな生活が続いていたある日。

朝食を終えて兄が教室へ行ったあと、カーメルが両親と一緒に朝食当番の後片付けをしていると、農園の方から何度か大きな音が聞こえて建物が揺れた。

何だろうかと思っていると、その音に続いて大勢の人の悲鳴が聞こえてきて、周りにいた大人たちも騒ぎ始めた。

カーメルは母親に言われ、同じように朝食当番を手伝っていた小さな男の子を連れて走って部屋に戻り、二人で藁布団をかぶってベッドに隠れた。

そうやって、どれぐらいの時間が過ぎたのだろうか。

何度も大きな音と共に建物が揺れ、人の悲鳴が聞こえる。一度は、建物のどこかで大勢の人が走り回るような音と、悲鳴、そして建物が揺れた時とはまた違う種類の恐ろしい音が聞こえた。

暑苦しく、自分も男の子もぐっしょりと汗をかいている。汗とどちらが漏らしたのかもわからないオシッコの匂いが藁布団の中に充満していたが、不思議とその匂いは不快ではなく、むしろ懐かしいもののように感じられた。

気が付くと、音も悲鳴も聞こえなくなっていたが、カーメルは恐ろしくて布団から出ることが出来なかった。

建物の外で木々がそよぐ音しか聞こえない静寂は、どのぐらいの時間続いていたのだろうか。

やがて、建物の中のどこか離れた場所から話す人の声が聞こえてきた。

「助けに来たぞ! 誰もいないのか?」

 はなれた場所から聞こえるかすかな声がそう言っているように感じ、カーメルは恐る恐るベッドから出た。

部屋の小さな窓から差し込む日差しは、既に午後の傾きを持っている。

ゆっくりと部屋のドアに近づき、耳を当てた。しばらくの間はドアの向こうから何の音も聞こえず、先程の声は空耳だったのかと思い始めた時――

「もう大丈夫だぞ! 誰も残っていないのか?」

 今度は、ずっと近い場所で間違いなく誰かがそう言っているのが聞こえた。


結局、村から助け出されたのはカーメルを含めた六人の子供だけだった。

助けてくれた大人たちは村が魔獣を操る外法盗賊団に襲われたと言い、カーメル達を周囲が見えないように抱きしめながら連れ出した。

そしてカーメルは、その大人たちの中に一人、それまでに見たこともない硬く尖った服を着ている男がいるのに気づいた。

その服が魔法甲冑であり、その男が盗賊団を追い払った聖騎士ラーチャーであることを知るのは、その少しあとのことになる。

大人たちはカーメルを、住んでいた村と同じような建物がある場所に連れて行った。ただ、住んでいた村と違い、建物は森の樹々に埋もれるような場所に建てられていて、どの窓からも木漏れ日以上の光が入ってくることはなかった。最初はその鬱屈とした雰囲気に違和感を覚えたカーメルだったが、慣れるのに時間はかからなかった。

そこには既に、カーメルと同じような年齢の子供たちが数十人暮らしていて、みな外法盗賊団に襲われた他の村の生き残りだと聞かされた。

そこで暮らし始めて数日が経った頃――

もう名前も忘れてしまったが、カーメルの村から助け出された少年の一人が、助けてくれた大人たちの中に盗賊団の仲間がいると言い出した。自分たちの村で大人を殺していた数人の男が、いま自分たちが暮らしているこの場所にもいるというのだ。

周りの子供たちは誰も、その話を信じなかった。もちろんカーメルも。

以前からそこで生活していた、カーメルより少し年上らしい少女が、それなら、どうしてその盗賊は自分たち子供を殺さずに、ここへ連れてきて面倒を見てくれてるんだ、と聞くと少年は黙り込んだ。

そして、その少年は三日後に姿を消した。

その日、朝食の点呼で少年がいないことに気付いた世話係の大人は少し慌てた様子になったが、その後は特に変化もなく一日が過ぎた。その翌日も、翌々日も、大人たちが少年を探しているという様子はなく、何事もなかったかのように一日が過ぎて行く。

