第83話 冒険者17
アンジェはよほどベヒモスを気に入ったのか抱きついて離れない。
いつしか日も暮れ始め、夕焼けに照らされ街が赤く染まっていた。
『アンジェ、悪いがもう時間だ。私たちは帰らなければならない』
だが、アンジェは素直に離れるつもりはないらしい。親の仇でも見るようにレンを睨みつけた。
なんでだよ!レンは内心そう呟きながら強硬手段に出る。
「レンの馬鹿!ちょっと離しなさいよ!」
アンジェは抵抗するが身体強化したレンに力で敵うわけもない、あっさりとベヒモスから引き離された。
「信じられない。折角ベヒちゃんと親睦を深めていたのに」
『これから毎日会うことになる。今日はもう諦めろ』
「仕方ないわね……」
アンジェは名残惜しそうにベヒモスを見つめていた。
レンは何とも複雑な気分だ。先程まで毛嫌いしていたというのに、こうも態度が変わると何が裏があるのではと勘ぐってしまう。
アンジェは誰かにベヒモスの監視でも頼まれているのか?
そう言えば皆が逃げていたのにアンジェだけが近づいてきたしな。
まぁ、監視されても別に問題があるわけじゃない。
放っておいても問題ないだろ。
尤もそれはレンの考えすぎであった。
アンジェはヒモスの感触を堪能したいだけで他意があるわけではない。
『……にしても、ベヒちゃんだと?アンジェもそう呼ぶのか?』
「べ、別にいいでしょ。メイちゃんだってそう呼んでるんだし」
レンに指摘されたことがよほど恥ずかしいのか、アンジェは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
女性のこういう仕草は可愛いものだ。レンとしても高圧的な女性より、こういった控えめな態度の女性が好みである。
普段からこんな感じだといいのに、レンはそう思いながらアンジェに少し呆れるのだった。
『悪いとは言っていない。アンジェにも可愛いらしい一面があるんだな』
「ねぇ。それ、どういう事かしら?」
瞬く間にアンジェの表情が変わりレンへと詰め寄る。
アンジェの気配が変わったことにレンも不味いと思ったのだろう。即座にこの場を退散することに決めた。
『アンジェ、また明日の朝ここで会おう。メイ、急いで帰るぞ』
「おうちに帰るの」
「えっ!ちょっと、まだ話は終わってないわよ」
だが、既にレンの姿はそこにはなかった。
ベヒモスやメイもいなくなり、通りにはアンジェだけが残されていた。
「もう、何なのよ……」
アンジェの問いに答える者は誰もいない。
溜息を漏らしながらアンジェは冒険者ギルドに戻った。
掲示板に張り出されている依頼に目を通して受付嬢に問いただす。
「ねぇ。魔物騒動はこれで終わりでしょ?薬草採取の依頼は戻さないの?」
「それはギルドマスターの指示を仰いでからです。ですが、恐らく明日の朝には掲示板に張り出されていると思いますよ」
「ならいいのよ。このギルドじゃGランクの冒険者が受けられる依頼は薬草採取しかないもの。あれがないと困るのよね」
「そうですよね。……あの、お尋ねしてもよろしいですか?」
「何かしら?」
「先ほどレン様と親しげに話されていたのが気になって」
「ああ、あれね。レンのチームに入ることになったのよ」
「それは凄いですね。これでアンジェリカさんも国お抱えの冒険者ですよ」
アンジェがしまった!と言わんばかりの表情で崩れ落ちた。
どうやら、レンが国お抱えの冒険者だということを忘れていたらしい。
「そうかぁ~、失敗したわ。レンは竜王国お抱えの冒険者だった」
「え?名誉なことじゃないですか。恐らく国から大金が貰えますよ」
「お金じゃないの。国の言いなりになるのが嫌なのよ」
「そうなんですか?殆どの冒険者は一攫千金を狙っているのに珍しいですね。お抱え冒険者は国から大金が貰えるから冒険者の憧れなのに。それに、国によっては高い地位を貰えたりするんですよ」
「地位ねぇ。そんなの面倒なだけよ」
