4(探索)

 数日、教室でオオカミの姿を見ないな、と思っていたら、ある日先生が、「大上おおかみは今、所在がわからなくなっているそうだ」と朝の会で伝えた。

「自宅には戻らず、連絡も取れないらしい。親御さんは非常に心配している。誰か大上の行きそうなところで心当たりのある者はいないか?」

 誰も返事をする者はいない。もちろん、ぼくたちも。

 ぼくはぼんやりと、ここ数日のことを考えてみた。姿を見なくなった最初の日から、オオカミは行方不明だったんだろうか。だとしたら、こうやって先生の耳に入ってぼくらに伝えられるまで、どうして数日もかかったのだろう。

 出稼ぎで家にいない父親と、夜に働いているという母親。いつも荒っぽいオオカミの言動。

 けれどその時ぼくが思っていたのは、オオカミには悪いと思うけど、「あのお金はどうなったのかな?」ということだった。絶対に見つかりっこないとオオカミが豪語していた一千万円。でも本人がいなくなっても、それは絶対だと言い切れるだろうか。

八木やぎ、お前は知らんか、大上の居場所?」

 先生はヤギくんのほうを見て、そう訊く。オオカミにとってヤギくんなんてパシリにしかすぎなかったけど、先生の目にはそうは映らなかったらしい。

 ヤギくんはこの上にも迷惑をかけられるなんてごめんだとばかりに、ぶるぶると首を振った。いかにもヤギくんらしい反応だった。

 朝の会が終わると、ぼくらはさっそく寄りあいを開いた。議題は当然、オオカミとお金のこと。

「まず、オオカミは本当に行方不明なのかってことだよ」

 と、カワホリは急きこむように言った。

「どういうこと?」

 ぼくは訊き返す。

「つまりさ、オオカミの行方不明はあのお金がからんでるのかどうかってこと」

「一千万が?」

 こくりと、カワホリはうなずく。

「僕が考えてるのは、こういうことだよ。もしかしたら例の犯人が戻ってきて、何かのきっかけでオオカミのことに気づいたのかもしれない」

「まさか」

 ぼくは信じられなかった。

「可能性の話さ」

 カワホリはあくまで真面目だった。

「もしそうだとしたら、オオカミはお金を奪われて、口封じのために殺された。もしくは金の在処を吐かせるためにどこかに連れ去られたのかもしれない」

 サスペンスドラマの見すぎだ、そんなの。

「犯人が戻ってくるのはともかく、オオカミのことに気づくなんてありえないよ。オオカミの家はあの用水路からずっと離れてるんだから」

「世の中何が起こるかなんてわからないさ」カワホリは嘯く。

 ぼくは首を振った。ふと、ヤギくんのほうを見る。

「ヤギくんはどう思う、今の話?」

「それって、もしもオオカミが僕たちのことを話したら」ヤギくんは顔を青くした。「僕たちも殺されるってこと?」

 ぼくらのあいだに、しばし沈黙が流れた。

「……可能性は、あるかな」

 カワホリが冷静を装って眼鏡の位置を直す。

「そんなの嫌だよ、僕。だからあの時言ったんだ、交番に届けようって」

 どうやらヤギくんは、結局は自分も賛成票を入れたことを忘れているらしい。

「オオカミが犯人に殺されたか捕まったかしたっていうのは、可能性としては低いと思う。だからそのことで、ぼくらに危険が及ぶことはないんじゃないかな」

 と、ぼくは言った。

「だったら他に何がある?」

 ぼくはあることを考えていたけど、そのことは言わずに、ただ首を振った。

「今はわからない。ただ、お金のこととは全然関係なく行方不明なのかもしれないし、少しは関係があるのかもしれない。世の中、何が起こるかわからないんだから。このままじゃどっちとも言えないよ」

「じゃあ、どうすりゃいいのさ? こんなんじゃ僕、不安で死んじゃうよ」

 人の話を聞いているだけなのに、ヤギくんは泣きそうだった。

 ぼくはしばらく黙ってから、こう言ってみた。

「……それだったら、自分たちで調べてみるしかないんじゃないかな」


 そんなわけで、ぼくら四人はオオカミの家の居間に座っている。

 丸い卓袱台を前に座布団が三つしかないので、ぼくは直接、畳の上。ステンレスの台所やガスの給湯器があって、その向こうは外廊下になっている。アパートの家の中には他に部屋が二つあって、一つはオオカミ、もう一つは母親のものだった。

