第80話 冒険者14
レンはギルドを出てベヒモスを見上げた。
その背中ではメイが気持ちよさそうに寝息を立てている。
それを見てレンは更に苛立つ。メイが悪い訳ではない、八つ当たりもいいところだ。
『メイ!起きろ!』
レンの不機嫌な声にメイは体をビクン!と震わす。
目を擦りながら上体を起こし、普段と違うレンの気配を感じ取っていた。
周囲では兵士や冒険者が何事かと緊張している。
『メイ!一度ベヒモスと一緒に帰還する!』
ベヒモスと聞いて途端に周囲が騒がしくなる。
「災害指定の魔獣だと!」
「冗談じゃないぞ!」
「町の住民を避難させろ!」
「近隣の街と王都に伝令鳥を飛ばせ!」
だが、不機嫌なレンと怯えたメイには周囲の声は入ってこない。
メイは不機嫌なレンの声を聞いて涙目になっている。
「は、はいなの」
レンたちはいつもと同じく居城の食堂に転移した。
突然現れたベヒモスによって、テーブルや椅子が押し潰され破壊音が鳴り響く。
幸いにもまだ陽が高いため食事の準備はされていない。だが、掃除をしていたメイドが驚いて慌てふためきながら逃げ去っていた。
レンは全てを無視して口元に指輪を近づける。
(エイプリル、セプテバ、聞こえるか!私だ!)
(レン様?聞こえます)
(はっ!聞こえております)
(食堂まで来い!大至急だ!)
レンの不機嫌な声に二人に緊張が走る。
言われるまま即座に食堂に現れた。そして、テーブルセットを粉々にするベヒモスを見て即座に身構えた。
二人の殺気を受けてベヒモスは震え上げる。メイが声を上げようと立ち上がるが、その前にレンの声が響き渡った。
『よせ!このベヒモスは私が飼うことになった!手出しは許さん!』
「そ、そうなのですか?失礼いたしました」
二人は深々とレンに頭を下げた。
エイプリルはいつもの口調で話す余裕がない。
それほどレンの口調が怒りを孕んでいた。
『ベヒモスを私の騎乗魔獣として登録しようとしたが断られた!この世界ではベヒモスが現れたら討伐命令が下されるとは本当か?』
「お、仰る通りでございます」
『それは何も悪さをしていなくてもか?』
「……その通りでございます」
『何故だ!強いことが悪いのか!それなら我々も悪だと言うのか!答えろ!!』
エイプリルは泣きたくなる。何でこんなに責められているのかと……
隣ではセプテバも困惑していた。
「そのようなことはございません。強者が悪しき者とは間違った考えでございます」
『災害指定の魔獣は冒険者ギルドの指示で即時討伐と決められているらしいな!』
「そ、その通りでございます」
『災害指定の魔獣には竜も含まれているのか?』
「そ、それは……」
エイプリルの目が泳ぐ。本当のことを言ったら間違いなく怒りを買うからだ。
だが、嘘を言うこともできずに言葉を詰まらせた。
『その様子だと竜も含まれているのだな』
「お、恐れながら……」
『胸糞悪い!お前たちはそれで良いのか!なぜ意を唱えない!』
「申し訳ございません。我々の配慮が足りず、レン様を不快にさせたことをお許し下さい」
エイプリルには頭を下げることしかできない。
少し考えれば怒りを買うことは分かっていたはずだ。自分が災害指定の魔獣として扱われているなど怒って当然である。
冒険者として活動してきた二人であれば、それは以前から分かっていて然るべきことだ。
そのため、エイプリルとセプテバは何もしなかった自分を恥じた。それこそ死を覚悟するほどに。
『このベヒモスを私の騎乗魔獣として登録したい。討伐命令の件も含めて直ぐに何とかしろ!』
「お任せ下さい。直ぐに手配いたします」
『冒険者ギルドの考えは私にとって不愉快だ!長くは待てないと思え!』
「はっ!」
エイプリルとセプテバは姿を消した。
食堂の扉の陰からマーチがあわあわしながらこっそり様子を覗いていた。
ななな、何これ!
