第3話 昼からカンパイ

 テナントが入るビルの一階の隅に見える、頭上の白色に赤文字で『桃源郷』と浮かび上がる電飾掲示の看板が、地下へと誘う入口の目印だ。


「さあ、入りましょう」いつまでも広げた両手で入口に構えていては、他のお客の邪魔になる。


「歩いたから喉カラカラだよ。あたし生ビール!」


 そう言う大屋さん。けど、駅からちょっと歩いただけですよ。あと注文はお店に入ってからにしましょう。


 しかし、酒場を目の前に大屋さんと掛け合いしても楽しさは増さない。樋口さんを引っ張るかたちで大屋さんは階段を降りていこうとした。すると、


「まだ11時ですよ・・」


 樋口さんの声は小さかった。それでも、聞こえているか?いないか?すぐさま「一杯目は~♪」から始まる大屋さんの陽気な歌声が救いだ。


 俺は樋口さんの不安が、階段を降りたこの扉の向こう側で解消されると確信している。



 ウィーン、と開く自動扉をくぐり店内に入ると、


「いらっしゃい」


 重なるように挨拶が飛んで来る。


 俺が座る席を教えてもらおうと、忙しく動く店員が来るのを待った。


「うわー!広いんですね、ここ」


 俺が驚いて振り向き、同じく振り向いた大屋さんと顔を合わせた。思いがけない樋口さんの反応は当然だ。


 お客さん3人?と案内に来てくれた店員に、大屋さんは構わず「ホントに広いね」と納得したようだ、が大屋さんは恵比寿くんと一緒に一度来たじゃないですか!この店『桃源郷』に。


 ・・結構飲んでたんで忘れてますね。訂正はあきらめて、


「はい、3人です」


 とりあえず席に落ち着こうと店員に指3本突き出した。


「じゃあこっちね」そう言われて後を付いていく。テーブルが並ぶ広い店内を歩く姿は、昔あった碁盤目状の画面を縦横移動するゲームのキャラの気分だ。


 多くを占める4人掛けのテーブルが2つくっついた席に通された。反対の端では向かい合って熱い議論で盃を傾ける二人組の紳士がいる。


 どうぞ、と俺と大屋さんは樋口さんに向かいの席に座るよう進めた。


「お飲み物は?」


 店員がおしぼりを出した後聞いてくれた。当然、


「あたし生、大ジョッキで!」


 大屋さんの勢いは増す方向だ。合わせるか?・・いや、


「俺はウーロンハイ下さい。樋口さんは?」


 メニューの冊子を開いて『お飲み物』の一覧を選んでもらう。よかったら短冊メニューも、と店内の壁に貼っている品書きの短冊を指差そうとした時、


「えー!とりあえずビールでしょ」


 と言って、口を開いたまま大屋さんは俺を見ている。


 店員は樋口さんの分の注文を待っているが、チラリと大屋さんを見ているようだった。・・すみません店員さん、この人まだ素面ですから。


「私は・・あの冷酒を下さい」


 短冊メニューから、本日のオススメの日本酒を選んだ樋口さん。


「あいよ、生大にウーロンハイに冷酒ね」と繰り返して、店員はくるり背を向き去っていった。


「普段から日本酒なんですか?」


「ビールとか炭酸系はすぐお腹いっぱいになるんで」


 相変わらず、乾杯はビールでしょ、みたいなことをぶつぶつ呟いている大屋さんを遮るように、身を前に出し話そうとした時、


「はいお待ち!」


 お酒が運ばれてきた。


「早っ!」と「ええっ?もう!」が重なって聞こえる。話すタイミングを逃した俺は心の中で呟いてみた。「酒場は飲みたい酒を飲むのがいいんですよ」と。


「では乾杯しましょう」


 升に入ったグラスの滴がよく冷えて見える日本酒の樋口さんと、大ジョッキを持つ格好は、流石ですね、と感心さえする大屋さんに向かって、俺は飲み口が広い円筒状のタンブラーを持ち上げた。


「乾杯!!」


 乾いた心地よい音が響いた後、飲み干す勢いの大屋さんに一口啜る樋口さん。それを横目に俺もゴクゴクと二口飲んで、ため息をつく。


「さて注文♪注文♪」


 大屋さんがご機嫌にメニューの冊子をめくりながら眺める。でも今確かめないといけない、との思いから、その上に手を被せて、


「注文前にちょっといいですか?樋口野子さん」


 グラスから手を離して店内の設置テレビを見ている樋口さんに問いかけた。邪魔されて、俺を見る大屋さんの視線が怖い。


「酔う前に確認しておきたいんですが、就活中のあなたを励ますお父さんと、一緒にくる酒場を探しているって話でしたが・・」


 振り向いて、はい、と短く答えた樋口さんに対し、


「だからあんたが連れて来たんじゃない。こ、こ、へ」


 大屋さんは人差し指を真下のテーブルへ突き刺すように言ってくる。・・空腹はよくありませんね。


「樋口さん、嘘ついていませんか?」


 大屋さんが我慢できるうちに早口のように続けた。


「就職活動中の学生は嘘ですね」

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