息をするだけでほめられたい!!

田島春

息をするだけでほめられたい!!


 目眩。

 頭痛。

 吐き気。

 この三つが意識を支配していた。周囲の状況が分かったのはその後だ。

 目の前に広がるのは夜の闇と星の光。プラネタリウムの如く鮮明な星たち。

 具合の悪い目にはそれらが踊っているようにも見えてしまう。


{ 反応 しました}

{ こちらの 事が 分かります か?}


 ぐわんぐわんと揺れる頭の中に言葉が響く。のっそりとしていて、声というよりも意味が直接届くような、不思議な感覚も辛い頭痛の前には瑣末な事に思えた。

 ただ、その意味というか意思のようなものが飛んできた……とでも言えばいいか、そうと思しき方に頭を向ける。


{ それにしても 大きな 図体だ}

{ こちらからの 問い掛けには 反応が 無い}



 ヒトデがそこには居た。


 ヒトデのようにカラフルな体色だが、そのシルエットはどことなく人間に近く、手と思しき部分には指のような細い触手が生えていた。

 ただ、”高さ”は人の手二つ分もある。そう、高さだ、このヒトデのような何かは直立しているのだ。


{ やはり 瘴気の 影響か}

{ 瘴気に耐性の ある者を 喚んだ のですが}

{ それも絶対 とは 言えまい}

{ この辺りの 瘴気も だいぶ濃い からな}


 驚くこちらを尻目に、と言っても目のようなものは見当たらないが、喧々諤々の議論を交わしている。


{ 魔王軍は すぐそこです 明日にも 攻めて くるかも しれません}

{ しかし 喚んだ助けが この様子 では}


「(待ってくれ)」


 気分が悪すぎて、彼らへの問いは言葉にならない。

 しかし、彼らはそれをまるで聞いたかのようにこちらの意思に反応し、のそのそとその軟体動物のような体を振り向ける。


{ おぉ! 反応した!}

{ 一体何が ありました かな}

{ 状況が 分かっておられない のかもしれない}

{ 急な 呼び出し ですからな}


 思っていたのとは全く違うし、どういう方法かはわからないし、なぜこんなにも気分が悪いのかは分からない。

 しかし、


「(何が起こったかは分かる。喚ばれた目的も)」


 ダルい上体を起こし、ヒトデたちを見下ろしながら返事をする。

 なぜお約束通りに可愛い女の子とか居ないのだろうか。


{ おぉ!}

{ 見上げん ばかりの 巨躯!}

{ なんと 聡明な 方だ}

{ それなら 話が早い}


 殺風景、荒野。夜の帳の向こうに見える岩だらけの土地。

 どよめく彼らと、そして格好には悪いがこれは告げねばならない。


「(ただ……非常に体調が悪い)」


{ 召喚の影響 かもしれない}

{ 召喚で 酔うような 症状が 出ることは ありうる}

{ なにせ 我々にも 初めての事 ですからな}

{ 成功するか どうかも 分からなかった}


 ぞっとするような事を言う……じゃなくて伝えてくる。

 失敗して死ななかっただけ良しとしなければならない。


「(話を……整理しよう)」


 具合が悪いとこんなにも頭が回らないとは、とは言え急ぐ必要がありそうだ。


「(魔王軍とやらが……攻めてきて、危機に陥り、助けてくれる者を喚んだ)」


{ えぇ! そうです!!}

{ 軍勢 そのものは 我々でも 対抗できる のですが}

{ 如何せん 魔王は 瘴気を 吐き出す}

{ 今この場も 瘴気に 塗れて います}

{ 日中は やつが 瘴気を 大量に ばら撒く}

{ 夜間も 辛い ですがな}

{ この位の 瘴気であれば 問題無いが}

{ これ以上 濃いと 体が爛れて 死んで しまう}

{ 我々の数も 残り少ない}

{ 総攻撃の準備を 魔王は 進めて いる}


