彼が辞したあと、いつも通りレッスンを開始した。先ほども言った通り、もう何枚かデッサンをさせて画題を決めてもらっても良かったが、いざ決めてからテンペラの支持体を作って、下絵を写して着色して…となると途方もなく時間がかかりそうだったので、デッサンと支持体作りを隔週ごと、同事進行にすることにした。泉にそれを話すと「ずっと同じ内容だったら飽きちゃいそうだけど、それだったら楽しくていいね」と無邪気に快諾した。

 とはいえ、作業工程を教えて泉がそれに取り掛かっている間は、見守りはするが少し手持ち無沙汰になる。江島はふと問いかけた。

「澤藤さんて、学校ではどうなの」

「え、普通だよ?」

 支持体の上に滑らせていたサンドペーパーの手を止め、泉は顔を上げた。

「えっと、そうじゃなくて。えーと、なんて言ったらいいのかな。なんかすごく緊張していた感じだったけど、学校でもああなの?」

「うーん、そうね。いつもおとなしい感じかしら。」

 可もなく不可もない返答。では、江島が「捉えた」彼の視線を泉は気づいているのだろうか。「じゃあ、泉はあの人のことどう思ってる」

「私は…特に普通だけど…」

 と、泉はなぜか顔を輝かせ始めた。

「かたせちゃん?あれあれ?もしかして…」

 すぐに江島はその意味を察し、しまったと思ったが後の祭りだった。

「いや、あのそうじゃなくて…」

「なんだあ、そうだったのね。」

「今のは単に」

「いいのよ、そっかあ。かたせちゃんと澤藤くん、うーん中々ありかも」

 すっかりサンドペーパーを脇に置き、机に肘をついて手のひらに顎を乗せる、いわゆる「夢見る乙女ポーズ」をしている泉を前に、江島は説明しようという気力が萎えていくのを感じていた。

「もう、そんなことはどうでもいいの。早くやすりがけ終わらせようよ」

「はあい、」

と、再びサンドペーパーを手に取った泉だったが、

「そうだ! 澤藤さんの肖像画描いてみたら?こないだ、半年後の展覧会に出す絵を描こうとしてたんじゃない? やったね!展覧会のテーマも決まったし、澤藤さんにもたくさん会えるよ!」

「ああ…」

 江島は話半分で返事をした。

 泉の言う通り、江島は地元で制作活動を行っている作家数人と共同で年明けに展覧会を開くことになっていた。今までの作品を持ち寄っても良かったのだが、折角ならば新作を持ち込みたかった。

 本来ならば、もう描き始めていなければいけないのだが、あいにく画題がまだ定まっていなかった。しかし、そのモデルを澤藤に頼むとなると、と江島は頭の中で彼を額縁におさめてみようとしたが、やはり額縁の中には黒縁眼鏡が宙に浮いているだけだった。

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