アンジェは露骨に嫌そうな顔をする。
貴族の堅苦しい生活が嫌で家を出たのだから、それは仕方のないことなのかもしれない。アンジェは誰かに強制されるのは嫌いであり疎ましく思っている。
そのため、安易にレンのチームに入ると言ったことを今になって後悔していた。
「竜王国との契約はどうなっているんでしょうね。レン様に聞いた方がよろしいのでは?」
「ええ、そうね。聞いてからでないとレンのチームに入れないわ。条件次第ではチームに入ることもないでしょうけどね」
「アンジェリカさんの条件に合ってるといいですね」
「ありがとう。まだ明日来るわ」
アンジェは踵を返して立ち去ろうとする足を止めた。
振り返るアンジェに受付嬢が首を傾げる。
「ところで、レンの敬称は様なのね」
「仮にもベヒモスを従える冒険者ですから。それに、グランドマスターの書状を持ってくるような人です。冒険者ギルドで働く一人として様以外の敬称は有り得ませんよ」
受付嬢は最後に「不本意ですが」と小声で呟いたのをアンジェは聞き逃さなかった。
受付嬢も大変なのね、そんなことを思いながらアンジェは冒険者ギルドを後にした。
宿に帰るとそこには誰もいなかった。
思い返せば宿に帰るまで誰とも会っていない。アンジェは道中の閑散とした商店街を思い浮かべていた。
本来、夕方ともなれば多くの人で賑わっているはずの通りが、今日は人っ子一人いなかったのだ。
まいったわね。
宿代は一週間分払ってるし、食事は――厨房から適当に貰えばいいか。
アンジェは誰もいない厨房に入り適当に野菜や肉を煮込んでスープを作った。
塩で味を
アンジェはスープとパンを皿に盛り付けテーブルへと運んだ。
誰もいないのだから、そこらの冒険者であれば鍋から直接スープを飲んでいただろう。皿に盛り付ける一手間が育ちの良さを窺わせている。
アンジェは手早く食事を済ませて食器類も綺麗に洗う。客なのだからそこまでしなくても、と思うところだが、性格上食器をそのままにしておけなかったのだ。
「さてと、お風呂は沸いているのかしら?」
宿の奥にある風呂場に行きアンジェは胸を撫で下ろす。少し
ここの風呂は魔道具ではなく薪で沸かしているため労力がいる。今日一日は色々なことがあり流石のアンジェも体を動かしたくなかった。
特に森から逃げ出すときに全力で走ったため足が悲鳴をあげている。
アンジェは部屋から着替えを持ってくると浴槽に飛び込んだ。少し温いが長時間入るには打って付けだ。
体を洗い流した後は足を念入りに揉みほぐした。
部屋に戻る頃には睡魔が襲いかかる。アンジェはベッドに倒れ込んで死んだように朝まで眠った。
翌朝、アンジェは日の出と共に目を覚ました。
この街は比較的温暖な気候だが今は寒い時期であった。
まだ、早朝の早い時間である。吐く息はほんのり白く肌寒い、毛布に
アンジェは冷たくなったミスリルの胸当てを装着して一度大きく身震いをする。それで、完全に目が覚めたのか、その後は手際よく荷物を纏めて部屋を出た。
階下から人の話し声が微かに聞こえる。
内容としてはベヒモスの話や宿に強盗が入っていないかなど、そんなところだろうか。
どうやら宿の店主が戻ってきているらしい。アンジェは声のする食堂に真っ直ぐと向かう。食堂では恰幅の良い男女が話し合いの真っ最中で、アンジェのことにも気付いていない様子だ。
「おじさん、おばさん、戻ってきたんだね」
二人はビクン!と体を跳ねさせ恐る恐る振り返った。
しかし、アンジェの姿を確認して大喜びで飛びついてくる。
「アンジェちゃん戻っていたんだね。突然声を掛けられたから強盗かと思って驚いたよ」
「おじさん、戸締りはしないと駄目よ。でも、そのお陰で私はぐっすり眠ることができたんだけどね。昨日の夕食は厨房の食材を適当に貰ったわ」
アンジェは少し意地悪そうに笑ってみせる。
宿の女将がアンジェに抱きついてニコッと笑みを見せた。
