第96話 属国1
アンジェとデュラを屋敷に送り届けると、レンはガストンのことを報告するため直ぐに城へ戻っていった。
屋敷の前でアンジェは一つ大きな溜息を漏らす。
いつもであれば直ぐにでも地下の鍛錬場に足を向けるはずが、今日は何処となく足が重い。
まるで足が鉛になったかのように動かなかった。
それもこれもレンやデュラとの力の差を知ったから。
アンジェはこれ以上鍛錬することに意味があるのか自問自答していた。
聞かされたステータスを考えれば間違いなくレンを超えることはできない。デュラを超えることも無理だろう。
アンジェの実力は既にSランクの冒険者を大きく上回る。
それを考慮するなら、これ以強くなることに意味はないように感じ取れた。
もし仮に私が倒せない魔物が現れても、レンやデュラが簡単に倒してしまう。
私はこれ以上強くなってどうしたいんだろう。
努力してもレンやデュラには追いつけないのに……
アンジェは屋敷の目の前で佇み一向に動こうとしない。
いつもと違うその様子に、デュラがどうしたのかと心配そうに声をかけた。
「アンジェさんどうしたんですか?新しい剣がお気に召さないのですか?」
デュラの言葉にアンジェは苦笑いを浮かべる。
新しく作ってもらったレイピアが気に入らないわけがない。予想を遥かに上回る出来で、いつもであれば直ぐにでも鍛錬場に駆け込んでいただろう。
「そうじゃないのよデュラ。作ってもらったレイピアは素晴らしい出来よ」
「それなら何故、浮かない顔をしているのですか?」
デュラが心配そうにアンジェを見つめていた。
その視線を受け流すように、アンジェは俯き道端の石ころを黙って見ていた。
アンジェはデュラと視線を合わせることもなくボソリと呟いた。
「強くなるって何なんだろうね……」
その呟きにデュラは小首を傾げた。
「自分の身を守るため、大切な人を守るために強くなるのではないのですか?」
「そうなんだけどね。私は頑張ってもレンやデュラを守れるくらい強くはなれないから……」
「武器屋で何かあったのですか?」
アンジェは「ふぅ」と一息つくと武器屋でレンから聞いたことを話し始めた。
自分とレン、デュラやベヒモスのステータスのこと。足で纏にならないように追いつきたい。でも、どう足掻いても追いつけないこと。
デュラは瞳を閉じて黙ってそれを聞いていた。
沈んだ言葉から、アンジェの憤りや葛藤、失望と言った様々な感情が伝わって来る。
アンジェの話が終わり暫くして、デュラは静かに瞳を開いた。その瞳からは涙が溢れ落ちている。
デュラはアンジェを優しく包み込むように抱きしめた。
デュラの頬を伝う涙を見て、アンジェが不思議そうに尋ねる。
「……デュラ泣いてるの?」
「アンジェさんは一人でずっと悩んでいたんですね。それなのに……、私はいつも傍にいたはずなのに……」
「デュラが悪いわけじゃないでしょ?私の気持ちの問題だもの」
「ですが……」
「デュラは優しいのね」
アンジェもデュラを抱き返し、二人は時間を経つのを忘れて暫くその場で抱きしめ合っていた。
「ありがとうデュラ」
その言葉と共に、アンジェがデュラの体をそっと引き離す。
同じように、デュラもアンジェを抱きしめる手を解いた。そして、真剣な眼差しでアンジェの瞳を見つめた。
「アンジェさんは自分が弱いと思っているようですが、決してそうではありません。以前レン様が言ってました。ステータスは強さの目安でしかないと。それに、アンジェさんが依頼で魔物と戦う度に、レン様は感心していましたよ」
「感心?」
「はい、アンジェがまた強くなっている。どうやったらあんなに強くなれるんだって、毎日アンジェさんの戦いを見ながら呟いていましたから」
「あのレンが?」
「はい、それはもう嬉しそうに呟いていました。アンジェさんを見習って頑張らなければって、毎日口癖のようになっていましたよ」
「私を見習って……」
「アンジェさんは弱くはありません。知らないところで、しっかり周囲の人たちに良い影響を与えています。ですからもっと自信を持ってください」
「そっか……、そうよね。私は私なりに強くなればいいのよね」
話しているとアンジェの表情に自然と笑みが浮かんだ。
デュラも涙を拭い明るい声で答える。
「その通りです」
「話したら何だかスッキリしたわ。悩んでたのが馬鹿みたい。気分転換に鍛錬でもしようかしら?勿論デュラにも付き合ってもらうわよ」
その言葉にデュラは満面の笑みを浮かべる。
「はい、喜んでご一緒します」