 卓袱台の向こうには、その母親が座っている。スウェットシャツを着て、ぽっちゃりした体型をしていた。肌が荒っぽく、どうしてだか眉毛がない。

「わざわざ来てくれて、ありがとうね」

 と言いながら、おばさんはぼくらの前のコップにサイダーを注いだ。何だか、舌がからまったみたいなしゃべりかたをしている。

「みんなのぼるの友達なの?」

 登というのは、もちろんオオカミのことだ。

「そうです。行方不明って聞いたんですけど?」

 ぼくは友達云々のことで細かく突っ込まれてしまう前に、そう尋ねた。

「そうなのよ、あの子ずっと家に帰ってこなくてね」

 おばさんの口調は、言葉のわりにはずっと軽かった。

「まあ、私にも覚えがあるからわからないわけじゃないんだよ。窮屈な家にいるのなんてまっぴらごめんだってね。でも家出にしても少々長すぎるからね。どこかで野垂れ死んでないともかぎらないし」

 おばさんの口調は、やっぱり軽い。

「書き置きとかはないんでしょうか?」

 カワホリが慣れない正座の姿勢を窮屈そうにしながら訊く。

「いいや、それがさっぱりでね。あの子、学校のことは話さないから、てっきり友達の家にでもいるんだと思ってたんだけど……」

 そう言っておばさんは粘っこい視線でぼくらのほうを見るけれど、ぼくらだって何も知らないからここに来たのだ。

「でもねえ、こうやってあの子のことを心配してくれる友達がいるなんて、おばさんは嬉しいよ。あの子のことだから父親に似て――」

 あまり嬉しくない話題に移りそうなところで、嬉しいことにドアを叩く音がした。おばさんは仏頂面を浮かべて、玄関のところへ対応に出る。

 小さく開いたドアの向こうに、白いスーツに赤いシャツを着た、茶色い髪の男が見えた。手には指を鍛えるためだろう、大きくて趣味の悪そうな指輪がはまっていた。

 おばさんはその茶髪男と小声で話している。

「今は子供の友達が……」「それはまた今度……」「でもそれじゃ約束が……」といった言葉が切れぎれに聞こえる。

 やがて何かを断りきれなくなったらしく、おばさんはぼくらのほうを向いて言った。

「悪いんだけど、おばさん少し出かけなくちゃならないの。すぐ戻ってくると思うから、それまでは好きに寛いでてくれるかな?」

 ぼくらがうなずくと、おばさんは笑顔を浮かべて去っていった。玄関のドアが閉まる直前、茶髪男がぎらっとぼくらのほうを睨む。まさかこの人が黒バッグの持ち主だったってことはないよな、とぼくはぼんやり考えてみた。

 二人が階段を降りていく音が聞こえると、ぼくらはさっそく作戦会議をはじめた。

「今のうちにお金の在処を見つけておこう」

 もちろん、そういうことだ。オオカミの所在はともかく、お金の所在ならこれで確かめられる。

 すぐ戻ってくると言ったから、時間はそれほどないかもしれない。まずはヤギくんを見張りにして、おばさんが帰ってきたら知らせるようにした。それから居間をカワホリ、おばさんの部屋を夜花、オオカミの部屋をぼくが調べることにする。

 ぼくはさっそく、オオカミの部屋に入った。陽が当たらないせいで薄暗く、使い古したような影がたまっている。紐をひっぱって照明をつけた。

 布団を敷いたらすぐ端にくっついてしまいそうな、狭い部屋だった。いたるところに傷のついた古い学習机、本棚、玩具箱らしいダンボール、ごみ箱、壁にコルクボード。押入れはなく、部屋の面積は小さい。

 ぼくはまず、学習机から当たった。

 引きだしを全部開けて、中をあらためる。机と壁の隙間も調べる。教科書やノート類のあいだも一通りチェックした。

 引きだしに大きめのカッターと怪しげな雑誌があるほかは、特に変わったところはない。念のために引きだしも外してみるけど、やはり同じ。

 次は本棚。読まれた形跡のない世界名作文学全集が下段にある。重りのつもりだろう。あとは中途半端に巻のそろわないマンガで埋まっている。奥に何かないかと調べてみるけど、何もない。読まれていないせいか、文学全集は妙に軽かった。

 期待のダンボール箱には雑然と物が詰めこまれているだけで、そんなスペースはなかった。正体不明の傷がついたコルクボードをひっくり返してみるけど、おかしなところはない。ごみ箱には紙くずや、プリントか何かを燃やしたらしい灰があるけど、お金の気配はまるでなし。

 ここはやっぱり屋根裏だろうかと思うけど、とても天井には手が届かない。イスに乗っても無理だ。いくらオオカミの背が高くても、これは無理だろう。なら脚立を使った跡がないかと畳の上を探してみるけど、そんなものは見つけられない。はじめから、期待はしていなかったけど。

 壁に塗りこむ、畳の下に隠す、ばらばらにしてどこかに貼り付けてしまう――どれも現実的とはいえない。ここにはお金がないのか、それとも本当に持ち去られてしまったのか。

「戻ってきたよ!」

 その時、ヤギくんの声が聞こえた。ぼくらは慌てて居間に集合する。そうしてサイダーを急いで飲みほしてしまうと、ちょうど今帰ろうとしていたところ、という体で玄関のドアを開けた。

