第15話 謎の急展開

 彩那はすかさず立ち上がると、龍哉の方へ向かって歩き出した。

 演劇部員たちはストレッチ体操を続けていた。先輩女子の幾重にも渡る包囲網を突破して、ようやく目的の人物まで辿り着いた。今は小柴内とともに腹筋運動にいそしんでいた。

「ねえ、今あれ持ってる?」

 彩那は上から覗き込むように訊いた。

「あれ?」

 要領を得ない龍哉の傍にしゃがんで、

「官給品よ」

 と小声で催促した。

「持ってるけど、今から数学のテストがあるのか?」

「あのねえ、どうして放課後に運動場で数学のテストやらなきゃならないのよ。スマートフォンの方よ」

「これか?」

 龍哉はジャージのポケットから取り出した。

「ちょっと貸してくれない?」

「どうするつもりだ?」

「すぐに返すから」

 スマホを奪い取ると、彩那はその足で器具庫まで行った。ここなら誰にも聞かれることはない。

 電話帳の「自宅」を押した。

「フィオナ・アシュフォードです」

 いつもの落ち着いた声がした。

「フィオ、頼みがあるんです」

「あら、彩那でしたか。どうしたのです、これは龍哉の端末ですが」

「今ちょっと借りてるのよ」

「また違反ですね」

 フィオナは優しく笑った。

「そんなことより、お願いがあるの」

「分かりました。でも、まずは落ち着きなさい。あなたが一生懸命な時は、本当に何か大変なことがあるからでしょう?」

「ありがとう、フィオ。実はひったくり事件の被害者たちに今すぐ会って話が聞きたいんです」

「一体どうしたというのですか?」

「ちょっと確かめたいことがあるのです」

 フィオナは黙り込んだ。何か考えているようだった。

 そんな沈黙を破るように、彩那は言葉を継いだ。

「フィオ、あなたは被害者たちの容姿に、何か共通点があるのを知ってる?」

「共通点、ですか?」

「そう。データベースにあった情報以外に、注目すべきは外見上の特徴だと思うの。それを調べたいのよ」

「なるほど、そういうことですか。それはよい着眼点かもしれません」

 彼女は瞬時に理解してくれた。

「正直に言うと、私ではなくて友達の発想なんですけど」

「お友達?」

 そこから急に声色が変わった。

「彩那、まさかそのお友達に捜査のことを喋ったのではないでしょうね?」

「大丈夫、大丈夫。向こうが勝手に喋っただけだから」

「何だかそれもまた違反めいてますが、まあいいでしょう。彩那を信じることにします」

 フィオナは一呼吸入れてから、

「被害者の面会については許可します。ただし彩那の単独行動は認めません。管原刑事に同行してもらいます」

「はい、それで結構です。ありがとうございます、フィオ」

「では三十分後、管原刑事と合流してください」

「了解」

 フィオナが自分を信頼してくれている、そう思うと彩那は嬉しくなった。


「驚きましたよ」

 管原は開口一番そう言った。

「彩那さんが、まだ事件に興味を持っていたなんて」

「この前はワガママ言ってごめんなさい」

 後部座席から素直に謝った。

「彩那さんにも考えがあってのことですから、それは全然構いませんが、被害者に会ってどうされるのですか?」

「直接お話がしたいのです」

「分かりました。お供させて頂きます」

 車はカーナビの案内に従って首都高に乗った。

「被害者は総勢十七名。そのうち逮捕した模倣犯が関与した三名を除くと十四名。事件の発生順に会いに行きますが、それでいいですか?」

「はい。運がよければ、二人で済むかもしれませんよ」

 彩那は笑みを浮かべた。

「はあ」

 菅原刑事は首をかしげている。

「まずは第一の被害者です。彼女は女子大生ですが、連絡を取ったところ、今大学でサークル活動中ということでしたので、そちらに向かいます」

 女子大学の正門から少し離れた所に車を停めた。約束の時刻になると、ジーンズ姿の女性が小走りに近づいてきた。

「恐らくあの女性ですね」

 二人は車から降りた。

「どうも、急にお呼び立てしてすみません」

 菅原は笑顔で挨拶をした。嫌みのないその物腰は、相手から上手く情報を引き出すために自然と身についた術なのであろう。

 彩那も横から会釈した。

 女子大生は妙な二人のコンビを見て、

「もしかして、盗まれたお金が戻って来たのですか?」

 と切り出した。

「いや、まだそういう段階ではないんです」

「なあんだ」

 彼女のはやる気持ちにすっかり水を差してしまったようだ。もうこれ以上話すことはないといった表情を浮かべた。

 菅原は彩那に目配せをして先を促せた。

「ひったくり事件のことですが、少し訊きたいことがあります」

「どんなことでしょうか?」

「当日の服装はどんな風でしたか? できるだけ細かく教えてください」

「服装、ですか?」

 女子大生は怪訝な顔をした。

「そんなことが事件解決に結びつくの?」

「いえ、まだ分かりません。でも、ぜひ聞かせてください」

 そんな女子高生の熱意に迷惑そうな表情を見せたが、

「あの日は確か……」

 視線を宙に浮かべて考え始めた。

「ああ、そうだ。バッグをひったくられた時に転んで、足にアザが残ったのよね」

 彼女は膝の辺りを擦った。

 彩那は黙ったまま、我慢強く相手の返答を待った。

「そうそう思い出した。短いスカートを穿いてましたね。上は黄色のマリンパーカー」

 ファッションに疎い彩那には想像するのが難しかった。

 それを悟ったのか、

「写真か何か、ないですかね?」