「構わないよ。宿にいなかった私らも悪いからね。それよりアンジェちゃんが無事で良かったよ」
「おばさんたちは今までどうしてたの?」
「私たちは監視塔や城壁のような高くて頑丈な場所に避難していたのよ。何でも災害指定の魔獣が街に入り込んだって言うからね。戸締まりどころじゃなかったのよ。お金だけ持ってそのまま急いで逃げだしたんだから」
「そうっだったのね」
「でも、その魔獣は冒険者が従えているから安全だってギルドの職員が知らせに来たのよ」
「全く人騒がせなことだ。お陰で商売あがったりだよ」
「さぁ、食事の用意をしなくちゃね」
二人は徹夜で寝ていないのか疲れた表情で眠たそうに目を擦っている。
それでも客がいるのだから働かなくてはいけない。食事の準備をするため女将が厨房へ消えていった。
「今うちのが食事の用意をするから少し待っていておくれ」
「お二人とも寝ていないんでしょ?私がやるからいいわよ」
「そういうわけにはいかないよ。それに、宿の客も戻ってくるだろうからね。それまでは頑張らないと」
「そう、疲れてるのになんか悪いわね」
「好きでやってる商売だ。アンジェちゃんが気にすることじゃないよ」
毎日のことで慣れているのか、女将は手早く料理を作りテーブルに次々と並べていく。
テーブルいっぱいの料理を見てアンジェが感嘆の声を漏らす。
「わぁ。こんなに沢山の料理、おばさん本当にいいの?」
「今回だけ特別だよ」
女将は笑顔で軽く手を振り立ち去った。
美味しそうなスープの匂いには敵わない。アンジェはその好意を受け取り料理に手を伸ばす。
昨日、自分で作った料理も不味くはなかったが、やはり女将の作る料理の方が比べるまでもなく美味しい。
アンジェはお腹いっぱいになり人心地ついた。暫く満腹感を味わい店主と女将に礼を言って宿を出る。
既に数人の冒険者がギルド内で依頼を物色している。しかし、これでも人数は少ないくらいだ。冒険者の朝は早い、少しでも良い依頼にありつくため、普段であればこの数倍の冒険者で賑わっている。
恐らくベヒモスの騒動で十分睡眠を取れなかったのだろう。多くの冒険者がまだ眠りの中にいた。
アンジェはギルドに足を踏み入れ掲示板の前で足を止めた。
掲示板に薬草採取の依頼が張り出されているのを見て一先ず安心する。少なくともこれで依頼は受けられると笑みを浮かべた。
まだ駆け出しのアンジェは毎日依頼をこなして稼がなければならなかった。
今は餞別に貰った硬貨があり金銭に困っていない。だが、Gランクの依頼は報酬が低い、それがいつまで持つか分からなかった。
尤も低いといっても普通に働くのと同程度の稼ぎがある。しかし、冒険者は宿代や武具のメンテナンス、必要な道具の購入など必要経費はいくらでもかかる。
それらを差し引けば手元に残る硬貨は微々たるものだ。ランクの低い冒険者は毎日依頼をこなして初めて生活が成り立つ。
ランクが上がるまでは全ての冒険者が歩む道であった。
レンのチームに入ればお金の心配はないだろうが、条件次第では断るため安心はできない。
そのため、アンジェは今日も依頼を受けられることに感謝した。
アンジェは依頼を一枚剥ぎ取りレンの到着を待つ。
徐々に陽は登りいつしかギルド内は多くの冒険者で溢れかえっている。
レンが来ないことにアンジェが部屋の片隅でイラついていると、そのうち昨日の噂話が持ち上がる。それは、受付から聞いたであろうレンの話であった。
「聞いたか、レンさんがあのベヒモスを従者として登録したってよ」
「ああ、何でもグランドマスターから許可をもらって登録したらしい」
「グランドマスター?レンさんはグランドマスターとも知り合いなのか?」
「さぁな、でも転移が使える上にあの強さだ。冒険者ギルドも放っておかないだろ」
冒険者たちは噂話をしながら時折アンジェに視線を移していた。
その思わせぶりな視線にアンジェは不快感を顕にする。
「なによ!言いたいことがあるなら言いなさいよ」
