第12話 フィオナとの対決
いよいよ水曜日がやって来た。
前回の出動後、木曜そして金曜と犯行が続いたが、それ以降は起きていない。よって彩那は、今日こそ犯人が現れるのではないかと予想した。
やはり今回も、トイレの個室に籠もって着替えをした。心配していた、おばあさんの変装ではなく、年頃の娘はほっとした。ただ前回と異なり、長い髪のウィッグを付けることになった。
梨穂子に見送られて、菅原刑事の覆面車に乗り込んだ。現場に出る時は多少の不安がつきまとうものだが、隣に龍哉がいてくれるとそれも和らぐ。
フィオナから着信があった。ワイヤレスイヤホンを装着して出る。
「彩那、今日は二回目の出動になります。以前ほど緊張はないと思いますが、実は捜査員にとって慣れというのが曲者なのです。思い込みや手抜きが大きなミスにつながることがあるからです。初心にかえって、謙虚な態度で慎重に臨んでください」
「分かってるわよ、フィオ。そんなことより、前回は犯人と遭遇できなくて、この一週間ずっと悔しい思いをしてきたのよ。だから今日はより一層張り切っているんだから」
「彩那が張り切ると碌な事にならないと、課長は言ってましたが」
「あのね、日本では身内のことを人前で悪く言うのが美徳とされるのです。いわゆる謙遜ってやつ」
「いえ、私には本気で言っているようにしか聞こえませんでしたが」
「もう」
車が現場付近に到着した。前回すっかり目に焼き付けた景色が広がっている。またこうして帰還したのだ、少々うんざりもする。しかし今回でケリをつけてやるのだ。彩那は静かな闘志を燃やした。
「では始めてください」
彩那の後方には龍哉がつけ、道路脇に停めた車には菅原刑事が待機している。これは前回とまったく同じフォーメーションである。
二度歩いてみたが、やはり何も起こらない。振り出しに戻って、三度目を開始した直後だった。
彩那の背後から乾いた人工音が聞こえてきた。ミニバイクのエンジン音である。それはゆっくりと近づいてくる。自然と胸がざわめく。
次の瞬間、
「気をつけろ!」
龍哉の声が耳に刺さった。
急に速度を上げたミニバイクは彩那の横を追い越した。と、同時に肩に掛かったハンドバッグをかすめ取った。
不自然な力が掛かって身体のバランスを崩した。しかしすぐに立て直すと駆け出した。
「彩那、止まりなさい!」
フィオナの指示が飛ぶ。
しかし咄嗟の出来事に身体が反射的に動いていた。考える間もなく、ミニバイクの後方目がけて体当たりを食らわせていた。見事、バイクは暴れ馬のように道路を転々と跳ね、そのうち運転者は我慢ならずと剥がれ落ちた。
道路に投げ出された男は、ふらつきながらも体勢を立て直した。獲物のハンドバッグには目もくれず一目散にその場を立ち去ろうとする。
「彩那はそこで停止! 後は菅原に任せなさい」
遠くから菅原刑事が迫っていた。犯人を挟みうちにすべく彩那も距離を詰めた。しかし横から龍哉が追い越していった。あっという間に犯人は二人の男に挟まれた。
菅原が全身をぶつけて犯人を投げ飛ばした。フルフェイスのヘルメットが路面に打ち付けられる鈍い音が響いた。
全体重をかけて動けなくすると、すぐに手錠を打った。
「午後3時55分、現行犯逮捕です」
フィオナの声は落ち着いていた。
龍哉はその一部始終を間近で見て、それから彩那のところへ駆け寄ってきた。
「大丈夫か?」
「全然、平気よ」
彩那はガッツポーズを作った。
ヘルメットを脱がされた犯人は中年男だった。女性ばかりを狙った卑劣な犯人の顔を、彩那は睨みつけた。
五分程すると、サイレンを鳴らしたパトカーが到着した。
「ご苦労様です」
二人の制服警官が敬礼すると、犯人を車に乗せた。
「現場検証は、しないのですか?」
菅原刑事のすぐ横で、彩那が訊いた。
「現行犯逮捕に至るまでの映像や音声が自動で保存されていますから、おとり捜査班は、従来の報告書を作成する必要がないのです」
「なるほど、それは合理的ですね」
彩那は感心して言った。
「続いて、レッカー車が来て、証拠品のミニバイクを押収します。全員その場で待機してください」
そこでフィオナの通信は一旦途絶えた。
時間があったので、彩那は横倒しになったミニバイクをいろんな角度から観察した。
「どうかしましたか?」
フィオナの声が戻った。龍哉も菅原刑事も近寄ってきた。
「気のせいかしら? この前見たバイクとはどこか形が違うような気がするんです」
「先週の木曜日、おばあさんの自転車を修理した日ですね」
「はい。バイクが交差点を曲がっていくのを一瞬見たのですが、後ろの出っ張り具合が少し違うような気がします。かなり遠かったので断言はできませんが」
「ボディーの色はどうですか?」
「色は同じような感じでした」
「分かりました。菅原刑事、そのバイクの写真を全方向から撮ってください」
「了解」
ようやくレッカー車が来て、係員がバイクを手際よく積み込んだ。出発するのを見届けてから、三人は車に乗り込んだ。
「菅原刑事、二人を自宅まで送ってあげてください」
「はい、分かりました」
車は現場を後にした。連続ひったくり事件はこれで解決したのだ。もうこの場所に来ることもないだろう。彩那の心は充実感で満たされていた。
「フィオ、今回の得点は?」
嬉々として訊いた。今回は犯人逮捕に貢献したのである。早く評価が知りたかった。
「三十点です」
「低っ!」
意外な結果に頭が混乱した。
「どうしてそんなに低いのですか?」
「命令無視が二回、職務逸脱行為一回を合わせて、七十点の減点だからです」
「確かに止まれの指示には従わなかったけれど、おかげで犯人を逮捕できたのよ」
「いいえ、あなたがバイクに体当たりをせずとも、菅原刑事は逮捕しています」
「それじゃあ、私の行為は無駄だったと?」
「無駄というより、それはあなたの職務ではありません」
二人はどちらも譲らなかった。真っ向から対立した。
彩那の怒りは頂点に達していた。
「ちょっと、フィオ。さっきから聞いていれば何よ。これだけ頑張ったのに叱られてばかりでは、ちっとも割に合わないわ」
フィオナは何も応えなかった。
「お父さん、この会話聞いているんでしょ?」
彩那は声を荒らげた。
「私、おとり捜査班を辞めさせてもらいます。後はお母さんと龍哉と三人でやって頂戴」
彼女の激高に圧倒されたのか、誰も言葉を発する者はなかった。
「菅原さん、ここで降ろしてください」
運転手の肩を揺すった。
「しかし……」
「私はもう捜査班のメンバーではありません。ですから自分で帰ります」
「菅原刑事、車を停めてあげなさい」
フィオナの声が戻ってきた。
困惑した龍哉の顔をよそに、無言でドアを開けると、さっさと歩き出した。
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