アンジェはデュラに聞こえないように小声で囁いた。
「本当にありがとう」
それはアンジェの心からの感謝の気持ち。
デュラがいなければ、きっといつまでも悩んでいたに違いなかった。
今までアンジェには友人と呼べる存在は何人かいた。しかし、何でも話せるような親友と呼べる存在はいなかった。
自分でも何でデュラに全て話したのか分からない。ずっと一緒に生活してきたからなのか、それとも他に理由があるのか、それでも一つだけはっきりしていることがある。
デュラは唯の友人ではなく、自分に取って掛け替えのない親友になっていたこと。
アンジェはこの関係がいつまでも続くことを願い言葉を続ける。
「これからもよろしくね」
二人は笑顔で寄り添うように屋敷の中へと消えていった。
翌日、レンたちは旧エルツ帝国の首都に
アンジェは元通り元気になり、今はデュラの膝枕で寝息を立てている。
その様子にデュラは嬉しそうに目を細めていた。
ベヒモスを恐れて近づく魔物もいないため、今は何もないのどかな時間を思い思いに過ごしている。
メイはおやつの干し肉を頬張り、レンは遠くの景色を楽しんでいた。
オクトの作った街道は石畳で綺麗に整備され道幅も広い、何よりベヒモスが歩いてもヒビ一つは入らないほど頑丈であった。
恐らく何らかの魔法で強度を高めているのだろうが、膨大な距離の街道を全てこの精度で作っていることから、如何にオクトが凄いのかが見て取れた。
日が暮れ始めると近くの街に入り城へ戻り、翌日はその街から再び移動を開始した。
ベヒモスの移動速度は普通に歩いているだけでも早いため、二日目には既に国境を隔てる山脈が見えるはずであった。
しかし、一向に山脈は見えず、見渡す限り何もない。
レンは冒険者になる前に、書庫の管理人クレーズから近隣諸国の地形を聞いていた。
本来であれば山脈が見えてもおかしくはないのだが、見渡す限りの平野で山脈は疎か小高い丘すらない。
その様子にレンは眉間に皺を寄せた。
『もう直ぐ山脈が見えるはずなんだが、もしかして道を間違えたのか?』
その言葉にアンジェも周囲を見渡し地形を確認する。
「確かにおかしいわね。本当なら目の前に山脈が聳えているはずよ」
二人の言葉に、デュラは真っ直ぐに伸びている街道を見て小首を傾げた。
「ですが街道は真っ直ぐに伸びていますよ?太陽の位置から北に向かっているのは間違いないですし、道は合っているのではないでしょうか?」
思い返せば国を結ぶ街道は一本道で間違えようがない。
今まで脇道のようなものはあったが、石畳で整備された道ではなく踏み固められただけの地面であった。
そんな道に入っていれば直ぐに気が付くに決まっている。
『言われて見ればその通りか。山脈はまだ先にあるのかもしれないな。ベヒモスの移動速度が思ったよりも早かったので、つい国境近くまで来ていたと勘違いをしていた。私としたことが、どうやら早まった認識をしていたようだ』
レンの言葉に相槌を打つように、アンジェも即座に認識を改めた。
「そうよね。抑、二日で国境に辿り着くことが異常なのよ。山脈はまだずっと先の方にあるんじゃないかしら?」
『そうだな。明日になれば国境の山脈も見えてくるだろう。日も傾き始めてきたし次の街まで急ぐとするか』
レンの言葉を聞いてベヒモスが僅かに速度を上げた。
進むにつれ建物は疎か耕作地すら見えなくなる。辺りには何もない荒野が広がり、それが一層不安を掻き立てた。
永遠と続くような代わり映えのしない寂しい風景に、ついにアンジェが堪えきれなくなり微かに声を上げた。
「ねぇ……、この道でいいのよね……」
『私も見渡す限りの荒野があるとは聞いていない。正直、不安になってきたな』
それを聞いたアンジェは、ジト目でレンのことを射るように見据えていた。
背後から突き刺さるような視線を感じてレンは直ぐに取り繕う。
『まぁ、そのうち国境の山脈が見えてくるだろう。もう少し移動速度を上げてみるか。国境の手前には街があると聞いている。今日はそこで終わりにしよう』
レンの言葉に合わせてベヒモスが更に速度を上げる。
次第に荒野の代わりに緑が広がり、遠くに街の外壁が見えてきた。
街が見えて安心したのだろう。アンジェが安堵の溜息を漏らして話し出した。
「ふぅ、どうやら道は合っていたようね。それにしても、まだ国境の山脈が見えないなんて……。ノイスバイン帝国までは思ったよりも距離があるのね」
『話に聞いたのと実際に来たのとでは全然違うということだな。よい教訓になったではないか』
