第88話 冒険者22
冒険者たちは遺跡に近づくベヒモスに対して目に見えて警戒していた。
各々が武器を取り、遺跡の陰からベヒモスの様子を注意深く窺っている。
隠れる場所がない平原に出ては格好の的になる。そのため、遺跡を盾にしながら攻撃をしようというのだ。
レンは遺跡から離れた場所でベヒモスを止め、その場所で待機させた。
一人ベヒモスから飛び降りると背後から声が聞こえてくる。
「気をつけなさいよ」
アンジェの声にレンは振り向きもせず、ただ片手を上げて応えた。
遺跡の方からは訝しげな視線がレンに注がれている。魔獣で乗り込んできたのだ、敵と思われてもおかしくはない。
若しくはレンのことを魔物と勘違いしているのかもしれない。冒険者たちは警戒を怠ることなく、レンの様子をつぶさに観察する。
レンもまた冒険者たちを刺激しないように少し離れた場所で立ち止まり声を上げた。
『私は冒険者だ。遠くにいる魔獣は私の登録魔獣であり、お前たちに危害を加えたりはしない。どうか安心して欲しい』
レンは遺跡の陰が一瞬ざわめくのを感じ取っていた。
しかし、冒険者たちは未だ警戒し姿を現すことはない。レンの言葉が信じられないのか遺跡の陰から声だけが聞こえてくる。
「それなら魔獣登録用の認識票を持っているはずだ。それをこっちに投げてくれ」
レンは認識票を首から外すと、言われた通り声のする方へ投げた。
地面に落ちた認識票を、柱の陰から一人の冒険者が剣の鞘で器用に掬い取り手元に引き寄せる。
暫くすると男の鼻で笑うような声が聞こえてきた。
「ふん、鉄の認識票だと?しかも、ベヒモスとはな、こんな見え透いた嘘に引っ掛かるか!」
鉄の認識票と聞いた周囲の冒険者たちは、鋭くレンを睨みつけ更に警戒した。全員レンの言葉を疑い信じていない様子だ。
確かにGランクの冒険者がベヒモスを連れ回すなど信じられないだろう。だが、全て真実でありレンは嘘を言っていない。レンは分かってもらうためにも説得を続けるしかなかった。
『先ほど私が言ったことは全て真実だ。私は最近冒険者になったばかり、ランクが低いのはそのためだ。これでも竜王国お抱えの冒険者でもある』
「Gランクで国お抱えの冒険者だと?それを証明できるものはあるのか?」
証明と言われてもレンには何もなかった。国から何か証明するものが出ているわけではない。マントに描かれている竜王国の紋章は誰でも刺繍ができるため証明にはならない。
エイプリルとセプテバを呼ぶ手もあるが最近叱ったばかりである。あの二人のこと、冒険者がベヒモスのことで絡んできたとなれば責任に感じるかも知れなかった。
『証明はできない。国から証明できるものが発行されているわけではないからな。別に私が国お抱えの冒険者だと信じなくてもいい。ただ、ベヒモスは私の登録魔獣で大切な仲間だ。お前たちには絶対に危害を加えないと約束する。だからベヒモスに危害は加えないでくれ』
「話にならないな。それでどうやってお前の言葉を信じろと?」
レンは何とか説得しようと試みるも分かってもらえず肩を落とす。
もう一度説得しようと口を開こうとしたとき、話を聞いていた他の冒険者が遺跡の陰から出てきた。
「まて、あれは本当にベヒモスでお前に従っているのか?」
『そうだ。私の指示がない限りお前たちを傷つけることはない』
「なるほど、少し仲間たちと相談させてくれないか?」
『構わないとも』
男は警戒する他の冒険者を呼び集めた。冒険者の数は全部で30前後恐らく5~6チームいるのではなかろうか。遺跡の陰に消えていき相談をしている様子だ。
レンとしては一歩前進といったところである。相談をしているということは少しはレンの言葉を信じているということ。
頭ごなしに否定されるよりは随分ましであった。
何を相談しているのか気になり耳を傾けると話し声が聞こえてくる。
レンは身体強化をしているため聴覚も強化されていた。尤も、普段は身体強化をしても遠くの声が聞こえたり、音が大きく聞こえることはない。
この鎧はレンに負担をかけないように作られているため、身体強化をしても聴力はレンの意思でコントロールできた。そうでなければ鼓膜が大変なことになっている。
