4 東と南(終了後)
「それでは、また火葬の終了後にお伺いいたしますので、控室でお待ち下さい」そう言って火葬場の男は一礼し、扉を閉めた。
東は一つ息をつき、ネクタイの結び目を緩めた。
室内に引き返すと、椅子に悄然と座っている妻が目に入った。常に明るく賑やかな妻でも、やはり実の母の死は相当にショックだったらしい。直後から泣き通しで何も手につかない有様だった。葬儀においても実子だったため妻が喪主となっていたが、実際の手配や進行はほぼ東が執り行っていた。
「ごめんなさい、殆ど任せちゃって」
伏せていた顔を上げ、妻が言った。
「いや、義母さんにはずっと世話になっていたから」
一人っ子だった東は大学進学と共に地元を離れ、それと同時に彼の両親は海外へと居を移したため、身近で頼れる親戚は妻の母のみだった。央を生んだのち、妻は体調を崩して伏せりがちだったため、幼い二人はほぼ義母に任せていた。
そのためか、中も央も結構なおばあちゃん子だったが、成長して思春期を迎えるようになると二人とも自然と距離を置くようになった。にしても、あんなに好きなおばあちゃんが亡くなったのに、二人ともちょっとドライすぎやしないだろうか。東は控室を見回した。央は友達に電話とやらでベランダでずっと話しているし、中は備え付けの茶菓子を食べながら香典返しの菓子箱の裏に目をやっている。おそらく成分表示を読んでいるのだろう。
妻が時折すする鼻の音以外聞こえない、静かな、四角い空間。
東はもう一度ため息をついた。
義理の親との同居。妻が夫側の、という例はよく聞くが、その逆はあまり聞かない。そのためか、同僚との世間話の中で家族構成について言及すると、「珍しいね」と言われたことがあった。「大丈夫?義理のお母さんと一緒に暮らすのって、ストレスとか無いの?」と言われたことも。あれは誰だったか、はっきりとは覚えていないが、彼あるいは彼女の目の中の、「心配」という薄膜で隠しきれていない「好奇心」は、未だ東の記憶の底でぬらりと光っている。
しかしながら、不思議と彼らの危惧(期待、ともいうべきか)するものは林間家の中には全くなかった。
妻・南と結婚した当時、一人暮らしをしていた東の元に南が引っ越してくるという形で同居を始めたため、義母とは勿論別居であった。もっとも、当時は義父も存命だったので当然といえば当然だが。やがて中が生まれ、郊外に一軒家を購入して移り住んだと同時に、不慮の事故で義父が逝去した。
その時の南は、今ほど取り乱してはいなかった。むしろ、神妙な感じだった。今考えれば、それは義母との同居を、夫にどう切り出そうかと考え緊張していたからだったのだろう。
「東くんあのね、母さん、うちに呼ぶのは、どう?」慎重に言葉をつないだ南に対し、東は不思議と深く考えずに承諾の返事をした。大人二人と乳児一人の新居には部屋が余っていたので、物理的には全く問題がなかったし、そもそも南と交際していた頃も、何度か彼女の家に訪れていたが、その頃からざっくばらんで明るい妻の、その生みの親であることに疑いを挟まないほどによく似た義母の性格と、付かず離れずの適度な距離感のおかげで、少なくとも東は全くストレスを感じていなかった。そのため、彼は南の申し出にも二つ返事で同居を決定したのだった。むしろ、義母の方が「君たち家族の邪魔になる」と遠慮したぐらいだ。幸いなことに、同居が始まってからも義母のその距離感は変わることはなかった。多分、彼女は同居を受け入れた東にずっと気を使っていてくれたのだろう。
「東にとっては」とても居心地が良かった義母であるが、不思議と交友関係は広いようではなかった。東の知っている限り、月に2回近所の公民館で行われている俳句会で数人、近所で会えば少し立ち話をする友人は数人いるものの、学生時代など、古くからの友人について義母の口からついぞ話を聞くことはなかった。それは単に東が単なる子の配偶者であるがゆえに知らないわけではなく、南に聞いてみても「母さんの友達かあ…あまり聞いたことないなあ、なんか付き合いで年賀状やりとりしてる人はいるみたいだけど」と首を傾げていた。
友人や恋人に限らず、人間関係において、「裏表のある」人間は沢山存在する。それが明らかにわかる者、巧妙に隠す者、そしてそれが明らかになるまでの時間はそれぞれだが、義母にもいわゆる「裏」の面があったのだろうか。
もしもあるとして、実の娘にもそれを見せていない、「裏」とは…
扉が数回叩かれる音がした。四角を満たしていた静寂が弾け、東は驚いて顔を上げた。
「お待たせをいたしました、お骨上げの式に移りますので、ご家族様は斎場にお越しください」
遠慮がちに火葬場の男が言う。
「は、はい」そう言って壁に掛けられた時計に目をやると、思ったよりも時間が経っていた。
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