第2話 ぼっちになりました…
深い森の中にぽっかり空いた小さな集落。
周囲に溶け込むもう古い、半分崩れかけた十数件の家と自給自足の為の畑や納屋。そして真ん中に少し空いた広場。ただそれだけがあり、すぐ森の木々が迫っていた。集落からの道は森の中へと続くほぼ草に覆われた獣道がそれぞれ東西南北に4本。ただそれだけがある場所。
周囲のある程度の範囲の森を含めて結界で囲んでいる為、深い森の中であっても危険はほとんどが、ここを何も知らない人が見つけるのは本当に偶然の産物でしかないだろう。今では一番近い村(森歩きに慣れたリザでも歩いて丸一日はかかる)の住民にもここに集落がある、と認識している人はいない。そんな集落で。
「…とうとう一人ぼっちになっちゃったな。まあ、分かっていたことだけど」
集落の小さな広場にポツンとある木のベンチに座って、ただ青い空を見上げてつぶやいていた。
「クオン」
ふんわりともふっとした毛並みが伸ばした足に寄せられ、この集落で自分以外の温もりがあることを思い出す。ぽっかりと空虚な穴が空いた心が少し温かくなった。それでも青い空へと視線を向けたまま、そっと膝の上に乗った重みに手を伸ばしてなでる。その感触にまた少し温かくなったけれど。
「ああ、ごめんごめん。シルバーがいるから一人じゃなかったよね。…でもとうとうマダルおじいちゃんもいなくなっちゃった」
つい昨日。とうとう最後のリザ以外の住人の老人が息を引き取った。これでずっと一緒だった全員が村の奥にある墓地の中へと行ってしまった。
リザを拾って育ててくれたのは呪術師のエリザナだったけれど、その時から全員が老人だったけどみんなでリザのとこを可愛がってくれた。だから全員、歩けなくなって、自分のことが出来なくなってもリザが面倒を見ていた。それをつらいこととは思ったことなどなかった。この小さな集落で暮らすみんなが全員リザにとっては家族だったから。
「これからどう、しようか、な…」
心にぽっかりと空いた穴は、多分寂しいと叫んでいるけれど。
「クオオっ!」
「うわっ!シルバー、ちょっとくすぐったい!」
ふいにぬるん、とした感触が頬を濡らし、そのままもふもふな毛並みにベンチに押し倒された。そのまま顔中をなめられ、どんどん涎まみれにされていく。
「アハハハハっ!くすぐったいってば、シルバー。わかった、わかったから!シルバーが家族だから私は一人じゃないよねっ!元気出すからっ!」
シルバーを森の結界内で見つけてこの集落で一緒に暮らし始めて二年。子犬に見えたシルバーはやっぱり狼で、しかも魔力を取り込んだ魔獣だからかすくすくと大きく育って今では立ち上がるとリザよりも大きい。だからこうやって圧し掛かられると全身もふもふまみれになる。
「もう、シルバーったら!もふもふしちゃうからねっ!」
硬質な輝きを持つ白銀の毛並みは、触ってみるとつやつやでしなやかで内側はふかふかで極上の触り心地だった。
顔をなめるのを避けようとシルバーの胸元の白いマフっとしたふわふわな毛皮に顔を埋めて、両手で首筋から背中を撫でまわす。もふもふ。もふもふ。
「ハウー。いつ撫でてもシルバーは本当にいいもふもふ具合…」
いつの間にか胸の穴から寂しい気持ちが引っ込み、ちょっとだけ幸せ気分に浸されていた。
「さすがシルバー。私の扱いが上手いわー」
「プっ、何よそれ。リザったらシルバーに転がされてるの?飼い主じゃなかったのね」
不意に上から聞こえた声になんとか顔を上げると、ピュラがこちらを覗き込んでいた。
ピュラが森から出て来ることは、いくらここが森の中の集落でもほとんどなかった。だから今ここにいる理由はすぐ察することが出来て、また胸の穴が温かい気持ちでちょっとずつ埋まる。
「ピュラ!シルバーは確かに最初は子犬みたいだったけど。でも最初から私の家族だから、最初から飼ってる訳じゃないわよ」
「そう、ね。そうだったわね。すっかり大きくなっちゃったしね。今じゃあすっかりリザより大きくて、リザよりよっぽどシルバーの方が頼もしいわよね」
「そうそう、もうこう押しかかられると自分じゃあ抜け出せないし、ってピュラ!ひどいわよっ!シルバーより私が頼りないって!」
それだけは聞き逃せないんだけれどっ!
「ガウっ」
「きゃっ!ちょっ、ちょっとシルバーいきなり反転してついでに咥えて背中に放り投げるのは止めてっ!」
急に視界がグルッと回って引っ張られたと思ったらふんわりした滞空時間の後に、もふっと毛皮に埋まった。
「うーーーーー。でもやっぱりシルバーの背中は最高だなー。この手触り、もふもふ感、そして体重かけてもまったくぶれない力強さ!うん。シルバーは私にとって一番頼りになるよ」
もふもふもふ。シルバーの背にうつ伏せに乗ったまま、そのまま腕を首筋からお腹の方へと動かしつつ思う存分もふもふを味わう。シルバーに触ると無意識にもふもふしてしまう。凄い!シルバーのもふもふマジック!
