第8話 料理人と医食同源

 呪われてから約二年間。

 先生の所で様々な勉強を学ぶ一方、母さんからは料理の基礎を教わっていた。

 屍霊術とは料理に始まり、料理に終わる。

 料理とは魔術を使わない屍霊術。

 などという格言が存在するくらい屍霊術と料理は密接な関係だ。

 死した命を生ある命の糧にするのは、生物にとってもっとも原始的な屍霊術。

 生き物は食べた物によって体が作られる。

 そして食材には様々な効能があり、中には薬の素材として使われる物さえある。

 生き物が病気や体の不調を発症するのは、身体から必要な栄養素がなくなり無理をする結果起きる生理現象。

 ならば生き物の身体に足りない栄養素や効能を、料理として効率よく取り込めば病気や体の不調を治癒することが出来る。

 死体を扱う専門科の屍霊術師である母さんが、料理を作れば効能や味は普通の料理人では到達出来ない。

 リディア母さんの本当の職業は薬膳料理人。

 薬学と医学に精通した“人を治す”料理人。

 屍霊術は食材加工に便利な道具程度の認識で、料理に使っていたら竜すら加工できる熟練度に至っていたらしい。

 家族全員の肉体強度(完成度)がAなのも、母さんの薬膳料理を毎食食べているお陰だ。

 食べた物で体が出来ているなら、食べ物の質を上げて適切な時に取れば、肉体は強靭に構成される。

 要するに制作系屍霊術のいいお手本が身近にいたと言う事だった。


 料理修業初日。驚きの新事実が発覚した。

 俺が普通の包丁を使って素材を処理すると、素材の鮮度が失わるのだ。

 それも肉類、魚介類、野菜関係なく。

 しかし、母さんに別の包丁を手渡されると最初の現象が嘘のように起きなかった。

 原因は道具と俺の相性。

 最初に渡された包丁は鉄製、つまり鉱物系の素材を使っていたのに対して、後に渡された包丁は生き物の鱗を削り出して作った生物系素材の包丁だった。

 どうやら俺は鉱物系素材と致命的なまでに相性が悪いことが分かった。

 道具とは、担い手の意思を伝える触媒だ。

 鍛冶師なら槌、料理人なら包丁、書道家に筆、剣術家に剣。

 手足の延長線として使う道具は、担い手と相性が良い物であれば最良の結果を、悪いものでは最悪の結果を出す。

 俺にとってそれが、生物系素材との相性だっただけだ。

 本当に俺は屍霊術師に向いているのだと実感させられた。

 鱗や殻、骨、牙、爪、角などを使った包丁を使えば、素材を捌く感覚がまるで指先の様に明確なのだ。

 最初は拙いながらも、回数を重ねれば合格を貰えた。解体道具が生物系であることも理由なのだろう。

 そんなこんなで、二年間みっちりと様々な食材を下処理していた。

 解体と下処理を重点的に行ったのは、防具制作に応用がきくからだ。

 どんなに良い素材でも、解体処理が下手であれば品質は下がる。

 解体専門の業者に頼む者もいるが、師匠(コルネ)曰く「一流の職人は全ての工程を一人で出来て当然」と言っていた。


「でも、まさか二年とちょっとで鹿を捌けるようになるとは思わなかったわ」

「先生に生物の構造を聞いていたのもあると思うけどね」

 自分も驚きである。目の前には鹿のばら肉が広がっている。

 血抜きだけ処理された鹿を一人で捌くのは、とんでもなく重労働だった。

 気と魔力で、身体機能を強化していなかったら絶対無理である。

「解体も無事に出来たし、そろそろ屍霊術を使った食材加工も説明しようかしら」

 師匠が指定した資格は既に全て取っており、屍霊術は解禁されていた。

 だが、実際に使用する事はまだなかった。

「二年間よく我慢したわね。そうねまずは血を使って見せるから、よく見ていなさい」

 容器に収めらえた暗赤色の液体。血抜きした鹿の血だった。

 母さんが容器に手を添えると、暗い赤から鮮やかな紅に変わる。

 濁った血が、一瞬で生きた体から抜いたばかりの様になった。

《形状変化》か《形質変化》の術式を使ったのだ。

 鮮紅色の血はしばらくすると徐々にピンクへと変わり、最後には真っ白の液体になった。

 白い液体をスプーンに一掬いすると、俺に差し出された。

 スプーンを受け取り口に含んでみると、白い液体が乳であるのを知る。

「一連の工程で何をやったか分かる?」

「二酸化炭素を多く含んでいた血を酸素を多く含む血に変えて、鹿の乳に変えた?」

 言葉にすると単純だが、やっていることは意味が分からない。

「正解。じゃあ、なんの術式使ったか分かる?」

「多分《形質変化》」

「そうね。酸素の少ない血を酸素の多い血へ。血を乳へ。乳に変化させた後は、バターやチーズにしたりも出来る。《形質変化》の術式は生体反応や人為的加工、酵素、細菌などで変わる素材の在り方を、それら無しで行えるのが特徴なの」