レンは冒険者たちの声を拾うため聴覚を研ぎ澄ます。
風の音が邪魔をして聞き取りにくいが、話の内容はレンの耳に届いてきた。
「ベヒモスは災害指定魔獣だ。殺せば名声は高まる」
「あの冒険者の登録魔獣なんだろ?殺したら色々不味いだろ」
「それに、あの魔獣がベヒモスという証拠はない」
「抑、本当にベヒモスなら人間に従うはずがない。恐らく他の魔獣の変異種なんじゃないのか?」
「ベヒモスの実物を見た奴はいないんだ。ベヒモスにしてしまえばいいのさ」
「ちょっと待て!お前ら何を物騒な話をしている。この話し合いは相手に敵意がないか確認するためのものだろ?」
話があらぬ方向に向かい一人の男が困惑したように声を荒らげた。少なくとも相手は魔物ではなく冒険者であり敵意もない。しかも、あの巨大な魔獣も大人しくしていることから冒険者に従っているのが窺える。
魔獣はベヒモスかどうかは定かではないが、登録魔獣であれば暴走しない限り戦うのは間違っている。
異を唱えた男は、この話し合いはそれを確認するためのものだと言いたいのだ。
「あの魔獣を殺してベヒモスに仕立て上げるんだよ。そうすりゃ俺たちの名声は高まり何でも欲しいままだ」
「何を馬鹿なことを!それをあの冒険者が許すと思うのか!」
「殺してしまえば問題ない。ベヒモスが暴れて殺されたことにすればいい」
「そんな話に乗る気はない!同じ冒険者を殺すなど反吐が出る!」
何とも身勝手な言葉に男は食ってかかる。相手は格上の冒険者であったがそんなことは関係なかった。
登録魔獣であれば同じチームの仲間も同じだ。暴走したならまだしも大人しく従っているなら殺すことは許されない。
しかも、自分たちと同じ冒険者まで殺すというのだ。確かに罪を犯した冒険者は同業者に殺されることもある。
しかし、あの黄金の鎧を身に纏う冒険者からは敵意は感じられない。正面から堂々と交渉していることから罪を犯して追われているわけではないだろう。もし、それを殺したとあっては自分たちが罪を問われることになる。
「俺も同感だ。それにあの魔獣を倒せる保証は何処にもない」
それに賛同するように他の男からも声が上がる。そして、その男が言うように魔獣を倒せる保障はどこにもなかった。
「間抜けな格好をしたあいつが従えているんだぞ?見掛け倒しで弱いに決まっている」
「それに、あの鎧は相当な値打ちがありそうだ。売れば一財産になるかもしれない」
魔獣を殺そうと言い出した男たちは、もはや相手のことを名声と金を運んできた獲物としか思っていなかった。内輪での話で盛り上がり、他者の話を聞こうともしない。
意を唱えていた男たちは、これが同じ冒険者なのかと呆れ返る。しかも、こんな奴らが自分たちより格上なのだから救いようがない。
「悪いが俺は、俺たちのチームは盗賊紛いのことをするつもりはない」
「俺のチームも同じだ。冒険者も魔獣も両方殺す気はない。見ている限り魔獣も大人しく従っている。登録魔獣であれば暴走しない限り殺す理由がない」
二つのチームが抜けるとあって、魔獣討伐に意気込んでいた冒険者は盛大に溜息を漏らした。
「はぁ~、分かった。お前らのチームは下がっていろ。いいか、絶対に邪魔するんじゃないぞ。もし邪魔をするようなことがあったらお前たちも殺すからな。それと、あの冒険者にも近づくなよ。変なことを吹き込まれても困るからな」
反対していた二つのチームは鋭く睨みつけるも実力の差が埋まるわけではない。相手は圧倒的に格上であるため従うしかなかった。
何せ相手はSランクの名の知れたチーム、戦闘ではどう転んでも太刀打ち出来ないと分かっていた。
二つのチームリーダーは仲間を守るためにも、その場から離れることを早々に決めた。
二つのチームは遺跡の影から出るとレンの方を見て俯いてしまう。そそくさと手荷物を持って遺跡から早足で離れていった。
話の内容を聞いていたレンは、彼らが何もできない自分を許してくれと言っているように見えた。
二つのチームが遺跡から遠ざかるのを見て、残ったチームは今後のことを話し合っていた。
