烏呪

安路 海途

1(カラスとお呪い)

 ぼくが公園のブランコに座ってぼんやりしていると、向こうで夜花よるはながカラスの死体を見つけた。

 季節はちょうど春と夏の中間という感じで、空気は陽気でぽかぽかとしている。放課後の遅い時間だけど太陽はまだまだ明るくて、公園全体を照らしていた。

 黒宮夜花はぼくと同じクラスの女子で、ちょっと変わっている。この前、社会の授業でシベリアにはずっと氷ったままの永久凍土というのがある、と習ったけど、それに似ている。誰も夜花の笑ったところを見たことがない。

 でもぼくはそんな夜花のことが密かに好きで、暇さえあればちらちらと盗み見している。

 彼女は右目が悪いらしくて、いつも白い眼帯をしていた。髪は短くて、じっとしていると人形にしか見えない。というより、本当は人形なんだけど、たまたま動いている、という感じだった。今はシャツにデニムのオーバーオールで、あまり女の子らしい格好とはいえない。

 公園の何もないところに、夜花は屈んでいた。じっとしている彼女は、太陽のちょうど真下にでもいるみたいに見える。

 ぼくはブランコから降りて、彼女のほうへ向かった。

 そうしてぼくが近づいていくと、他の三人も集まってくる。他の三人というのは、同じ公園にいたオオカミ、カワホリ、ヤギくんのことだ。ぼくたちは五人で公園にいた。

 屈みこんだ夜花を囲むような形で、ぼくたちは集合した。夜花とカラスの姿が影に飲みこまれて暗くなる。

 死んだカラスは仰向けになって、羽を広げていた。黒い体からは不自然な感じで足が投げ出されている。大きなガラス球みたいな眼球はすっかり濁っていて、もう何も映していない。カラスの死体はどちらかというと、ただの汚れた黒い塊にしか見えなかった。

「これ、死んでるね」

 と、ヤギくんが口を開いて、わかりきったことを言った。小太りのヤギくんは病気のせいで動きも鈍いけど、頭の回転も同じくらい鈍い。

「ハシボソガラスじゃないかな」

 カワホリは言って、眼鏡の位置を直した。理屈っぽくって、自分の知っていることはしゃべらずにはいられないのだ。

「何でくたばってるんだ、こいつ?」

 オオカミは足で乱雑にカラスの頭を小突いた。ぼくは意味もなくそのカラスに同情してしまう。

「きっと猫か何かにやられたんだ」

 ぼくは穏当な発言をしておいた。

「カラスのくせに間抜けだな」

 と、オオカミはせせら笑う。

「ハシブトと違って、ハシボソは普通、街中にいないから、それでやられたのかも」

 カワホリがまた、眼鏡の位置を直した。

「じゃあその猫は何でこいつを食わなかったんだ?」

「猫は遊びで狩りをする動物だよ」

「きっとおいしくなかったんだ」

 ヤギくんが薄気味悪そうに死体をのぞきながら言った。

「僕だったら、こんなの食べないな」

「心配するな。おめえに捕まるような間抜けなカラスは、世界中探したっていねえからよ」

 けっ、という具合にオオカミは吐き捨てた。

 ぼくたちはカラスの死体なんて見るのは初めてだったけど、無駄にテンションをあげたり、取り乱したりはしなかった。ただ囲んで、もの珍しく眺めていただけ。

 カラスの死体はただのなのか、生き物なのかよくわからなくて、確かにそういう気持ち悪さはあった。触ったら何だか嫌なものがつきそうだし、近くにいても目に見えないものがうつってきそうに思える。

 でもその感じはぼくらには――少なくともぼくには、馴じみのない感じじゃなくて、それで何だか平気でいられるのだ。

 ぼくは影になった夜花の横顔を、気づかれないようにうかがう。

「このカラス、どうするの?」

 ヤギくんは自分でそう言ったくせに、その自分の言ったことが嫌で仕方ないというふうだった。

「市の清掃局員が片づけるんだよ」

 カワホリが知ったような口をきく。

「その前に野良犬の餌さ」

 オオカミはシニカルに笑った。

「――ねえ」

 その時、不意に夜花が口を開いた。彼女はまるで身動きしなくて、それはまるでぼくらの影がしゃべったみたいだった。

「このカラス、〈生贄〉にしよう」


 ぼくら五人は森の中を歩いていた。

 森といっても、たいしたものじゃない。ぼくらの住んでいるのは田舎のまちで、ちょっと歩けばすぐ田んぼにぶつかる。

 その田んぼの中に、海から取り残された島みたいに森が残っていた。こういうのを鎮守の森と呼ぶんだって聞いたことがある。社があって、その土地の神様を祀っている。

 ぼくらは遊んでいた公園をあとにすると、その森にやってきた。赤い鳥居と、短い参道と、小さなお社があって、まわりは森に囲まれている。

 外から見るとたいしたことはないのに、中に入ってみると森は手品みたいに鬱蒼と感じられた。風が吹くと梢がざわざわ鳴る以外は、ほとんど物音もしない。まるで森に食べられて、閉じこめられてしまったみたいだった。

