聖遠征隊 1
フォルゾイが訓練室に入ったとき、彼女は入り口に背を向けて座り、新しい甲冑を使いこなすための修練をしている最中だった。
時空神アベレフセロスより賜った甲冑、カーメル。数ヶ月前、その甲冑を身に着け己が肉体を甲冑と一体にした時、彼女は古い名を捨て、アベレフセロスの聖戦士カーメルとなった。
この甲冑は三十回線の魔法回路を有し、装着者の技量次第で一体から数体の傀儡を操れる。カーメルは、からくり仕掛けの仔犬を思わせる模造傀儡を三体操って、じゃれあわせたり並んで歩かせたりしながら、その動きを真剣な目で追っていた。
フォルゾイは、カーメルのその様子を見ると声をかけるのがためらわれて、しばらく部屋の入り口で立ち尽くす。
やがて、本物の仔犬のようにじゃれあっていた傀儡の一体が、逃げ出すように入り口の方へ走ってきてフォルゾイの脚にぶつかった。ほぼ同時に、カーメルが振り返る。
表情を作れない兜の奥から、一瞬カーメルの戸惑いが伝わってきた。
「姉上――」
フォルゾイは、カーメルの戸惑いの理由を察して、はっきりと聞き取れる声でそう呼びかける。
「あ、ええ。フォルゾイ、どうしたの?」
「神官殿が、『天界の
「そのこと、ラーチャー様は?」
「今日は、お出かけになられているので……」
「そう――わかりました。行きましょう」
そう言ってカーメルが立ち上がるのを確認し、フォルゾイは先に部屋を出た。
一定間隔で明り取りの小さな窓があるだけの薄暗い廊下を抜け、渡り廊下に出る。渡り廊下の窓は大きいが、遮光材が張り付けてあるのでやはり薄暗い。ただ、カーメルとフォルゾイが纏うアベレフセロスの祝福を受けた甲冑にとっては、この程度の明るさがあれば昼間の陽光の下と変わらない。
卑劣なる者の末裔が暮らすこの国にきて数週間、カーメルはこの建物から一歩も外へ出ていなかった。そして、古い工房だというこの場所は、それぞれが本国にあった三階建て兵舎ほどある建物の数棟が、渡り廊下で繋がった構造となっており、外へ出なくても窮屈さを感じないだけの広さを有している。いや、むしろ広すぎて、中を歩き回っているフォルゾイの案内がなければ未だ迷子になりそうなことがあった。
「フォルゾイ、あなた今日の修練は終わったの?」
「今日はラーチャー師が出かけていますので、私一人で外へは出れませんから」
「ああ、そうでしたね……」
屋内で修練ができるカーメルの甲冑と異なり、フォルゾイの甲冑は屋外でなければ修練ができない。いつもであれば、二人の恩人であり師でもある聖騎士ラーチャーが周囲を警戒しながらフォルゾイの指導を行うのだが、ラーチャーが不在の日は、この国に不慣れなフォルゾイ一人で建物の外に出るのは危険が多かった。
「もう甲冑は馴染みましたか?」
「そうですね。自分の身体として使える程度には馴染みましたが、ラーチャー師には全く及びません。同型ではあっても、純粋な戦闘性能は私の甲冑の方が上だと言われているのですが――」
「戦いは甲冑の性能だけではないことなど、甲冑を賜る前から身に染みている筈なのに、お互い、すぐに忘れてしまいますね」
弟を慰めるように言うカーメルの口調は、その内容と裏腹に少し嬉しそうであった。
フォルゾイは、姉のその口調に気付き複雑な気持ちになる。姉が、フォルゾイを貶めるような感情を抱いていないことは十分に判っていた。ただ、姉は恩人や師に対するものとは違う種類の好意をラーチャー師に抱いており、その相手が一人前の聖戦士となった弟よりも未だ優れた技量を誇っていることが嬉しいのだ。
自分がラーチャー師と同じ型式の甲冑を賜った時に姉が浮かべた、露骨な羨望の混じる動揺の表情をフォルゾイは忘れることが出来ない。
そうやって考えている間に神官の待つ作業室に着き、フォルゾイは扉を開けてカーメルを先に通した。
小さなホールほどの広さの空間は黄色っぽい人工照明に照らされ、壁際に工具や缶を積んだ棚が並んでいる。薄く漂う煙が照明の光を濁らせるなか、部屋の中央では数人の男が背の高いワードローブほどの大きさの機械を見ていた。
「神官殿、姉上をお連れしました」
フォルゾイの声に、男の一人が振り返る。 短く刈り込んだ髪を金色に染めた若者に見えるその男の、実際の年齢はラーチャーとそう変わらないと聞いていた。確かに近くで見ると、その肌のあらさは見た目の若さと不釣り合いに感じられる。
「お呼びだてして申し訳ないですねぇ」
男は、神官という役職とは不釣り合いな印象の軽薄な口調で言った。服装も職工のような作業服で、言われなければ周りにいる作業者たちと区別がつかない。
男に初めて会った時の紹介では、男は以前からこの国に潜むため棄教者を装って暮らしており、何かのはずみで宗教者であることが露見しないよう、普段から神官らしい立ち居振る舞いを避けているのだと聞いていた。その説明を受けていなければ、この男がアベレフセロスに仕える神官だとは信じられなかっただろう。
「まだ一基だけですが、完成しましたよ。『天界の
カーメルとフォルゾイに向かって神官が言うと、周りにいた作業者たちが二人に道を開けるように機械から離れた。
「ずいぶん大きいのですね……」
カーメルが見上げるようにして呟く。
それを聞いた神官は、演技がかった仕草で顔をしかめて見せた。
「なかなか手厳しいですねぇ。これでも、以前に異教徒たちが作った物の半分ぐらいまで小型化したんですよ。『天界の門』にマナを供給する魔法炉は、出力を安定させるため小型化に限界があるんです。ま、この大きさなら十分使えるはずなんで、今回はこれで勘弁してくださいな」
「あ、いえ。申し訳ありません。皆さまの仕事を測るようなことを申し上げるつもりでは――」
「いやいや、こちらこそ失礼。貴重なご意見として二基めを作るときの参考にさせてもらいますよ」
神官は愛想笑いを浮かべてそう言ってから、反応を探るように、ちらりとフォルゾイの方を見た。
「そういえば、神官殿――」
神官の視線をうけて、フォルゾイが口を開く。カーメルと接するときでも、あまり感情が口調に現れることはないが、今の口調は更に感情を失って感じられた。
「肝心の『天界の門』は、どうなっております?