子供たちの間では、少年が世話をしてくれている大人たちのことを信じられず夜中に逃げ出したという噂が流れたが、大人たちからは少年がいなくなったことに何の説明もなく、しばらくすると誰も少年の話はしなくなった。

そんな出来事とは関係なく、カーメルは村で暮らしていた頃に兄がしていた様に、午前中は学校と呼ばれる場所で授業を受け、午後からは農園で作業をしたり、日によっては武道の訓練を受けたりしながら過ごすことになる。

誰から教えられたということもなく、気が付くとカーメルは、この場所が神立聖戦士養成所の児童学舎だということを知っていた。そして、気が付くと自分が将来は神に仕える聖戦士になるのだと知っており、村が襲われた日おなじベッドに隠れていた少年を自分の弟として接するのが当たり前になっていた。

学校では世界の歴史から魔法学まで数多くのことを学び、宿舎では聖戦士としての戒律に沿った生活習慣を身につけていく。

そんな暮らしが何年も続き、途中で二度ほど違う養成所への引っ越しも経験しながら、気が付つくとカーメルは養成所の最年長組の一人となり、弟は一年下ながら武道では訓練生の中で一番の実力を持つと、最年長組からも認められる力を身につけていた。

そして、ある晴れた秋の日――

昼食をすませて農園に向かう準備をしていると、カーメルを含む数名の訓練生が教官に呼ばれた。呼ばれたメンバーの中には弟も入っている。

カーメル達が教官に言われた通り、自分たちが暮らす建物とは別の三階建ての兵舎にある小さめの集会室のような部屋へ行くと、そこにはラーチャーを筆頭とした魔法甲冑を纏う聖騎士四人が待っていた。

「遠征軍への志願者を募っている」

部屋の一番奥に座っていたラーチャーが挨拶に続けて発した言葉は、今でもハッキリと耳の奥に残っている。

古来より、聖地をめぐる戦いのために何度もの遠征軍が組織されたことは歴史で習って知っていた。そして世界法で聖地の中立が制定されて以降、近年の遠征軍は主として他国の悪行に対する制裁を目的としていることも。

――どこの国へ行くんだろう?

カーメルがそんな疑問を感じている時、ラーチャーから、もう一つの忘れられない言葉が発せられた。

「遠征軍に参加する者には、アベレフセロスより魔法甲冑を賜る」

そこに居た訓練生全員が、反射的に驚きの声を漏らした。え? とか、は! というような声が混ざりあい、十人足らずの訓練生が一瞬漏らした声だけでザワッという喧噪の前振りのような雰囲気が生まれる。しかし、それが喧噪へつながることはなく、全員が思わず声を出したことを恥じる様に姿勢を正した。

「志願します!」

 真っ先に声を上げて一歩前へ進み出たのは弟だった。

それを見た瞬間、決断への様々な葛藤よりも先に、出遅れたという焦りの方が身体を動かしカーメルも同じ言葉を発して前へ出る。ほぼ同時に他の数人の訓練生も同じ行動をとり、志願しますという言葉が合唱のように響いた。


その後、数回の適性検査を経てカーメルは傀儡回しのための多重魔法回路を持つ甲冑を賜る。弟はラーチャー師と同じ猟獣と呼ばれる基本型の甲冑を賜り、フォルゾイの名を得た。

世の中には世界法の網目をくぐる様な不正が溢れていて、それを正すためのアベレフセロスの神国による戦いは終わることを知らない。その為の遠征軍には様々なやり方があり、大軍をもって正面から攻め込む場合もあれば、少数精鋭の潜入隊による展開もあり得る。

今回カーメルが参加した遠征軍は後者であり、カーメルとフォルゾイは旅行者を装って卑劣なる者の末裔が暮らす国へと入国した。

その頃より雌伏の数か月を過ごし、今、決起のときは近い。

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