第97話 属国2

 レンが勘違いをしたその翌日。

 ノイスバイン帝国の首都、シュレーバル城の一室では、皇帝オヴェールとその重臣たちが顔を突き合わせていた。

 オヴェール以外は表情は暗く、酷く落ち込んだ様子で項垂れている。


「そんな辛気臭い顔をするな。国のことを思えば竜王国の属国になるのは悪いことではない」


 オヴェールの言葉に、今は三大貴族の一人であるライセルが顔を上げた。


「しかし陛下、竜王国とて扱いやすい身内を皇帝に据えたいと思うはず。もし、皇帝の首を差し出せと言われたら如何されるおつもりですか?」

「よいではないか。私の首一つで国の繁栄が約束されるなら安いものだ」


 そんなことかと、事も無げに告げるオヴェールに、みな一様に押し黙り何も言えなくなった。

 静寂した部屋の中で、三大貴族の最年長であるゼファインが重い口を開いた。


「陛下、今後に禍根を残さないためにも、一族郎党の首を差し出せと言われるやもしれませぬ。もし、そうなったらどうなさるおつもりなのですか?」


 オヴェールは少し困った顔をしてから視線を僅かに落とした。


「そうならないようにジュン殿と交渉するのだ。国の頭を差し替えるにしても、犠牲は私一人で済ませなければならない。本来であればオーガスト殿と直接話し合いたいのだがな……」


 その様子にライセルが疑問を呈する。

 オヴェールの政治手腕は決して悪くはない。食糧難で信頼は大きく失われたが、それでも多くの国民がオヴェールを支持している。

 食料が配給されてからは失われた信頼も回復しつつあった。

 それが何故、今になって属国に成り下がるのか不思議でならなかったのだ。


「陛下、何故ですか?属国にならずとも我が国は十分やっていけます。属国になる必要があるのですか?」

「我が国は竜王国の力添えがあって今の現状に至っている。そうでなければどうなっていたことか……。それに、ジュン殿が調整役として訪れるようになってからは、様々なことで力を借りてきた。ライセル候、貴殿の領内の港町も随分と世話になっているはずだ」

「確かにその通りですが、それでも属国になり下がるなど……」


 ライセルは言葉尻を濁した。

 北方にあるライセルの領内には港町も数多くあった。しかし、海には凶暴な魔物が数多く生息し、沖合に出るのは命を投げ出すに等しい行為であった。

 ライセルはそのことを一度ポツリとジュンの前で零したのだが、その数日後から何故か海から凶暴な魔物が姿を消した。

 後日、不審に思いジュンに尋ねたところ、子飼いのシーサーペントで魔物を掃討したと告げられたのだ。

 それから港町が潤ったのは言うまでもない。

 ライセルはそのことを思い出し何も言えなくなった。


「それに、食料のことだけではない。街道を作る際に領内の山を削って採取した鉱石のこともある」


 オヴェールが鉱石のことを切り出すと、ゼファインが興味深そうに訪ねた。


「そう言えば、ジュン殿が鉱石を受け取るようにと言っておりましたな。如何程だったのですか?」


 ノイスバイン帝国は食糧難を脱したとは言え、経済状況はかんばしくなかった。

 長年に渡り食料を買い支えてきた影響で金銭は底をついている。今は綱渡り状態で何とか政務官や衛兵の給金を支払えてはいるが、いつ支払いが滞ってもおかしくない状況にあった。

