第14話 筑間奏絵の推理

 放課後、彩那はこっそり教室を抜け出すと、誰にも見つからないよう下駄箱まで急いだ。今日は部活動をする気になれそうもなかった。一人静かに帰宅しようと最初から決めていたのだ。

「彩那っ」

 下駄箱の陰から予期せぬ声がした。

 目を遣ると、奏絵の心配そうな顔があった。どうやら教室から追いかけてきたらしい。今日はまともなお弁当を持ってきてなかったので、昼食の誘いも断っていた。そんないつもと違う友人の行動に、何らかの異変を感じていても不思議はなかった。

「今日は部活行かないの?」

「うん」

「何だか元気ないね」

「そうかしら?」

 やはり顔から苦悩が滲み出しているのだろうか。しかしこればかりは友人に相談する訳にもいかない。なにしろおとり捜査班の存在は口外しないよう、フィオナから釘を刺されている。

「ねえ、元気出してよ。彩那がそんな風だと私も落ち込んじゃうよ」

 そんな奏絵の言葉は嬉しかった。彼女と友達で本当によかったと思う。でも、これは自分自身で解決すべき問題なのだった。

「一緒に部活行こうよ。大きな声を出せば、きっと嫌なことも忘れられるから」

 奏絵は友人の手を引いた。しかし彼女の決意は固かった。

 すると今度は攻め方を変えてきた。妙に低い声で、

「そこのお嬢ちゃん。今日はとっておきの話があるんだよ。手ぶらで帰っちゃあ、勿体ないというもんだ。おじさんが絶対損はさせないからね」

 鼻の下で何度も人差し指を往復させた。

 美少女の身を挺した奮闘ぶりには、つい笑みがこぼれてしまった。彼女の優しさの前では、心を閉ざしていることなどできやしない。

 二人は長い廊下を部室に向かって歩いていた。

「ねえねえ、これ見てよ」

 奏絵の手のひらには名刺大のカードが握られていた。

「何、それ?」

「龍哉さんファンクラブの会員証」

「ええっ?」

 彩那は手に取ると、裏返したり、太陽光に透かしたりした。デザインも見事な出来映えである。

「完成度高いわね、これ」

「神城先輩の家って、印刷屋さんなんだって。それでお兄さんがデザインしてくれたそうよ」

 よく見ると、表面に小さく刻印がしてあった。

「それ、会員番号よ」

 十七番という文字が見える。

「もうそんなに会員がいるわけ?」

「凄いでしょ」

「うーん。やっぱりここはマネージャーになって、一儲けするのもありかもね」

「そりゃ、だめだぜ。マネージャーはこの俺様だからな」

 その声に振り返ると、小柴内だった。

「何だ、あんたか」

 彩那はわざと素っ気ない態度を見せた。

「お前もファンクラブ入るかい?」

「入るわけないでしょ」

「お前は兄妹だから、負けておくぜ」

「まさか、本当に会費取ってるの?」

「ああ、年会費三百円」

「高っ。それじゃあ奏絵も払ったわけ?」

「うん」

 弾んだ声が返ってきた。

「みんな、小柴内の悪巧みにまんまと乗せられちゃって」

「違うのよ。その集めたお金で龍哉さんにお誕生日プレゼントを買うのよ」

「あいつには内緒だぞ。サプライズなんだからな」

「誰が言うもんですか。馬鹿馬鹿しい」

 彩那の鼻息は荒かった。

「おっ、向こうから龍哉がやって来たぞ」

 小柴内のその声に、奏絵は慌てて会員証を片付けた。


 体操服に着替えて校庭に出た。いつものようにストレッチ体操が始まる。

 彩那はぼんやりと陸上走者の軌道を眺めていた。何から考えればよいのか、頭が整理できない。フィオナと喧嘩したこと、父親に叱られたこと、龍哉と本音で語れたこと、いろんなことが頭を渦巻いていた。自分にとって、おとり捜査班というのは一体何なのだろうか。