そう言って笑い声を上げるレンに、アンジェはムスっとした表情で悔しそうに拳を握り締めた。
本当は後ろから全力で殴りたいところだが、殴ったところで自分の拳が痛いだけなのでグッと我慢する。
街に着くと身分証の確認もなく街の中に通された。ベヒモスの巨体とレンの黄金の鎧は近隣諸国に浸透しているため、その存在自体が身分証の役割を果たすまでになっていた。
街に入るのが簡単になり大いに助かると思っていたレンであったが、ガストンから世界中にその名が轟いていると知らされてからは少し複雑な気分である。
街の中をベヒモスで移動すると、物珍しそうに街の人が見上げていた。
レンはその様子を見てヘルムの下で顔を顰める。
そりゃ、普通に考えたら目立つよな。
俺の鎧だけでも目立つのに、加えてこのベヒモスの巨体だ。
目立たない方がおかしい。
どうにかして目立たない方法はないかな……
レンが物思いに耽っていると、アンジェが周囲を見渡す動きを止め、訝しげに一点だけを見つめていた。
「ねぇレン。あれってノイスバイン帝国の紋章よね?」
アンジェの視線の先には、大きな建物の上に巨大な国旗が掲げられていた。
それはどの街でもよく見かける執政官の屋敷で、そこには必ず統治する国の国旗が掲げられている。
『確かにあれはノイスバイン帝国の国旗だな……』
レンは以前ノイスバイン帝国に何度か来たことがあり国の紋章をよく知っていた。
そのため国旗を見間違えることなど万が一にもない。
「ここってもうノイスバイン帝国なんじゃないの?」
先ほどまで国旗に注がれていたアンジェの訝しげな視線は、いつの間にかレンへと向けられていた。
『いや、そんなはずは……。抑、国境の山脈を越えていないではないか』
考え込むレンに、アンジェは悪戯っぽく笑いかける。
「街道を作るのに邪魔だから山脈を全部消してたりして」
普通の人間であれば、何を馬鹿なことを言っているんだと笑い飛ばすところだ。
しかし、レンの場合はそうはならない。何故ならレンの側にはそんなことをやりかねない重臣たちがいるからだ。
『まさにその通りだ。街道作りに邪魔だから山脈ごと消したのか……。あいつらなら間違いなくそうするだろうな。少し考えれば分かることなのに、今まで馬鹿みたいに山脈を目印にしていたとは……』
レンの言葉を聞いてアンジェがぽかんと口を開けていた。
その後は頭のおかしい人を見るように哀れみの視線を向けている。
「レンは強くなりすぎて頭がおかしくなったのね。可哀想に……」
『まて、私は至って普通だぞ?頭はおかしくなっていない』
「私の冗談を間に受けるなんて、頭がおかしいとしか言いようがないでしょ?」
『いや、竜王国の重臣は山脈くらい簡単に消せる。山脈を消したのは先ず間違いない』
レンの真剣な口調にアンジェはそれ以上言葉が出なかった。
嘘でしょ?と笑い飛ばす雰囲気ではない。
よく見れば国の紋章が入った建物は周囲に幾つかある。どれもノイスバイン帝国の紋章で、この街がノイスバイン帝国領内にあるのは一目瞭然であった。
そのことからも山脈のある場所を超えてきたのは間違いない。もし仮に山脈を大きく迂回したとしても、遠目に山脈を確認できるはずである。
それを考慮するならレンの言葉は正しく思えた。しかし、本当に巨大な山脈を消せるのかと、アンジェの中の常識が問いかけていた。
こうなれば街の人から直接聞いた方が確かであった。恐らくこの街からも山脈は見えていたはずである。その山脈がなくなったのだから街の人が気付かないわけがない。
ベヒモスが冒険者ギルドの前で止まると、アンジェは真っ先にベヒモスから飛び降りた。
「レン、少し冒険者ギルドの中を見てくるわ」
『そうか、もうすぐ日も暮れるし私はここで待っている。なるべく早く戻ってきてくれ』
アンジェは頷き返すと冒険者ギルドの中へ消えていった。
暫くするとアンジェが憔悴しきった姿で冒険者ギルドから出てきた。
ギルド内で聞いた話は信じ難く、竜王国の人間がやってきて山脈を見る間に削り取ったと言うのだ。
アンジェは独り言のように呟いた。
「本当に何処まで非常識な国なのかしら……」
レンはアンジェの様子を見て落ち込むなと励ましの言葉をかけた。
『その様子だと良い依頼がなかったようだな。だが、街は他にもある。次の街で依頼を探そうではないか』
「煩いわね!そっとしておいてよ!私にも非常識が
理不尽な言葉を浴びせかけられ、レンは思わず顔を顰めた。
剣が折れてから依頼を受けていないし、ストレスが溜まっているのかもしれない。
それとも女の子の日かな?
