第13話 魔素と業

 魔物。

 魔素によって魂殻が変質した生物の総称。

 不死種、鬼種、妖魔種、怪異種、魔蟲種、天魔種。

 多様な種族、形態、機能、習性、生態、嗜好を持つ魔物において一つの共通点が存在する。

 それは人に対する絶対的なまでの悪意。

 危険領域の生命体は侵入者である人を排除するが、それは生命本能である食欲や防衛の結果でしかない。

 しかし、魔物は違う。

 人を見れば、己が衝動を満たすためだけに人を襲う。

 自然の摂理はなく、あるのはどす黒い欲望だけだ。

 思い出すのは、あの憎悪と悪意に満ちた魔猪の濁った瞳。

 小さい生き物を嬲る悦楽と理由なき憤怒に、あの魔物は身を焦がしていた。

 黒い炎を纏ったような毛並みを思い出すと、死を明確にされた恐怖が引きずり出されそうになる。

『何を考えておる』

 小竜のマッサージする手が止まっていた。気配を読む訓練と小竜への労いを兼ねたマッサージは、寝る前の習慣となっていた。

 先生の所で身体検査を行い異常無しと言う事だったので、家に帰って来ていた。

『大方魔猪の事でも考えておったのだろう』

「魔素についてもかな」

 魔素は学術用語で、一般的には“穢れ”と呼ばれる。

 精神を持つ生命体が自らの許容を超えた“業”を持った時に生まれる。

 ちなみに魔素は二種類あり、自分の内から発生した魔素を内魔。自分以外が産んだ魔素を外魔と呼ぶ。

 穢れは精神から生まれ、性質は精神と近しく魂魄や肉体に干渉する。

 もっとも一番干渉しやすいのはやはり精神で、精神より先に魂魄や肉体を汚染する例は少ない。

 そして精神が魔素に汚染されると、まず最初に精神異常を起こす。

 心優しかった人が他人を貶める事に喜び、猜疑心に蝕まれ、良心の呵責を感じなくなり凶行を平然と行い、他者の存在を認めなくなっていく。

 ようは人格に障害が発生するのだ。

 俺は蘇生する度に精神汚染度を検査を受けている。

 これは穢れを生みやすい呪詛の痛みと死を何度も経験しているからだ。

 だが、どうも俺の精神は汚染されにくく穢れを産み辛いようで、今まで精神汚染度評価は変わらずNだった。

 精神汚染度も最高をA、最低をG、異常無しをNとする八段階評価。

 Gならば多少の苛立ちや視野狭窄程度。

 F以上になっていくと精神の箍が外れ。

 Eで精神は完全に狂い。

 D以上になれば魂の殻が変異し、肉体は人のまま魔物になる。

『また手が止まっておるぞ』

 盛大な溜息が小竜から零れ、横たえた体を起こすと俺に向き合った。

『小僧、今日の魔猪の一件で魔素を産み出す業は、良からぬ物であるとか勘違いしておらんか?』

「魔素の元になるんだ。当然じゃないのか?」

『馬鹿者。確かに業は魔素を産み出す要因ではあれど、事の本質は魔素を産んでしまう未熟な精神にある。そもそも業とは全ての生命体が内に宿し、また生命体が起こす全ての事柄、感情、思想、技術、理念、行動を指す』

「うん?つまりご飯を食べることも業?」

『然り。食事をすることも食材の命を狩ることも料理を作る事も食材を育てることも寝ることも起きることも息を吸うことも吐くことも言葉を話すことも聞くことも沈黙することも文字を書くことも読むことも絵を描くことも知識を学ぶことも教えることも技術を習得することも身体を動かすことも動かされることも金を稼ぐことも施すことも物を売ることも買うことも作ることも探すことも使うことも壊すことも他者を傷つけることも傷つけられることも殺すことも殺されることも裁くことも裁かれることも働くことも働かないことも休むことも休まないことも愛することも憎むことも好くことも嫌うことも正義を抱くことも悪意を抱くことも誠実であることも不実であることも希望を持つことも絶望することも親切であることも不義であることも貞淑であることも淫らであることも信仰することも貶めることも勤勉であることも怠惰であることも謙虚であることも傲慢であることも慈愛を抱くことも怒りを抱くことも耐え忍ことも嫉妬することも節度を持つことも貪欲であることも分別を持つことも暴食を行うことも嫌悪することも恋慕することも憂鬱になることも爽快であることも生殖行為を行うことも自慰を行うことも探求することも平和であることも動乱があることも秩序であることも混沌であることも中立であることも善であることも悪であることも中庸であることも思いやることも慈しむことも道理に従うことも従わないことも礼を行うことも弁えることも尽くすことも嘘を言うことも真実を語ることも工夫を凝らすことも仲が良いことも悪いことも穏やかであることも生きることも死ぬことも――全て業である』

「良い事も悪いことも一緒の括りなんだけど」

『言ったであろう。生命体が起こす事柄、事象全てが業だと。物事の良し悪しなど所詮人の主観的価値観でしかない』

「愛とか正義でも穢れを生むってことか?」

『然り。業が悪しき物なのではなく、精神の許容を超えた業が穢れとして魔素になるだけぞ。故に業そのものに善悪の分別は存在しない。小僧に分かりやすく噛み砕けば、食べるという行動だけを考えよ。腹が減った、だから飯を食う。これは穢れか?』