 おばさんがすでに階段をのぼりきったところで、ぼくらは顔をあわせた。

「あら、もう帰るの?」

 と、おばさんはいかにも残念そうな顔をする。

 用事がありますから、とか何とか言って、ぼくらはその場をあとにした。おばさんに怪しがる様子はない。

「そう、またね。あの子のことで何かわかったら教えてちょうだい」

 おばさんは手を振る。ぼくらも手を振る。

 階段を降りきったところで、ぼくはようやく息をついた。心臓が痛いくらいどきどきしている。

「何かわかった?」

 道路に出ながら、ぼくは訊いた。コンクリート塀に囲まれたアパートを振り返ると、おばさんはまだこっちを見て、にこやかに手を振っている。

「何にも」

 カワホリが首を振った。

「古新聞とか、賞味期限の切れたケチャップとか、そんなものしかない」

 夜花のほうを見ると、彼女も簡単に首を振った。もっとも、そんなものを母親の部屋に隠すはずもないから、こっちははじめから望み薄でしかなかったけど。

 ぼくらは当てもなく歩きながら、一千万円の隠し場所についてああだこうだと言いあった。でもそれで何かわかるわけでもなかったし、はたしてオオカミの家に本当に一千万円があるのかどうかさえ判然としなかった。

 あの一千万円はどこに行ったのか。ついでにオオカミもどこに行ったのか。

 ――それからまたしばらくして、今度はカワホリが惨殺死体になって発見された。


 先生は簡単に、「川堀学かわほりまなぶくんは警察の調べでは何者かに殺害された可能性が高いそうだ」とだけ言った。

 例によって朝の会のことで、教室ではさすがにざわざわと騒ぎが収まらなかった。

 けどそのことに関しては、学校だけじゃなく、すでにそこら中で噂になっていた。信頼性はともかくとして情報をまとめると、カワホリは〝家の近くで〟〝ナイフで刺されて〟〝何故か両目を潰されていた〟そうだ。犯人の目撃談もあるけど、そっちはまるであてにはならない。

 ぼくらはさっそく、教室でイスを寄せあった。

 かつては五人いた班も、今では三人になって、かなり寂しい。寂しいどころじゃなくて、まわりからは「呪われた班」とか「犬神家の子孫」なんて呼ばれたりもする。犬神家?

「今度は行方不明じゃなくて、殺されたんだよ」

 ヤギくんは口を開くと、さっそくパニくっていた。

「落ち着きなよ」

「きっと犯人に見つかったんだ。僕たちも殺されちゃうんだ」

 顔が青くなっている。

 でもぼくにはやっぱり、その可能性は信じられなかった。確かに、ありえないとはいえない。カワホリが殺されたのは事実だから、オオカミがそのことを教えたのかもしれない、とは考えられることだ。そうなれば、ぼくらの命も危ない、と。

「一千万円の祟り、かもね」

 ぼくはおどけてそう言ってみた。

 そう、幸運をもたらしたカラスのお呪いは、それにふさわしい代償を要求した。怪談にはよくあるパターンだ。

 ぼくが手を幽霊ふうにしておどかしてみると、ヤギくんは露骨に嫌そうな顔をした。

 でも実際には、ぼくはそれよりずっと性質の悪いことを考えていた。

 つまりそれは、こういうことだ。

 オオカミの行方不明は偽装で、一千万円は今もオオカミが所持している。オオカミがどこに潜伏しているのかはわからないけど、何しろ金額が金額だ。そしてオオカミはお金をより確実に自分のものにするために、カワホリ殺害を実行した。

 オオカミの部屋にお金がなかったのはそういうことだと、ぼくは考えている。

 でもこの仮説の結論は、ヤギくんのとたいして違わない。犯人か、オオカミか、どっちかがぼくらを殺しに来るはずだった。

「次は誰なんだろう……」

 ぼくはつい、真剣にそんなことをつぶやいてしまっていた。

「やめてよ!」

 ヤギくんが悲鳴をあげる。

「だから嫌だったんだ、こんなの。僕は一千万円なんて欲しくなかったんだ。殺されちゃうんじゃいっしょだよ。死にたくない、死にたくないよ――」

 今にも泣きだしてしまいそうだ。

 ヤギくんのメンタルの弱さは承知しているので、ぼくは気にしない。

 それより問題なのは、次に夜花が狙われるんじゃないか、ということだった。

 ぼくが狙われるのもかなりまずいけど、やっぱり夜花のほうが心配だ。今のところ犯人(=オオカミ)がどんな順序でぼくらを狙っているのかはわからない。ぼくも夜花も、襲われる可能性は三分の一だ。

 ぼくらはそれを撃退して、あわよくば一千万円を取り返さなくてはいけない。そのためには、どうすればいいのだろう……?

「死にたくない、僕は死にたくない」

 チャイムが鳴って休み時間が終わる直前まで、ヤギくんは怯えたまま頭を抱えていた。

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