第5話 高校生おとり捜査班、拝命
間髪入れず、今度は龍哉の携帯が音を奏でた。
彼の手に握られているのは、見たことのない新型のスマートフォンだった。そんな高価なものをいつ買ってもらったのだろうか。同じ兄妹でありながら、所持品に差があり過ぎる。彩那は不満に思った。
「了解」
随分と短い通話だった。
龍哉は彩那に近づくと、
「さあ、行くぞ」
と言った。
その声に促されるように、
「先輩、家の急用ができまして、今日のところはこれで失礼します」
それから奏絵の方を向いた。
「ごめんね」
「いいよ」
一人残される彼女は、どこか不安そうな表情を浮かべている。
「龍哉くんも一緒に帰っちゃうの?」
神城みゆきをはじめ、女子部員は全員残念そうな顔を並べている。
「はい。日を改めてまた来ます」
しかし彩那はこれはむしろ好都合ではないかと考えた。龍哉がこの場から消え去れば、奏絵が話題を独占することになるからである。
階段を駆け足で下りながら、
「さっきの電話、お父さんから?」
と訊いた。
「ああ」
先を行く龍哉は振り返らずに答えた。
二人が校門を出ると、程なく一台の乗用車が横付けした。助手席のウィンドウが降りて、若い男が顔を出した。
「お父様から頼まれた者です。乗って下さい」
二人は後部座席に乗り込んだ。
「彩那さん、初めまして。私は管原
「ど、どうも」
「龍哉くん、傷の方はどうですか。まだ痛みますか?」
「もう大丈夫です」
龍哉の怪我はやはり事件絡みだったのだ。彩那はすぐに理解した。
運転台に目を遣ると、タブレットや無線機などの特殊機器がずらりと並んでいる。どうやら覆面パトカーらしかった。通信指令室と各移動のやり取りが絶えず飛び込んでくる。
管原の運転する車は、サイレンを鳴らすことなく、都内をしばらく駆け抜けて、最後は地下駐車場へと滑り込んだ。
「お二人ともここで降りて下さい」
ひんやりとしたコンクリートの空間に、ドアの開閉音だけが響いた。一体これから何が始まるというのだろうか。
龍哉は慣れた様子である。以前ここへ来たことがあるようだった。
導かれる通り、エレベーターで上階へと向かった。
廊下を進むと、制服警官と何度もすれ違った。彩那に緊張がみなぎる。
「ここって警視庁なんですか?」
「そうですよ」
管原は優しい笑顔で言った。
随分と歩かされた。そして薄暗い廊下の突き当たりで、ようやく立ち止まった。
「ここです」
管原はノックしてドアを開けた。
目の前にはさらに寂しい空間が待ち構えていた。廊下よりも暗い照明、天井まで乱雑に積み上げられた段ボール箱、それはいかにも倉庫といった感じであった。
「ご苦労だったな」
見覚えのある大きな背中がゆっくりと振り返った。彩那の父親、
「お久しぶりですね、お父さん」
彩那は嫌味たっぷりに言った。父は最近ろくに家に帰ってこない。今朝も一瞬顔を合わせたが、何も会話は生まれなかった。
「たまには家族団らんっていうのもいいだろう?」
剛司はめずらしく笑って言うと、さっさと自分だけ椅子に掛けた。
「二人ともお掛け下さい」
菅原が椅子を引いてくれた。
「ちょっと待って。家族団らんって、お母さんもここへ来るわけ?」
「ああ、もうすぐな」
すぐにドアがノックされて、梨穂子が顔を覗かせた。
「お母さん!」
てっきり冗談と思っていたら、本当に家族四人が揃ってしまった。
「さあ、これからみんなで食事をするぞ」
「えっ?」
彩那は耳を疑った。こうして家族全員が外で集うのは初めてのことである。外食にでも出掛けるというのだろうか。それにしては妙な案配である。
「こちらをどうぞ」
管原が段ボール箱から仕出し弁当を四つ取り出した。
「今、お茶を用意しますから」
そう言い残して、部屋の外へ出ていった。
彩那の目の前には今、冷たい弁当が置かれている。まっ先に箸をつけたのは剛司だった。
「ちょっと、どういうつもりなの、お父さん?」
「少し早いが晩飯だ」
ぶっきらぼうに言った剛司の隣で、
「アヤちゃん、まずは頂きましょう」
梨穂子が優しく言った。そんな風に言われては逆らうこともできない。黙って冷たい弁当をつつき始めた。
「彩那。お前、父さんに話すことがあるんじゃないのか?」
「えっ?」
まさか、例の傷害事件をすでに察知したというのか。もしそうなら、警視庁の情報収集能力は甘く見てはならない。
「そりゃ、反省してますよ。でも私だって悪気があったわけじゃないし。今後はもう少し女らしくする努力をいたします」
父親は顔を上げると、鋭い眼光を向けた。
「ごめん、お父さん。もしや始末書書かされて、減給になっちゃったとか?」
「お前、頭大丈夫か?」
「ん?」
「父さんの言ってるのは、演劇部のことだ。もう入部は済ませたのか?」
その件だったか。彩那は胸を撫で下ろした。心にやましいことがあると、自然と口数が多くなってしまう。
「言われた通りにしたわよ」
「だったら、せめてご飯を食べる時ぐらい、楽しそうな演技をしたらどうなんだ」
「おあいにく様。まだ入部したばかりで、役を演じる練習はしてないの」
「でも、アヤちゃんは可愛いから、すぐに主役の座を射止められるわよね」
横から梨穂子が言った。
「それだったら、龍哉の方が断然向いてます。先輩たちから異常なくらい可愛がられているんだから」
「どうしてまた?」
母親は不思議そうな顔をした。
「お茶をお持ちしました」
管原が大きなやかんで、一人ひとりにお茶を注いでくれた。
食事が終わって一段落ついたところで、剛司は彩那の目の前に小さな箱を置いた。
「これはお前のだ」
「何よ、これ。プレゼント?」
「いいから開けてみろ」
中からはずっしりと重い、高級感溢れるスマートフォンが出てきた。さっき龍哉が持っていたのと同型である。やはり妹の分も用意してあったのだ。同じ家族なのだから、当然と言えば当然である。彩那は自然と頬が緩んだ。
「取り扱いには注意しろ。警視庁の官給品なんだからな」
「カンキューヒン?」
「そう、公務に就く者が貸与される物なの」
梨穂子が諭すように言った。
「ちょっと待って。公務って?」
「今日からお前は、『高校生おとり捜査班』の一員になる」
「はあ?」
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