第20話 意外な結末

 木曜日、彩那は一人現場付近を歩いていた。昨日はひったくり事件は起きなかった。犯人は前回おとり捜査班が仕掛けた罠を警戒して、鳴りを潜めてしまったのだ。現行犯逮捕ができない以上、これまで掴んだ情報を元に、犯人に迫るしかなかった。

 指令長フィオナ、そして新加入した奏絵とともに調査をした結果、彩那は今犯人の元へと向かっている。

 犯人像がおぼろげに浮かび上がった時、彩那には信じることができなかった。ひょっとすると何かの間違いではないか、そんな気持ちを今も拭う去ることはできなかった。

「彩那、本当に一人で大丈夫ですか?」

 フィオナが心配そうに呼び掛けた。

「はい。そんなことより、自首すれば、本当に刑は軽くなるんですよね?」

 彩那は念を押した。この件はもう何度もやり取りしている。しかしまだ確固たる見解を聞かせてもらってない。

「それは、最終的には司法の判断に委ねることになります。でも、彩那は警察官ではなく、単なる女子高生として話をするのですから、相手の出方によっては、自首と認められる可能性は高くなります。裁判では、少なくとも情状酌量に持っていけると踏んでいるのですが」

 目標が見えてきた。いつか龍哉と自転車の修理に出向いた、おばあさんの家である。あの時よりも時刻は一時間ほど早い。

「フィオ、やっぱりこの眼鏡は外した方がよくない? これって録画されているんでしょ。裁判で不利に働かないかしら?」

「でも、彩那にもしものことがあったら大変です。そのまま掛けていなさい」

「捜査班のみなさん。決して押し掛けてこないで下さいね。あくまで自首を勧めるのが目的なんですから」

 彩那はそう呼び掛けた。

「大丈夫です。その点は安心して下さい」

「分かったわ、フィオを信じます」

「彩那、しっかり頑張ってね」

 奏絵の控え目な声が入った。

「任せておいて」


 玄関の呼び鈴を押すと、あのおばあさんが顔を出した。

「こんにちは」

「ああ、いらっしゃい」

 彼女の顔はどこか不安そうである。

「電話で言ってたのは本当なのかい? 悪い人には見えないけどねえ」

「もちろん、彼女にも事情あってのことだと思います。だから自首してもらうつもりなのです」

「それで罪は軽くなるんだね?」

「はい」

 そろそろ時間である。彩那は庭の木陰に身を隠した。

 ミニバイクの乾いたエンジン音が聞こえてきた。家の前で止まると、一人の女性が入ってきた。

「こんにちは」

 すかさず彩那の方から声を掛けた。

 相手は、制服姿の女子高生に驚いたようだった。

「あら、こんにちは。あなたはいつかの……」

 それは薄いピンクの服を身にまとった訪問介護士だった。

 彩那は彼女の進路を塞ぐように立った。

「どうやら、全て分かってしまったようですね」

 彼女は諦めたように言った。

「言っておきますけど、今日私は一人の女子高生として、あなたとお話をするためにここへ来ました。まだ警察は連続ひったくり事件の容疑者を絞り込めずにいます。ですからまだ間に合います。あなたに罪の意識があるのなら、ぜひ自首してください」

 彼女は彩那から目を逸らした。

「あなたは悪い人ではないと思います。この家のおばあちゃんはあなたをとても信頼しています。私も初めて会った時、ひたむきに仕事に打ち込むあなたの姿に、憧れを抱いたほどです」

 彼女はがっくり肩を落としている。

「だから自首してもらいたいのです。あなたにもきっと強い理由があってのことでしょうから」

「もし私が、しらを切ったらどうするつもりですか。その時は証拠があるのですか?」

 一瞬、介護士は挑戦的とも取れる言葉を投げ掛けたが、それは本心ではないのは明らかだった。彼女に他人と争う気がないのは、顔を見れば分かる。

「外に止めてあるミニバイクのキャリアに私の指紋がついている筈です」

 彩那は自信を持って言った。

「では、あなたはあの時の?」

「そうです。女子大生に変装して、わざとあなたにバッグを奪われました」

「あの時はすいませんでした。無我夢中だったのです。お怪我はありませんでしたか?」

「はい、大丈夫です」

「よかった」

 介護士の女性はへなへなと地面に座り込んだ。

 そして次のような話をしてくれた。

 訪問介護士の彼女はこの地区を担当していた。

 先月、長年介護をしてきたおじいさんが突然亡くなった。死因はストレス性の心筋梗塞だった。確かに最近おじいさんはどこか悲しそうな表情を浮かべることが多かった。

 その異変に気づいた介護士は、思い切って話を聞いた。すると「娘に騙された」と言うのである。詳しく聞こうにも、彼は自分の恥をさらすと考えたのか、断片的にしか語ってくれなかった。

 しかしその情報をつなぎ合わせると、おおまかには次の通りだった。

 半年ほど前に近所のスーパーマーケットで出会った若い女性がちょくちょく家を訪ねてくるようになった。そして彼女は食事を作ってくれたり、差し入れをしたりしてくれた。聞けば、田舎の祖父が最近他界したのだが、どこか自分とよく似ているから親近感が湧くということだった。

 その女性は長い髪で、毎回ミニスカートとハイヒールという姿で現れた。常に首の付け根辺りに、何かを隠すような絆創膏を貼っていた。こっそり観察してみると、それは小さな入れ墨を隠しているらしかった。