 夜花はお社の前を通りすぎると、無造作に森の中へと進んでいった。手には黒い塊をつかんでいる。それはもちろん、例の死んだカラスだった。

 ずんずん歩いていってしまう夜花とは違って、ぼくらはお社の前で躊躇した。理由は簡単で、怖かったからだ。

「おい、どうするんだよ」

 いつも威勢のいいオオカミさえ、その言葉には心なしか力がなかった。

「罰とか当たらないかな?」

 ヤギくんがおどおどと、見えないものを探すようにあたりを見まわす。

「大人に見つかれば怒られるかもね」

 みんなと違って怖がっていないことを示すためか、カワホリはそう言った。その目はどう見ても怯えていたけど。

「もう夜花は行っちゃったんだ」

 ぼくも確かに怖くはあったけど、それ以上に夜花を放ってはおけなかった。こうしているあいだにも、夜花は森の奥に向かっていて、その姿を見失ってしまうかもしれない。

「ぼく一人でも行くよ」

 そう言って、ぼくは本当に夜花のあとを追って森の中に足を踏み入れた。

 残る三人も結局は、ぼくのあとに続く。ここで一人だけ逃げるのなんてプライドが許さないだろうし、四人もいれば祟りなんかも怖くない気がしたんだと思う。

 森の中は深閑として、密生した木々の葉が日光を遮っている。地面には去年の落ち葉が堆積して、ひどく歩きにくかった。神域、というのだろうか。そこでは普通の森と違って、空気が重苦しく感じられる。ぼくらは自然と口を閉ざしていた。言葉をしゃべったら、何かに見つかってしまうような気がして。幸い、木立の向こうには夜花の姿が見えて、何とかあとを追うことができた。

「…………」

 かなりの時間がたって、どう考えても森を突き抜けて田んぼに出てもいいくらい歩いたはずなのに、田んぼどころか外の景色さえ見えない。知らないうちに道を曲がっているのだろうか。それともやっぱり、ここには足を踏み入れてはいけなかったのかもしれない――

 そんなことをぼくが思っていると、夜花は不意に立ちどまった。近くに行くと、そこは少しだけ開けた場所になっていて、上を見あげると井戸の底みたいに青い空があった。陽の光が射して、他よりは少し明るい。

「ここでいいかな……」

 つぶやくように言って、夜花は落ち葉を払い、剥き出しになった地面に死んだカラスを置いた。羽を広げ、首をのばす。ぼくらは無言のまま遠まきにそれを眺めていた。

 枝を拾ってくると、夜花それをカラスの四方を囲むように突き立てる。そうすると急に、カラスは地面に磔にされているように見えた。夜花はそんな作業をしながら口を開いた。

「カラスってね、いろんな神話に登場するんだよ。ギリシャ神話とか、北欧神話。きっと昔から、人間の近くにいる鳥だったからだろうね。神様の肩に乗って、世界中の出来事を囁いたりもしたんだって」

 夜花の作業に淀みはない。今度は棒を使って、何かの図形を描きこんでいる。

「でもね、中国ではカラスのことを太陽の化身だって考えたんだって。それで昔、太陽が九つも余計に現れて大変だったんだけど、ある人がその中に棲むカラスを一羽ずつ射殺していったんだよ」

 気のせいかもしれないけど、夜花の声は楽しそうだった。これから何がはじまるのかは知らないけど、あまりいい予感はしない。

 作業を終えてしまったらしい夜花は立ちあがって、ぼくらのほうを向いた。

「みんな、これから私の言うとおりにしてね」

 嫌だといえるような雰囲気ではなく、ぼくら四人はロボットみたいにうなずいた。

 それを確認して、夜花はポケットからナイフを取り出した。いつも彼女が持ち歩いているものだ。前に一度、持たせてもらったことがある。ずっしりと重量感のある、かなり本格的なものだった。

「――――」

 彼女はナイフの刃を開くと、カラスの首筋を押さえて、その腹を縦一文字に切り裂いた。

 途端に、


 ――ギャアアアア!


 という悲鳴が森中に響き渡る。

 カラスは生きていたのだ。

 強烈な痛みから逃れようとして、それは夜花の手の下で暴れまわる。黒い羽が飛び散り、開腹部から内臓がはみ出す。血が数滴、夜花の顔にかかった。

 数分もたたずに、今度こそカラスの生命は失われた。嘴から血が流れ落ち、時折あった痙攣もなくなる。

「…………」

 夜花はその内臓に手を突っ込むと、何をするわけでもなく外側に引き抜いた。

 その手は異常なくらいの鮮やかさで赤く染まっている。

 彼女はその指で、自分の唇をなぞった。真っ赤なルージュを引いた夜花の姿は、ぼくには何故だか、ひどく淫靡なものに見えた。

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