第17話 精霊の眼と縁の繭

『これはまた珍しい物ぞ』

 目の前にあるのは二つの繭。

 繭と表現しているが、実際には卵のようにしか見えない外見だ。

 繭の中からは眩いばかりに魔力と気が溢れているが、逆に精神が一切存在していなかった。

『縁蚕の繭ぞ。しかも、中身は完全に生命のスープになっているな』

 驚くべきことに、この縁蚕危険領域でしか生息しない蟲種でありながら、戦闘能力が皆無の超希少存在。

 飛行能力も無く毒すら無い。

 それなのにどんな領域でも分布数は変動するが存在している。

 この縁蚕が弱肉強食の危険領域で存在していられるかと言えば、答えは簡単。

 偶然見つからないのだ。

 餌を食んでいる時、移動している時、繭になっている時、交尾している時。

 どんな時であろうと、縁蚕の生命を脅かす存在は何故かいない。

 しかし、今現に俺の前に存在しているのは、一定条件下においてのみ存在が露見するからだ。

 幾つかの条件の一つは繭の状態である事だ。

 何故か繭の状態の時だけ見つけられる。

 他には発見者にとって、この繭が必要な状態や立場である事などがあった。

 蟲学者の間でも、特に謎が多い蟲種。

 その謎でしかない超希少な蟲種の更に希少な繭が、目の前にある二つの繭だった。

 幼虫から蛹に変化する過程で縁蚕は一端身体を液状に変える。

 その状態で高濃度の魔力や気に晒されると、存在の輪郭が曖昧になり今目の前にあるような繭になる。

『霊脈と気脈の交差点かつ、霊穴と気穴の上であれば然もありなん』

 霊脈と気脈は、生物が持つ霊子回路と同じで大地や大気に張り巡らされた魔力と気の通り道である。

 魔力や気を領域に満遍なく循環させる重要な役割があり、一定周期で脈や吹き出し口の場所を変化させる。

 今回の探索は半年前に霊脈気脈の流れが変化した事で、獣種や蟲種、魔物たちの行動範囲や分布が変わり新たな安全なルート開発がメインだった。

 しかし、霊穴と気穴が近くに開いていたので来てみれば、思わぬ収穫に出くわした。

 今いるのは霊穴と気穴の真上に当たる木の枝の上。

 下からも上からも死角になる場所で、獣種や他の蟲種にもそう易々と見つかることは無い。

『素材については分かったけど、これ採取して良いのか?』

『当然だ。見つけたならば回収するのが道理ぞ』

 二つの繭を手に取ってみるが脈動を感じず、むくろ特有の穢れも無い。

『ふむ、実物を見るのは我も初めてぞ。知識の継承も完全ではないが、生前も見たことはないことは―――』

 小竜が肩から腕を伝い、掌で転がしていた繭に触れた瞬間劇的な変化が起きる。

『『ッ!』』

 加速した精神ですら対応出来ない一瞬で、二つの繭が俺と小竜の霊子回路を伝い魂魄に溶け込んだ。

『『………』』

 二人して全身に異常が無いか探るが、溶け込む以前との違いが何一つ存在しなかった。

『…帰ろっか』

『…そうだな』

 希少な素材を見つけて浮かれていた気分が、もやもやした気分に変わり探索できる状態ではなくなった。

 帰り道、珍しい素材を見つけたとしても極力避けるように帰途に着いた。



 生産職にとって素材の聲を聴くのと同じくらい大切なのが、素材の霊子回路の質と量を鑑定する技量だ。

 霊子回路とは、神経や血管と同じように万物に張り巡らされている回路だ。

 だが、神経や血管のように特定の器官が有るわけではない。

 魔力や気と親和性が高く伝導率が高い通り道の事を“回路”と呼称しているに過ぎない。

 神経回路が器質的な経路であるのに対して、霊子回路は魂魄の経路と言える。

