夏は夜・記憶の外側に

 その話を聞いたのは、最近のこと。


 夜も更けて、いつものように黒い剣士が復讐の旅を続けるダークファンタジーアニメを見返しながら、私は何の気なしに、隣で「もう、ホモのアニメじゃん」と笑っている母に尋ねた。


「怖い話書いてるんだけど、何かない?」

「今そういうの書いてるんだ」

「そうなんだよ~、実話なんだって。ボクが思いつくのけっこう書いちゃって。聞いた話でもいいみたいなんだけど……何かない?」

「あ、じゃあ奈喩多あれ書いた?」

「あれ?」

「幼稚園のときのこと」

「んー、書いてない」

「母さんはあれが1番怖かったかなぁ」


 そう言って語られた内容は…………。


 * * * * * * *


 幼稚園児だった私は、自宅から幼稚園までの行き帰りはほとんどが園が用意している送迎バスでのものだった。帰りのバスが着く時間に家族が誰もいなくて、泣きながら幼稚園で待っているということも何度かあったらしい。


 そんな私が、唯一バスを利用しない曜日があった。

 それは、水曜日。

 当時飲食店に勤務していた父は、店の定休日である水曜日だけ日中も家にいて、私を幼稚園まで迎えに来てくれていたのである。私は、父の車で自宅まで帰るのを楽しみにしていた。

 当時の私は毎週欠かさずに父の車を待ったし、父が外出していて迎えに来られないと言われても、父がそれを曲げるまで幼稚園から動こうとしなかったのだという。


 しかし、たった1度。

 そんな私が父の車に乗らなかったことがあったらしい。

 母曰く、それは雨が降りしきる、冬の近いある水曜日のこと。

 幼稚園に向かった父を待っていたのは、私がもう帰ったという報せだったという。当然のことながら、父は不審に思ったという。


 私が父以外の車で帰る水曜日などなかったのだから。


 父はすぐに、私がどういう帰り方をしたのかと尋ねたらしい。

 すると、幼稚園教諭は答えたのだそうだ。


『奈喩多くんでしたら、お友達の〇〇くんのお母さんの車に乗って帰りました……』



 * * * * * * *


「奈喩多、そのときのこと書かないの?」

「え、だって怖いこと何もなくない? うん、そりゃ父さんと母さんは心配してくれたんだろうけど」

 正直な話、ここまで聞いた時点で私はまだ安心していたのである。

 確かに「心配になる話」ではあるが、怖い話ではない。何故なら、私はその日はただ同級生(もう顔も思い出せないが)の家で遊んでいただけなのだから。


 しかし。


「じゃあ、何して遊んでたか覚えてる?」


 その問いに、私は何も答えられなかった。

 ただ「遊んだ」という事実以外、私は何も思い出せなかったのである。


 * * * * * * *



 そうは言われたものの、両親は途方に暮れるしかなかった。

 私を連れて帰った「〇〇くんのお母さん」と一向に連絡がつかなかったのだという。

 連絡先として記録されていた電話番号は使われておらず、また「〇〇くんのお母さん」からは私の両親への連絡がない状況。


 両親と幼稚園教諭が手分けして調べたところ、ようやく「〇〇くん」の住所がわかったのは、父が私を迎えに幼稚園を訪れてから数時間が経過したあと。それから迎えに行った両親は……少なくともこの話を私にしてくれた母は、私を見つけたとき思わず怖気が走ったという。



 * * * * * * *


「奈喩多ね、たったひとりだったよ。雨もザーザー降ってるのに、ちっちゃい小屋の中でたったひとりで……何してたっけな、あ、『劇』(トイブロックで登場人物などを組み立てて、自分で考えた話を自分で演じる人形劇じみた遊びを私は高校に入ってしばらくの頃まで続けていた)かな。そういえば最近全然してないね。もう卒業したんだね」

「………………?」


 母が冗談めかして言ってくれた後半の言葉など、耳に入らなかった。


 たったひとりで?

 そんなはずはない、何故なら私は〇〇くんの家で遊んでいたはずだ。

 確かに何をしていたかは思い出せない。しかし、そのときに振舞われたトウモロコシがきっかけでしばらくの間トウモロコシを食べられなかったという話は、散々してきたじゃないか。

 思わず、そう言いたくなった。


「えっと、〇〇くんは……?」


 私は、この話を聞かなければ思い出すことなどなかっただろう同級生の名前を出して尋ねる。母の記憶を否定しようと試みた。


「え、いなかったけど? で、次の日に訊いたんだけど、」

「訊いたって?」

「どういうこと、って。何考えてんだって。そりゃ怒るよ、だってまだ小さい子を勝手に連れて行って夜中に外に放り出すとか、ありえなくない?」

「…………」

「そしたらね、何も知らないって。ほんと意味わかんないけど」

 当時のことを思い出したのか、不快そうな表情で早口になっていく母を、私は兄も言えずに見つめる。


 私の背中には、扇風機の風が嘘のように汗が伝っていた。


「ねぇ、奈喩多。何も隠してないよね?」

 念を押すように、母は私に尋ねる。

「その日、本当に〇〇くんはいたの? で、奈喩多は何して遊んでたの?」

 ………………

 私は何も答えられなかった。



 記憶とは、存外曖昧なものである。

 大学で短期間だけ履修していた認知心理学でもそれは語られたことだし、私自身自分についた嘘をいつの間にか事実だと思い込んでヒヤッとしたことなど幾度もある。


 〇〇くんは実在した。卒園アルバムを見てもそれはわかる。

 で、確かにトウモロコシを食べている。あんなに黄色い粒が並んだ食べ物を、私はトウモロコシ以外に知らない。

 しかし、それ以外何も思い出せない。


 「あの日」の真実は、やはりわからないままである。

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memorandum 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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