第9話 危険領域と狩猟者

 この世には二つの土地がある。

 人が安全に住むことが出来る安全領域と人の存在を脅かす危険領域だ。

 この二つのなにが違うと聞かれたなら、危険領域を体験した者ならこう答える。

 全てが違う、と。

 空気が違う。安全領域とは比べ物にならない気と魔力の濃度に窒息しそうになる。

 地が違う。高低差の激しい隆起した土地、生存が難しい超高温や超低温の地形効果。そこに在るだけで存在を威圧する。

 生き物が違う。安全領域の動物とは異なる強靭で強大な獣種。雄大で残酷な植物。過酷な環境で対応する魔物たち。

 全てに共通するのは、人の侵入を是とはしない事だろう。


 危険領域において人は最底辺である。


 危険領域において人は狩られる立場である。


 危険領域において人は生存を認められていない。


 危険領域において人の尊厳は存在しない。


 その場にある全てが、人にとっての脅威なのだ。

 しかし、そんな危険な場所は資源の宝庫だった。

 一掴みの土、一枚の葉、果実、獣の肉や素材。

 それら一つでもあれば、一攫千金の価値を生み出す。

 どれほど危険であろうと人々は危険領域に夢を抱き、その多くが夢に溺死していく。



 前に歩く父さんの行動をつぶさに観察して歩を進めるが、一秒経つ度に生きている事に安堵し、次の瞬間には一寸先の恐怖に襲われる。

 ただ歩くという動作ですら精神を削り取っていく。

 境界領域から危険領域に入って数百メートルと進んでいないのに、既に数時間も歩き通した疲労が蓄積されている。

 安全領域では考えられない濃密な気と魔力が、物理的な重圧を与えてくる。

 初めて入った感想を言うならば、巨大な生物の体内に入ったような感じとでも言おうか。

 ふらつく足元に力も込めても、次の瞬間には崩れそうになる。

 前を歩く父さんの手が特定の形になり、何かを思うより先に体が屈む。

 ひゅん―――ダンッ!

 僅か一瞬遅れて頭上をナニカが通り過ぎ、近くの樹木に当たった音がした。

 音がした木を見ると幹になにかが食い込んでいた。

「こいつは森の暗殺者って呼ばれている弾丸蚤。危険領域の浅部での死亡原因ベスト10に入る蟲種だ」

 気が付けば直ぐそばに来ていた父さんが、幹から引き抜かれたのは直径一センチほどの巨大な蚤。

 形状は銃に使われる弾に酷似していた。

 名は体を表すというが、これは安直すぎ――。

「一時間か、結構持ったな」

 と最後に聞こえた気がした。



 胸から感じる熱に誘われて目を覚ます。

 布張りの低い天井。

 使い慣れた一人用のテントに寝かされているのを自覚すると、緊張を緩める。

 濃密な自然界の気と魔力に晒される危険領域では、精神が著しく消耗し気絶する事がある。

 知識では分かっていても実体験とでは、雲泥の差だ。

 空間全てが自分を否定する恐怖は、身をもってでしか理解する事は出来ない。

『全く。高々脅威度Gの領域に踏み入った程度で気絶とは情けない』

 仰向けに寝た俺の胸の辺りに丸まっていた小竜からの第一声は、駄目出しだった。

「なんで小竜は無事なんだ?」

『我は“竜”ぞ?危険領域こそ我が住処よ』

「じゃあ、危険領域に住む?」

 ばちこーん!