 隣から菅原が助け船を出した。

「別の日に撮った写真ならありますよ」

 彼女はスマホを取り出すと、手際よく操作して写真を見せてくれた。

 友達数人と並んで撮った写真だった。笑顔で映っている。横画面には上半身しか収まっていないので、スカートの方は不明である。

「スカートの特徴は?」

「ええっと、ミニスカートです。赤いチェック柄の」

 菅原がメモを取っている。

「彩那、自宅に帰ったら写真を撮って転送してもらいなさい」

 イヤホンからフィオナの指示が来た。

「はい」

 女子大生には言われた通りにお願いした。

「ちょっと後ろ姿を見せてもらえませんか?」

「いいですよ」

 彼女はゆっくり身体を回転させた。

「失礼ですが、身長は?」

「百五十五センチです」

 これも菅原が控える。

「当日の髪型はどんな風でしたか?」

「このままです」

 彼女は長目の髪を片手ですくい上げるようにした。

「ちょっと上に持ち上げたままでいてください」

 彩那は携帯で写真を撮った。首筋辺りのほくろに気がついた。ただ髪を下ろしているとそれも隠れてしまう。

「本当にこんなことしていて事件の解決に繋がるのですか?」

 女子大生は大いに不満を漏らした。


「では、次に行きましょう」

 女子大生と別れると、二人は車に乗り込んだ。

「次の被害者はフリーターの二十歳の女性です。自宅で会うことになってます。向こうからも何やら伝えたいことがあるらしいです」

 面会の段取りはフィオナが順番につけているらしかった。

 彼女はマンション住まいだった。一階ホールのカメラで確認を受けて、エレベーターで指定階まで上がった。

 ドアが開くと、髪の長い女性が顔を出した。

「警察はまだ捜査を続けてくれていたのですね」

 と感嘆の声を上げた。

 管原は苦笑して、

「もちろんですよ。我々は連日捜査に当たっています」

「そちらから何の連絡もないので、もう打ち切りなったのかと思ってました」

「そんなことはありません。今でもちゃんと捜査は行っています」

「それはどうも」

 彼女は制服姿の彩那を不思議そうに眺めてから、二人を中に招き入れてくれた。

「ところで、お話したいことというのは何ですか?」

「これを見て下さい」

 彼女は宅配便の段ボール箱を差し出した。

「今日送られてきたのです」

「中を見てもいいですか?」

 菅原がすかさず言った。

「どうぞ」

 彼は白手袋をはめてから受け取った。彩那はその様子を黙って見ていた。

 箱を開けると、ハンドバッグが出てきた。さらにその中からはキャッシュカード、銀行通帳、財布などが次々と顔を出した。

「これは二週間前に被害に遭った物ですね。全て揃っていますか?」

「はい」

「現金も手つかずですか?」

「そうです」

「これは犯人から送り返されてきたということになりますね」

 菅原は目を光らせた。

「ええ。でも私、逆に気持ち悪くて」

「貴方の住所をどうやって突き止めたのですかね?」

「これですよ」

 彼女は財布の中から運転免許証を取り出した。なるほど現住所が記載されている。

 それから、彩那が事件当日の服装や髪型などを尋ねた。実際身につけていた服を用意してもらって写真に収めた。

 先の女子大生との共通点は、身長、髪の長さ、そしてミニスカートだった。しかしそれは単なる偶然かもしれない。

 最後に後ろを向いてもらい、長い髪を上げてもらった。

「首の辺りにほくろはありませんか?」

 と彩那は尋ねた。

「別にありません」

 しかしよく目を凝らすと、首の付け根辺りに、肌色の濃淡がうっすらと異なる長方形の箇所があった。

「日焼け跡がありますね?」

 彩那が指摘すると、

「ああ、それは仕事で首筋を痛めて、しばらく湿布をしていたからです」

 と答えた。

「それは、事件当日もしていましたか?」

「どうでしょう、たぶんその頃だったとは思いますが……」

 彩那に代わって菅原が、

「その点は正確に思い出して頂けませんか? 分かったらご連絡を下さい」

 と畳みかけた。


 二人はマンションを後にした。もうすでに夕刻を迎えていた。

「管原さん、これってどういうことですかね?」

 彩那が押収した宅配便の箱を指さした。

「犯人が強奪した品を送り返してくるなんて、聞いたこともないですよ」

 被害者には申し訳ないが、ハンドバッグや中身の品々も預かってきた。指紋の採取をするためである。

 犯人は一度奪った現金をわざわざ返却してきた。ひったくりはまるで遊びと言わんばかりである。ここへ来て、犯人の意図が読めなくなった。

「フィオナさん」

 管原が呼び掛けた。

「事情は聞きました。今、被害者全員に連絡を取っています。他にも返送されてきた事例がないか確認中です」

 フィオナはすでに手を回していた。

 その日、彩那たちはさらに被害者四人と面会することができた。

 彼女たち全員に完全に一致する共通点はなかった。しかしある程度似通った点は確認できた。それは身長が百六十センチ未満、事件当日、髪は長く、ミニスカートを着用し、高目のヒールを履いていたことだった。

 なお調査によれば、犯人から被害品が返却された事例は他にはなかった。しかしこれは奪ったバッグの中に、現住所を確認できる物が入っていなかったからではないか、そうフィオナが言った。

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