第79話 冒険者13
衛兵たちは、まだ腰を抜かして身動き出来ずにいた。
レンとアンジェの会話を聞いていたにも関わらず、その表情は恐怖で強ばっている。
『彼女との会話を聞いていただろう。この魔獣は私がいる限り人を襲わない。安心して欲しい』
だが、衛兵たちは恐怖のあまり言葉が入ってこないのか、唯々怯えるばかりだ。
門から街の中を覗けば人っ子一人いない、真っ直ぐ伸びる通りは閑散としていた。
恐らくベヒモスの姿を見て逃げ出したのだろう。
街の住民への説明もしなくてはならないのか。そんな事を考え、レンは胃がキリキリする思いであった。
その後もレンは幾度となく衛兵に話しかける。
『この魔獣は私に従っている。何度も言うが私がいる限り人を襲わない。怖がらないでくれ』
「ほ、本当に人を襲わないのか?」
衛兵の一人が腰を抜かしたまま恐る恐る口を開いた。
やはり、その表情は恐怖で強ばっている。
『この魔獣は私の支配下にある。私がいる限り人を襲うことはない。お前たちが襲われていないのが何よりの証拠だ』
「この子は賢い子なの。レン様の言うことはちゃんと聞くの」
「た、確かにそうだが、
『支配下に置いているからこそ魔獣の背に乗れているのだ。目の前の現実を受け入れろ』
「……わ、分かった」
衛兵は頷くが、まだ完全に信じきっていない様子だ。
訝しげに魔獣を見上げている。
完全には信じてもらえないか。
アンジェが戻るまで、まだ時間が掛かるしどうしたもんかな。
取り敢えず運んできた兵士の介抱をするか。
『メイはここに残っていろ。私は下に降りて兵士たちを介抱する。槍はメイが持っていてくれ』
「はいなの」
レンはベヒモスから飛び降りると、気絶している兵士のもとに歩み寄る。
身を屈めて容態を見るが気絶しているだけで外傷はない。全力で走って体力を消耗しているが、暫くすれば直ぐに元気になる様子だった。
レンは兵士の無事を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
「その兵士はどうしたんだ?襲われたのか?」
一人の衛兵が訪ねてきた。腰を抜かした影響でまだ上手く動けないのか、剣を杖代わりにふらつきながら近寄ってくる。
『襲われていない。だが、襲われると勘違いしたのだろうな。全力で逃げ出して体力が尽きたのだ』
「無事なのか?」
『全員気を失っているだけだ。暫くすれば目を覚ますだろう』
「それなら良かった。ところで魔獣から降りて大丈夫なのか?暴れたりしないだろうな?」
『問題ない。私が傍にいるしメイも乗っている。暴れることはない』
衛兵は魔獣の背に乗るメイを見て顔を曇らせる。
危険な魔獣に小さな子供を乗せるなんて、そんなことを言いたげに口を何度か開いていた。
尤も言葉には出さずに怪訝な表情でレンのことを見るに止めている。
下手に言葉をかけて怒らせるのは不味いと思ったのかもしれない。
レンはそんな兵士の様子などお構いなしに森の方を見つめる。
まだ、大勢の兵士や冒険者が遥か遠くに見える。説得にも時間が掛かるだろうし、それから移動となると更に時間は掛かる。
この場への到着が遅くなるのは目に見えていた。
レンは[
際限なく[
都合の良いように街から街へ移動しろと言われてもいい迷惑である。
それに、魔法はレンが使えることになっている。ベヒモスを置いて行けば衛兵が騒ぎ出すだろうし、ベヒモスを連れて行っても今度は相手が逃げるだろう。結局はアンジェに任せるしかないのだ。
まだ時間は掛かりそうだな。
皆が戻るまでゆっくり休むとするか。
レンは近くの兵士へ視線を向けた。
先程まで腰を抜かしていた兵士は全員立ち上がっていた。腰を伸ばしたりしながら体を軽く動かしている。
有事の際に動けるように体の調子を見ているようだ。
『森に向かった兵士や冒険者が戻るにはまだ時間が掛かる。それまで私たちはここで待機させてもらうぞ』
「それは構わないが魔獣が襲ってこないようにしてくれよ」
レンは頷きベヒモスと視線を合わせた。
少し視線を上げれば、メイがおやつの干し肉を頬張っている。
『メイ、暫くこの場所で待機する』
「分かったの。じゃ、ベヒちゃんも休むと良いの」