 彼女は給料が入ると、そこから一万円を下ろしておじいさんに渡した。そんな時は決まって、こんな安月給なのだと預金通帳を見せるのであった。給料が振り込まれるとすぐに一万円を下ろすという行為が通帳にしっかりと残されていた。

 そんなことが数ヶ月続いてから、彼女は泣きながらやって来て、「今月はおじいさんに何もしてあげられない」と泣き崩れた。よくよく聞いてみると、キャッシュカードの入った財布を盗まれて、全財産が引き出されてしまったと言うのである。一緒に銀行へ出向いて記帳してみると、確かに残高はゼロになっていた。

 おじいさんも不憫に思い、彼女に一時的に金を立て替えてあげることにした。自分の預金通帳を渡して、「当面これを使いなさい」と言った。彼女は「借りた分はきっと返します」と言って、数日はいつものように家に出入りしていたが、ある日を境にぴたりと来なくなってしまった。

 実はその女はおじいさんの預金を全て解約し、そのままどこかへ消えてしまったのである。彼はずっと「騙された」と悔やみ続けた。

 おじいさんはそのショックが原因で体調を崩し、入院する羽目になった。そして数日後息を引き取った。

 それから介護士は、警察署に行ってその女の犯罪を告発した。しかし当人が自ら預金通帳を渡している以上、強盗にはならないし、さらには被害者死亡のため、詐欺事件として立件するのは難しいと言われた。逆にどうしてあなたがそれほどまでこの件に拘るのか、実はあなたこそ、彼の財産を狙っているのではないかと言われる始末だった。


 介護士はいつしか目に涙を溜めていた。それは若者に騙されて死んでいった老人を哀れに思う気持ちからのように思われた。

「それであの銀行に出入りする、条件を満たす女性を襲ったのですね」

 彩那は訊いた。

「はい。他にも別のお年寄りを同じ手口で狙っているのではないかと考え、銀行付近に張り込んで、条件に合う女を待ちました。それらしい人物を見つけると、ハンドバッグひったくって、通帳を確認しました。おじいさんが言った通りに、毎月のお金の出入りが確認できれば、犯人だということになります。しかし何度試みても、顔も名前も知らない女を探し出すことはできませんでした。そのうち、死んだおじいさんの無念を思うと、それは自分に与えられた試練であるかのように、ひったくりを繰り返していました」

 介護士は身体を折り曲げて嗚咽をもらした。彩那は直ぐさま背中を抱いた。

「ちょっと、お父さん聞いてる?」

 彩那は呼び掛けた。回線は無言であった。

「お父さんたち警察がしっかりしないから、こういうことになるのよ。その辺、分かってるの? こういった弱い人たちの味方をするのが、本来の仕事じゃない。しっかりしてよね、まったく」

「彩那、もうそのぐらいにしなさい。課長もきっと分かっています。必ず捜査をしてくれる筈です」

 フィオナが声を出した。

「そんなの当たり前よ。ちゃんとやらなかったら、どうなるか分かっているでしょうね?」

 当の介護士は彩那に強い視線を投げ掛けていた。どうして一介の女子高生がそこまで自分の思いを理解しようとしているのか、不思議でならなかったのだ。

「色々とお手数をかけて、すみませんでした」

 彼女は静かに立ち上がった。

「フィオ、この方は自首するそうです」

 その声を合図に菅原刑事が近づいてきた。

「午後4時13分。自首により容疑者を確保」

 フィオナの声で、この事件は幕を閉じた。

 パトカーが家の前に停車した。菅原刑事が女性を引き渡した。彼女は手錠を掛けられることなく、連行された。

 辺りは静寂に包まれていた。

 彩那は魂を抜かれたような顔で覆面車になだれ込んだ。

「お疲れ様でした。彩那、よくやりました」

 フィオナの明るい声が聞こえた。

「そうだ、今回の得点は?」

「持ち点の減点はなし。犯人逮捕に貢献したので、五十点を加算して、合計は百五十点になります」

「やったあ。フィオ、大好き!」

 彩那は思わず黄色い声を上げた。

「アヤちゃん、よくやったわね」

 母親、梨穂子の声。

「おめでとうございます」

 菅原刑事が前席から身を乗り出した。

「やったな」

 すぐ横には龍哉の笑顔があった。

「と、言いたいところですが、今回、彩那は自首を勧めた単なる女子高生に過ぎません。捜査班としての活動はしてませんから、採点はしません」

とフィオナが訂正を入れた。

「やっぱりフィオ、嫌い」

 彩那も負けじと前言を翻した。

「いえ、そういう感情の変化を、逐一私に向けられても困ります」

 回線は一同の笑い声で満たされた。

「ただ彩那、訂正しておくべき点が一つあります」

「うん?」

「さっき、あなたはバイクのキャリアから指紋が検出できるようなことを言いましたが、それは無理です」

「えっ、どうして?」

「考えてもみなさい。振り落とされないようにキャリアを握っている時、指先はどうなっていますか?」

「あっ、そうか。指が曲がっていて、キャリアに触ってない」

「じゃあ、あの人に嘘言っちゃったのかな?」

「いえ、あのバイクが証拠品であることに変わりはありません。たとえば、路面に残ったタイヤ跡やカメラに写ったボディ形状など、犯行を裏付ける要素はいくつもありますから」

「よかった」

 彩那はほっと胸を撫で下ろした。

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