第4話 二人の新入部員
次の日の朝、珍しく父親の姿があった。
しかし娘の姿など目に入らないのか、慌ただしく何かの準備をしている。
「喪服はどこだ?」
「タンスの一番端に吊してあったと思うけど……。あら、見当たらないわね」
母、梨穂子はいつもマイペースである。もともとのんびりした性格で慌てるということを知らない。そんな彼女が、毎日通信指令室で都民の緊急通報をさばいているというのだから信じられない。しかし考えてみれば、通報者を落ち着かせ、現場の警察官に的確な指令を出すには、こういった性格でなければ務まらないのかもしれない。
「おはよう。どうかしたの?」
「アヤちゃん、おはよう。急にお通夜ができてね」
梨穂子は喪服を手に持ったまま答えた。
「それじゃあ、手伝ってくる」
父親は娘の顔に一瞥をくれただけで出ていった。
梨穂子は彩那の肩にそっと手を掛けると、
「お父さんったら面白いのよ。自分で片付けておいた喪服がない、どこへしまったんだって探し回っているんだから」
今はそんな父親のことはどうでもよかった。
気になるのは、龍哉の怪我の具合である。包帯から滲み出していた血の様子からすると、昨夜はほとんど寝られなかったのではないだろうか。
居間を覗いてみた。だが、いつもあるはずの龍哉の姿はなかった。
梨穂子はと言えば、今度は朝の準備に追われている。夜勤明けにもかかわらず、こうして朝ご飯や弁当まで用意してくれる母親には感謝の言葉もない。
「お母さん、昨日龍哉が怪我をして帰ってきたの。知ってる?」
「アヤちゃん、心配掛けてごめんね。あの子なら大丈夫よ。今はまだ寝てるけど、後から病院で診てもらってくるから。学校には遅刻するって電話しておいたわ」
「それならいいんだけど」
とは言ってはみたものの、彩那の心は晴れなかった。龍哉が入院することにでもなったら一大事である。それに今日は一緒に演劇部へ行って、入部届を出す約束だったのである。
居間のテレビがつけっぱなしになっていた。画面にはローカルニュースが流れている。
彩那は目を見張った。
昨夜コンビニを襲った強盗犯が逮捕されたと伝えている。毎週火曜日の深夜に連続で発生していた事件は、勇敢なアルバイト店員のおかげで無事解決したという。しかし彼は犯人と揉み合った際、ナイフで切りつけられ、全治一週間の怪我を負ったらしい。
画面には現場となった店の外観と、ドアやレジ付近に群がって、指紋採取をする鑑識官の姿が映し出された。
(まさか、その店員というのは龍哉のことではないのか?)
彼は火曜日になると決まってどこかに出掛けていた。この店でアルバイトをしていたのではないだろうか。昨夜は偶然にも強盗犯と遭遇し、激しく抵抗したために傷を負った。十分あり得る話であった。
「龍哉って、コンビニでバイト中に怪我をしたの?」
キッチンにいる梨穂子に声を掛けた。
「いいえ、違うわよ」
あっさりと否定した。そのくせ、それ以上は何も言わなかった。しかしそれはどこか不自然だった。実は何かを隠しているのではないか、そう直感した。
彩那はいつものように一人で学校に向かった。昨夜は龍哉と打ち解けた気がしていた。それで今朝は一緒に登校できるのではないかと目論んでいた。しかし龍哉は結局顔を見せてはくれなかった。何だか肩すかしを食った気分になった。
背後にただならぬ気配を感じて、思わず振り返った。
「おお、倉沢か。いきなりびっくりするじゃねえか」
同じ中学出身の
「それはこっちの台詞よ。一体何を企んでたの?」
右手には小型のデジタルカメラ。人差し指が不自然に曲がっているところを見ると、今まさにシャッターを押す瞬間だったらしい。
「お前の制服姿があまりにも魅力的で、写真に収めずにはいられなかったんだよ」
「またまた、そういう見え透いた嘘をつく」
「いや、本当だよ。実は龍哉と三人で記念撮影しようと、わざわざ持ってきたんだ」
「残念ながら、龍哉は来ないわよ」
「どうして?」
「さあね」
彩那は小柴内を尻目にさっさと歩き出した。
友達ならば、バイトの件は聞いているだろうか。さすがに昨夜の大怪我のことは知らないとは思うが、それでも彩那の知らない情報を何か持っているかもしれない。
しかし他人を介して龍哉のことを探るのは、何だか後ろめたい気もする。開き掛けた口をそっと閉じて、言葉を飲み込んだ。
「お前と龍哉は仲が悪いからな」
何気ない言葉が彩那の心をえぐった。
「あら、そんなことないわよ。最近はいろんな話もしてるんだから」
「そういう割には、いつも一緒にいないじゃねえか」
「別にあんたには関係ないでしょ」
「おっと」
小柴内は軽いジャブ攻撃をかわした。
「フンだ」
彩那が足早に立ち去ろうとすると、歩幅を合わせて真横に並んできた。
「そう言えばお前、職務中の警官に危害を加えたって話じゃねえか。それって公務執行妨害に当たるんだぞ」
「うるさいわね。そんなんじゃないわよ」
「まあ、そう怒るなって。俺はお前の味方だぜ。事の顛末を詳しく聞かせてくれないか?」
すかさず小型の手帳を取り出すと、ボールペンを立てて速記の体勢に入った。
「警官を投げ飛ばした時の決め技は?」
妙に身体を近づけてくる。