 血の色は生命体の呼吸反応。

 血を乳へは母体の酵素反応。

 乳をバターにするのは温度と分離反応。

 チーズは菌と酵素の発酵反応。

 別物に見えて繋がっている生命の流れと、変化する要因を除いて実現する力に興奮が全身に駆け巡る。

「はい。では実際にやってみましょう。素材の等級はNだからティファでも問題なく出来るはずよ。変化の仕組みが理解できていればね?」

 術式自体は力として存在するだけだ。

 素材の変化する工程を理解しなければ、例え実在する変化先であれども術式は作用しない。

 存在を理解し、過程を認識し、在り方を改める。

 たった三つの工程。されど真髄があった。

 母さんから渡された血はカップ一杯分。先生から教わった解剖学と生理学の授業を思い出す。

 知識は十分。後は実践あるのみだ。

 五感ではない、魂の感覚を意識する。

 意識の手が、魂の中に記録された≪形質変化≫の術式に伸ばす。

 ――――《形質変化》駆動。

 自分の内側で力が動いたのが分かった。

 ――――《《対象:血・工程:循環・仮想:肺》》

 イメージするのは肺。血が酸素と二酸化炭素を入れ替える幻視の臓器。

 ――――《《魔力出力:1・変換工程:1・入力完了》》

 術式に魔力を流す。流れ込んだ魔力が式に従ってエネルギーから事象へと変わる。

 術式は完成し、後は意思を待つだけだ。

「『形質変化』」

 事象を通す意志ある言葉を口にする。

 変化は微々たるものだった。暗い血が僅かに鮮やかになった程度の変化。

 しかし、胸の内は歓喜に溢れていた。着実に一歩一歩進んでいる実感が、気分を高揚させる。

「はじめて術式を発動した感想は?」

「待ち焦がれすぎて、気分の上限振り切れてるのは分かる」

 火照った顔に添えられるひんやりとした母さんの手が気持ちいい。

「疲れとかは感じない?」

 言われて精神が、ごっそり削れたような疲労に気が付く。

 これが術式を発動するときに消費した精神力と魔力の喪失感なのだろう。

 興奮しすぎて自分の状態が全く分かっていなかった。

 急激な睡魔に襲われて、手に持ったカップを落としてしまう。

 落ちていく意識が、暖かくて柔らかい物に包まれた事だけは分かった。


 初めての術式発動を経験した後、屍霊術の訓練が料理修業に組み込まれた。

 食材の捌き方から始まり、処理した食材を使って術式の訓練を行う日々。

 毎日気絶するまで術式を使い、熟練度を上げていく。

 指導される内容もどんどん進んでいく。

 血から乳。乳からバターやチーズが出来るようになれば次は肉。

 タンパク質をアミノ酸に変えることで、生ハムや熟成肉を作成する。

 術式の作用前後の肉を食べてみて、味の違いに驚いたのは鮮明だ。 

 生で食べても、火を通しても断然加工済みの方が旨かった。

 タンパク質とアミノ酸の比率で肉の名前が変わるのも面白い。

 段階的に生肉〉熟成肉〉生ハム〉ジャーキーと言った感じだ。

 それぞれの段階で利用方法があるのも面白かった。

 肉の変化の次は魚介類で、内容は肉と大差なく直ぐに習得できた。

 少し苦戦したのは内臓の発酵食品だろう。

 知識では理解できても、味の癖が強すぎて子供の舌では理解できなかったのだ。

 そんな充実していた日々に突然の来訪者が訪れた。


「ティファが料理人見習いね~」

 母さんの友人であるベガさんが、娘のアリシアと共に宿屋銀の匙に宿泊していた。

 銀の匙は、料理屋と宿屋の二つの顔を持つ店だ。料理屋兼自宅の裏手にある離れが宿屋としての銀の匙だった。