フォルゾイの質問を受けて神官は一瞬だまり、軽く眉を上げて見せる。
「おや、お聞きになっていない」
「何をですか?」
「『天界の門』を組み立てる為の魔法具は、この国では市場の規制が厳しくて手配をかけられない。そんなものを市場で探した途端、官憲が乗り込んできますからね。だから、本国で手配しています」
「それは私も知っています。本国から届くのがいつかを知っているならば、教えて頂けないかと申し上げているのです」
フォルゾイが感情を感じさせない口調で言う。カーメルには、弟の口調が苛立ちを押し殺しているものであることが判ったが、神官の方は気に留める様子もなかった。
「ところで、ラーチャーさんは――」
神官は、また何かを考えるような表情をつくって言葉を継いだ。
「今日は、どこへ行くと言ってました?」
「ただ所用で出かけると聞いただけで、どこへ行くとは聞いていません」
「そうですか――自分は、本国からの使者に会いに行くと聞いてたから、てっきり『天界の門』を受け取りに行くかと思っていたんですが――」
言いながら神官は、フォルゾイとカーメルの顔を交互に見る。その眼には、先程までは見られなかった冷めた光が浮かんでいた。
「――いや、こんな推測すらするべきじゃないか。『天界の門』に目を光らせてるのは、この国の官憲だけじゃない。欲しがってる連中は、他にも嫌になるほどいるんだ。そんなゴロツキどもに目をつけられることもなく、ここまで運んでくるためには、噂話の類も流れないようにするに越したことはないでしょう? 例えば、今この瞬間にここが何者かの襲撃を受けて、全員が拷問ギルドに連れていかれたとしても、今の状態なら『門』がいつ何処に運ばれてくるのかを相手に知られることはない。そりゃそうだ、ここにいる誰も知らない話なんだから。でもね――」
神官の顔に、隠しきれない微かな嘲笑が浮かぶ。
「もし誰か一人でも知ってたら、終わりだよ。それでもフォルゾイさん、知りたかったの?」
目を細めて見上げてくる神官から、フォルゾイは視線を逸らす。
「……いや、失礼した。忘れて下さい」
絞り出すようにそう答えたフォルゾイの言葉に、神官の細めた目はそのまま愛想笑いへと変わった。
「やっぱり、そうだよねぇ。いや、自分だってそう思いますから。まぁ、この
いまの会話の後で改めてものを尋ねる気にもならず、フォルゾイとカーメルはお互いに顔を見合わせて席を辞そうとする。
その時、部屋に女が駆け込んできた。
時おり廊下ですれ違うことのある若い女。何度か、神官と話しているのを見たこともあった。
女は、フォルゾイとカーメルの姿を認めると一瞬ためらってから、二人に軽く会釈をして神官を部屋の隅へと引っ張って行った。
フォルゾイは、部屋を出るために神官へ挨拶しようとしたタイミングを外され、神官と女が話している方を見るともなく見ている。
と、神官の顔が激しくこわばるのが判った。
神官は、すぐに平静を装った表情をつくって部屋を見まわし、フォルゾイと目が合った。数秒のあいだ何かを考えるように目を閉じてから、意を決した顔でフォルゾイを手招きする。
フォルゾイがカーメルの手を取って神官の傍へ行くと、神官は「天界の導」の周りにいる作業者を気にする様子で一瞬そちらへ視線を向けてから、二人にだけ聞こえる小声でゆっくりと言った。
「本国からの使者が持ってきた『天界の門』を賊に奪われました。いまラーチャーさんが追ってるので、フォルゾイさんは状況に応じて援護に出られるよう待機して下さい」
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