ベヒちゃん?レンは首を傾げるが、どうやらそれはベヒモスのことを指しているらしい。
メイの言葉に頷くように、ベヒモスはその身を屈めて伏せの状態になった。
周囲の衛兵からは「おお!」という声が聞こえてくる。
レンもこれは丁度良いとばかりにベヒモスの体毛に寄りかかった。
最高級のクッションに
まだ時間もあることから、レンは少しの間仮眠を取ることにした。
遠くから誰かに呼ばれる声が聞こえてくる。
思わずいつもの癖で目を擦ろうとするが、それは何かに阻まれた。
手で顔に触れようとしても触れることができない。
「いい加減に目を覚ましなさいよ!こんな危険な魔獣を放っておくなんてどういうつもり!」
その声でレンの意識は覚醒した。
目の前では仁王立ちのアンジェが怒りを顕にしている。
レンは目の前に置かれている自分の手を見て『ああ、なる程な』と思わず呟いていた。
「何が!ああ、なる程なよ!レンは何で寝てるのよ!魔獣が暴れたらどうするつもりなの!」
『動いたら直ぐに分かる。この巨体が私の体を支えていたのだからな』
レンはそう言ってベヒモスの体を撫でてやる。
「寝ていたら直ぐに対応できないでしょ!この魔獣を抑えられるのはレンだけなのよ!」
『そう怒るな。こいつは無闇に暴れたりしない』
「なんでそんなことが言えるのよ!」
『私に従うと言ったからだ』
「この魔獣がそう言ったとでも言うの?」
『その通りだ』
「……もう良いわ。レンと話してたら頭が痛くなってきた」
『それは大変だな』
「だれのせいだと思ってるのよ!」
アンジェは怒り疲れたのか一度大きな溜息を漏らした。
そして再度レンを睨みつける。
「言われた通り説明してきたわよ」
アンジェが後ろを振り返ると、そこには冒険者や兵士の姿があった。
尤も、全員魔獣を警戒して距離を保っている。
『ご苦労だった。では、誤解も解けたようだし街に入るか』
「はぁ?ちょっと待って!まさかその魔獣を街の中に入れるつもり?」
『別に問題はないだろ。街の通りは広い、余裕を持って通れるはずだ』
「問題はそこじゃないわよ!もし魔獣が街中で暴れたらどうすつもりなの!」
『何度も言わせるな。暴れることはない!』
レンは鋭く言い放つ。
だが、アンジェも引く気はないのか、レンの視線を真っ向から受け止めていた。
不毛な言い争いが続くかと思われた矢先、一人の男が声を上げる。
「この街を守る兵士の隊長として、魔獣が街に入ることを認める訳にはいかない」
二人のやり取りを見ていた部隊長が間に割って入ったのだ。
このままでは魔獣に街へ入られると危惧してのことかもしれない。
兵士には街を守る義務がある、それが国から報酬を貰う兵士としての勤めだからだ。
にも関わらず、恐ろしい魔獣を街に入れたとあってはクビにされかねない。それだけならまだ良いが最悪責任を取らされる恐れもある。
もっと悪く言えば家族にも害が及ぶかも知れない。
そのため、魔獣を街に入れることは絶対に避けなければならなかった。
部隊長は断固たる決意でレンの前に立ちはだかる。
『やれやれ困ったものだ。私の騎乗魔獣として登録するだけなのだがな』
「これを騎乗魔獣にするだと?」
『冒険者の中には従えた魔物や魔獣を従者として登録する者もいる。中には騎乗魔獣として馬の代わりに使う者もいると聞いた』
「確かにそう言った冒険者もいるが、しかし……」
部隊長は魔獣を見上げる。
その巨体に「嘘だろ?」と声を上げていた。
『これは冒険者に認められた権利だ』
「だが、その魔獣は本当にお前に従っているのか?」
『それはお前たちが一番良く分かっているのではないか?私に従っていなければ、お前たちは全員死んでいるのだからな』
「………………」
部隊長のみならず、その場に居合わせた全員が俯き言葉が出なかった。
言われた通り本来なら全員死んでいてもおかしくない。一人の死者も出ていないのはレンが魔獣を支配下においているためだ。
「仕方ない。街への立ち入りを許可しよう」
「ちょっと良いの?」
部隊長の言葉に思わずアンジェが問いかける。
「ただし、魔獣の登録が済むまでは我々が付き従う」
『構わんとも。むしろ有り難いくらいだ』
「はぁ~、信じられない」