「結局、残ったチームは三つか」
「いいのか?行かせてしまって」
「大きな荷物は置いたままなんだ。暫くすれば戻ってくる。後はベヒモスに殺されたことにして口封じすればいい」
「もし、戻ってこなかったら?」
「その時は追いかけるまでだ。街までは距離があるからな。俺たちには馬もあるし直ぐに追いつく」
「なにも問題はないか……なら目の前の魔獣を早く殺さないとな」
「ああ、あの魔獣をどう殺すかだが――俺たちはチーム毎に魔獣を取り囲むように三方に別れよう。準備が出来たら、あの馬鹿な冒険者に魔獣を近くまで誘き寄せてもらう。後は俺が合図を出したら一斉に襲いかかればいい」
その場にいた一同が頷き返し全員遺跡の影から姿を現した。
剣も鞘に収め見た目にはレンのことを警戒する様子はない。其々が分かれて三方に散るのを見て、レンは深い溜息を漏らす。
レンは代表格の男が笑顔で近づいて来るのを見て、うんざりするように顔を顰めていた。
男は魔獣登録用の認識票をレンに手渡し、握手を求めるように手を差し出してきた。
「誤解して済まなかった。あの魔獣を近づけても大丈夫だ。俺たちは危害を加えたりしない」
『長々と相談ご苦労だったな。話は全部聞こえていた。お前たちは騙し打ちが得意らしいな』
急に男の顔つきが変わる。次の瞬間にはレンに斬りかかっていた。幾度となく剣が振り下ろされ硬質な音が鳴り響く。
しかし、それは黄金の鎧で弾かれレンには一切傷をつけることができない。
三方に散っていた冒険者たちは直ぐに異変に気付きベヒモスに備えて身構えていた。
「くそっ!なんて硬さだ!」
レンの鎧に傷一つつくことはない。それでも必死で剣を振り続ける男にレンは冷ややかに言葉を放った。
『救いようがないな。私たちを殺そうとしたんだ、殺される覚悟はできているんだろうな?』
「くそがぁああああ!〈豪腕〉〈
男の力は増し一撃の重さが跳ね上がり、更に降り注ぐように剣の嵐が襲いかかってきた。
それをレンは冷ややかに見ながら、微動だにせず全て鎧で受け止めていた。
『スキルか、私も最近スキルの練習を始めてな。
元より彼らを許す気はない、レンは身体強化を千倍まで引き上げた。
大地を蹴って勢いよく上空に飛び上がる。その衝撃で地面では突風が巻き起こり凄まじい土煙が舞い上がっていた。
冒険者たちは視界が遮られるなか、堪えきれず突風により後方へと吹き飛ばされる。
レンは手元に竜槍を出した。竜槍はレンの怒りに呼応するように穂先から冷気を迸り大気の温度を下げていく。
雲を突き抜けた遥か上空、レンは体を
レンは槍を下に構えながら自由落下とは比べ物にならない速度で大地に突き刺さる。
『〈
絶対零度の嵐が地表を覆う。土色の大地は瞬く間に氷で覆われ一瞬にして銀世界へと変わっていった。
冒険者たちは氷柱の中に閉じ込められ生死は定かではない。
レンが上空に飛び上がった時点でメイの警鐘は鳴り響き危険を察知していた。ベヒモスやメイであれば巻き込まれても無傷であるが、アンジェはそうはいかない。
メイはベヒモスに全力で逃げるように指示を与えていたため、巻き込まれることなく遺跡から離れた場所で難を逃れていた。
レンはといえば、遺跡の階層を幾重にも貫いて最下層の更に下、地面の中に埋もれていた。
遺跡の中は当然のように氷で覆われ魔物の姿も消えている。レンは地面を蹴って地中から遺跡の内部へ飛び上がった。遺跡最下層を見渡し、その美しさに感嘆の声を上げる。
ちょうど陽も高くなり、上空から降り注ぐ太陽の光が氷で乱反射を繰り返す。それが何とも言えない幻想的な光景を作り出していたのだ。
レンは先程までの怒りが嘘のように見とれていると、ピシ!と氷にヒビ割れるような音が聞こえてきた。
音の方に視線を向けると、そこには椅子に座り凍りついた漆黒の甲冑があり、その周りの氷にヒビが入っている。それは次第に大きくなり、遂にはガラガラと音を立てて氷が崩れだした。
漆黒の甲冑は女性用の
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