聖遠征隊 2
カーメルは、ラーチャーの腕当てと籠手に刻まれた傷を見て言葉を失った。
歴戦の勇士で、自分たちの目標でもある聖騎士から魔法具を奪い、あまつさえ攻撃を加えながら逃げおおせる賊がいるという事実がにわかには信じられない。
数分前、ラーチャーが帰って来たので神官の部屋へ来るようにと連絡を受けフォルゾイと二人でここへ来たところ、丁度、部屋の前でラーチャーと鉢合わせた。大事はない様子に安心したのも束の間、お怪我はありませんか? と尋ねるフォルゾイにラーチャーが見せた左腕には昨日までなかった数条の傷と凹みが刻まれていた。
「幸いにして、甲冑の傷だけで済んだ。私の行動に影響があるような痛手は受けとらんよ」
ラーチャーは心配するカーメルにそう言うと、背嚢を床に降ろし、疲れた様子で椅子に座りこんだ。
白い人工照明の下、ベッドと四人掛けのテーブルが置かれた部屋。神官がラーチャーの座った位置のテーブルに積んであった本を移動させると、小さな埃が舞い上がり照明の光を受けながらふわふわと周囲を漂った。
部屋の中にいるのは、ラーチャーとカーメル、フォルゾイに神官の四人。ラーチャー一人が椅子に座り他の三人が立ったままそれを囲んでいるさまは、尋問が始まるかのようにも感じられた。
「ラーチャーさん、帰ってきて早々で悪いが手当がすんだら状況を教えてくれ。場合によっては、ここも放棄しなきゃならんだろう」
いつになく深刻な表情で、神官がラーチャーへ詰め寄る。反射的にフォルゾイがラーチャーと神官の間に入って神官を遮ろうとしたのを、ラーチャー自身が制した。
「別に手当てが必要なほどの怪我はないから構わんよ。裏切ったのは、セルボが見つけてきた運搬人だ。セルボ自身がこの場所を知らんのだから、今すぐここが危険にさらされることはないだろう。とは言え、のんびりもできんがな」
カーメルとフォルゾイは、セルボという名に覚えがなかったが、神官が質問もせずに話を聞いているのを見て、自分たちの知らないメンバーなのだろうという推測はついた。
「それでセルボは?」
「死んだよ。残念だが」
「そうか――」
――ならば、セルボからこれ以上の秘密が漏れる心配もないな。神官の言葉は、言外にそんな含みがあるようにも聞こえた。
「――それで、その運搬人はどんな男だったんだ?」
「運搬人自体は、金でどんな仕事でも請け負うような信念のない小悪党だよ。その男を殺すのには何の呵責も感じなかった」
そのラーチャーの言葉に、フォルゾイ微かな違和感を覚えたが、それを口に出すのはためらわれた。
「問題は、その運搬人を雇っていたらしい者だ。あれは――」
一瞬ラーチャーは言葉を探すように黙り、それから、重い口調で言った。
「――一種の魔物だ」
ラーチャーは、その言葉で全てを説明したという様に深いため息をつく。
そして数秒のあいだ、耳の奥の痛みかと錯覚するような沈黙が続いた。
「それは――」
神官が掠れた声で沈黙を破る。
「――魔人兵団の兵士という意味か?」
神官のその言葉に、カーメルとフォルゾイは背筋を冷たいものが走り抜けるのを感じた。
言葉にするべきではない禁忌を耳にした衝撃。
煉獄の魔神と契約を結び、ヒトならざる力を手に入れた魔人。この国が魔人で構成される兵団を有していることは公然の秘密となっており、自分たちもいずれ魔人と会いまみえる危険性があることは覚悟のうえであった。しかし、この瞬間にその言葉を聞くには心の準備が足りていない。
「あやつが魔人であったかどうかは判らんが、魔人兵団の一員であったとしても不思議ではない。あやつは私を出し抜き、
「甲冑は?」
「見た限りでは纏っていなかった」
「魔力を使わず、甲冑の魔法力もなく、それで野獣の動きか……確かに魔物だな」