 あまりに良いドヤ顔だったので少しからかったら、いつもの“しったん”ではなく痛烈なお返事を頂く。

 魂魄に直接響く痛みに、思わずのた打ち回る。

 小竜はちゃっかり飛んで回避していた。

「問題はなさそうだな」

 いつまでも転げまわっているわけにもいかず、テントから出ると父さんがご飯の準備をしていた。

 呪われてからの二年間に、父さんと安全領域で狩猟者の技術や心構えを教わっていた。

 狩猟者ハンター

 危険領域で手に入る貴重な素材を採取、捕獲してくる職業。

 俺は生産職を目指しているが、優れた防具を作るには優れた素材を集めなければならない。

 お金で買う事も出来るが、真に優れた素材は高額で取引され、駆け出し生産職では手が届かない。

 師匠(仮)のコルネも狩猟資格を持ち、製作する素材は殆ど自前だ。

 稀に持ち込みも在るらしいが、ここ数十年では赤竜素材だけ。

 つまり自ら採取しなければ、赤竜の鎧を超える素材は疎か、そこに至るまでの素材すら手に入らない。 

「よし。飯にするか」

「『頂きます』」

 いつものように食事前の挨拶をして、用意してもらったご飯を食べる。

 父さんと訓練するようになり初めて知った感覚に、今日も苛まれる。

 隣でむぅと唸っている小竜も同じ気持ちなのだろう。

「リアの料理と比べるなよ。あいつの料理は特別だってこの間知っただろ」

 俺たちの反応に父さんが苦笑を漏らす。

 美味しいのは間違いない。

 だが、美味いだけなのだ。

 母さんの料理は食べると、こう幸せになると言うか満たされると言うか。

「どんだけ贅沢舌になっているんだろ」

「舌と言うよりも身体だな。味覚は満足しても身体が満足できない。がんばって料理の修行を収めろよ」

 長期休暇で帰ってきたニィ姉が、涙して母さんの料理を食べていた理由が分かる。

 向かいに座っている父さんも、料理の味には満足しつつもどこか寂しげだ。

「それはそうと初の危険領域探索どうだった?」

「安全領域の探索を、超初心者コースって言った意味が身に染みて理解した」

 父さんと訓練した場所は安全領域であるニコス周辺だけだったが、森、平野、水辺、山、岩場などで訓練を重ねた。

 歩き方から始まり、危険な植物や虫、動物、食べれる物、気配の消し方から察し方まで多岐に及んだ。

 最初は指導を受けながら、次は父さんの後を追いながら、三回目以降は一人で探索した。

 一人の時は特定の場所にだけ生えている植物を採取する課題などがあり、その道中には指導内容を忘れていると死ぬ物も数多くあった。

 危険領域では、そんな危険が面白い遊戯だったと感じてしまう。

「安全領域の魔力と気の濃度は物質より多くならない。だが危険領域は領域の外端でも物理法則から離れ、中心に至っては完全に異界だ」

 この世に存在する質量は物質と気である暗黒物質、魔力である暗黒熱量の三つ。

 三つの比率を表すと物質4%、暗黒物質22%、暗黒熱量74%。

 安全領域では三つの存在が限りなく均等に存在し、現実と幻想の法則が絶妙なバランスで吊り合っている。

 人が安全に生存できるのは拮抗状態が限界だ。

 僅かにでも幻想側へ天秤が傾けば、安息の二文字は無い。

 しかし、それは自然界としてみれば当たり前だ。


 だって、現実なんて物は幻想の上に乗っているだけの殻なのだから。

 