「まったくリザったら。まあ最初はどうなることかと思ったけど、本当に仲いいわよね」
最初に会った時。『シルバー』と呼んで差し出した手をおずおずとシルバーはなめた。
それから集落に連れ帰っても最初の頃は、恐る恐るこちらを警戒していた。食事を差し出すのも、同じ部屋で眠るのもどこか緊張感さえあった。けれどいつの間にかどこに行くにしても隣にはいつもシルバーがいるようになった。
シルバーが小さい頃は結界内で入ってくる動物の狩りも一緒に協力してやったのに、最近は狩りの時だけはシルバーだけ森へ走って行って、気づくと獲物を咥えて戻ってくるようになったけれど。それがちょっと不満でもあるんだけど、その獲物を解体するのはリザの仕事だ。シルバーは生肉も食べることは食べるけれど、小さい頃から焼いた肉を出していたからか、最近では焼け、と指示して来ることもある。というかほとんど焼いて出している。
「うん。今では大体シルバーの言ってることもわかるよ」
「目と態度がねー。リザとずっと一緒だからか分かりやすいわよね、シルバーは」
野生の獣は目を見ても感情を感じることはあまりないけれど、でもずっと一緒にいたシルバーは目と声で大体何が言いたいのか分かる気がしている。
「ガウウ」
「うん、ありがとうシルバー。心配してくれたんだよね。ちょっと元気出て来たよ。ピュラもありがとう。様子見に来てくれたんだよね?」
「…これからどうするの?リザ。あなた一人でここで暮らすの?」
「うーん…。みんながさ、絶対最後に言ったんだよね。ここのことは気にするな。好きなように生きなさいって。…ここを出て外に行って広い世界を見る選択も確かにあるとは思うの」
みんなの目が、ここの集落で一人でいるより外へ出て人の間で生きろ、と訴えていた。言葉にしなかったのは、私が否定の言葉を返すことを恐れたんだと分かる。みんなへの言葉を約束にして、私がこの集落から出て行かない理由としないように。本当に自分の死に際まで、最後まで私のこれからのことだけをみんなは心配してくれていた。確かに周りには年寄りばかりしかいなかったけど。それでも街中で同世代と暮らすよりはずっと育つ上でたくさんの優しさを貰ったから、私はこの集落で暮らしたことは幸せだったと断言出来るのに。だってみんながこれからを生きる私の為に沢山のことを残してくれたから。
「うん、そうね。この森はとても深くて広いけど、世界はもっとそれ以上に広いわ」
だからそんなみんなの優しさを無駄にしない為に、私は外の世界も否定はしない。狭い世界しか知らない事実は事実として受け入れる。
「ガウっ」
「うん。シルバーはどこに行ったってずっと一緒だよ。だって家族だもん。…でも、ね。私はここが好きなのも間違いないし。ただ一度も出ないでここで過ごすって選択をするのもどうかとも思うの」
外の暮らしを知る。これから生きて行く上で、それは最低限知っておかなければならないことだと、ちゃんと自覚もあるから。私が今知っているのは、みんなが教えてくれた人から聞いたことと、エリザナが残してくれた本の知識しか知らないのだから、実際自分が外の世界を見て、知ってどう思うのかは分からないのだから。
「うん。そうよね。私だってここの森は大好きだけど、他の森のことも知ってるわ」
「うん。だから、ね。一回近くの村まで行って来るね。それで外に出る選択をするにしても、今回は戻って来るけどね。ただここの外を、他の人の住んでる暮らしを見て来るよ」
もう慰めてくれる優しい人達はいないけれど。私はこの機会に自分と向き合わなくてはならない。ずっと逃げ続けていても、多分自分からは逃げられないだろうから。
「うん、リザの気持ちは分かったわ。じゃあもう村への道はほとんど森で閉ざされてしまっているから、森の出口までは案内してあげる。行くときには声を掛けてくれればリザのとこに来るから」
「うん、ありがとう、ピュラ。大好きだよ」
歩き出して森へ行くようになってからは、いつでも気が付けば隣にいてくれた優しい優しい精霊さん。ずっと私のことを見守ってくれているのに、私の意思を何よりも優先してその意思を支えてくれようとしてくれる。
「なっ!な、なななによ、いきなりっっ!ふんっ!なんか元気みたいだしもう行くわっ。またねっ!」
「フフフフフ」
ほんのちょっぴり意地っ張りで素直じゃないけれど。他の人には見えなくても、でも私の大切なお友達。だから。
「よし、シルバー!村へ行く準備をするから手伝ってね!せっかくだから布とか香辛料とか欲しいから、現金がいるのよ。薬草と集めてエリザナおばあちゃん直伝の薬を作って、それからそれが売れなさそうな時の為に薬草を乾燥させたのも作って。あとは歩きながら山の物を集めて持って行ってみようと思うの!」
「ウウォンッ」
さあくよくよするのは今はもう終わり。とりあえず一度この世界の人の村を見に行こう!いつだって、みんなは私の胸の中にいるんだから。
「さあ材料採りに森に行くよ、シルバー!」
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