「えい!」

 彩那の頬をいきなり白い指先が襲った。知らぬ間に奏絵が真横に立っていた。

「お父さんと喧嘩でもしたの?」

 友人の勘は鋭い。

「まあ、そんなところかな」

「もしかして、警察の仕事のことで?」

「ええ、まあ」

 曖昧に答えた。

 奏絵は周りを見て、誰もいないことを確認してから、

「大変よね、お父さんの仕事を手伝うのも」

 と囁いた。

「ええっ!」

 すっかり目が覚めてしまった。どうして友人はそのことを知っているのだろうか。まさか龍哉が喋ってしまったとでもいうのか。

「そんなにびっくりしないでよ」

 彩那の訝しげな視線を振り払うように言った。

「守秘義務があるから、喋っちゃダメなんでしょ。ここからは、私が独り芝居をするから、黙って聞いていて頂戴」

 彼女は一呼吸置いてから、

「例の連続ひったくり事件。今朝もニュースでやってたわ。犯人が捕まったと思いきや、また新たに別の事件が発生した。まだ終わってなかったのね」

 彩那は固唾を飲んだ。どうして奏絵はいきなり核心を突いてきたのだろうか。

「倉沢兄妹はこの事件の捜査に関わっているんでしょ? もっと言えば、現場で張り込んでいた、違う?」

 返答に窮した。彼女の言うことに間違いはないのだが、どう反応していいのか分からなかった。いや、その前にどうしてそれを知っているのかが不思議だった。

「どうやら図星のようね。いいのよ、無理に答えなくても」

「どうしてそんなに自信満々なのよ?」

「彩那を見ていれば分かるわよ」

 奏絵は笑ってから、

「初めて演劇部を訪れた日、二人はお父さんから電話で呼び出されたじゃない。その時の彩那は意外な顔をしてたけど、龍哉さんは別段驚いている様子はなかった。つまり彼は前々から警察の仕事に関わっていたからよ。一方、彩那はその日から捜査に加わった。

 あの日を境に兄妹関係に変化が見られたわ。これまでよそよそしかった二人が、どこか親密になった。それは仕事の同僚になったからじゃないかしら」

「でも、どうして連続ひったくり事件に関わっていると思うの?」

 全てが見透かされているのが悔しくて、強がってみた。

「夕飯を手伝いに行った日、二人してそのニュースに釘付けだったじゃない。あの時、彩那はとっても悔しそうな顔をしてた。そりゃそうよね、犯人は二人が張り込んでいた日を避けて、別の日に現れたんだもの」

 彩那には言葉もなかった。

「その暗い表情は、捜査が上手くいってないことの表れね。今日の新聞によれば、真犯人は新たな犯行に及んだとあった。彩那が苛々してるのも無理ないわ」

「一つ質問してもいい?」

 我慢ならず口を開いた。

「どうぞ。私が想像を語る分には、守秘義務違反にはならないからね」

「確かに、容疑者は他の事件について否認しているわ。でも、どうしてその自供が信じられるわけ? もしかしたら連中は同じ窃盗犯グループで、その中のメンバー一人が捕まっただけかもしれないじゃない?」

「それはないわね」

 奏絵はあっさり否定した。

「どうしてそう言えるの?」

「手口がまったく違うからよ。二人の助けになればと思って、私はあの事件に関していろいろと情報を集めていたの。

 マスコミの多くは、犯人は若者を襲うだけでは飽き足らず、高齢者に矛先を向け始めたと伝えていた。さらにナイフを使って相手を負傷させるほど、手口が凶悪化しているとも書いていた。

 でもね、冷静に考えるとおかしいのよ。だって、ナイフを必要とする相手は高齢者よりむしろ若者の方じゃない? つまりこれは同一犯人が凶悪化したのではなく、元々別の犯人がそれぞれ違ったポリシーで犯行に及んでいたに過ぎない。そう考えれば説明がつくもの」