どちらにせよ魔物討伐でもしてストレスを発散させた方が良さそうだ。
次の街では討伐系の依頼があるといいな。
レンはそんなことを考えながら居城に戻ってきた。
食堂の片隅に
正確には駆け寄るとは言わないのかもしれない。三人の動きは日増しに洗練され、今では速すぎて瞬間移動と変わりがないからだ。
近づくと同時に黄金の鎧を収納し、三方向から同時に抱きついてくるため、レンは一瞬にして身動きが取れない状態になる。
「お帰りなさいませレン様」
「レン様お食事のご用意はできております」
「それとも、お食事の前に軽く寝室で体を動かしますか?」
三人は相変わらずで、その様子を他の女性陣が羨ましそうに眺めていた。
これは最近のいつものやり取りでレンも慣れたものである。ニュクスの言葉をスルーしていつも通りテーブルの上座に腰を落とした。
レンは重臣たちを見渡すように首を左右に振る。
その後、厳かに口を開いて話し始めた。
『旧エルツ帝国とノイスバイン帝国に跨っていた山脈は消したのだな』
レンの言葉にオーガストが自信を持って答えた。
「あの山脈に関わらず、街道作りに邪魔なものは全て排除しております」
他に何を排除したのかは大いに気になるが敢えて聞くことはしない。
聞いたところで後の祭り、もうどうにもならないのだから。
今までの経験から聞かなければよかったと後悔することが殆どであった。そのためレンは余計なストレスを
レンは何事もないかのように鷹揚に答えた。
『そうか、お前たちから私に何か報告することはないか?』
そこでジュンが手を挙げた。
「恐れながら申し上げます。ノイスバイン帝国のオヴェール陛下から伝言がございます」
『伝言?それなら私ではなくオーガストに伝えるべきではないのか?』
「私たちだけでは決めかねる案件かと。どうしてもレン様のご判断を仰ぐ必要がございます」
えぇ……。凄く嫌だ。
オヴェールからってことは、間違いなく政治絡みだろ?
俺は政治に関して全くの素人なんだぞ?
『お前がそこまで言うのなら仕方ない。取り敢えず話を聞こうではないか。但し、分かりやすく簡潔に述べよ』
「それではオヴェール陛下の伝言を簡潔にお伝えいたします。竜王国の属国になりたいとのことです」
レンは考え込むような仕草を演出するため、肘をついた手で口元を隠すように覆った。
その一方で頭の中では知らない言葉の意味を模索していた。
属国?
何それ?
同じ属性の国?
同じことを一緒にしようってことかな?
いいんじゃないか?
仲が良いのはいいことだしな。
ああ、なるほど。
そういう事か。
属国とは仲の良い国を指すのか。
ノイスバイン帝国とは良好な関係が続いている。
属国になりたいと言われて断る理由はなにもないな。
ジュンやオーガストもこの程度のことで俺に相談しなくてもいいのに。
主が何も知らないでは威厳を損なう恐れもあるため、レンは誰かに尋ねることもなく言葉の意味を自分のなりに導き出した。
尤も、出た答えは見当違いもいいところである。
『素晴らしいことではないか。きっと世界中の国が属国になれば争いも起きないのだろうな』
その言葉を聞いてみな一様に歓喜に打ち震えた。
「とても素晴らしいお考えです。このオーガスト、明日にでも全世界の国に向けて属国になるよう働きかけます」
『それは良いことだな。オーガストに全て任せる。他の者もオーガストに協力を惜しまぬように』
「畏まりました!!」
レンの言葉に他の
ニュクスたちは何のことか理解していないのだろう。最初は首を傾げていたが、レンが嬉しそうにしているのを見て、それだけで幸せそうに笑みを浮かべていた。
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