2(手に入れたもの)
クラスで最初の班替えのときに、どこにも混ぜてもらえずに余った五人がいる。その五人で作られたのが、五班だった。
五人というのは当然、ぼく、夜花、オオカミ、カワホリ、ヤギくんのこと。
そのせいか、ぼくら五班はどちらかというとクラスの中で浮いていた。目の仇にされる、という言いかたが時々正しくなるくらいに。
だからというわけではないけれど、ぼくらは学校の中でも外でも、大抵いっしょに固まっていることが多かった。羊の群れが何も言わなくても一塊になるみたいに。
今日もやっぱりそれは同じで、ぼくらは教室の隅の机に固まっている。
「あれから、何かあった?」
ヤギくんがおどおどしながら訊いた。まわりのことを気にしているんだろう。
「別段、変わったことはなかったけど」
例によって、カワホリは眼鏡の位置を直しながら言う。
「ねえな。自販機の当たりさえひっかからなかった」
オオカミはイスに浅く腰かけて、足を大きく投げ出している。
「ぼくも特に何もなかった」
――ぼくらがこんなことを話しているのは、もちろん昨日のことがあるからだった。
夜花の話によれば、あれは幸運のお
話を夜花自身に向けると、彼女も結局は首を振っている。
まあお呪いなんて、こんなものかもしれないけれど。
そのうち一日が何事もなく過ぎて、六限目の理科の時間になった。教室にいづらいので、ぼくらはさっさと理科室に移動してしまう。
すると担任の
その日の実験は、微生物の観察だった。顕微鏡をのぞきこむと、ただの水の中にはたくさんの奇妙な生き物がいた。ゾウリムシ、ミドリムシ、ツリガネムシ、と観察記録をつけていく。
昨日流れた血をこんなふうに顕微鏡で眺めたら、やっぱりいろんなものが見えるんだろうか、とぼくはふと考えた。
授業が終わると、ぼくらの班はついでだからといって片づけもさせられた。文句を言う前に先生は行ってしまう。
「お呪いのやりかたが間違ってたんだよ、きっと」
ヤギくんが盛大にため息をつく。
ようやく片づけが終わって、ぼくらは教室に戻った。帰りの会がはじまるはずの教室は、けれど何故だかしんと静まりかえっている。
よく見ると、校庭側の窓が一枚、大きく割れていた。怪我人もいなかったらしく、ベランダにあったらしいガラスの破片もすでに掃除されていたけど、亀裂が入って穴の開いた窓ガラスだけはそのままになっている。
そうしてクラスの全員が机に座って、中上先生が教卓からそれをにらんでいた。
「いいか、犯人がきちんと名のり出るまでは、先生は絶対にお前たちを帰さないぞ」
先生はそんなことを言った。
どうやら、誰かが誤って窓を割ってしまい、そのことで揉めているらしい。
先生はぼくら五班のことに気づくと、
「お前たちは帰っていいぞ。無関係なことははっきりしてるからな」
と言った。
ぼくらは顔を見あわせて、さっそく帰る用意をはじめた。こんな犯人探しにつきあって時間を無駄にしたくない。
帰り際、先生がこんなことを言うのが聞こえた。
「どうせ言い訳するなら、もっとましな嘘をつけ。カラスがぶつかって窓が割れたなんて、先生は信じないからな」
学校からの帰り、ぼくら五人は川沿いにある土手道の上を歩いていた。狭い土手の斜面には草が生い茂り、緑色になっている。川底を今にも途切れそうな細い水が流れていた。
「…………」
歩きながら、ぼくら五人は誰も口を開こうとしない。ただ黙って、遠くから聞こえる車のエンジン音なんかに耳を澄ませていた。
クラスの他のみんなは、教室でまだ先生の前に座っているはずだ。
「なあ、あれって……」
オオカミが何か言おうとして、けれどやっぱり口を噤んだ。他のみんなもその先の言葉はわかっているので、やっぱり何も言わない。
「先生はカラスって言ってたよね」
代わりに、ぼくが口を開いた。
「それはないと思うな」
カワホリがいつもより自信なさげに言う。
「カラスじゃ窓ガラスは割れないよ。それにあれは内側から割られてた」
「そうなんだ」
言われて見れば、確かにそうだった気もする。
でもだとしたら、話はもっと奇怪だ。カラスはどうやって教室の中から窓を割って、どこに行ったんだろう。それとも先生の見立て通り、クラスの誰かがやったんだろうか?