 今はその離れに母娘の二人と俺がいた。

 離れは畳が敷かれた土足厳禁の家屋で、一人は机に身を投げ出して虚脱状態、一人は座布団に正座して座っていた。

 ちなみに虚脱状態のがベガさんであり、背筋がピンとしている方がアリシアである。

「変ですか?」

「変ではない。あえて言うなら若すぎないかって事」

「そこは自覚在ります。でも精神年齢的には問題ないので気にしないで下さい」

「ふ~ん。アリシアも料理覚える?」

「母様。私は、その…」

 急な振りに困った顔をするアリシア。

 人それぞれだから気にしないでいいと思う。

 だから、睨まないでくれ。凛とした美幼女に睨まれても、嬉しくもなんともない。

 ベガさんが虚脱状態なのは、一緒に来るはずだった旦那さんが急な仕事で遅れて来るからだった。

 旦那さんは貴族で、このニコスの町を含む安全領域パルファンの領主パルファン伯爵である。

 ならば奥さんであるベガさんや娘のアリシアも貴族かと言えば違う。

 マベリスクの貴族は一代限り。

 貴族としての能力、性能、精神を満たした者だけが神性存在や大精霊と契約して“貴族”という種族に成る。

 なので今目の前で瞑想にふけっているふりをしながら、尻尾が左右に揺れている少女アリシアや虚脱状態のベガさんは一般人だ。

「ティファは、この宿や料理屋についてどれくらい知っているのかしら」

「店についてですか?母と父の趣味で経営しているって聞いていますけど」

「わぉ、嘘ではないけど、それはリアやレイ達からの視点だけね」

 突っ伏していた体を起こして、真剣な表情を浮かべる。 

「そうね。ティファは私たちの種族知っているわよね」

「亜竜種人龍族ですよね」

 ベガさんとアリシアには、頭から後ろに伸びる二本の角と腰から尻尾があった。

「じゃあ、マベリスク以外で私たち人龍族がなんて呼ばれていたか知っているかしら?」

 小等部の授業では、まだ国外の史学は習っていないので首を横に振る。

「“子無し竜”よ」

 こなし竜?

「人龍族の男女はね。遥か昔から子供を産むことができなかったの。原因を簡単に言えば、体が成熟しないまま年老いていく個体しかいなかったから。人龍族の成人化の条件は長命種になることだったの」

 始めて上位種になった初代レイライン公爵によって原因が解明され、人龍族は子を成すことが出来るようになった。

 しかし、産めるようになっただけで、子供は出来辛かった。

『長命化による弊害、か』

 黙って聞いていた小竜が不意に口を出す。なにか琴線に触れたのだろう。

 小竜の言葉に頷くベガさんは話を続ける。

「生命っていうのは不思議でね。短命であるほど次世代を残しやすく、長命であるほど次世代を残しにくくなるの。今マベリスクにいる人龍族も苦労の末に子を成して増えていったわ。それでも未だに子を授からない人もいる。現に私もその一人だった」

 アリシアも自身に関係する話であることに興味を持って聞いている。

「上位化しなければ子は成せず、上位化しても長命の弊害で極僅かな可能性でしか次世代は成せない。それが科学と幻想が発達したマベリスクであっても常識だったの。リアがこの店を立ち上げるまではね!」

「え?」

「そう!リアが作る料理を食べると長命種でありながら、短命種と同じ確率で子を授かることができるのだ!」

「は?」

 勢いよく立ち上がり、握りこぶしを高々と上げる大人がそこにいた。

 あれ?真剣な話をしていたのでは?