「ちょっと、一体何のつもり?」
「取材だよ、取材。俺はこう見えても新聞部なんだ。校内新聞でこの事件を取り上げるんだよ」
「そんなの止めてよ」
「写真入りで大きく載るんだぜ。学園の悪のヒーロー、倉沢彩那。独占インタビュー!」
「そこはヒーローじゃなくて、ヒロインじゃないの。っていうか、取材なんてお断りよ」
彩那はさらに足を速めた。
「待ってくれよ」
「そんな校内新聞、廃刊に追い込んでやるんだから」
「まさか新聞部に殴り込みをかける気じゃないだろうな。我々記者は暴力には屈しないぞ」
「もう、勝手になさい」
小柴内はそうやって彩那を散々もてあそんだ挙げ句、
「そうそう、お前演劇部に入ったんだって?」
「どうして、あんたが知ってるのよ?」
「だって俺、演劇部だもん」
彩那は目を丸くした。
「ちょっと待って。あなた、さっきは新聞部って言ったじゃない」
「掛け持ちしてるのさ」
得意げに鼻を鳴らした。
「だけど、あなた演劇にこれっぽっちも興味なさそうじゃない?」
「俺もそんなつもりはなかったんだけど、出入りするうちに何となくね」
「何よ、出入りって?」
「演劇部って、可愛い子が多いって噂でさ。取材を名目に何度か行き来しているうちに、どうやら先輩に気に入られたみたいでね」
「いやらしいわね、もう」
そこまで言ってから、ふと思い至った。
「もしかして、龍哉のファンクラブの話、あんたが持ち掛けたんじゃないでしょうね?」
「あれ、何で知ってるの?」
「あちゃー」
彩那は額に手を当てて、天を仰いだ。
その日の授業は上の空だった。龍哉のことが心配でそれどころではなかったのだ。いやそれだけではない。どうしてコンビニでバイトをしていることを家族ぐるみで隠しているのか、その訳も知りたかった。
休み時間になる度に、龍哉の教室を覗いてみたが姿はなかった。病院での診察が長引いているのだろうか。
龍哉と会えたのは、放課後になってからだった。人気のない教室に白いTシャツ姿で、右腕には大袈裟な包帯が巻かれていた。
彩那は少し躊躇ったが、それでも教室にのりこんだ。
「ちょっと、話があるんだけど」
先に教室を出ると、龍哉が追いかける格好になった。
「演劇部に連れていってくれる約束だったな」
「何、呑気なこと言っているのよ」
廊下の隅で詰め寄った。
「その腕の怪我は、コンビニ強盗にやられたの?」
彩那は一瞬の顔の変化を見逃さなかった。
「さあな」
「とぼけないで頂戴。それとも、私には言えないわけ?」
「ああ」
恐らく両親には、バイトをしていることは伝えてあったのだろう。しかし彩那にはそれは言えないという。同じ家族でありながら、今は疎外感しか湧いてこなかった。これまでも、そしてこれからも本当の家族にはなれないのだという寂しさがこみ上げてきた。
「あら、こんなところで何しているの?」
うつむいた顔を上げると、奏絵の姿があった。
すぐに龍哉に気づいて、
「こ、こんにちは」
と、ぎこちない挨拶をした。
「奏絵、こんな奴のことはいいから、行きましょ」
そう言うと。友人の手を引っ張ってさっさと歩き始めた。
「お兄さんと何か話してたんじゃないの?」
その声に被せるように、
「さあ、これから入部届を出しに行くんでしょ」
彩那は後ろを振り返ることなく、真っ直ぐに進んだ。
龍哉が演劇部に入れば、先輩女子から思う存分ちやほやされることだろう。それもまた気にいらなかった。
部室のドアを威勢よく開けた。
「入部希望者を連れてきました」
彩那の声にひとたび部室は沈黙すると、その後歓声が沸き上がった。奥から神城みゆきが飛び出してきた。
「倉沢さん、早速倉沢くんを連れてきてくれたのね」
「えっ?」
振り返ると、龍哉が遠慮がちに廊下に立っていた。どうやら後をつけてきたらしい。
「いえ、そっちは関係ありません。入部希望者はこの子です」
奏絵の身体を差し出した。
「まあ、可愛い子」
「筑間奏絵です。よろしくお願いします」
彼女が会釈すると、続いて廊下から、
「倉沢龍哉も入部を希望します」
と宣言した。
「ええっ?」
蜂の巣をつついたような騒ぎが起こった。
「倉沢くんも、演劇部に入ってくれるのですか?」
目の前のみゆきは驚きを隠せない様子である。
「はい」
部室は歓声の渦に包まれた。あちこちから拍手が起こった。
「入部してくれて、ありがとうございます」
みゆきは彩那と奏絵を両脇にどけると、涙ながらに龍哉と握手を交わした。
やはり予想通りの展開だった。奏絵だって大事な新入部員である。それなのに龍哉ばかりを歓迎する演劇部の雰囲気は許せなかった。
そんな中、突如彩那の携帯が鳴り出した。画面を確認すると、驚くべきことに父親からであった。こんな風に連絡をもらったことは一度もない。何か緊急の用件だろうか。
「もしもし?」
部屋の隅で応じた。
「まだ学校に居るのか?」
「はい」
「龍哉も一緒か?」
「ええ、目の前に居ます」
「よし、二人ともすぐに帰り支度をして校門で待て。十分後に迎えをやる」
「はい?」
通話は一方的に切れた。
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