レン様が不機嫌だよ。
誰か何とかしてぇ~。
その願いが叶ったのか、ベヒモスの背中で震えていたメイが覚悟を決めて下に降りてきた。
槍を握り締めて申し訳なさそうにレンに頭を下げる。
「ご、ごめんなさいなの。メイまたお昼寝してたの……」
メイは自分が寝ていたためレンが怒っているのだと勘違いしていた。
しかも、昨日に続いて今日も熟睡である。メイは瞳の端に涙を貯めて叱られる覚悟を決めていた。
メイ?
違う、そうじゃない。
俺はお前たちに怒ってるわけじゃないんだ。
泣かないでくれ。
俺は配下に八つ当たりしていたのか。
最低だな……
その様子を見てレンは落ち着きを取り戻す。首を横に振りメイの近くに歩み寄った。
『メイが悪わけではない。感情的になっていた私が悪いのだ』
「レン様は悪くないの!」
『今思えばエイプリルとセプテバにも言い過ぎた。彼らに非はないと言うのに、私は何と愚かなのだろうな』
「そんなことないの!」
メイはそう言っているが明らかにレンが悪い。
傍から見れば一方的に周囲に当たり散らし憂さ晴らしをしていたのだから。
八つ当たりされた方は、この上なく迷惑なはずである。
メイも迷惑を被った一人であった。だが、メイは怒ることもなくレンは悪くないと言ってくれた。
もしかしたら意味も分からず何となく言っているだけかもしれない。
それでも、レンにはとても嬉しい言葉だった。
『メイは優しい子だな』
レンは感謝の気持ちを込めてメイに優しく微笑みかける。
メイもまたレンの笑顔を見て嬉しそうに笑みを浮かべていた。
そこには怯えた姿は何処にもない、いつも通りのメイに戻っていた。
そんなことをしてる間に、騒ぎを聞きつけていつもの三人が食堂に転移してきた。
ベヒモスを見ても歯牙にもかけない。
真っ直ぐにレンの元へと駆け寄ってくる。
「お帰りなさいませレン様」
「今日は早いお帰りなのですね」
「無事で何よりでございます」
『出迎えご苦労』
「ご苦労だなんてとんでもございません」
「レン様を出迎えるのは妻として当然でございます」
「愛する夫を出迎えるのは、この上ない喜びでございます」
『そ、そうか、ところで、このベヒモスを飼うことになった。部屋や食事等の準備をして欲しい』
「レン様のペットでございますか?」
「ベヒモスの子供ですね。体毛が黒いので変異種でしょうか?」
「子供のベヒモスにしては能力が高いですね。レン様のペットとしてはぎりぎり合格かしら」
『子供なのか?長い間寝ていたようだが……』
「まだ生まれてから十万年も経っていない子供でございます」
「ですが、黒い体毛は凛々しくてレン様にとてもよくお似合いです」
「私も昔はよくベヒモスを追い回して遊んだものです」
突っ込み所は多々あるが、レンは取り敢えず聞かなかったことにした。
ヘスティアの言葉にベヒモスが身震いしている。
助けを求めるようにレンに視線を向けていた。
『ヘスティア、このベヒモスは私が飼うのだから家族も同然だということを忘れるな』
「当然でございます。追い回すような真似はいたしません」
『うむ。メイ、ベヒモスの部屋だがメイと一緒でも良いか?』
メイは待ってましたと言わんばかりに瞳を輝かせる。
「メイがお世話するの!」
『ではアテナよ。メイの部屋をベヒモスが入れるように広く作り直してくれ』
「畏まりました。食堂や大浴場もベヒモスが快適に過ごせるように改良いたします」
『期待している』
「期待しているなんてどうしましょう」
アテナが身悶えしながら悦に浸っている。
悪寒を感じたレンはさり気なくアテナから距離を取った。
「レン様、一つ気になるのですがよろしいでしょうか?」
『何だニュクス、申してみよ』
「メイが持っている槍は何でしょうか?」
『あれは……メイからの贈り物だ。丁度槍が欲しくてな……』
「そうだったのですか?それでしたら星を貫ける槍をお作りいたしますのに。レン様、今からでも遅くはございません。どうか私にお任せ下さい、最高の槍をご覧にいれます」
『待て!勝手なことをするな!折角、メイが作ってくれたのだ、私はこの槍を使う。それにニュクスからは既に剣を貰っている。これ以上は必要ない』
「そうでございますか……」
ニュクスは残念そうに口を尖らせていた。
今度は星を貫く槍かよ。
ニュクスはこの星に恨みでもあるのか?
