それは、光るなにか
まっすぐで、衒いがなくて、アホみたいに素直で眩しくて、俺にはとてもとても直視できそうにない。
それにしてもこんなことってあるんだろうか。
「……」
歩き煙草は禁止なのは分かっているけれど、どうしてもポケットの中に手が伸びる。その手をふわりと取られてぎゅっと握り込まれた。
「歩き煙草は駄目ですー」
「……あっそ」
ちっと舌打ちすると、俺の手を握り込んでいる少女が目を丸くした。その、ほんとうに真ん丸な目がきらきらと輝いているのは、目の錯覚だろうか。俺のようなおじさんには眩しすぎてどうしようもない。
「どうしたんですか?」
俺が目元を押さえてくらりとする頭を宥めすかしていると、少女が怪訝そうに覗き込んでいる。胸元のえんじ色のリボンが目に入る。制服は、ここの近所の高校のもので、スカートは標準より少し短く、けれど上品に膝上で揺れていた。
「いや、もう、こんなおじさんに何の用事なの……」
「おじさん……?」
首を傾げた少女は、少し考えるように地面を見つめて顔を上げ、にっこり笑った。
「まだお兄さんじゃないですか!」
「いや……うん……君からすればおじさんでしょ」
「もう! おじさんって言ったらそこからおじさんは始まるんですよ!」
訳の分からないお説教を聞きながら、俺はその場を離れる。どこか、煙草が吸える場所に行こう。これ以上この子といたら飲み込まれてしまう。
数歩歩いたところで、少女が俺のスーツの裾をつまんだ。くんっと引っ張られてつんのめった俺に、彼女はぽそりと呟いた。
「こないだの、返事」
ぎくり、とする。この間。
何がどうなったのか分からないけれど、少女は俺のことを好きだと言った。こんなことってあるんだろうか。
「いや、あのね……」
この間もうやむやにして逃げた。今回もそうしようと思ったが、少女の指は意外と力強くて俺のスーツが破けるんじゃないかと思うくらいに握り締めてくる。
仕方がないので立ち止まる。ざわざわと、葉擦れの音がして、もう少ししたらたぶんこの葉っぱたちは色づいて枯れて、木々が裸になってしまうということを考えていると、ああ、と思う。ああ、時間と言うのは、勝手に過ぎていくものだ。
「……あのさ、俺とお前は十光年くらい離れてると言っても過言じゃないわけ」
「こうねん?」
「光の速さの単位な。十年の年の差っつーのは、そういうことなんだよ」
「……」
彼女のほうを見られない。こんなふうに遠回しにしか拒絶できないのは、俺の甘さだ。結局、惹かれている。
スーツから指が離れて、思わず安堵のため息が出る俺の背中に、ふとあたたかいものが触れた。小さな身体に包み込まれているのだと知って、狼狽する。
「おい」
「十光年って、大した距離じゃないですね?」
「いや、あのね」
細い腕が俺の腹や胸辺りに巻きついて、ひどく心許ない気持ちになる。薄い桃色のセーターに包まれた腕はきっと、やわくて脆い。と言うか微々たるふくらみが背中に当たっている。
「十光年よ? 光の速さだよ? 距離的には九十兆キロ軽く超えちゃうのよ?」
「と言うことは、今私は光を追い越したわけですね!」
満足げに、得意げに、えへへと笑う彼女に、もう何も言葉が見つからない。こんなにまっすぐなものなんて、俺はそれこそ光以外に知らない。頭を掻くと、ますます強くしがみついてくる。
ああ、もう。
煙草が吸いたかったこととか、背中に当たる柔らかさのこととか、そういうのが一瞬全部どうでもよくなる。
「言い訳しないで、答えてください」
「……」
大人は、言い訳しないと生きていけない。そんなことを伝えるのにまた言い訳を使ってしまいそうで、俺は黙ってまぶたを下ろした。背中にひたりと貼りついた細い身体から、確かに生きている音がした。
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