「そして、あやつが途中で合流した別の運搬人――姿を見ることは叶わなかったが、こやつは魔人であったように思う」
「魔力で攻撃をされたのか?」
「いや……逆だ。魔法力による攻撃を全て無効化された。しかも――」
そこまで言ったところで、またラーチャーの言葉は途切れる。今度は言葉を探しているのではなく、言うべきかどうかを逡巡しているように感じられた。
「――しかも?」
神官がラーチャーの逡巡に気付き、先を促す。
「――不覚にも、
ラーチャーが言った瞬間、フォルゾイが言葉にならない声を漏らした。
ほぼ同時に、神官の口からも呟きが漏れる。
「あんたが? 信じられん……」
「鵙の機では、能力が不足してたんだ。そうですよね?! 鷹の機があれば『天界の門』だって取り戻せていた筈です」
神官の呟きを聞いたフォルゾイは、それを否定したい気持ちをあらわにしながら言った。
「確かにそれはその通りかもしれんが、今更言うべきことではあるまい。鷹の機を本国から持ち込み、きちんと動くように手入れをしながら使うことなど望めんのは、最初から判り切っていた。それを納得の上でこの遠征軍に参加し、鵙の機を使っていたのだ。落とされたのは、ひとえに私の油断ゆえだ」
「一体、どの様な状況だったのですか?」
今まで黙って会話を聞いていたカーメルが静かに尋ねた。
「新たな運搬人と合流した賊を私の甲冑の魔法力では追うことが出来なんだので、鵙の機を使って追跡した。不思議なことに、運搬人の死角になる位置で鵙を飛ばしていたんだが、運搬人は鵙が付いていることを知っているかのように油断がなかった。ここで気付くべきだったんだがな……『天界の門』を取り戻すことばかり考えて判断が鈍っていたとしか思えん。運搬人が速度を緩めたのを、誘いの罠ではなく、奴らの油断が生まれた為と思い込んでしまったんだ。私はその瞬間を、鵙で攻撃をかけて門を取り戻す唯一無二の機会と考えて、攻撃を仕掛けた。奴らは、罠にはまった鵙をあっさりと墜として、悠々と去っていきおったよ」
言い終わると、ラーチャーは顔を上げて周りに立つ三人の顔を順番に見た。
神官は何かを考えるようにラーチャーの背後にある壁の方を見ている。カーメルはラーチャーの顔を見ていたが、視線を合わせてはいなかった。フォルゾイは、ラーチャーと視線が合うと目を伏せた。
「それで、墜とされた
神官が壁の方を見たまま、独り言を呟くような口調で尋ねる。
「回収できる状況ではなかったのでな……恐らくは、この国の官憲に回収されただろう」
「だったら――」
神官は壁から視線を戻しカーメルとフォルゾイを見た。
「一刻も早く行動を起こす必要があるな。鵙の機が官憲の手に落ち、『天界の門』が魔人兵団の手に渡ったとなれば、連中がその重大さに気付くのも時間の問題だ。そこから本格的な予防線を張られて行動を封じられる前に動くべきだ」
「しかし『天界の門』が既にこちらの手にはないのに、何を――」
フォルゾイが発した言葉を遮るようにして、神官は再びラーチャーを見た。
「まさか、二基とも奪われたのか?」
「そんな訳はあるまい。一度に二基とも奪われる危険を避けるため一基ずつ別々に運ぼうとした、そこにつけ込まれたのだ」
言いながら、ラーチャーは床に降ろした背嚢を持ち上げ、中を探った。
「ほれ、一基はここに――」
ラーチャーがテーブルに置いたそれを三人が見る。それは、一見すると、その能力は不明ながらありふれた魔法具のように見えた。
正体を知らなければ、その重要性も見落とされてしまうだろう。
「――正真正銘、『天界の門』だ」
ラーチャーの声が、どこか遠い世界のもののように響いた。
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