第6話 おかわり、でもお開きです

 大屋さん、どうしてここでクイズになるんですか?ウーロンハイと一緒にこの言葉を飲み込んだ。


「これに正解するとこの酒場で一番高いものが食べれるチャーンス!」


 大屋さんがノリノリに両手を折り曲げてガッツポーズする。あぶないですよ、グラスにひっかかったら。そんなことより、高い料理食べれたとしても俺が奢るんですよね・・。


 持ったウーロンハイを飲むふりで止め、グラスを回して氷を鳴らす。


「女優ですよね、樋口野子さん」


 正解をぶつけてみた。樋口さんは日本酒を飲もうとグラスを口元まで近づけたまま、口を開けて固まっている。つまならなさそうにハムカツの最後の一枚を真っ黒に染まるくらい、さらにソースをかけ足し口に入れようとする大屋さんを見れば、やはり間違いではなかったと確信した。


「お見通しだったんですね」


 浅くお辞儀する樋口さんに、これが演技ではなく本心だと見受けた。


 大屋さんはこれまた水割りの麦焼酎を一気にあおると、近くの店員におかわりを頼んでから、


「一応言い分を聞こうか?」


 腕組みをして飲み物を待つ格好は、俺が取り調べを受けているようだ。


「樋口さん言ってましたよね、なかなか就職の内定決まらないって」


 でも、と言って俺は自分の首元を指差して続けた。


「そんな就職活動頑張っている人がストライプのシャツを着ているのは、おかしいなって」


 樋口さんは片目を閉じて「そこか・・」小声で言うと、


「白地のシャツちょうどクリーニングに出していてストライプしか無かったんです」


 肩をすくめて俺を眺めた。


「リクルートスーツには白地のシャツが好ましいとされていますんで」


 きょとんとした表情で俺と樋口さんの会話を聞いている大屋さんに、俺は補足する。まだ納得できないようで、本日4杯目のおかわりした麦焼酎の水割りにまだ口をつけないで聞き返してくる。


「なんでそんな事知ってるんだい?」


「それは、探偵だからですよ」


 まったく根拠のない言葉だけど一度は言ってみたかった台詞だ。まして大屋さんに言えたのが、出し抜いた気分でちょっと嬉しい。・・酔ってきたかな、俺?


「だからって、ズバリ女優だなんて言い当てなくたっていいじゃないか。普通、最初の答えはボケるもんだよ」


 大屋さんは悪酔いでしょうか?この場はクイズ番組でもないんですよ。ここで、場をとりなすように樋口さんが割って入ってくる。


「わざとらしいかったですよね、私」


 その姿は反省しているのか、俯いていた。


「確かに探偵事務所での印象は不自然でした」


 正直に答えたが、酒場には湿っぽい会話は似合わない。これ以上樋口さんが沈まないように、横目で大屋さんに賛同を求める視線を送りながら、


「あー、そのー、樋口さん。ここらで正解VTRといきたいのでナレーション、どうぞ!」


 おしぼりを受け取るみたいに両手の手のひらを向けたのだった。


 黙ったまま食べかけのハムカツを口へ放り込むと、麦焼酎の水割りを一口飲む大屋さん。一口で減る量がだんだん多くなっているのはこの際いいとして、とりあえず樋口さんの話を聞くようだ。


 ちょっと失礼して、そう前置きし手元の日本酒を舐めるように飲むと、樋口さんは語り始めた。


「まず言っておきたいのは、父が田舎から上京してくるのはホントの話です。だから『罪悪に打ち勝つところへ』という酒場を探していたのもホントの話です」


 視線が迷っているのか、酒場に来たばかりの時と同じように設置テレビの方に顔を向けると、今度は蛍光灯が並ぶ天井に方向を変えて、


「もう何件落ちたのか。ドラマや映画のオーディションを落ち続けていて、女優辞めて田舎へ帰ろうと思っていたんです。そんな時に父が励ましに来るなんて。確かに父は・・、いえ、家族全員私のこと応援してくれていて、かなり前になりますけど、ある番組の再現ドラマにちょっと出演したときは喜んでくれました」