 もし、給金を支払えなくなれば国民の不信感は増すばかり、最悪、暴動が起こることも考慮しなくてはならなくなる。

 ノイスバイン帝国にとって金銭を集めることは急務となっていた。

 ゼファインの問いに、オヴェールは三大貴族で最も若いヴェルニューに視線を向けた。


「そう言えばまだ話していなかったな。ヴェルニュー候、皆に説明してくれないか」


 ヴェルニューはゼファインとライセルを交互に見て、おどけた様に笑ってみせた。


「竜王国からもたらされた鉱石ですが、聞いたら笑ってしまいますよ?」

「そんなに少なかったのか?」


 ライセルの言葉にヴェルニューは思わず高笑いを上げた。

 その様子にみな一瞬驚くも、暫くしてライセルは顔を真っ赤にして怒鳴り始める。


「おい貴様!いきなり笑い出すとは無礼であろう!如何に同じ三大貴族の当主といえども許しがたい!」


 鬼の形相で睨むライセルを見て、ヴェルニューは苦笑いを浮かべた。

 しかし、どう考えても悪いのは自分である。次の瞬間には真摯な態度で頭を深々と下げていた。


「申し訳ないライセル候。決して貴殿のことを笑ったわけではない。この通り許して欲しい」


 その様子を見てオヴェールも助け舟を出す。


「ライセル候、許してやってくれないか?ヴェルニュー候も悪気があってのことではない」

「陛下がそこまで仰るなら……」


 ライセルはそう言いながらも釈然としないのか、憮然とした態度でヴェルニューを睨みつけていた。

 話が進まないことにゼファインが溜息を漏らす。


「ヴェルニュー候、話を進めてくれないか?その様子だと、それなりの金額になると見て間違いないのだろ?」

「ええ、その通りです。数が多すぎてまだ全て調べたわけではありませんが、少なく見積もっても我が国の年間税収の百年分以上です」


 ゼファインとライセルは聞き間違いかと自分の耳を疑うが、横を見ればオヴェールが大きく頷いていた。


「何を馬鹿なことを言っている。騙されているのではないか?」


 ライセルの言葉通り騙されていると考えるのが普通であろう。

 しかし、相手は規格外れの竜王国である。ゼファインはそんなことも有り得るだろうと、いとも簡単に納得していた。


「私も幾度となく確認をしています。間違いありません。しかも、鉱石ではなく加工されたインゴットで送られてきました。ご丁寧にインゴットを保管するための巨大な倉庫も作ってくれましたよ」


 そう言ってヴェルニューはまたも、おどけた様に笑ってみせた。

 それを聞いたライセルは尚の事納得がいかない。


「ならば金銭面の問題も解決するではありませんか?我が国が属国になる意味があるのですか?」


 オヴェールは優しい笑みを浮かべる。


「ライセル候、我が国は竜王国に対し返しきれないほどの恩がある。その恩を返そうと思うのならば、属国になるのが一番良いのだ。尤も、そのことで一時的に国内は混乱するやもしれぬ。貴殿らも迷惑を被るであろう。しかし、この国の未来を考えるのであれば、強大な力を持つ竜王国の属国になるのは、寧ろ喜ばしいことなのだ」


 オヴェールの言葉は正論であるが納得はし難い。

 属国になる条件次第では首を縦に振るわけにはいかなかった。

 そのことをゼファインが言及する。


「先ずは属国の条件ですな。どのような条件になるのか聞かなければ話になりませんぞ」

「ジュン殿が来ればそれもはっきりするであろう。尤も、昨日の今日の話だ。竜王国も属国の取り決めなど数日は掛かるやもしれぬがな。今はジュン殿が来るのを待とうではないか」


 オヴェールの言葉に一同が頷き、それぞれ今後の国のあり方について考えていた。

 誰も言葉を発することもなく、ただ瞳を閉じてジッと考え事をしていた。


 その静寂を打ち破るかのように、不意に扉を叩く音が聞こえてくる。

 後ろに控えていた従者が扉に歩み寄り、僅かに扉を開け外の様子を伺っていた。外にいる従者と何やら話すと、急いでオヴェールの元に駆け寄ってくる。


「ジュン様がおいでくださいました」


 その言葉にみな眠りから覚めたように瞳を見開いた。


「直ぐに通せ」


 オヴェールの言葉を受け、従者は再び扉に歩み寄った。

 洗練された動きで扉を開くと、青い髪の美しい女性が部屋へ足を踏み入れた。

 みな席から立ち上がり、オヴェールがジュンに声をかける。


「ジュン殿、いつも御足労いただき感謝の言葉もない」


 ジュンはオヴェールの言葉を遮るように手で静止した。

 その態度は皇帝に対する礼儀ではない。皇帝の声を手で静止するなど、本来であれば不敬罪で罰せられて然るべきである。

 しかし、これはいつものこと。ジュンは当たり前のように勝手に席に座り、それに合わせるように皆が着席した。

 これではどちらが目上の存在か知れたことではない。

 ジュンは椅子に座るなり早々と口を開いた。


「属国の件、竜王様にお伝えしました」


 その言葉に部屋の中に緊張が走る。


「構わないとのことです」


 その言葉にオヴェールはホッとすると同時に、属国になるための条件を尋ねた。


「ジュン殿、昨日の今日で申し訳ないが、もし属国になる条件や取り決めなどがあるのなら、大まかでよいので教えていただきたい。その内容を協議し互いに話を詰めていきたいのだ」

「協議する?」


 ジュンが不思議そうに首を傾げた。

 その様子にオヴェールが言葉を付け加える。


「帝国の民が不当な扱いをされぬように、少なくとも民の権限は今まで通りにして欲しい。条文にそのことを明記してもらわなければ属国になることはできぬ」


 属国になれないかもしれない。それを聞いたジュンの気配が豹変した。

 突き刺すような空気が部屋中を覆い、その場にいたオヴェールらに冷や汗が流れる。

 ジュンは抑揚のない冷ややかな声でオヴェールに話しかけた。


「属国になりたいと言ってきたのは貴方の方でしょう?今更取りやめることが出来るなんて思っているのかしら?それにもう遅いのよ。竜王様は全世界の国を属国にするとお決めになったのだから」


