#01-10「われわれにとっては用済みだからな」

『……ちゃんとモニターを見ておいてくれ。サボっているやつらを見つけたら、おれが注意してくる。ここの工場の作業員は怠け者ばかりでかなわん。ただでさえ納期が遅れ気味だというのに』

 マイクに音が乗らないよう、僕たちはふうぅ、と深いため息をついた。マフィアは目の前の女を完全に構成員のひとりだと信じているようだ。さすがはカレンの魔法、間近で見られたからといってそう簡単に正体を見破られるものではない。

『悪かったわね。すこし目が疲れてしまって』

 変装という名のコスプレで心のスイッチが入ったのか、カレンの口調がいつもと違う。女マフィアらしく、どこか艶っぽい。正直言ってちょっと気持ち悪い。

『いや、いいんだ。監視任務ばかりで疲れたろう』

『あら、レディの苦労をねぎらうなんて殊勝な心がけね。どこで覚えたのかしら?』

 なに言ってんだこいつ。

『もうすぐこの任務も終わりだからな。工場の廃棄も近い』

『……廃棄?』

『知らないのか?』カレンの問いかけに訝しげに返すマフィア。『宝石のチョコレート詰めの作業も、もうまもなく完了だ』

 マフィアの口から語られた言葉に、僕は眉をひそめた。三十重と目を合わせると、彼女もなにかに勘づいたようにうなずいた。花熊は「宝石……チョコレート……おいしそうであります……」と舌なめずりしている。

『宝石』

 無線機の向こうで、カレンがその言葉を繰り返した。

『ああ。裏ルートで流していた宝石類が、ようやく発送し終わるんだ。最終便は今月の十四日にコーベ港から出る。そのあとすぐに、この工場は廃棄となる』

『どうして?』

『われわれにとっては用済みだからな』

 吐き捨てるようなマフィアの言い方に、僕はすこし苛立った。世の純情男子どもが抱える心の機微を知らんやつめ。きさまらに帝都のチョコレートを奪われてたまるか!

『じゃあ』そこへカレンが質問を重ねた。『帝都のチョコレートはどうなるの?』

『あ?』

 マフィアの声色が変わった。カレンの問いに懐疑心を抱いたようだ。

『この工場でつくっていたチョコレートはコーベ市民の手には届かないのでしょう? 彼らのチョコはどうなるの?』

 いつもとちがうカレンの口調を聞いて、僕は焦った。まずい。あまりマフィアを刺激するような台詞は危険だ。あわてて彼女を制止しようと、マイクに向かって言った。

「カレン、やめとけ、それ以上は——」

『この工場内にさきほど、侵入者があったようだが』

「……っ」

 背筋が凍りつくような思いだった。ここにいる全員の表情が固まっていた。花熊も事態の異変に気づいたようで、固唾を飲んでようすを窺っている。

『そういえば、見ない顔だな』

『……』

 カレンは無言を貫いている。彼女のマイクから通信機を通って伝わってくるあの部屋の空気の揺らぎが、僕たちの心臓を右へ左へと揺さぶって、僕はまったく生きた心地がしなかった。

「カレン」僕は言った。「まだ動くな。きみの魔法はぜったいに見破られない。もしなにかあったら、僕たちがすぐにドアを蹴破って助けに行く。でも、まだだ、まだ動かないでくれ」

 空気を吸うごとに、まるで永遠にも思えるほどの時間を蝕む冷たい静寂が、肺を満たしていく。僕は通信機にすべての神経を集中させた。かすかな物音にも気づけるように、そしていつでも突入できるように。

 張り詰めた静寂を破ったのは、マフィアの声だった。

『まさか、きさま』

 彼は言った。『新入りか?』

 僕は天を仰いだ。大きく深呼吸をすると、冷たく凍りついていた肺が温度を取り戻したみたいだった。三十重と花熊も、僕の横でぐったりしている。

『……ごめんなさい』

『ふん、まあいいさ』

 マフィアはさして興味もなさそうに言った。

 助かった、いや、まだ終わってはいない。はやくカレンをあの場から立ち去らせないと。

 これ以上あそこに留まるのはあまりにもリスクが高い。カレンの魔法はぜったいに見破られないが、会話のなかでさらに怪しまれてしまう可能性は大いにある。あらかたの情報は集められたし、ここはもう引き際だ。

「カレン、撤退してくれ」

 通信機越しにカレンが咳払いをした。言葉を発することができないときの、「イエス」の合図だ。

『……ちょっとお花を摘みに行ってくるわ』

『ああ。便所の場所はわかるか、新入り?』

『あら、失礼ね。それがレディに対する態度かしら』

『すまんすまん』

 だからなんなんだよこの会話!

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