 素材の質は、霊子回路の数と質によって決まる。

 霊子回路は、魔力が通る霊脈と気が通る気脈の二種類ある。

 霊脈が多いほど出力が高く、気脈が多いほど性能が高い。

 よく勘違いされるのだが、保有魔力量や気量より霊子回路の質と量の方が大切だったりする。

 保有魔力や気が少なくても、霊子回路が潤沢であれば外部から補填してやれば最大値の性能を発揮するのだ。

 なので素材を買う、もしくは取り扱う場合は霊子回路を診て決めることが肝要となる。 

 俺は霊子回路をどうやって見分けるかと言えば、“光”の密度と経路を“観て”判断している。

 観てと表現しているが、実際に視覚として認識しているわけではない。

 二年前、延命と肉体の成長を止めない為に、五感の全てと運動機能を消失した。

 指先一つ動かせない俺に暗闇の中で唯一認識出来た小竜の特訓によって、新たな眼“精霊の眼”を開眼させられた。

 精霊の眼とは天眼、心眼、地眼と呼ばれる三眼を合わせた名称。

 それぞれ見えるものが異なり、天眼は魂の霊子基盤や業、心眼は精神状態や意思、地眼は魄の霊子基盤や宿命を看破する。

 薄ぼんやりと見えていた魔力や気の光を明確に認識するだけでなく、刺激として捉えていた精神も光として認識できるようになっている。

 俺が新たに獲得した感覚に慣れるまで、三つの事が課題となった。

 一つは視点の数。

 三つの視点を持つと言うのは、同じ場面を三つの番組を同時に見るようなものだ。慣れるまで半年ほど掛かった。

 二つ目に視野。

 120度の画面で見ていた視野が、自分を起点にした三百六十度上下左右の立体映像に変わった。

 視野の変化に戸惑ったが、慣れればこれほど便利な視野はない。

 三つ目は範囲だ。

 最初は二メートル程度だったが、二年経った今では自分を中心に半径二百五十メートル以内を把握できるようになった。

 草葉の下や枝の上、岩の裏側や地中など、完全な死角に存在する希少素材を難なく回収出来るようになったのは僥倖だった。


「なんだこれは」

 町に戻ってすぐに先生の所で二人とも診察して貰い、解析結果を見た先生の反応がこれである。

 霊子端末に表示されている俺と小竜の霊子基盤の解析結果、その状態を表す欄に奇妙なのが一つ存在した。


 状態:健康・縁の繭。


 なんだこれはである。

 健康は分かるが、縁の繭とはなんぞ!因みに俺の欄には呪詛の文字が爛々と輝いている。

「先生も分からない事あるんだ」

「いいからキリキリ喋れ」

 事の経緯を霊脈気脈の探索から、縁蚕の繭を見つけ採取するまで説明する。

「お前たち、もう四年目になるハンターだろうが、なんでそう安易に訳の分からない物に触れるんだ」

 心底呆れるのだった。

『ば、馬鹿者!縁蚕の繭がどれほど珍しい物か、医者である貴様でも知っていよう!』

「知らないし。縁蚕の名前も今知ったからな?」

 心外だとばかりに小竜は抗議するが、先生は微塵も動じない。

「あのな。竜の知識を使うのはいいが、安全か危険かはしっかり判断しろ」

『我の知識には、このような現象が起きるなどと記録されておらん』

 何故あんな反応が起きたのか皆目見当が付かないと言った風に、小首をかしげる小竜超可愛い。

 竜、特に始祖となる竜種には、生まれつき世界の事柄や知識が備わって生まれて来る。

 それは赤竜の記憶を継承していない小竜も同様だ。

 エピソード記憶と意味記憶の違いだと説明された。

 時折父さんでも知らないような知識を、気まぐれで教えてくれる。

 しかし、その竜の知識に無い情報とはいったいなんなんだ?