アンジェの不機嫌な声に周囲の冒険者が僅かに後ずさり口を
「何なのよ。もう……」
アンジェが項垂れると一際大きなどよめきが走る。
冒険者たちは全員窓の外に釘付けになりベヒモスを眺めていた。
アンジェはやっと現れたレンに半ば呆れていた。駆け出し冒険者が悠々とこんな遅い時間に来ているのだからそれも当然である。
しかも、その態度から悪びれた様子もない。悠然とギルドに入りアンジェの姿を探していた。
部屋の片隅に佇むアンジェを見つけてレンは軽く手を挙げ挨拶をする。
『ここにいたのか』
「ここにいたのか、じゃないわよ!来るのが遅い!」
『そんなことはないだろ?他の冒険者も沢山いるではないか』
「あのね!駆け出しの冒険者は早くギルドに来て少しでも良い依頼を選ぶものなのよ!」
『まぁ、そう怒るな。悪気があったわけではない』
いつものレンの態度にアンジェは責めるのを諦めた。以前のやり取りを思い出して、これ以上話しても無駄だと考えたのだ。
遅い時間に来たことは許せないが、それは今後直していけばいい。それよりも聞かなければならないことがあった。
「はぁ、もういいわ。聞きたいことがあったの。それ次第ではレンのチームに入ることができないのよ」
『どういう事だ』
「レンは竜王国お抱えの冒険者なのよね?」
正確には国お抱えではなく、国を抱えている冒険者だ。しかし、レンにとっては些細なことであり説明のしようがない。あっさり説明を放棄してそのまま頷いた。
『それがどうかしたのか?』
「国との契約条件はどうなっているの?」
『条件だと?』
「方針や報酬のことよ。レンのチームに入ったら、私もその方針に従わなければならないのよ」
条件と言われても何かあるわけではない。全てはレンの自由だ。だが、そのまま言ったのでは怪しまれる恐れがある。レンは適当にその場しのぎの言葉を考え口に出した。
『竜王国は出来たばかりの国だ。ようは国の宣伝だな。色々な場所で普通に冒険者として活動するだけだ。特に制限などがあるわけではない』
アンジェはレンの周囲を一回りする。ド派手な武具とマントに描かれた紋章を見て顔を顰めた。自分も同じような格好をさせられるのではと不安になる。
「ねぇ、もしかして私もレンと同じような格好をするの?」
『いや、今まで通りで問題ないが――同じ格好がしたいのか?』
「絶対に嫌よ!」
『そ、そうか、それは残念だ』
仲間が出来ると思ったレンの願いは一瞬で砕け散った。
やはり、一人でこんな格好をしなければならないのかと肩を落とす。
「方針は分かったわ。それなら問題ないけど報酬はどうなっているの?」
『そうだな。取り敢えず私の所持金の半分を渡そう』
レンはリュックから硬貨の入った袋を取り出した。
『これから半分受け取ってくれ』
アンジェは差し出された袋の口紐を解いて中を覗き込む。
「え!?」思わずそんな声が漏れてしまった。それもその筈である。中に入っていたのは、その殆どが黒金貨、それ一枚で一生生活ができる。
それが袋いっぱいに詰め込まれているのだから、驚かない方がおかしい。
『何だ足りないのか?』
「違うわよ!どうやったらそんな発想になるの!多すぎるのよ!」
『そうなのか?』
「そうなのよ!取り敢えずこれ一枚だけいただくわ」
そう言ってアンジェは黒金貨を一枚袋から取り出し残りをレンに突き返した。レンは報酬のことはよく分からない。しかし、同じチームである以上取り分が少なすぎるように思えた。
『それだけでいいのか?』
「これでも多いくらいよ!」
アンジェがなぜ怒っているのかレンには分からない。しかし、もういらないと言うのであれば無理に押し付けることもできなかった。
取り敢えず、報酬は毎月黒金貨一枚で良いだろうと、レンは袋をリュックにしまい込んだ。
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