#02-14「The show must go on」
大世界アイランドホールに集まった約八千人の観客たちが、春日野みちるの登場をいまや遅しと待ち望んでいた。舞台袖に待機した偽みちる——われらが西宮カレンは、衣装の袖をぎゅっとにぎりしめながら「どうしてこんなことに……どうしてこんなことに……」とぶつぶつつぶやいている。
「三十重たちから連絡があったら、僕が合図を出す。そしたらステージからハケてくれ。それまではきみがステージを繋いでくれ」
「どうしてこんなことに……」
「みちるさんが戻ってくるまでの辛抱だ。三十重も花熊も、きっとやってくれるさ。それに今回は、夙川警部と御影さんもいるんだ」
「どうして……」
開演時間になった。観客の熱気ははちきれんばかりにステージに注がれている。
「カレン、もう腹をくくるんだ。きみはいまから、帝都に舞い降りる天使になるんだぞ」
「ううう……」
ついに会場が暗転し、観客のざわめきははっきりとした歓声に変わった。演出のBGMが流れ出し、ステージにはスポットライトが当たった。もうショーははじまってしまったんだ。後戻りはできない。
「む、むり……」
怖気づいたカレンに、僕はしびれを切らして叫んだ。
「ええい、ままよっ。
彼女の背中をめいっぱい蹴り抜く。「きみが主役だ、思い切りやれ!」
カレンがステージに転げ出て、観客の歓声は爆発した。
ついにコンサートがはじまった。ステージ上では、春日野みちるに変装したカレイドガールが歌って踊っている。八千人の前で慣れない歌を披露することに死ぬほど緊張していたが、ふだんヒョーゴ警察と逃走劇を繰り広げているだけあって、その身のこなしは軽やかだった。
『LaLa♪ 恋は魔法っ! どうしてだろう? 想いはもう、溶け出してしまうの♪』
そのうえ、アリスちゃんといっしょによく観ていたのだろう、曲の振り付けや歌詞もファンと公言するだけあって完璧だ。
『まるでチョコといっしょ(いっしょ!)、この気持ちはそう……ハ・ジ・ケ・Ru♡』
観客のコールも決まり、コンサートのテンションは最高潮に達しようとしている。僕は舞台裏で無線を取り出し、三十重に連絡を取った。
「こちら梅田。三十重、状況はどう?」
通信に三十重が答える。
『夙川けーぶに頼んで、ポートアイランドの道路をすべて警察に封鎖してもらった。モノレールにも検問を敷いてある。これで陸路は絶ったのだ。あとは船に乗り込む前にやつらを見つけるだけなのだ』
大世界アイランドホールがあるのは、帝都市街からすこし離れた人工島・ポートアイランドだ。島へは数少ない道路かモノレールでしか入ることはできない。その道路とモノレールを押さえれば、あとは海か空だけだ。
空はどうする、と訊こうとしたところで、島上空を巡航する小型航空艇が窓から見えた。ヒョーゴ警察の航空艇だ。僕が言うまでもなく、空にもヒョーゴ警察の警備の手が回っているようだ。さすがは夙川警部(というか御影さんの進言だと思うが)、抜かりはない。
『このあたりに目撃情報が多い、近づいているかもしれないのだ』
『みちる殿と追いかけっこでありますよ〜!』
気合充分の花熊に、僕は言う。
「花熊。誘拐犯たちはこういう遊びが好きらしい。見つけたら思う存分じゃれついて遊んでやってくれ」
『それはほんとでありますかっ!』
花熊が嬉々とした声をあげた。ほんとうだと答えてあげると、『わっしょい!』と充ち満ちた気合をさらに注入したようだ。これで布石はばっちりだ。ここまで僕たちの手を煩わせたからには、誘拐犯たちはただでは帰さない。
そこへ三十重がつぶやく。
『梅田……』
「なに?」
『悪いやつらから金銀財宝巻き上げてよろこぶカレンを、きみはさんざん変態性癖だとからかっているが……きみもなかなか悪い趣味になってきたようだな……』
そうかな? 僕はただ、花熊の馬鹿力を借りて誘拐犯たちの反省と後悔を手助けしてあげようとしてるだけだけど?
『梅田、そっちはどうだい?』
「コンサートは順調だ、カレンが思いのほかがんばってくれてる」
『うむ。はて、この曲……』
三十重が一瞬無言になる。あたりに響くコンサートの音楽に耳をそばだてているようだ。
『「マジカルミラクルエクスプロージョン・ビタースイートラブチョコレート」じゃないかっ! うう〜、春日野みちるの歌声で、生で聴きたかったのだ……!』
「……そうなの?」
『そうなのだっ。この恨み、晴らさでおくべきか!』
よくわからないが、どうやら三十重の心にも火がついたらしい。
「あとは頼んだぞ、三十重、花熊」
『ああ、任せたまえっ』
『よしきた!』
通信を終え、舞台袖に戻る。すると、さっきまで順調だったはずのコンサートの雰囲気がすこしおかしいことに気づいた。舞台袖に控えるスタッフたちが、なにやら慌ただしく走りまわっている。
「なんだ、どうした……?」
ステージでなにかハプニングだろうか。ようすを見にステージをのぞくと、僕はぞっと背筋が凍りつく。
ステージ上のアイドルが、口許を抑えてうずくまっている。
スポットライトに照らされて、豊かな金髪がきらきらと光っている。
「……っ!」
春日野みちるは黒髪のはずだ。まるで変装が解けたかのように突然髪色が変わったアイドルを見て、観客たちは騒然としていた。
『う、産まれる……』
金髪のアイドルがつぶやく。やばい、カレンの口から新しい生命が産まれようとしている。苦手な甘いあまいマカロンをあれだけ喰わされたんだ、気持ち悪くてしかたないんだろう。
「照明消して!」
舞台袖で僕は叫んだ。会場がいったん暗転する。
「カレン、がんばってくれ、三十重と花熊を信じろ!」
照明がふたたび点いたときには、舞台上のアイドルはいつもどおり黒髪の春日野みちるの姿だった。彼女がカウントすると、また次の曲がはじまる。なにごともなかったかのように、コンサートは続いていた。さっきの出来事は演出の一部だと思ったのか、観客たちの熱気も衰えていない。
とりあえずは大丈夫だ。しかし、これは急場しのぎでしかない。もうカレンも限界が近い。
『The show must go on』。
いかなることがあっても、ショーは続けなければならない。
頼む、三十重、花熊、夙川警部、御影さん。
春日野みちるを連れ戻して来てくれ……!
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