星がなくなったらみんな死ぬんだぞ?
にしても、こんな馬鹿なやり取りをしてると、さっきまでの嫌な気持ちが嘘みたいだ。
それに関してはニュクスに感謝だな。
レンは苦笑いを浮かべる。
だが、お陰でさっきまでの嫌な気分は綺麗さっぱり吹き飛んでいた。
レンは拗ねているニュクスに内心感謝しながらメイから槍を受け取った。
『アテナ、この槍は持ち歩くには少々不便だ。私の意思で出したり消したり出来ないか?』
身悶えしていたアテナが我に返る。
槍をじっと見つめてどうしたものかと考えていた。
『難しいのか?』
「いえ、可能なのですが――槍だけでよろしいですよね。私たちが作った剣と鎧は絶対に駄目でございますよ」
『何だ、やろうと思えばこの黄金の武具も私の意思で出し入れ出来るのか。ならそうしてくれると有り難いな』
だがそれは三人が許さない。
「それは余りにも危険です。絶対にいけません」
「もし、そうなさると言うのであれば私たちが護衛につきます」
「御身に万が一のことがあってはなりません」
三人が付いてくるとあっては断念せざるを得ない。
災厄がこの世界を闊歩して歩くなど冗談ではない。
そんなことは絶対にさせてはならないのだ。
『わ、分かった。この槍だけ私の意思で出し入れ可能にしてくれ』
「そういう事でしたらお安い御用です。離れた場所からも瞬時に手元に戻るようにいたしましょう」
アテナが槍に手を翳すと一瞬槍が光った。
それから何かをするわけでもなく、アテナは終わったと言わんばかりにレンに微笑みかけている。
『もう終わったのか?』
「はい、その槍はレン様の意思に従い自由に出し入れできます」
レンは槍を見つめて消したいと願う。すると、それに呼応して槍は一瞬でその姿を消した。
今度は槍を出したいと願う。すると、槍はレンの手中に現れた。
レンは何度か出し入れを繰り返し感触を確かめる。
『これは良いな。そうだ、メイのリュックサックも出し入れできるようにした方が良いのではないか?』
だが、メイは首をぶんぶん横に振って嫌がっていた。
「これはメイの宝物なの。メイがずっと持ってるの」
宝物であれば尚のこと持ち運ばない方が良いのだが、メイはどうやら肌身離さず持っていたいらしい。
その気持ちはレンも分からなくもない。小さな子供にはよくあることだ。
『無理にとは言っていない。メイが持ち運びたいならそうすれば良いのだ』
「そうするの」
メイは嬉しそうに自分のリュックを抱きしめている。
レンは瓦礫の中から無事な椅子を見つけてそれに腰を落とす。
『エイプリルとセプテバには悪いことをしたな。暫くここで帰りを待つとするか』
「レン様、あの二人がどうかしたのですか?」
ニュクスの問いにレンは申し訳なさそうに顔を歪める。
尤もその表情を知ることはできない。普段から心掛けていることもあって、傍から見れば威風堂々としたものだ。
『ベヒモスの件で二人を使いに出している。戻るまで暫く時間が掛かるだろう。お前たちも自分の成すべきことをせよ』
「畏まりました。マーチいつまで隠れて見ているの?今晩からベヒモスの食事も用意なさい」
「は、はい、畏まりました」
ニュクスに指摘され、マーチが扉の陰からひょっこり顔を覗かせて頷いていた。
「私は先にメイの部屋と大浴場をベヒモス用に改良してきます。レン様もいらっしゃいますので食堂は後回しにいたします」
アテナはそう告げるとレンに一礼して姿を消した。
メイとヘスティアはベヒモスの傍でその巨体を撫でている。
ニュクスはレンの傍で微動だにしない。
手持ち無沙汰のレンは何をするわけでもなく二人の帰りを静かに待つことにした。
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