 言い終えた後でも樋口さんは上を向いたままだった。そこに鳥の唐揚げの最後の一つを豪快に頬張り、グビッと麦焼酎の水割りを流し込んで「あー」と息をついた大屋さんが口を挟む。


「困って頼って来た野子ちゃんにあたしが言ったんだよ。ただ、オススメの酒場を紹介されるよりは、野子ちゃんが演技をして、それにシャケが気付かずに騙されるかオーディションしてみようって」


「すいませんでした、演技を指摘してしまって」


 気まずいので俺が二人に謝る。ようやく天井から視線を戻した樋口さんが、


「謝るのはこちらです、失礼なことしたんですから。例え鮭太郎さんを演技で欺けても、その演技力でオーディションが受かるなんて甘くはないですから」


 今日何度お辞儀したのか?また頭を下げた後、自分に言い聞かすように顔を横に振ったのだった。


「気楽にいきましょう」と俺は樋口さんに日本酒を飲むように、差し出した右の手のひらを上に二度動かして見せた。


「ありがとうございます」


 そう言うと日本酒を口にした樋口さんが、ようやく味わうように飲み込んで「ふーっ」と息を吐いた。


「正直、昼から飲むなんて、って思っていました。やっぱり、なんか後ろめたい、というか」


 樋口さんはしみじみと店内を見回しながら、


「でもこうして、食べて飲んでいるとそんな事忘れちゃいますね。この雰囲気に馴染むというか・・あっ」


 言った最後に、ビックリマークが頭上に浮かんだのが見えるくらいの驚きの顔をした。どうやら分かったみたいだ 。


「そうです、樋口さん。それが・・」


「親父さんが言ってた『罪悪に打ち勝つ』ってさ、昼から飲む『後ろめたさ』なんか吹き飛ばすこの酒場のような事なんだね」


 それが・・俺が今言おうとした台詞ですよ大屋さん。まったく、最後もおいしいとこ持っていきますね、大屋さんは。


 呆れながら顔を横に向けると、大屋さんと目が合った。大屋さんの眉が「どや?」と言っているみたいに動くので、ウーロンハイを飲むふりをして正面に向き直した。


「今日はこの後またオーディションの情報集める予定でした。おそらく父は・・そんな私に、たまには一緒に昼飲みとかして息抜きでもしろ、って伝えたくて、あんな事言ったんですね」


 たまらずに日本酒を飲んだ樋口さんが、酔い潰れたみたいに頭を傾げる。そのままの姿勢で、


「そういえば母が電話で言ってました。以前、父が酒場で昼飲みして帰って来たら珍しく酔っぱらっていたとか。・・父は昼飲み好きなんですね」


 発している言葉はしっかり聞き取れるが、両肩が震えてきている。


「以前に父親が昼飲みで珍しく酔いすぎた?」


 呟きながら俺は心配していた。持論ではあるが、酒場に涙は似合わない。流した涙の分だけ酒で補給しないと、って冗談は通じないだろう。そこに大屋さんが麦焼酎の水割りをまた飲み干して言う。


「野子ちゃん、酒場っていいもんでしょう。今日は昼飲みだけど、そう、いろんな人たちが飲みに来ている、私たちも含めね。みんな酒を飲みたいのよ!あっ、すみませーん!これおかわり」


 空のグラスを掲げる大屋さんの言う通りだ。この酒場に限らず、飲みに来る人は様々だ。仲間でワイワイ飲んだり一人で飲んだり、もしかすると一人でやけ酒を飲む人だっているかもしれない。そんな誰もが飲める場所が酒場なのだ。・・ただし、飲み過ぎには注意です。


 両肩の震えが止まり、おもむろに顔を上げた樋口さんが、


「はい!」


 と答えた。その表情を見た俺と大屋さんは顔を見合せ「もう大丈夫」そう互いに思って頷き合う。


 樋口さんは涙は流さず、代わりに最高の笑みがこぼれていた。




「そろそろお開きにしますか?」


 その俺の一言で直ちに勘定となり、大屋さんの上機嫌な「ごちそうさん」に連れられて酒場『桃源郷』を後にしたのだった・・。


 でも、なんだこの消化不良みたいなモヤモヤは?何か忘れているような・・。

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