「穢れではないと思う」

 生き物は食べないと飢え死ぬ。ただ食べるだけで穢れが産まれるならば、この世には穢れに満ち溢れているはずだ。

『そうだ。本来なら時と場合と場所や者などの複合的条件で変化するが、今回の空腹だから食べることは穢れとは言えない。では腹が満たされているのに更に食料を食べる、これは穢れか?』

「穢れかな」

 必要でもないのに無理やり食べているのは、まともとは言えない。

『然り。腹が満たされているのにより過剰な食事を行う。これは人の許容を超えた行いであると言える』

「つまり善悪関係なく精神の許容を超える行動が穢れってことか?」

『大まかにはそうだな。正確に言うならば自らの行いや思いを精神で受容しきれる事柄が業であり、受容出来ない事柄が穢れとなる』

「もしかして人の業の許容量って精神構造や成長年齢に依存している?」 

 穢れが精神の許容不足によって生まれるならば、俺が穢れを産みにくく汚染され辛い要因は精神構造くらいしか思い浮かばなかった。

『そうだ。あとこの国にある“克己の義務”は、とても良く出来ている』

 克己の義務。

 人は魔素に汚染されていない状態が正常である。

 だが魔素汚染を受けると正常な思考を逸脱し、自他ともに侵害するようになっていく。

 それは小さな物は対人関係、大きな物は国家規模の災いを生み出す。

 だから災いを未然に防ぐため、精神汚染がGで注意勧告が出され、Fで克己の試練場へと強制送還され、強制送還を逃れEになった者は例え犯罪を犯していなくても犯罪者として逮捕される。

 克己の試練場に送られた精神汚染者は、専用の施設で穢れた精神を体から抜くことで、正常な思考で自らの穢れと向き合い戦う。

 正常な自分が勝てれば精神の成長、精神構造の強化が行われる。

 しかし、穢れた自分が正常な自分に勝てば、魂と心を失う。

『勝てば成長、負ければ存在の消失。全く良く出来た制度よ。まあ、小僧には一生縁がない制度であろうよ』

「褒められたと思っておく。でもそうか生命体が起こす全てが業か」

 魔猪も自らの業に狂ったのであろうか?それとも人が生み出す魔素に染まったのだろうか?

『もう一つ小僧に分かりやすい例えをやろう。小僧の防具制作、熱心に頑張っておるな。それこそ、より良い物を作るために何度も何度も』

「制作の練度は質と数だ」

『然り、そしてそれもまた業である。業を磨き、業を重ね積み上げることで、生命は特化していく。防具職人はよりよい防具を生産し、料理人はより良い料理を作り、商人はより多く稼ぎ、剣士はより鋭い剣を振るい、政治家はよりよい国家運営を行っていく』

「業を磨いて積み重ねたことで、師匠は赤竜の鎧みたいな鎧が作れるようになったってこと?」

『そうだ。世には“神業”と言う言葉があろう。これは優れた技術を表す言葉だが、“技”ではなく“業”の字を使うのは業によって至ったものだからだ』

 “業物”と呼ばれる道具も、業によって到達した逸品であることをを示す。

「他にも小僧の持つ霊子端末に表記される技能欄。あれは持ち主である小僧の魂に宿った業を読み取り”型”として表示する道具でもある」

 霊子端末を取り出し魔力を流すと、俺の霊子基盤が表示され職業と職能の項目が現れる。

 職業には学生、屍霊術師、調理師、狩猟者。

 職能の項目には屍霊術、共鳴術、道具制作、調理、狩猟などが表示される。

「この屍霊術や道具制作の横にある数値と級が熟練度だよな」

『いつもの八段階評価だな。業をどれだけ積み重ねたのかを表しておるのだ。Dが一流の証と考えれば屍霊術がAなのはとんでもない事ぞ』

 Nは素人。Gは見習い。Fは半人前。Eで漸く一人前。

 Dが一流。Cは超一流。Bは人類の最高峰。Aに至っては神の領域一歩手前。

 そして俺の職能は、屍霊術を除いてGだった。

 つまり職人としては、まだ見習いでしかない。

「屍霊術や呪詛耐性の項目がAなのは死の呪詛による副作用だよな」

『これぞ怪我の巧妙ぞ』

 屍霊術が人外一歩手前まで来てました。

 こんな事を言おうものならば小竜に怒られるが、本当に死の呪詛様様である。

「防具や道具の制作に役立っているから文句ないけどさ」

『さて、しこりは取れたか?』

 小竜の言葉に、先程まで俺が悩んでいた事に気が付いた。

 魔猪の事が頭から離れなかったのは、死の呪詛より生々しい死を体験したから。

 魔素の事が連想されたのは、死のカタチとして現れる原因だと思ったから。

 魔猪を悪者にし、魔素を悪とすることで俺は心の平穏を求めた。

 でも、小竜の話を聞いて恐怖の正体を知った。

 知った事で、俺の中にある不明の恐怖は輪郭を持って現れた。

 そして恐れる必要はないと小竜は言う。

 知らぬことが怖いだけだと。

「ありがとう小竜」

『ふん。おざなりな指圧が気に入らなかっただけぞ。ほれ続きをやらんか』

 照れた小竜がとても可愛い。

「よし全力でやらせてもらおう」

 ここ最近封印していた“気持ち良い”マッサージを解禁する。

『ん?ちょ、ちょっとま―――』

 その後めちゃくちゃ気持ち良くしてみた。

 声も出ないほど気持ち良くなって貰い大変満足だった。

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