ぼくらはまた黙って歩き続けた。
その時ふと気づいたけれど、さっきから聞こえていた車の音が大きくなっている。どうやらこっちに近づいているみたいだ。
土手下の住宅地のほうに目をやると、一台の車がすごいスピードで走っているのが見えた。制限速度違反もいいところだ。タイヤのスリップ音が悲鳴みたいに聞こえた。
暴走車は角を曲がって用水路のそばに停まると、車内から何かを投げ捨てる。それが済むと、再び爆音を轟かせて走り出した。子供が飛び出してきたら間違いなく轢き殺してしまうだろうな。
それから少しして、今度はパトカーのサイレンが聞こえてきた。白と黒のセダンが、さっきの暴走車と同じ道を通って、やはり角を曲がる。パトカーはそのまま暴走車のあとを追って消えてしまった。
ぼくらはその一部始終を、土手道の上で眺めていた。
「何かな?」とヤギくん。
「スピード違反だろ」面白くもなさそうにオオカミ。
「でも何か捨てて行ったよ」ぼくは確かに、運転席から黒い塊が投げ捨てられるのを見ていた。「行ってみようよ」
ぼくらは転ばないように土手の斜面を降りて、用水路の近くに行ってみた。
あまり使われていないのか、水路に水は流れていなかった。その底には、黒い革のバッグのようなものが落っこちている。さっきの車から投擲されたものに違いない。
「どうする?」と、ヤギくん。
用水路はコンクリート製で、かなりの幅と深さがあった。おまけに壁面や底はぬるぬるした苔や藻が生えて滑りやすそうだ。
「俺が行くよ」
オオカミがそう言って、ランドセルを下ろした。この中で一番背の高いのがオオカミなので、自然とそういうことになる。
水路の縁に手をかけて、オオカミはうまい具合に底に飛び降りた。バッグを拾いあげると、オオカミは重さを確かめてから道路の上に放り投げる。どたっ、と音がした。
壁はちょうどオオカミが手をのばして少し届かない程度なので、ぼく、カワホリ、ヤギくんの順番で一列になって、手をのばした。ぼくとオオカミが手首を掴みあうと、大きなカブと同じ要領で、後ろからぼくのズボンをひっぱってもらって引きあげる。たいして汚れることもなく、オオカミは道路に戻ってきた。
問題の黒いバッグは、少し離れたところに転がっている。
「中に何か入ってるみたいだな」
アスファルトに靴底をこすりつけながら、オオカミは言った。
ぼくらはいつかみたいに、バッグを取り囲むように輪を作る。黒い影が重なって、バッグの存在が少し薄くなった。
それから代表して、ぼくがバッグを開ける役にまわった。黄金色のファスナーに指をかけて、じじじ、と開いていく。
黒い革バッグの中には、真っ赤な内臓ではなくて、見たこともないくらいたくさんのお札の束がつまっていた。
とりあえずその場所から一番近いという理由で、みんなはぼくの家に集まった。
家には誰もいないらしく、鍵を開けて中に入る。みんなで二階にあるぼくの部屋に向かった。ちなみに、同じ階には姉の部屋もある。
部屋は片づいているというほどではないけれど、散らかっているわけでもない。玩具や雑誌を机の上に移動させて、床の上にスペースを作った。
真ん中に黒バッグを置いて、車座になる。
「これ、いくらくらいあるのかな?」
というカワホリの発言で、まずは合計金額を調べてみることにした。
バッグをひっくり返して中身を吐き出し、床の上に山積みにする。どれも本物のお札みたいだったけど、大金が目の前にあるんだという実感は薄い。普段、こんなもの見かけたことがないせいかもしれない。
紙幣はどれも一万円札で、百枚ずつ帯留めされているみたいだった。束の数を数えてみると、全部で十個。つまり、バッグの中には一千万円が入っていたことになる。
「大金だな」
オオカミが全員の気持ちを一言で代弁した。
「何なのかな、このお金?」
ヤギくんがもっともな疑問を口にする。
「銀行強盗が奪ってきた金なんじゃねえの」とオオカミ。
「それにしちゃ額が少ないから、暴力団の下っ端が組の資金に手をつけたんじゃないかな?」