「まあいい。呪詛の様に悪影響が無いとは言えんが、過ぎた事は諦めよう。要経過観察っと」

 先生の精神が心配の色から好奇心の色に変わった。あ、学者モードだ。

「先生個人で探求する分にはいいけど、学会に発表しないでよ?」

「分かっているさ。それより身体調子はどうだ?」

「神経回路で動かしていた時より、身体が自由に動かせる。半精神生命体化処置さまさまかな」

 元々精神構造が異常に発達していた俺は、霊子回路を経由して身体を動かす事に支障が一切なかった。

 精神との齟齬が殆どなくなった分、前よりいい。

 まあ、それも精霊の眼を獲得出来たからなのだが。

 そしてここからが本題。

 今の俺は脳の機能も最小限つまり小脳、間脳以外の脳機能が停止状態である。

 しかし、こうして思考と記憶が出来ているのは、魂の演算と記録の機能で代理させているからだ。

 神経回路がイオンによる電位差で肉体を操作するのなら、霊子回路は精神の意志を直接反映する魔力と気で肉体を操作する。

 逆に健常者では、霊子回路経由の肉体操作は非常に難しい。

 理由は肉体が物質である神経信号を優先するからだ。

 唯一の難点を挙げるならにくたいの耐久度と筋量が少ないため、精神の速度に肉体が耐えきれない事ぐらいだろうか。

 だから質問の度に僅かでも、後悔の色にならないで欲しい。

 俺は感謝の念しかないのだ。

 その後幾つかの質疑応答を終えて、先生の所を出た。



「縁蚕を見つけたの?え?マジで?見せて見せて!」

 先生の後は師匠の所にやって来た。縁蚕の話を出した瞬間、引くほどの食いつきだ。

「最後まで聞こう師匠。二つとも俺と小竜の霊子基盤に溶け込んで現物は無いよ」

 二度目となれば説明が最適化される。

「ふーん。生きても死んでいない縁蚕の繭、ね」

『なんぞ知っておるのか鍛冶師』

「縁蚕の繭ってさ、かなり特殊な素材なんだよね。縁蚕の繭を採取した者は繭に触れると、どうやってどんな風に加工すればいいのか分かるらしいんだよ」

「それ生物としてどうなんだ。自らの屍をどう加工するのか指定している訳だろ?」

 と言うか何故それを小竜が知らない。

「彼らには彼らの原理がある。それは兎も角話の続きだ。繭を糸にする者や中身を食べる者、糸を織り布にする者様々だが、一貫しているのはどうすれば良いのか繭自身が指し示す点だ」

『つまり繭が生きても死んでもいない状態で我らに見つかったのは、我らに必要な事だと言うことか?』

「その通り。そして二人の霊子基盤と同化したのも、未だ繭の使用方法が分からないのも君たちに必要な事だからだろうさ。でもいいな~私五百年ほど生きているけど、一度も縁蚕そのものを見たことないんだよね」

「師匠程素材を見つけるのが上手くても無いのか?」

 驚愕の真実だ。希少素材という希少素材を回収して、道具や薬に加工している師匠が一度も見た事すらないなんて信じられない。

「フフン!なに?喧嘩売ってんの?買うよ?超買うよ?」

 やばい。

 師匠が半ギレ状態で泣いている。どこら辺が逆鱗だったんだ。

「その顔はなんで私が怒ってるのか分かってない感じだな?おい小竜、ちゃんと縁蚕の発見条件教えたんだろうね?」

『縁蚕と縁があった者が発見するのであろう?』

「――――――なる程、うんうん。それじゃあ仕方ないね」

 小竜の説明に両目と口をかっぴらいて絶句した後、浮かべる笑顔が理不尽に染まっている。

「二人とも縁蚕の繭の数は?」

「『二つ』」

「二つの繭の関係は?」

「『番い?』」

「じゃあ、それを見つけた人数は?」

「『二人』」

 何言っているのだと言わんばかりに俺と小竜が首を捻る。その姿についに師匠がキレた。

「気付け!縁蚕の繭を見つける条件は二人いないと駄目なの!しかも魂が共鳴りになるくらい相性が良い二人じゃないと駄目なの!分かる?相性だかんね!」

「それって――」

 ばちこーんッ!