「なるほど」

「それに、仲間の一人が逮捕されたのなら、取り調べで他の連中の名前も明らかになる筈よ。そんな不安を抱えた状態で、新たな犯行に及ぶ気にはなれないわ。そんな暇があるなら、さっさと身を隠すか、遠くへ逃げるってもんでしょ」

「確かにそうよね」

 彩那は大きく頷いた。

 サッカーボールが目の前に転がってきたので、彩那はそれを蹴り返した。

「実はこの事件について、私なりの考えがあるのよ」

「ぜひ聞かせて」

 彩那は勢い込んで言った。

「高齢者を狙った犯行は別にして考えるわよ。それは模倣犯の仕業だからね。すると犯人は同じ区域内で若い女性ばかりを狙っていることになるのだけれど、それって変だと思わない?」

「どういうこと?」

「あまりにも同じ場所、同じパターンで犯行を重ね過ぎているからよ。被害者はみんな若い女性で、銀行から出てきたところを襲われている。たとえば、場所一つとっても、全てあの付近の道路上なのよ。銀行に恨みでもあるのかというぐらいに」

「それはあの場所には、大きな銀行がたまたま一つしかないからじゃない?」

 彩那は現場の様子を思い浮かべて言った。

「確かにそうなんだけど、それにしてももっと違うパターンがあってもいいと思うのよ。犯人はミニバイクに乗っているのだから、違う場所へ出向いてもいい訳でしょ? それに同じ場所で犯行を繰り返すのは捕まるリスクが相当高まると思うのよね」

「それは、犯人は近所に住む人間で土地勘があり、犯行後すぐにどこかに身を隠せるという利点があるのかと思ってた」

「まあ、それについては否定しないわ。だけどね、若い女性のハンドバッグを奪ったところで、それほど大金が手に入るとは思えない。つまり一回当たりの金額が少ないから、犯行を重ねることになるのは必然だけど、それを判で押したように、何度も同じ場所で繰り返すのはどうにも違和感があるのよ」

「それで、奏絵の考えというのは?」

「この地区の若い女性ばかりを狙う、何か特別な理由があるんじゃないかと思って」

「特別な理由?」

「そう、この地域、しかもこの銀行の利用者だけに限定する何か共通点があるように思えてならないの」

「たとえば?」

「そうねえ、仮に被害者女性は全員同じ中学校の出身とか、同じスポーツクラブに所属しているとか」

「どういうこと? 犯人の狙いはお金じゃないってこと?」

「そう、たとえば、中学時代いじめられたことに対する復讐とか、あるいは怪我をさせてクラブの試合に出られなくするとか」

 彩那は小さく唸り声を上げて、

「でもね、被害者のリストを見せてもらったけど、現住所はみんな離れているし、繋がりがないように思えるんだけどな」

「いや、ちょっと待って。バイクで後ろから襲うという手口は、女性を背後からしか見てないことになるのよね。そうか、被害者には何か外見上の共通点はない? 特に後ろ姿の」

「みんな若くて可愛い女性ってこと?」

「なるほど。だから彩那は無視された、か」

 奏絵は腕を組んで大袈裟に頷いた。

「あのねえ。勝手に納得しないでよ。でもそれって、動機は美しい女性の困る顔が見たいとでも言うわけ?」

 彩那は呆れた顔で言った。

「いや、顔は関係ないでしょ。犯人は女性を後ろから狙っているのよ。それなら顔が見えないじゃない」

「ああ、そうか。じゃあ、着ている服装とかに何か共通点があるとか?」

「それはいい線いってるかも。そういう情報がもっとほしいのよね」

「確かに被害者リストだけでは分からないこともあるわね。こりゃ、一人ずつ被害者に会いにいくしか方法はなさそうね」

「ぜひ、そうして頂戴」

 奏絵は自信を持ってそう言った。

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