カワホリがややこしい見解を示す。
「でもパトカーに追われてたよ」
ヤギくんは首を傾げた。
「それは別の件なのかも」
カワホリはあくまで自説にこだわった。何にせよ、よくわからない話だ。
「……でも、どうして捨てたりしたんだろう?」
ぼくはとりあえず別の疑問に移った。
「捕まったあとで回収できるようにじゃないかな」とカワホリ。
「あんな住宅地の用水路じゃすぐ見つけられるだろう」
オオカミは納得できないようだ。
「仲間に回収させるつもりだったとか?」
ヤギくんがなかなか鋭いことを言った。
「それくらいのことなら、逃げてるあいだに指示できるかもな」
オオカミが腕を組む。
「それより」
ぼくはこの場合に一番重要なことを言った。
「このお金、どうするの?」
途端に、全員が黙りこむ。
「交番に届けたほうがいいと思うけど」
というヤギくんの至極まっとうな意見は、この場合は受け入れられるはずもなかった。
「俺たちがこの金を拾ったことは誰も知らないんだ」
「誰かに知られる可能性もすごく低い」
オオカミの意見に、カワホリが同調する。
「でも……」と、ヤギくん。
「いいか」
オオカミはとてもシリアスな顔で言った。
「よくわからないけど、これだけは言える。こんなこと二度と起こりっこない。このチャンスを逃したら次はないんだ。俺はいつまでたってもあの時、あの金を自分たちのものにしてれば、なんて後悔するのはごめんだ。今、この金を交番に届けでもしたら、絶対そうなるに決まってる」
「…………」
ヤギくんは説得されたのか抵抗する気を失くしたのか、予想通りに口を閉ざした。わかってはいたけど。
「なんなら、多数決で決めようよ」
カワホリが白々しいことを言う。
決を採ってみると、お金を自分たちのものにするに賛成が三。オオカミとカワホリとヤギくん。ぼくと夜花だけが手を挙げなかった。予想通りに。
「決まりだな。これで俺たちは〝イチレンタクショウ〟だ」
オオカミがにやっと笑う。狡猾そうな、油断のならない笑顔だった。
「多数決だし、とりあえずは協力するけど、これからどうするの? つまり、このお金の隠し場所についてだけど」
ぼくは気の進まないまま訊いてみた。
「ウサくんの家でいいんじゃないの?」
と、ヤギくんが遠慮がちに言う。その裏で何を考えているのかはかなり明白だったけれど。
ぼくは首を振った。「ぼくは、あまり自信ないな。親に見つけられるかもしれないし、その時は言い訳できないよ」
「それだったら、うちもかもな。勝手に部屋の掃除とかされるし」
カワホリが言って、ヤギくんも同じようなことを口にする。やっぱり、面倒なことは避けたいみたいだった。
「じゃあ、仕方ねえな」
オオカミは前よりいっそうにやっとした。
「俺の家で預かるよ。オヤジは出稼ぎでずっと家にいないし。母親は部屋の掃除するような気のきいたやつじゃねえよ。帰ってくるのは朝方で、それからずっと寝てるしな。屋根裏にでも隠しとけば、絶対見つかりっこない。それにこのバッグを拾いあげたのは俺だしな」
自信満々に自分の胸を叩く。
バッグを見つけたときから、何となくこうなるんじゃないかな、という気はしていたのだ。ぼくはヤギくん同様、無駄に逆らうつもりはなかった。
ぼくはランドセルから教科書や筆記用具を引っぱり出して、代わりに黒バッグを中につめた。これでオオカミの家に向かえば、怪しまれることはない。学校の帰りに遊びに寄るんだと言えばいいのだから。
みんなが玄関を出ると、ぼくは元通りに鍵をかけた。そうして五人で、何食わぬ顔をしてオオカミの家に向かう。
途中、ぼくは一応夜花のほうをうかがってみたけれど、彼女が今度のことをどう考えているのかはさっぱりわからなかった。いつもの永久凍土的な無表情で、何も思ってなんかいないように見える。
それからふと、誰もカラスのお呪いのことについて一言も触れていないなと、ぼくはそんなことを思った。
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