#02-06「春日野みちるは」

「それじゃあ梅田、任務の概要を」

 カレンに言われて、僕は前に進み出た。

 みちるの衣装を狙った強盗は、おそらくコンサートが終わったあと、みちるの衣装がいわゆる脱ぎたてのときを見計らって計画を実行する可能性が高い。こういうものは得てして「未使用」よりも「使用済」のほうが高くつくからだ。カレンにどうしてか問われたが、困った純情男子はそういうものなのでしょうがない。

「衣装が盗まれた瞬間、僕たちが奪い返します。衣装をみちるさんにお返ししたうえ、強盗を現行犯で引き渡します。ご安心ください」

 ところが、僕の任務概要説明のあいだじゅうずっと、みちるは膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめていた。僕はふと、その翳った表情を見つめた。彼女はまるで、ずっとなにかをこらえているような、なにかをあきらめているような、そんな影を膝下に落としている。きらめくような彼女のオーラとは真逆のその影の色は、ゆっくりと僕の足許まで伸びてきて、僕の心まで這い上がってくるようだった。

「……みちるさん?」

 不安に駆られた僕が問いかけると、彼女はぎゅっと引き結んだ唇を開いて、言った。

「——い、です」

「え?」

「ん?」

「?」

「ほえ?」

 僕たちは一様に首をかしげた。消え入るような声で、みちるはふたたび口を開く。

「……いらない、です」

 怪盗団はおたがい顔を見合わせる。カレン、三十重、花熊の表情には、隠しきれない不安がにじみ出ていた。

 いらないです。

 みちるは確かにそう言った。

「どうして?」

 カレンが訊ねる。「ちるちる、衣装いらないの? わたしたちがSPやらないと、衣装盗まれちゃうんだよ?」

「いいです。わたしには、もう関係ないですから」

 だからもう、出て行ってください。彼女はそう言って口をつぐんでしまう。

 衣装はいらない?

 もう関係ない?

 どういうことだ?

 しかしみちるはそれ以上、僕たちにしゃべる気はないようだった。

 僕はため息をついて首を振り、あきらめて控室を出て行こうとした。それにならって、三十重と花熊も部屋を後にしようと踵を返した、そのときだった。

 カレンが急に手を伸ばして、テーブルの上からなにかを取った。カラフルなマカロンのひとつだ。

「あ……っ!」

 その行動を見て、みちるがあわてる。カレンを制止しようとするが、それよりも先にカレンはマカロンを口に運んだ。一口でそれを平らげ、もしゃもしゃと咀嚼しはじめた。

「ちょっと、なんてことを……っ!」

 ものすごい剣幕で、みちるがカレンに詰め寄る。僕と三十重、そして花熊は呆気に取られた。なんだよ、どうしたんだよ? どうして甘いものが苦手なカレンが、みずから進んで甘いあまいマカロンなんて喰ってるんだ? どうしてそれを見たみちるは、あんな形相で必死に止めようとしているんだ?

 カレンが口を開いた。

「……なにこれ、おいしーいっ!」

 突拍子もないカレンの大声が控室に響いた。

「すごいおいしいのっ。ちるちる、勝手に食べちゃってごめん。でもこれを独り占めなんてずるいっ。こんなおいしいものだから、ちるちるそんなにあわてたんだね、わかるぅ〜。これがあの有名な、アリさんおしゃれパンティのマカロン?」

 カレンがひたすらまくし立てる。それに圧倒されたのか、みちるはか細い声で「アンリ・シャルパンティエ……」と答えた。

「そそ、それそれ。ああ、やっぱり超人気アイドルはおいしいもの食べてるなあ、うらやましいなあ。あ、そうだ、わたしたちこのあと用事あるんだったの! ちるちる、お邪魔してごめんね、そんなこんなで、きょうはいろいろよろしくね! また来るから、じゃあね、ばいばい」

 立て板に水のカレンの言葉に、みちるは呆然と立ち尽くしている。彼女に答える隙を与えないまま、僕たちはそそくさと彼女の控室を後にした。

 移動の廊下で、僕たちはカレンを問いただした。

「どうしてあんなことするのだ、怪しまれるじゃないかっ」

「花熊もおしゃれパンティ食べたかったであります……」

 すると、さっきまでのおちゃらけた態度とは違う、冷静な表情を見せるカレン。彼女はこう言う。

「《魔糖菓子マナドルチェ》なの」

「……え?」

 僕は耳を疑った。さっきのマカロンのことか?

「梅田も知ってるとおり、《魔糖少女ドルチアリア》が魔法力を得られるお菓子は《ドルチアリア》によって決まってる。わたしはチョコレート、おミソは豆大福、おハナならすごい棒」

「うん、知ってる」

 カレンの言うとおり、《ドルチアリア》にはそれぞれ固有の媒菓がある。自分の媒菓以外の《マナドルチェ》を食べたところで、魔法力を補給することはできない。

「わたしはマカロンからは魔法力を得られない。けれど、それが《マナドルチェ》かどうかは見分けることができるの」

 ふつうのお菓子と《マナドルチェ》との違いは、僕のような一般人に見分けることは不可能である。形も色も味もおなじ。見分けるコツは魔法力を感じるかどうかだが、能力を持たない一般人には魔法力を感じることができないのだ。それがわかるのは、彼女たち《ドルチアリア》だけ。

「それは、つまり……」

「まちがいない。あの控室にあった山のようなマカロンには、魔法力が込められてた」

 衝撃の事実が判明して、僕の心はさざめき立った。『春日野みちる様』と張り紙に書かれた、たったひとりのための控室にあったのは、山盛りの《マナドルチェ》。そしてそこにいた、きらめくようなオーラを放つ超人気アイドル。彼女の表情にきざした影。それらがぐるぐると頭のなかをめぐり、僕は思わず目を伏せた。春日野みちるコンサート衣装強奪計画強奪作戦(仮)は、思わぬ急展開を迎えようとしているようだ。

 カレンが言った。

「春日野みちるは、《ドルチアリア》だよ」

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