第6話 倉沢彩那、出動!
彩那の頭は混乱していた。
父親の口から馴染みのない言葉が飛び出した。
「高校生おとり捜査班」――つまりそれは警察の仕事を手伝えということか。もしそうであるならば、答えはノーである。いくら実の娘とはいえ、仕事を強要させられる道理はない。父親である権利を振りかざし、何でも思い通りに事が運ぶと思ったら大間違いである。
何か効果的な反論はないだろうか。まずは心を落ち着かせようと、目の前のお茶を一気に飲み干した。
「ちょっと待ってよ。そんなの勝手に決めないで頂戴。私はまだ高校生なのよ。学校だって忙しいし、他にもやることがたくさんあるんだから」
「これは決定事項だ。お前の意見は聞いていない。従ってもらうだけだ」
「この際だから、はっきり言わせてもらうわ。私はお父さんの仕事が大嫌いなの。だから手伝うなんてまっぴらご免よ」
「この仕事のどこが嫌いなんだ?」
剛司は表情一つ変えずに訊いた。
「お父さんの仕事は、家族みんなを不幸にするだけじゃない」
「どういう意味だ?」
「龍哉の怪我だって、どうせお父さんが原因なんでしょ。我が子をよくもそんな危険な目に遭わせられるわね。結局、家族の幸せより仕事が優先ってことなんでしょ?」
剛司は黙っていた。彩那はそのまま続けた。
「いつだってそう。死んだお母さんだって、私だって……」
「分かった口を利くな」
大きな拳が机に打ちつけられた。彩那の湯飲みが横になって転がった。
部屋は静寂に包まれていた。
「二人とも落ち着いて」
梨穂子が両手を広げて割って入った。
彩那の目には涙が浮かんでいた。
剛司は椅子に深く腰掛けると、身体をのけ反らせ、大きくため息をついた。
「家族が一つになろうという時に、お前だけ逃げ出すと言うんだな?」
「龍哉もお母さんも、何とか捜査班の一員ってわけ?」
「そうだ。龍哉のおかげで、昨夜は連続コンビニ強盗犯を逮捕することができた」
「でも、それと引き替えに大怪我をしたじゃない」
「この捜査班はまだ警視庁の正式な部署ではない。高校生がいる家庭を選考して作った、いわば即席の組織に過ぎない。試行錯誤の段階である以上、予期せぬ出来事が起こることもある。だが、危険は最小限にすべく、十分配慮はしているつもりだ」
「そんなの綺麗事よ。龍哉にもしものことがあったら、どう責任取るつもり? 私、本当に心配したんだからね」
龍哉はその声に心を動かされたのか、彩那に強い視線を投げかけた。
「お前たちは父さんの子だ。だから能力も性格もよく分かっているし、もちろん信頼もしている。二人ならきっとこの仕事をやり遂げられると確信している」
彩那は不思議な気持ちになった。父親にうまく言いくるめられているようだが、龍哉がこの組織に参加しているのも事実である。それなら彼と同じ土俵に上がることで、もっと深く分かり合えるのではないか、そんな気もするのだ。
「とにかく、すぐに支度しろ。早速出動してもらう。詳しい話は後だ」
「支度って何するのよ?」
半ば諦めの気持ちだった。いくらもがいてもこの父親の娘であることに変わりはない。それならやるしか道はない。
「アヤちゃん、まずは着替えをするの。一緒に行きましょう」
梨穂子は優しく娘の肩を抱いた。
二人は女子トイレに入った。
「何よ、あのバカ親父。あいつのために、この仕事を引き受けた訳じゃないからね」
思わず梨穂子に抱きついた。母親は黙ったまま、優しく頭を撫でてくれた。
「さあ、これに着替えて」
手提げの紙袋が差し出された。中にはブラウスやスカート、何と下着までが入っている。
「お母さん、まさか全部着替えるの?」
「そうよ。アヤちゃんがどこに居ても分かるように、ブラジャーのカップの内側にGPSの受信機が縫い付けてあるんだって」
彩那には、何のことだかさっぱり分からなかった。それでも奥の個室に入って、学校の制服を脱いだ。
確かにブラジャーにはずっしりと重みがあった。胸にあてがうと少し冷たく感じたが、体温によってその感覚も次第に薄れてくる。身体を動かすと多少の違和感があるが、慣れれば何ともないだろう。何よりも、装着した途端、胸のサイズが劇的な変化を遂げたことが嬉しかった。
「アヤちゃん、どうか怒らないで。お父さんは口下手だから、本音で語れないところがあるのよ。だから、ああいった命令口調になっちゃうの」
外から梨穂子がそんなことを言った。
それには応えず、白いブラウスとスカートを着用した。
「お母さん、眼鏡ケースが入っているけど、これはどうするの?」
「それはトイレを出てから掛けて頂戴。イヤホンもあるから忘れずに。おとり捜査班として出動する際の基本装備よ」
着替えを済ませて個室を出た。
「アヤちゃん、とっても可愛いわよ。どこから見ても女子大生だわ」
梨穂子が大袈裟に褒めてくれた。普段ファッションには無頓着な彩那だったが、鏡の中にまるで別人が映っているの見て、実に新鮮な感じがした。
母親に連れられて駐車場まで戻った。
管原の運転する覆面パトカーがすでに待機していた。後部座席には龍哉が座っている。いつもと違う彩那の姿に、彼の目も自然と吸い寄せられた。
「アヤちゃん、くれぐれも無理はしないでね」
窓の外で梨穂子が小さく手を振った。
「では現場に急行します」
管原はアクセルを踏み込んだ。
「彩那さん、先程渡されたスマートフォンを準備してください」
「は、はい」
すぐに着信があった。
「出てください」
「もしもし?」
「初めまして。私はフィオナ・アシュフォード。おとり捜査班の指令長を務めています。現場に出る際は、常に私の指示に従ってください。いいですね?」
どうして外国人が、と考えるよりも先に、流ちょうな日本語が不安感を取り除いてくれた。時折異国の抑揚が顔を出すが、コミュニケーションに問題ない。
ぼんやりしていると、龍哉が肘で突いてきた。
「わ、分かりました」
彩那は慌てて応えた。
「この電話に関しては、常に全者通話となっており、捜査班全員が共有しています」
「はい」
「会話の内容は全て記録されています。後日裁判や捜査資料で使用されることがあります。ですから発言はそれを十分理解した上で行ってください」
「はい」
車は首都高に乗った。
「捜査員であることを口外してはなりません。また事件の内容について公務員の規定同様、守秘義務が発生します。違反した場合は厳しく罰せられます。いいですね?」
「はい」
「では事件について説明します。
最近東区で一人歩きの女性を狙ったひったくり事件が多発しています。発生件数は十三件に上り、被害額の合計は三十万円を超えました。手口は共通しており、後ろからミニバイクで近づいて、追い越しざまにバッグをひったくるというものです。これまで怪我をした被害者はいませんでしたが、先日抵抗した高齢女性がナイフで切りつけられました。全治二週間の重傷です。ここへ来て犯人は凶暴化しつつあります。そこでおとり捜査班に出動要請が出されました」
「あの、フィレオさん。質問してもいいですか?」
彩那は恐る恐る訊いた。
「フィオナです。フィオと呼んでください」
「すみません、フィオ。つまり、私はそのおとりになればいいのですね?」
「そうです。あなたの仕事は一般人を装って犯人をおびき寄せ、素直にバッグを奪わせることです。犯人逮捕は菅原刑事が行います。よって危険な目には遭うことは決してありません。その点は安心してください」
「分かりました」
彩那は憮然とした調子で言った。
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