 彼らは饒舌だった、頭痛が無ければなお快く聞けていただろうが。


{ 召喚したのは 瘴気に 耐えられる者}

{ その条件 だけでしたので 不安でした が}

{ あなた様の その巨大な 体格を持ってすれば}

{ 魔王軍も 魔王も 殲滅できる やも しれません!}



{ 伝令! 緊急事態 です!}



 突如、と言ってものっそりと、槍のようなものを持ったヒトデが現れた。

 大声、と言っていいのか分からないが、それが急を告げる意思の調子を持っている事は分かる。


{ 誰も入るなと 告げていた はず――

{ 魔王と その軍勢が こちらに 向かって います! ただちに 退避を!}


 頭の痛い中、急いで要件を聞いておいて良かった。


{ なんだと!}

{ 魔王は 夜間の 行動は 好まない はず!}

{ 奇襲だ!}

{ こちらが 手を打つ前に すり潰す 算段か!}

{ チャンスだ! この者と 一緒に 迎え討とう!}

{ しかし 彼は 具合が 悪いと}

{ えぇい! 慌てるな!}

{ しかし ここを 放棄しては!}


「(魔王を倒せば……俺は帰れるんだよね)」


{ あぁそ うだ! 事が済 んで望 むのな ら! }


 それを聞けて安心した、ヒトデだらけのこんな世界に長居はしたくない。


{ 魔王さえ 討てば 後は 我々だけでも どうにでも なる!}

{ しかし あなた様は 具合が 優れぬのでは?}

{ それに 魔王は大きい あなたほど では無いが}

{ しかも あいつは 甲殻に 包まれて いる}

{ 我々では 魔王は どうする 事も……}


「(いや、大丈夫……なはずだ)」


 見ても居ない相手にあれだが、たぶん勝算は高い。

 軍勢はこの小さく、そして大変失礼だがノロマなヒトデ達でどうにかなる程度。

 ならばガリバー旅行記みたく、蹂躙と言って差し支えない結果になるだろう。

 魔王は少し心配だが、伝令の持つ武器を見る限り程度は知れている。


「(それに、逃げる先も無いんだろう?)」


 結局はこれだ、今ここで決める。

 もし瘴気でこれ以上体調が悪くなれば勝ち目は無い。

 そして、逃げてやり直す時間も彼らには無い。


 彼らが全滅すれば帰れない。

 ヒトデと一緒に暮らし続けたくは無い。


 重い体を引き上げる。

 例えは悪いが、高熱を出して寝込んでる時にどうしてもトイレの為に立ち上がる、そんな気怠さ。

 体がふらつかないように注意を払う。もし彼らを踏んでしまったら大変なことになるだろう。


{ なんたる! なんたる巨体!}

{ 勝てる! 勝てるぞ!}

{ これなら! 魔王すらも!}


{ 魔王軍は 向こう です!!}


 伝令がその小さな槍を向けた方角に頭を向ける。

 どこまでも広がるような荒れ地、そしてそれを覆う夜闇よりも黒い影が蠢く。

 少しずつこちらに、しかし確実に近づいてくるその軍勢の中央には一際大きな黒い塊。


 その軍勢を迎えるように、ヒトデ達を跨ぎ超えていく。

 ただの大股の一歩。


{ おぉ! 凄い!}

{ あれで 一歩 だと!}


 何気ない一歩も、小さな彼らには大きな一歩だ。

 そして、吐き気と頭痛に悶える中で、彼らを踏まないように、暗い中で細心の注意を払う俺自身にとっても大変大きな一歩だ。

 もっと褒めろ、じゃないとふらつく。


{ 我々も 行くぞ!}

{ おう!}

{ 逆襲だ!!}

{ 仇を 討つ!}


 正直ついてこられても困る、踏みそうだし、魔王の瘴気で死ぬとか言ってたし。

 二歩、三歩と重い足を進めていく。

 少しの距離、頭痛が無ければだが。

 

 軍勢は目の前、突如その進軍が止まる。立ち止まる軍勢の中央に目を凝らす。

 

