第2話 彩那と龍哉

 そんな仲むつまじい二人の上に、突然人影が覆い被さった。背の高いその人物は、逆光で顔が見えなかった。

「今日の晩飯は?」

 ぶっきらぼうな声が容赦なく彩那あやなに降りかかる。

「えーと。パスタよ、パスタ」

 つっかえ気味に答えた。予期せぬ質問に咄嗟に反応できなかったのだ。

「じゃあ、パスだ」

「え?」

「今夜は出掛けるから、俺の分は要らない」

 その人物は、そう言い残して姿を消した。

 彩那はしばらく放心していたが、突如我に返って、

「あいつ、自分勝手なんだから」

 と口を尖らせた。

「今のって、もしかしてお兄さんの……」

「そう、龍哉たつやよ」

「久しぶりに会ったわ、中学以来ね。何だか随分と大人びたみたい」

 奏絵かなえは感慨深げに言った。

「ちょっと、ちょっと。倉沢さーん」

 今度は校舎の陰から二人の女子が駆け出してきた。

 誰かと思えば、演劇部の部長、神城かみじょうみゆきとその友人である。彩那は軽く頭を下げた。

「ねえ、ねえ。今の子って、倉沢龍哉くんでしょ?」

 みゆきの声はやけに弾んでいる。

「はい、そうみたいです」

「ひょっとして、知り合い?」

「知り合いも何も、同じ苗字で同じ家に住んでますから、世間で言うところの兄妹ってやつです」

「うわあー」

 先輩二人は互いに顔を見合わせて、ハイタッチをした。

「そうよね、どちらも倉沢ですものね。盲点だったわ」

「もしかして、双子?」

 左右から口々に言った。

「まあ、そんなところです」

 実はこれに関しては複雑な事情がある。他人に事細かく説明する気にはなれない。隣にいる奏絵はこの辺りを心得てはいるのだが。

「倉沢さん、今度倉沢くんを紹介してよ、お願い」

 みゆきが拝むように言った。

「演劇部に入るように頼むってことですか?」

「ううん、そんな無理なお願いはしないわ。ただお友達になりたいだけよ」

「私たち、前から彼のファンクラブを結成してたの」

 もう一人の先輩が言った。

「ファンクラブ?」

「あれ、知らなかった?」

「初めて聞きましたよ。それって会費制ですか?」

 彩那は怪訝そうに訊いた。

「あら、あなたも興味あるの?」

「いいえ、ただファンクラブってどんな運営なのかと思いまして」

「安心して頂戴。マネージャーからは会費取らないから」

「誰がマネージャーですか、誰が」

「そういう訳だから、話だけでも通してくれない?」

「分かりました。一応声は掛けておきます」

 渋々応じると、二人はやっと解放してくれた。


 辺りは再び静けさを取り戻した。今は噴水の音だけが響いている。

「根掘り葉掘り、訊かれなくてよかったね」

 奏絵は、ぼそっとそんなことを言った。

 実は彩那の母親は五年前に亡くなっている。そして去年、父親は同僚の女性と再婚した。龍哉というのは彼女の連れ子である。つまり二人は異母兄妹ということになる。

「でも、驚いちゃった。彩那がお兄さんの夕飯作ってるの?」

「毎日って訳じゃないわよ。お母さんが仕事で遅くなる時に、あいつと交代で作ってるの」

「ふうん。大変ねえ」

「もう慣れたわ。それに食事といっても、大したものは作らないから」

「作らない、じゃなくて、作れないでしょ?」

 奏絵は実に痛いところを突く。彼女は料理の腕も人に誇れるほどなのだ。こうなると、最早、嫉妬心しか湧いてこない。

「ところで、龍哉さんはどんな料理を作ってくれるの?」

「あいつはもっぱら冷凍食品。レンジで温めるだけ。それに比べて私の方は、心を込めた手料理を作っているわけですよ。感謝はされてないみたいだけど」

「龍哉さんの料理、見てみたいわ」

「そっちかい」

「だって彩那の作る物は、大体見当がつくもの」

 それから急に手を叩いて、

「そうだ、今度手伝いに行こうか?」

 と言った。

「ぜひ来てよ」

 それは願ってもない申し出だった。一緒にキッチンに立てば、彼女から学ぶことは大いにあると思われた。こんなチャンスを逃す手はない。

「ところで、二人の仲はどうなってるの?」

 新しい家族構成になってまだ一年足らず。母親はともかく、その息子は心を開いてはくれない。同じ年齢でありながら性別が違うので、どこか変な遠慮があるのかもしれない。もしくは彩那のような女子には何の興味も湧かず、無視を決め込んでいるのかもしれない。

「家では食事以外、互いに干渉しないことにしてるのよ」

「何だか寂しい話よね。男女が一つ屋根の下に暮らしていれば、普通は愛だの恋だのに発展するんだけどな」

「恋愛小説の読み過ぎじゃないの。私たちは兄妹ですから」

「そこは、ほら、禁断の恋ってもあるじゃない?」

「あのねえ」

 彩那は鼻から大きく息を出した。

「龍哉さんって、見た目はちょっと怖いけど格好いいじゃない。ひょっとして、もうすでに彼女がいたりして」

 奏絵はうっとりした目で、一人の世界へと旅立った。

「おーい、もしもーし」

 そう言えば、思い当たる節があった。

 ここ最近、いつも火曜日は外出して帰りが遅い。食事も外で済ませてくる。密かに誰かと会っているのだろうか。

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