 危険領域に一歩でも踏み入れれば、げんじつで納得しなくとも魂魄げんそうが理解せざるを得ない。

 1対19では比べるまでもない。

 考えまでもない。

 現実がどれだけぎりぎりのところで踏みとどまっているのか。

 楔となる契約者――”貴族”の役割と重要性が嫌でも分かる。

「今回は一番低い危険度Gである浅部を探索した。なんで許可したか分かるか?」

 俺に伝えたい内容を理解したと察し、話題が次に進む。

 危険領域に入るには狩猟者資格が必要だ。

 この間試験に合格しNノービスの資格を得たが、父さんが言っているのは違うのだろう。

「俺の精神構造がEになったから」

 資格以外で思いつくのは、異常に発達した精神年齢だった。

 俺の答えに父さんが頷く。

 定期的に起きる死という発作。

 発症し蘇生するたびに俺の精神構造は増え、今ではE級に相当する四十歳の精神になっていた。

 今回の探索は、G級の領域帯で俺の精神はE級。

 理屈で言えば周囲から与えられる圧力にも屈しないはず。

 だが実際は、初めて感じる明確な圧力と生命の危機に精神が摩耗し気絶した。

「正直舐めてた。二個下の領域だから少しは大丈夫だと思ってた」

「安全領域で生活している奴は、圧力ストレスに晒される事に成れてないからな。例え領域の二個上の精神力であっても、慣れない事をすれば摩耗していくのは当然だ」

 面白げにけらけら笑う父さんの探索は、安全領域いつもと何も変わらない自然な動きだった。

「結局どれくらい入ったの?」

「直線距離で言えば五百だな。所要時間は一時間。予想より長い」

 五百メートル歩くだけで一時間。

 それも敵性存在に遭遇したのは最後の一瞬だけ。

 気絶した後父さんに抱えられ境界領域に張ったキャンプ地に戻って来た。

 今いる境界領域は、二つ以上の領域がぶつかり生まれるどこにも属さない領域だ。

 異なる力がぶつかる境界領域は、魔力と気が不安定で地形を頻繁に変化させる。

 一時的な休憩ならば問題ないが、住むのにはやはり適さない。

「父さんはどうして弾丸蚤の襲撃を察知出来たの?」

 逸れた思考を目の前に戻し、目覚めてからずっと気になっていたことを質問してみる。

「危険を察知する方法を言ってみろ」

「五感を研ぎ澄ませて些細な情報を拾い上げる」

 環境には様々な情報が落ちている。

 生き物は存在するだけで様々な情報を辺りに拡散し、必ずその痕跡が残る。微かな痕跡を、前兆を五感で感じる。

 目で観て、耳で聴き、鼻で嗅ぎ、肌で感じる。必要であれば舌で味わうこともある。

「危険領域では更に三つの感覚が必要とされる。それが超感覚と呼ばれる第六感、第七感、第八感だ」

 第六感は命の危機を知らせてくれる魄(いのち)の感覚。

 一般的には直感と呼ぶ。近づいたらまずい場所や人、存在を知らせてくれる。魄が司る感覚で気術を修練していけば、この感覚が養われる。

 第八感は魂の感覚。

 一般的には感応能力と呼び、術式を記録、演算、発動するのもこの感覚。

 周囲の魔力や魂の存在を察知出来たりもする。

 第七感は精神の感覚。

 この感覚は第六感や第八感を鍛えていくと自然と身に付く。

 周囲の精神状態、敵意や好意といった感情を察知する事が出来る。

 第七感が強くなると相手の術を消したり、術の効力を弱めたりも出来る。

「八感と六感で蟲の気配とまりょくを察し、七感で蟲の意思を読んだ。ティファが最後気絶した時を覚えているか?」

「父さんの合図で伏せて直ぐに弾丸蚤が通過して―――」

 そこでとんでもない量の精神力を消耗したのだ。

 一㎝にも満たない蟲に、俺は死を幻視した。

「精神が消耗するのは、なにも領域の圧力だけじゃない。ここは弱肉強食の領域。全ての生命が己が生存を掛けて全力で生きている。その膨大な熱量は向けられた相手の精神を擦り減らす。ましてや一歩間違えれば死ぬ一撃だ。慣れていないティファでは耐えられないだろうさ」

『危険領域では、領域にある全ての事象が精神を擦り減らすと言うことぞ』

 思わず顔が引きつりそうになる。

 場に満ちる圧力、時間、襲ってくる生物の意思、それら全てが精神を摩耗させる。

「どうすれば良いんだ」

 しったん。

 不意に下げた頭へ小竜の尻尾が打ち付けられた。

『馬鹿者。小僧は精神構造Eなのだ。格下の領域に尻込みするな』

 父さんの手が肩に置かれる。

「こんな時に良い格言がある“習うより、慣れろ”」

 質的には劣っていない。つまり慣れていないからの消耗。

 ならば慣れるまでやればいいと、言外に告げる父さんのとてもいい笑顔。

 今から行われる特訓に、冷や汗が流れる。

 結局今回の探索で十数回の気絶と覚醒を繰り返し、命の大切さと重さを実感した。

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