 黒い塊、軍勢の主、そして魔王と呼ばれている何か。

 ほとんど黒と形容してもよい、濃緑の甲殻の持ち主。

 体長はこちらの腰程度、正直虫みたいな外見も相まってかなり気持ち悪い。

 魔王の配下の軍勢は、色以外はむしろヒトデ達に近い、甲殻を纏い体を大きくすれば魔王と同じか。


{ぬぅおぉぉん!! 何者だぁ! }


 何かが軋むような意思が伝わってくる。

 この距離に来てようやくこちらに気付いたようだが、それもしょうがない事だ。

 魔王にもヒトデ達と同様に目が無いのだ。むしろどうやって感知したかが疑問だ。


「(お前を倒す者だ)」


 集中し、意思をぶつける。

 こいつもヒトデ達と同じような意思疎通をしてくる、となれば言葉よりもこちらの方がいいだろう。

 息が荒くなっているのを悟らせない為にも。


{小癪な奴だ! 図体は デカいようだが…… この瘴気に 耐えられるか!? }


 スプレーのような音。甲殻の隙間から何かが吹き出る。

 とっさに口元を抑える。頬に感じるほのかな風。

 瘴気とやらはどうやら色が無いらしい。


{ うわぁぁぁ……}

{ 誰かぁ……}

{ 痛い! いだっ……}


{ぐふっ、ぐふっ! 我が餌どもは 儂が日中にしか 瘴気を出せぬ と思ってた ようだがな! }


 ついてきたヒトデたちが、その身を焼け爛れさせながらバタバタと倒れていく。

 おぞましい光景、先程まで会話を交わしていてた彼らが、死んでいく。


{当たっては おる! 今のは 日中に溜めた分 というだけの話 よ! }


 瘴気への耐性のおかげか、俺はヒトデ達と違って皮膚が焼け爛れたりはしない。


{そしてぇ! もうすぐ 夜が明ける! そうなれば 貴様らの命は 無ぁい! }


 ただ、吸っても大丈夫なのか。

 瘴気耐性とやらがどの程度まであるのかが分からない。

 そもそも、今の体調不良の正体が瘴気の可能性も高い。

 今は息を止めているが、時間の問題だ。

 いや、クソっ!ダメだ!息が、持たない!!

 咳き込むように瘴気を吸い込んでしまう。


{ふぅん! 貴様は 倒れぬか……! }


 何ともない。

 どうも瘴気耐性とやらは非常に強力なようだ。

 深く、深く息を吸い込む。肺一杯に瘴気を満たすように。


{ 瘴気の中で 平然と!}

{ すごい! すごい瘴気耐性 だ!}


 後ろに控えるヒトデ達の歓声……いや、歓”意思”が伝わってくる。


{瘴気が効かぬ 巨体 しかし 我が軍勢を 相手取れるかな! }


 差し向けられた濃緑色の軍勢。

 その内の一匹をあっさりと靴で踏み潰す。

 やわらかい、本物のヒトデなどよりも脆い。豆腐のようだ。

 一つ足を進めれば一匹死んでいく。


{なぁっ……! なんだと……! }


 足を速める。

 一歩一死、一歩一死。

 走れる、走れる!

 向かうは真っ直ぐに魔王の元へ。


{ なんて 速さだ!}

{ あの巨体で あんなにも 速く!?}

{ 一体 どうやって!?}

{ 風の ようだ!!}


 どうもこの身にあるのは瘴気耐性なんてものじゃない!吸えば吸うほど調子が良くなるようだ!

 頭痛も吐き気も収まってしまった!!

 これなら!これなら簡単な事だ!!


{くぉっ! ぬぅっ ……! なんて奴だ! }


 魔王が出す退却の指示。しかし遅い、遅すぎる、指示自体も軍勢の動きも。

 踏み潰した奴らの体液で滑らないように気をつけ走り潰す。

 魔王の向こうの地平線が色を帯び始める。登り始める朝日に向かって逃げる魔王へ向かって俺は、


{ダメだ……! 逃げ切れ――


 左足で体を踏み堪える、走る勢いをそのままに、右足と腹にありったけの力を、そしてヒトデ達への弔いを込め――


 ボールを蹴るが如く、魔王の脇腹を蹴り抜いた。


 魔王の肉体はその衝撃に耐えきれず、蹴りを受けた部分の甲殻は砕け散り、しかしなおその威力は脆い中身へと伝播してその構造を崩壊させてゆく、哀れにも液状と化したその中身は、逃げ場を反対側の甲殻の隙間へと求めて噴き散らしつつ、登る太陽に向かって大きな弧を描いて飛んで行った。


{ やったあああああ!!}

{ 魔王は 倒れた!!}

{ 我々の 勝利だあああ!!}


 日光に暖められた空気、それはまるで英雄の誕生を祝福するかのような一陣の風となって戦場を吹き抜け、魔王の瘴気を散らせてゆく。


 英雄は今更になって気付いた、瘴気が何なのかを。






 英雄の大きな不幸、それはこの世界の大気の酸素が薄い事。

 英雄の小さな幸運、それはこの世界の大気の酸素は”非常に”薄い事。


 どう、と大きな音を立てて英雄は倒れ、そのまま安らかに息を引き取った。

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