 部屋中の時間が止まったかのようであった。

 その言葉の意味を理解し誰もが戦慄する。それは即ち全世界を統べるということ。

 誰もが身動き一つ出来なくなる中、オヴェールが必死に口を動かした。


「……全世界の国ですと?」

「その通りよ。竜王様のご命令は絶対、例外はありえないわ。それと属国になっても制約はないから安心なさい。貴方は今まで通りこの国を納めていればいいの」

「今まで通りで良いというのか?」

「竜王国に歯向かうようなことをしなければそれでいいのよ」


 オヴェールらは互いの顔を見合わせる。

 思っていることは同じようで皆が首を傾げていた。それは属国なのか?と……

 それはオヴェールらにとって渡りに船であり、願ってもないこと。

 場の空気が和らぎ、張り詰めた緊張が僅かに緩んだ。


「ではそのことを含め、属国となるための条文を交わしたいのだが、その日取りなどは如何いたしますかな?」

「今は私も少し忙しいのよ。条文は貴方たちのいいように作りなさい。日取りは後で連絡するから後は任せるわ」


 そう言い終わるとジュンの姿は跡形もなく消えていた。

 残された者たちは呆然となる。

 ゼファインが先程の言葉を確認するように口を開いた。


「属国になる条文は此方で好き勝手に作っていいらしいですな」


 その言葉にヴェルニューが苦笑いを浮かべた。


「これは属国と呼べるのでしょうか?条文に現体制や自治権の維持を入れると今までと何ら変わりませんよ。それどころか、一方的に竜王国の力を借りるような条文も付け加えられますが……、どうしますか?」


 ライセルが顔を顰める。


「そんな条文が通るわけがないだろう。それではどちらが属国か分からんではないか」


 三人の意見を聞いて、オヴェールが真剣な表情で告げた。


「確かにライセル候の言う通りだ。もしかしたら此方を試しているやも知れぬからな。それを踏まえた上で条文を作る必要があるだろう。それに気ががりなことはまだある」


 その気ががりなことに四人は俯き顔を伏せた。

 全世界の国を属国にする。オヴェールは唐突に告げられたその言葉に、もしや自分のせいではと頭を抱えたくなった。

 何せ自分が属国になりたいと伝えた翌日である。

 他の三人も溜息を漏らさずにはいられなかった。


「陛下、ジュン殿の言葉は本当でしょうか?」

「ライセル候、それは全世界の国を属国にするというあれか?」

「はい、俄かに信じられないことですが……」

「恐らく本当だろうな。一国を滅ぼせるドラゴンが30体もいるのだ。ついでに他の国も属国にしようと言い出してもおかしくはない」


 その言葉を聞いてヴェルニューが肩を竦める。


「ですが、そんな子供のようなことをあの女王が仰いますかね?」

「オーガスト殿ではないだろうな」


 そう言ってオヴェールは少し困った顔をしてみせた。


「ああ、なるほど彼ですか、本当に困ったものですね」


 面白そうに笑い声を上げるヴェルニューをゼファインが嗜める。


「笑い事ではないわい。何でも今ではベヒモスに乗って冒険者の真似事をしていると聞いたぞ?もう少し自分の立場をわきまえて欲しいものだ」

「楽しそうな竜王様ではありませんか?」

「なにが楽しいものか!あの小僧の言葉で世界が大変なことになるのだぞ?」

「小僧なんて失礼ですよ?もし、ジュン殿に知られたらどうするおつもりですか?間違いなくこの国はなくなりますよ」

「全世界の国を敵に回すかも知れないのだぞ?我が国がなくなる前に、竜王国がなくなるやも知れぬではないか?」

「あの国がなくなることなどありえませんよ。逆らった国はどうなるのでしょうね。可哀想に……」


 ヴェルニューは真剣な眼差しで遠くを見るように思いに耽っていた。

 ゼファインもまた竜王国がなくなるとは微塵も思っていなかった。

 何せ相手は転移テレポートの魔法で神出鬼没のうえ、桁違いの戦闘力を誇るのだから。

 二人の会話にオヴェールが水を差す。


「他国の話はここまでにしておこう。他国のことより先ずは自国のことだ。執政官を呼んで来てくれ、属国になるための条文も考えなくてはならない」


 後ろに控えていた従者が慌てて部屋の外へと出ていった。

 暫くして数人の執政官が合流し条文の意見が取り交わされた。


 数日後、条文は完成し調印式が竜王国で執り行われることになる。

 同時にドレイク王国とサウザント王国との調印式も執り行われ、竜王国に新たに三つの属国が加わることになった。


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