#03-10「だから僕はここに来たんだ」

 あごひげはしたっぱからチョコバナナを受け取ると、それをながめながら言う。

「《魔糖菓子マナドルチェ》だ」

「……おい」

「《カレイドガール》の媒菓。これを喰わせれば、こいつはぜったいに見破られない変装術を発揮する……じつに興味深い。まずはこれを喰わせてどんな変化をするのか、じっくり拝見するとしよう。華式綿花糖はそのあとだ」

「やめろ」

 僕は腹の底から声を絞り出した。カレンのもとへ駆け寄ろうとするが、数人に押さえつけられた身体はびくともしない。

「華式綿花糖はまだ開発段階だ。投与された《魔糖少女ドルチアリア》がどうなるか、まだ充分なデータが得られていないんだ。西宮カレン、きみはその有用なデータを提供してくれる、栄誉ある被験体となるのだよ」

「やめろっ!」

 僕は叫んだ。すると、いままで目をつぶって伏せっていたカレンが、ゆっくりと目を開いた。ぼんやりとした部屋の明かりのなかで、彼女の瞳の光がゆらゆらと力なく揺らめいた。

「梅田」

 カレンが言う。「逃げるの。プランBだよ」

 彼女の言葉を聞いて、僕は唇を噛み締めた。そして言う。

「逃げない。だからわかんねえんだよ、プランBとか言われたって。きみを置いてしっぽ巻いてここから逃げたりなんかしねえよ。僕はきみの探偵だろ……きみがそう言ったんじゃないか」

 僕は腹が立っていた。

 かってにこんなところまでのこのこ来て、僕の忠告を聞かずあからさまなマフィアの罠にはまって、苦手なお酒で動きを封じられて。そのうえ、助けに来た僕に「逃げろ」なんてことを言う。

 それじゃあまるで、僕が必要ないみたいじゃないか。

「でも、梅田は……」

「なんだよ」

「……」

 カレンは言葉を飲み込んだあと、僕から目線を外した。

 なんだよ。

 きみまで……きみまで、僕にはなにもできないなんて言うのか?

 組み敷かれて身動きの取れないなか、僕は両手に力を入れて握りしめた。カレンをじっと見据えて、彼女に言葉をぶつける。

「……そうだな、たしかに僕にはなにも能力はない。カレンみたいに完璧な変装ができるわけじゃないし、三十重みたいにどんな鍵でも開けられたりはしない。花熊とはちがって、女の子ひとりでも持ち上げられるかわからないほど軟弱な人間だ。おまえになにができるって訊かれて、すぐに答えられないようなやつだよ」

「ふん」

 僕の言葉を聞いていたあごひげマフィアが鼻を鳴らす。「わかってるじゃないか。だったらこの女の言うとおり、しっぽ巻いて逃げるんだな」

「でも、カレン。僕はきみを助けたいと思ってここに来たんだ。もしかしたらほんとうに罠かもしれないと思って、きみが危ない目に遭ってからじゃ遅いと思って、きみの声が聞こえた気がして、僕のことを呼んでる気がして、だから、だから僕はここに来たんだ」

「梅田……」

「おい探偵、俺の言うことを聞け!」

 あごひげマフィアが外野から騒ぎ立てた。僕はそれにかまうことなく、カレンを見つめ続けた。彼女も光の揺らめく瞳を僕に向けている。

「僕はここに来なくちゃいけなかった。だって、だって僕たちは仲間じゃないかっ、僕はきみの探偵じゃないかっ! 僕はここから逃げるわけにはいかないんだよっ!」

「梅田——」

「きさまらいい加減にしろッ、ぎゃあぎゃあやかましく騒ぎやがって!」

 あごひげマフィアがしびれを切らして叫んだ。《マナドルチェ》のチョコバナナを握りしめ、横たわるカレンのもとへ歩み寄り、したっぱたちに命じてカレンの身体を起こさせた。彼女の抵抗むなしく、カレンは無理やり仰向けにされて上体を起こされる。あごひげの握ったチョコバナナはカレンの口許へ運ばれていく。部屋の間接照明に照らされて、チョコバナナに塗られた《魔糖菓子マナドルチェ》のチョコレートは、黒々と妖しく艶めいている。

「カレン……っ!」

 僕が身動きを取ろうとすればするほど、僕を押さえつけているしたっぱマフィアたちの腕にも力が入り、僕はますますなにもできなくなる。

「さあ、喰えッ!」

「ううう〜〜……」

 カレンは無理やり口を開けさせられた。春日野みちるに変装し、マカロンを詰め込まれたときとはわけがちがう。ステージを控えたアイドルとはちがって、いまのカレンは彼らにとってはたんなる被験体でしかないんだ。

 カレンは黒々と光るチョコバナナを無理やり口にねじ込まれようとしている。「うううう〜〜!」とカレンは声にならない悲鳴をあげている。そんな彼女に対して、僕はどうすることもできない。カレンの瞳にたまった光のなかに、僕の姿が映っているいるように思えた。マフィアたちに押さえつけられ、カレンを助けられない自分。なんの能力も持たず、役に立たない自分。

 ほんとうに僕は、なにやってんだ。

「くそっ!」

 僕は吐き捨てるように言った。屈強なマフィアの力に負け、カレンの口が開いて、そこに黒い棒がねじ込まれようとした、そのとき——。

「なにをやっているんですか、おまえたち!」

 ぱっと部屋の白熱灯が点いて、僕たちを支配していた薄暗い闇は蒸発して消えた。僕を押さえつけ、カレンにバナナを喰わせようとしていたマフィアたちは、いっせいに声のしたほうを見て顔を青ざめさせた。僕もそちらに顔を向けると、部屋の入り口にはひとりの女性が立っていた。白衣と緋袴ひばかまをまとい、長い黒髪を後ろ手に結っている。巫女だ。

「うげ」

 マフィアのひとりが声を漏らした。「ねえさん」

「ここは去田の神さまの御前です。ご無礼はゆるしませんよ」

 咎めるような巫女の物言いに、マフィアたちはかしこまって頭を下げた。押さえつけていた手を離したので、僕はそのうちに距離をとって姿勢を立て直す。

 マフィアたちから「姐さん」と呼ばれた巫女は、若い女性だった。おそらく僕たちと大して年の変わらないような少女だ。しかしその双眸は怜悧な光に充ち満ちている。彼女はつかつかと部屋に歩み入ると、あごひげマフィアの目の前に立ちはだかった。彼はそれを見て、申し訳なさそうにあごひげを縮み上がらせている。

「なにをしていたんですか」

「いえ、これは、その……」

「女の子を組み敷いて無理やりモノを口に入れさせようだなんて。自分たちのやっていることがわかっているんですか?」

「それは、その」

「そのうえ、あんな黒光りした棒状のモノをっ、な、なんてはしたない」

「それは誤解です、姐さん」

「言い訳は聞きません! この恥知らずっ! 罰当たりっ! 変態っ! 最低っ!」

 いますぐ出て行きなさい、と巫女に一喝され、彼らはすごすごと退散して行った。ふだんからカレンたち《魔糖少女ドルチアリア》に馬鹿にされている僕からしてもすごい罵られ方だったが、当のマフィアたちの表情がどこか気持ちよさそうに見えたのは気のせいだろうか……。

「西宮カレンさんとその探偵、梅田さんですね?」

 巫女さんが僕たちに向かって言葉をかける。僕はやや警戒しながらも軽く会釈を返す。

そのようすを見た巫女さんが、折り目正しくお辞儀をし、言った。

「私は当神社の神職、神崎かんざき依奈いなです。このたびは申し訳ございませんでした」

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