アンジェが肩を落として呆れていた。
他の冒険者や兵士たちは巨大な魔獣が街に入ると色めき立っている。
部隊長は兵士を編成して魔獣の四方を取り囲み直ぐに移動は開始された。
魔獣を取り囲む兵士たちは明らかに怯えていた。特に前方を歩く兵士たちは後ろから食われるのではないかと、横目でちらちら後方を確認しながら歩いている。
街中は魔獣を恐れるように閑散としていた。
希に脇道から人が現れるが、直ぐに踵を返して走り去っている。
レンは、その度に暗い表情で肩を落とした。
南門から近いこともあり冒険者ギルドには程なくして到着する。
街の外に現れた魔獣のことは既に耳にしていたのだろう、実力のない冒険者は既に逃げ出していた。
ギルド内には数人の冒険者と受付嬢だけが残っていた。
受付嬢は魔獣の姿を目の当たりにして一様に顔を引き攣らせている。大きいとは聞いていたが想定よりも遥かに大きく凶暴に見えたのだ。
それでも受付嬢は逃げることはない。受付嬢としての矜持が業務を全うしなければと言っているのだろうか。その根性には頭が下がる思いだ。
レンがギルド内に入りカウンターに向かうと、受付嬢はいつも通り挨拶をしてくれた。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなご要件でしょうか?」
『従えている魔獣を登録したい』
受付嬢はちらりと外に視線を移す。
愛想笑いを浮かべながらレンに確認をとった。
「魔獣と言うのは外の、あれでございますか?」
受付嬢の視線の先にはベヒモスがいる。
レンはそれを確認して頷いた。
『そうだ』
「そうですか……」
受付嬢は消え入りそうな声で「あれですか……」と呟いていた。
もう愛想笑いも消えている。
「冒険者の認識票を見せていただけますか?」
レンは例のごとく種族名を指で隠すように持ち上げ受付嬢に見せた。
受付嬢が用紙に必要事項を書き込み、その用紙をカウンターの上に差し出す。
「それでは、此方に魔獣の種族と名前をお書きください」
名前と言われても特に決めている訳ではない。
名前もベヒモスで良いだろうと、レンは名前と種族にベヒモスと記入して差し出した。
受付嬢は用紙を手に取り視線を落とす。
そして……そのまま身動き一つしなくなった。瞳を大きく見開いて種族のところを凝視している。
受付嬢が満面の作り笑いで、さも当然のように指摘した。
「レンさん、種族を書き間違えていますよ」
受付嬢の瞳が怖いくらいに見開いてレンを見ている。
何なの?
ちょっと怖いんですけど。
書き間違い?
レンは窓の外に視線を移した。
そこには伏せの状態で
ベヒモスに浮かび上げるステータスを再確認してから用紙に視線を落とした。
種族に間違いがないことを確かめると、そのまま用紙を受付嬢に戻した。
『あれはベヒモスで合っている。間違えてなどいない』
「あはは、ご冗談を」
『冗談ではない。あれは間違いなくベヒモスだ』
「う、嘘ですよね?」
何なんだ?レンは不審に思い周囲を見渡す。
すると、聞き耳を立てていた他の受付嬢や冒険者の顔が青褪めていた。
ほんとに何なんだよ。
俺が何かしたのか?
『良く分からないが取り敢えず登録をしてくれないか?』
「え、いや、だって、ベヒモスですよ?災害指定の魔獣ではトップクラスなんですよ。それを登録っておかしいですよ」
『災害指定の魔獣だと?』
「そ、そうです。もし本当にベヒモスなら大陸全土に厳戒態勢と討伐命令が下ります」
『討伐命令だと?あのベヒモスはまだ何もしていないのにか?』
「何かあってからでは遅いんです。それだけ危険な魔獣なんです。そんな危険な魔獣を私の裁量で登録なんて出来ませんよ」
『危険危険と
「私にそう言われましても……災害指定の魔物や魔獣は速やかに討伐するべきだと昔から冒険者ギルドで決められているんです。各国も被害を最小限に抑えるために、それに従って動きます」
『……分かった。出直してくる』
勝手な言い分にレンは内心頭にきていた。その表情は
巫山戯るな!
ベヒモスが全て悪いみたいに言いやがって!
胸糞悪い!!
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