第10話

 翌朝、にわかには目も開けられぬ程の酷い頭痛で、リョウは目覚めようとしていた。頭痛に加え、口の中が猛烈に苦い。吐き気がする。昨夜の深酒のせいだ。原因はすぐに思い至った。しかしどうやら、朝が来ているらしい。雀は遠慮なしに外でチュンチュン鳴いているし、眩い旭日が目を瞑っていても襲い来る。早くミリアを起こして学校に行かせなくては。目を開けろ、目を開けろ。リョウは激しい頭痛と吐き気と格闘しながら呪文のように胸中で唱え続けた。しかしその前に、自分が何やら温かな柔らかいものを抱き締めているのに、気付いた。

 その瞬間はっとなって目を開けると、目の前には、否、自分の腕の中にはすやすやと眠るミリアがいた。

 即座にリョウは顔面蒼白になり、それから慌てて自分の両腕をミリアから離そうとした。が、離せなかった。腕はミリアの寝間着の中に潜り込み、その背と腰とを直に抱き締めていたから。

 リョウは目を見開いたまま、お、おお、という呻きを洩らすと、慌てて寝間着から腕を引き抜き、そのまま勢いよく身を離したがたために、ベッドから転がり落ちた。

 頭が床に痛くぶつけられる。しかし不思議と痛みは無かった。それよりも、自分は、一体、何をしているのか、否、何をしたのか……。あまりの衝撃に唇が、やがて全身がわなわなと震え出す。

 ミリアが、ううん、と右腕を伸ばす。リョウは思わずベッドの下に身を伏せた。

 ミリアは再び、今度は両腕をもって伸びをすると、上半身を起こした。そしてベッドから降りようとしてリョウの姿に気づき、目をぱちりと見開いた。

 「どしたの?」

 リョウは赤い乱れた髪の合間からほとんど睨み付けるように、ミリアを見上げた。

 動悸が激しくなる。言葉が出ない。激しく頭を振って、考える。

 ――自分は昨夜、ユウヤと酷く酒を飲んでいた。そこで確か、断片的ではあるものの、ユウヤがミリアをこれだけ可愛がっていれば、嫁に行かせられるまい、と煽ったのだ。まさか、そんなことはあるまいと、確か、自分は、嗚呼、何を考えていたのか、ミリアが嫁ぐ脳内シミュレーションを行ったのだった。結果は? 一体どうなった?

 リョウは頭を抱えながら、考え込んだ。

 自分はそれに、耐えられなかった……。それゆえミリアを起こし、嫁に行くな、と説教をした、気がする。しかしその後自分は一体どうなったのか。記憶は、無い。それは眠りに就いたがために無いのか、はたまた深酒が過ぎたために無いのか……。

 リョウは満身に恐怖をたぎらせながら、顔だけを上向かせ、再び、不思議そうに、しかしどことなく楽しそうに見下ろすミリアを凝視する。こうなったら、ミリアの反応を見て自分の昨夜の行動をうかがい知る以外には、ない。

 ミリアはいつものようににこにこと微笑んでいる。

 「今日部活なの。ケーキ持って帰るね。夜、一緒に食べようね。」

 ミリアはそう言ってベッドから降りると、そそくさと洗面所へと向かう。

 リョウはごくり、と生唾を飲み込みその後姿を見守った。そして、水を流す音が聞こえ出すと、はっとなって勢いよく立ち上がり、ベッドの毛布を力いっぱいはぎ取った。

 血痕は、無い。

 その時うっとリョウは吐きかけた。それは無論二日酔いのためではない。ひたぶるに、自分のこの上なく異常な汚行による。しかし朝日に照らされた真っ白いシーツを眺め下ろしながら、次第に落ち着きを取り戻していく。

 自分は手練れではないはずだ。少なくとも泥酔状態で、処女である中学生相手に性交渉に及び、出血もさせぬままことを終えるとは、あり得ない。大丈夫だ、大丈夫だ。人間はいかに超能力や何やらで操られたとしても、本能によって殺人だけは犯さぬという。近親間の行為も、絶対に、あり得ない。ミリアも自分も、服を着ていたではないか。リョウは微笑む。如何に泥酔をしていたとしても、記憶が無くとも、さすがに実の妹相手に欲情する程、自分は理性を喪失しては、いない。リョウはそう確信して肯く。

 そこにミリアが戻ってくる。

 リョウは再び息を呑んでミリアの一挙一動を注視した。

 歩みは軽やかだ。どこぞ痛んでいる風はない。リョウは再び大丈夫だ、と肯く。

 しかしミリアは気のせいか、どことなくいつも以上に楽し気に見える。変な鼻歌を歌いながらグラスを食器棚から取り出し、牛乳を注ぎ入れる。

 「リョウ。」

 呼ばれて心臓が縮み上がる。一呼吸置いてから、リョウは「……はい。」と低く答えた。

 「昨日、リョウの夢見た。」

 リョウの胸中に激震が走った。

 ミリアは美味そうに牛乳を飲み干す。

 「……ゆ、夢?」激しい呼吸を繰り返しながら、乱した赤い髪の合間からリョウは呟いた。

 「うん。リョウと結婚式する夢。」ミリアはにっこりと笑い、そのままさっさとセーラー服に着替えると丁寧に畳んでおいたエプロンを鞄に入れ、「行ってきます。」と爽やかな笑みを残し、足取りも軽やかに家を出ていった。

 リョウは暫しミリアの後姿を見送ったままぼうっとしていたが、頭を抱え、ない記憶を取り戻そうと必死になった。しかしそこで蘇った記憶が、ミリアを傷つけるそれであったら? 自分は耐えられるか? リョウは再び呻いた。そして突如立ち上がり便所に駆け込むと、今度は本当に、嘔吐した。最悪な朝であった。

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