 握りこぶしもなんか変な形で、武人系美人の印象が崩れ去っていく。

「うん?分かりずらかったか?そうだな。こう男女が睦まひぶッ」

 輪っかにした左手と人差し指だけ伸ばした右手で何かを表そうとしていたベガさんの顔に、豪速の座布団が襲った。

 後ろを振り返れば、母さんが投擲の姿勢で立っていた。

「あなた子供に何しゃべってんの?」

「うむ、リアの偉大さと生命の神秘についてだな」

「その指は何よ?」

「これか?これは生命誕生の簡略図で――」

「分かった。止まりなさい。そっから先言ったら立ち入り禁止にするわよ」

 ベガさんは指の形をやめて、顔面が一瞬で蒼白になる。

「ま、待って欲しい!こ、これはだなティファがこの店の重要性を理解していなかったので説明しようと熱が入ってしまってだね?」

「重要性?私たちの趣味でしょ?」

「待って!本当に待って!もしッ!もし仮にも君たちが店を辞められたらどうなると思う?間違いなく公爵本人が乗り込んでくるぞ?出産待ちの同僚が、暴動を起こすのは火を見るよりも明らかだ!マジで騎士庁上層部が崩れるからヤメテ!最悪神性存在が出張るからな!」

「わ、分かったから!娘の前なんだからちゃんとしなさい!」

「本当にこの店の重要性理解してる?」

「大丈夫だから!冗談!冗談よ!それにもしも私が料理出来ない時のために子供たちにも伝授していくから、は・な・れ・な・さ・い!」

 凄惨と言う言葉は、きっとこんな時に使うのだろう。

 堅物美人の躊躇ない本気泣きに、縋りつかれている母さんがドン引いている。絵ずら的にも酷い。

 アリシアもベガさんの狼狽えぶりに絶句していた。


 生命とは不思議な物で、命が短く死にやすいモノほど子は沢山産まれ易い、命が長く死ににくいモノほど子は少なく産まれ難い。

 強大な力、死ににくい丈夫な身体、長大な命。それらを持つ人ほど子供が生まれにくくなる。

 それは高度な科学技術と術式理論、薬学を保有するマベリスクに於いても解決し辛い問題だった。

 そしてそれを解決したのが、薬膳料理人である母さんだった。

 銀の匙を開く前、元々マベリスクに住んでいた母さんは、様々な理由から国外へ父さんと旅をしていた。

 十四年前、突如舞い戻った両親は、パルファンの辺境ニコスの町に小さな店を建て、旅先で得た知識と技術に屍霊術を合わせた料理で彼ら彼女らの問題を解決した。

「子供が出来にくい体なら、出来やすい体になればいいじゃない」

 当時店を開いてすぐに来た客に言った言葉らしい。

 長年子供が出来なかった彼、彼女は、

「出来るならとっくにやっておるわ!」

 とブチぎれたらしい。然もありなん。

 キレた客たちを離れへ放り込み、料理を食べさせると二泊三日で子が出来た。

 百年単位で子供が出来なかった夫婦に、だ。

 その事実は、同じ境遇と悩みを持つ人たちに電光石火の如く伝わった。

 最初の三年は、宿泊客が途切れることが無かった。

 離れは一つ。宿泊できる客も一組。子供を渇望する人々沢山。

 危うく戦争である。冗談でも比喩表現でもなくマジだ。

 それこそレイライン公爵本人が、直接出張ってきて何とか収集が付いたのだ。

 長命種の統括管理がレイライン公爵家の役割の一つ。

 つまりストラトス家は公爵家の庇護下にあるので、大人しくしろと言うわけだ。

 決め手は「仲良く出来ない客は食べさせません」と言った母さんの言葉である。

 それで落ち着いた。

 うん。落ち着いたお客様がニコスの町に定住したのは副産物である。

「どう?重要性分かってくれた?」

「つまり母さんの趣味ですよね」

 ベガさんは泣いた。

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