3 四人(家族会議②)

 「中も央も知っているとは思うが、おばあちゃんは亡くなる前に正式な遺書を残していた。」

 もちろん知っている。中は心の中でつぶやいた。普段は趣味にしている俳句の友達以外、あまり人付き合いのなかった祖母だった。しかし半年くらい前、中が春期講習を終えて帰宅した時、玄関に見慣れない靴が置いてあるのに気づいた。綺麗に手入れされた黒い革靴だったので、父は会社に行っているはずだがと思いながら靴を脱ぎ、廊下を歩いていると祖母の部屋から話し声が聞こえたため、少し開いていた襖の隙間から伺った。隙間から見えた祖母は珍しく着物を着て、スーツ姿の中年男性と何やらいろいろ話しながら紙に何か書き付けていた。今思えば、あれは弁護士立会いの元遺書を執筆していたのだろう。

「遺書には、かつておじいちゃんから受け継いでいた財産や、自分の身の回りのことが細かく書かれていたんだが…」

 とそこまでで父は言葉を切り、机の真ん中に鎮座した匣に目を落とす。

「この匣については、何も書かれていなかった。」

 つられて中も匣に目をやった。15センチ四方の木製の匣で、モザイク画のような模様が施されている。

「これって、箱根細工かしら。お母さん箱根に行ったことないって言ってたはずなのに」

 と母が言う。

「友達からのお土産なんじゃないの?」

 と央が言う。「連絡」を終え戻ってきた彼は、会議には一応参加しているが、心ここに在らずといった感じで癖の貧乏ゆすりが激しい。いつもなら母がそれをたしなめ、それに央が言い返して一悶着あるのだが、母は匣に気を取られているのか、彼に声をかける気配が全くなかった。

「さあ…、この匣の由来もともかくなんだが、遺書に従っていろいろと整理して、全部片付いたところでふとこの匣だけが残っていた。遺書に書いていない、ということはおばあちゃんのものではないのか、と思った。僕ら家族のものではないし、他に親戚もいないから、てっきりお友達から預かったりしたものかと思って、お母さんに頼んで知り合いや同級生の人たちを当たってみたが、誰もそれを知らない、心当たりがないと言われてしまった。」

 沈黙。

 静けさの中で央の立てる貧乏ゆすりの音がコトコトコトコトコトと響き、ちょっと耳障りだった。中が注意しようかと思った瞬間、音は急激に収まった。多分央も自分が貧乏ゆすりしていることに気づいたのだろう。

「俺たちが知らない知り合いとか」

「まあそれも分からないでもないけど、参列してくれた人と俳句会の人には全員聞いたのよ。しかもお葬式からもう1ヶ月でしょ、こんな高そうな匣預けてる間柄なら、連絡の一つぐらいあってもいい気がするのにね」

「もしくは…持ち主の人も、もう亡くなっていたりして」

 中が思ったことを口にすると、両親ははっとしたように中の方を見た。それは何か的を射た発言をしたから、というよりもそこに中がいたことに初めて気がついた、というような感じだったので、中は少し居心地が悪かった。央は興味なさそうに天井の方を見ていた。

「まあ、その可能性も考えている。」

 眼鏡を直しながら父が言った。

「ちょっと理屈っぽいが、この匣についてはおばあちゃんの所有物であるか、そうではないかという論点があって、もし後者であれば僕らが手を出すのはあまり宜しくない。前者であれば…まあ、遺書にはこれについての記述は全くないが、一応は僕ら、特に母さんは直接の血縁があるわけだからこの匣を所有する権利はあるんじゃないか、と考えている。」

「『所有する権利』って言うけど、これそんなにお宝なわけ?」

 央が単刀直入に聞いた。あまり話を聞いていないように思えて、以外と会議に参加している。

「だって、箱根細工ってそのモノ自体結構いいものだし、もしかしたら中身もいいものかもしれないじゃない。宝石とか、有価証券とか…」

 母が夢見るように指を組む。

「え、だって祖母ちゃんの財産ってもう分けたって言ってたじゃん」

「だから、隠し財産よ!」

 指を組んだまま央を睨む。央はなんだこいつといった顔で睨み返した。

「母さんも、なんだかんだ言って私たちのこと心配してくれてたのよ」

「でも、俺らのじゃない可能性もあるんだろ?」

「そ、それはただの可能性じゃない」

 また母と央の間にきな臭い雰囲気が漂い始めた。これで喧嘩など始められて、聞きたいことが聞けなくなると困る。そう思った中は言い争う二人の間を縫って発言した。

「ところで、母さん『中身もいいものかもしれない』って言ったけど、中身はまだ見てないの?」

 母は「うん…」と言って目を逸らした。というか父を横目で見た。

「中、さっきも母さんが言ったが、この匣はいわゆる箱根細工なんだ。だから…」

 母に無言で発言を促された父も、何か難しい問題を口にするかのように言い淀んだ。

 箱根細工。あ、もしかして、と中はふと沸き起こった不安を口にした。

「開け方…分からないの?」

 両親は揃って頷いた。

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