 言いかけた言葉は小竜のテールアタックで妨害された。小竜の色を観ると火が出そうなほどの赤だった。つまり羞恥に悶えている。

「私だってその気になれば、番の一人くらい――――」

 混沌とした場が収まるまで一時間を要した。



 精霊の眼や霊子回路での身体の運用が可能になって、最初に食べた母さんの料理の味が未だに忘れられない。

 五感を失い無味無臭であるはずの“それ”は、味覚を失う前より鮮烈な“味”を俺に訴えて来た。

 一口二口、出された料理を口にしても、鮮烈な“味”は幻覚でも錯覚でもない。

「味覚が無いのに“味”を感じるのを驚いてるみたいだけど、別にそれ程おかしなことじゃないわよ」

 母さんの指さす先には霊体でありながら、ご飯を食べている小竜がいた。

 確かに小竜は五感が無いはずなのに、母さんが作るご飯を昔から“美味い”と表現していた。

「味っていうのはね。別に器質的な生理反応だけじゃないのよ。ティファが精霊の眼で観ている光子には、様々な情報が含まれているわ。色も、音も、匂いも、そして味も情報として光子には存在している」

 だから、霊体である小竜も料理を“美味い”と感じるのだと、五感の無い俺も美味いと感じるのだと母さんは話す。

「寧ろ間に余計な物を挟まない分、より直接“味”を感じるのかも」

 その日から世界の見え方がガラリと変わった。

 精霊の眼で観る母さんの調理技能は、正しく芸術だった。

 食材に宿る“味”が色彩豊かに交じり合い、一つの絵画を描くように味が彩られていく。

 調理技術もさることながら、食材に大気中の魔力や気を練りこんでいるのに気が付いた。

 父さんが行う共鳴術と同系統の技術で、導術と呼ばれる高感応者固有の技能。

 共鳴術が外気や外魔力と同調し増幅するのに対し、導術は同調した外気と外魔力を別の物体に取り込ませる。

 母さんの料理を特別足らしめる要因の一つで、練り込んだ食材は味や効能を一段階も二段階も上げる。

 危険領域産の食材、熟練度Aの屍霊術、料理技能、知識、そして導術。

 これらが揃って母さんの薬膳料理が作られていた。

 しかし、この導術は途轍もなく危険な技術でもあった。

 素材の許容量を超える外気や外魔力を練り込むと、骨が植物になったり、神経が火になったり、肉が砂になったり、脂が水になったりなど物質が自然の事象に転じてしまうのだ。

 これは素材を構成する気と大気中の気が、異なる物であるのが原因だった。

 気と一言に言っても、全てが同じではない。

 原初の気は一つの性質しか持っていなかったが、一つが二つ、二つが四つ、四つが八つと細分化し多様化し世界を構築した。

 生物を構成する気は四つに分化した気であり、自然を構成する気は八つ以上に分化した気だ。

 だから、自然の気を取り込みすぎると生物が自然現象に変化してしまう。

 俺の場合は練度がF半人前の領域を出ないので、自然化現象の心配は無いらしいが一応注意は受けた。

 “味”が観え、調理技能を直に分かるようになってから、俺の調理技能は急成長していった。

 今では導術と共鳴術以外習得している殆どの技能はE一人前になっていた。


「ティファ君が採取してきてくれた火蜜美味しすぎます!」

 俺の拙い導術で外魔力マナ外気ルフを練り込んで作ったシフォンケーキに、採取してきたばかりの火蜜をこれでもかと掛けて食べている女性陣。

 学校を卒業して帰って来たニー姉を始め、母さん、ソウルにハート、そして黙々と食べ続けている小竜の五人を、どこか達観したように父さんと俺は見ていた。

 回収してきた火蜜蜂の巣は、蜜と巣、後幼蟲により分けた。

 蜜は料理と酒造に使う。

 酒造に関して言えば、味は分からなくても母さん製の酒を見本に《形質変化》で作って結構好評だった。資格も取ったので問題ない。

 巣は《形状変化》で蜜蝋にして、灯した火が小竜の“デザート”になっている。

 一番驚いたのは蜜より、火蜜蜂の幼蟲の方が“うま味”を豊富に含んでいた事だった。

 米と合わせて炊いたら、美味しすぎて困った。

 見た目が苦手な人が多いらしい。

 勿体ない。

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