第78話 冒険者12

 レンが頭を悩ませていると、一人の冒険者が何かの気配を感じて奥の茂みをじっと見ていた。

 釣られて他の冒険者や兵士も茂みの奥を油断なく観察する。

 暫くすると、草木の折れる音と共に僅かに大地が揺れ動いた。


 何だ?


 思わずレンやメイも音のする方を注視した。

 茂みの中に浮かび上がる二つの光に冒険者や兵士が後ずさる。

 誰もが言葉を発せず固唾を呑む中、それはついに現れた。


 人間の数倍あろうかという巨大な体躯に黒い体毛、ライオンのようなたてがみに鋭い牙と爪、犬や猫を数百倍大きくしたような魔獣は琥珀色アンバーの瞳を光らせながら悠然と此方に歩いてきた。

 その巨体から溢れる威圧感に誰ともなく声を上げる。


「な、何だあれは?」

「もしかして、こいつが俺たちの探している魔物なのか?」

「じょ、冗談じゃないぞ!こんなのと戦うなんて真っ平御免だ!」

「静かにしろ、刺激するな。この場から逃げることを優先しよう」


 冒険者たちが魔獣を刺激しなように細心の注意を払いながらじりじりと後ずさる。

 だが、一般の兵士はそうはいかない。


「ぎゃぁぁぁああああ!」

「助けてくれぇぇえええ!」

「食われるぞぉぉおおお!」


 余りの緊張感に耐え切れなくなった兵士が奇声を上げて森の出口に走り出した。

 その声に反応して魔獣が短い雄叫びを上げる。


「ガァアアウ」


 僅かな雄叫びだが大気は激しく振動する。

 その雄叫びに冒険者たちも踵を返して走り出す。


「くそっ!兎に角走れ!」

「こんな依頼受けるんじゃなかったぜ!」


 レンは走り去る兵士と冒険者の背中を見送っていた。

 そして、迫り来る魔獣をじっと見据える。

 不思議と恐怖心はなく魔獣からも敵意が感じられない。

 メイも笑顔を見せていることから、それほど危険な魔獣ではないのかもしれない。

 レンは魔獣をじっと見据え、浮かび上がったステータスに視線を落とした。


 種族 ベヒモス

 筋力 180140

 体力 194185

 魔力 167107

 抗魔 175074

 敏捷 184410

 耐性 183798


 うわぁ!つよっ!

 人間だと太刀打ち出来ないぞ。

 この森にはゴブリンとコボルトしか居ないんじゃなかったのか?

 まいったな、野放しにできないしどうしよう。

 まだ人間を襲ったわけじゃないし、森の奥に帰ってくれないかな。

 いや駄目か、森には蛮族がいる。

 それも不味いな。

 被害が出る前に殺すしかないのか……


 魔獣は走り出す兵士や冒険者には目もくれずにレンとメイの元に歩み寄る。

 やはり敵意はないらしい。レンたちを襲うわけでもなく、ただじっと見つめていた。

 敵意のないベヒモスにレンの心が揺れ動く。


 本当にまいった。

 少なくとも俺の知る限り、ベヒモスは何の悪さもしていない。

 それなのに敵意のないベヒモスを悪と決めつけて殺すのか?

 抑、強いことが悪なら俺たちだってそうなる。

 どう考えても敵意のないベヒモスを殺すのはおかしい。


 レンがベヒモスの様子を窺っているとメイが不意に近づいた。

 ベヒモスの巨大な足に触れると優しく撫でている。

 ベヒモスも嫌がることなく目を細めて気持ちよさそうにしていた。

 暫くするとベヒモスはお腹を見せて仰向けに寝転んだ。

 その衝撃でズドン!と大地は揺れ動きベヒモスの巨体に木が薙ぎ倒される。

 服従の意を示しているのだろうか、それを見たメイが嬉しそうにレンへと振り返った。


「この子、飼いたいの!」

『えっ!飼う?』

「そうなの、この子は良い子なの」


 そう言ってメイはベヒモスの体を撫でていた。

 その光景は微笑ましく見える。レンも飼ってやりたいところだが余りに大きすぎる。

 犬や猫を飼うのとは訳が違う。

 それに、レンには気になることがあった。


『この森にはゴブリンとコボルトしか居ないと聞いた。このベヒモスは他の場所から来たのだろう。元いた場所に返すのが良いのではないか?』


 それを聞いたメイは肩をがっくり落とす。

 そしてベヒモスに話しかけた。


「お前は何処から来たの?」


 ベヒモスはそれに答えるように「グルルゥ」と唸り声を上げる。

 メイは唸り声を聞いて小さく頷いた。


「この森の奥から来たって言ってるの」


 レンは驚きのあまり瞳を白黒させた。

 冗談か?そう思ったがメイはそんなことをいう子ではない。


『メイはベヒモスの言葉が分かるのか?』

「分かるの」

『もしかして竜は魔獣の言葉を理解できるのか?』

「ん?レン様は分からないの?」

『それは、つまり出来るということか……』


 そうか、俺以外の竜は魔獣と会話できるのか。

 意思疎通が出来るのは素晴らし事だ。

 それなら飼っても良いかな?

 でも、森の奥に住んでいたんだろ?

 何で森の入口に出てきたんだ?


『メイ、ベヒモスが何で森の入口に出てきたのか聞いてくれないか?』


 レンの言葉を聞いていたベヒモスが先程と同じように唸り声を上げた。


「寝ていたら、この場所から音が響いてきて目を覚ましたの。それで様子を見に出てきたって言ってるの」

『もしかして昨日の夕方のあれか?確かに着地した時に凄い音がしたからな。そうか、眠っているところを起こしてすまなかったな』


 レンもベヒモスに近づいて体を優しく撫でた。

 体毛はサラサラしていて肌触りが良さそうだ。

 全身鎧フルプレートが無ければ抱きついて感触を楽しんでいたかもしれない。

 ベヒモスが数回唸り声を上げる。

 それを聞いてメイが頷いていた。


「いっぱい寝たから、この子も起きようとしてたの。だから平気って言ってるの」

『そう言ってくれると有り難いな。どれくらい寝ていたのだ?』


 メイがベヒモスの唸り声を聞いて代わりに答えた。


「数千年から数万年って言ってるの。寝すぎてはっきり分からないらしいの」


 数千年から数万年?

 まぁ、確かにそれなら森にベヒモスがいるなんて分からないだろうな……

 それにしたって、寝過ぎにも程があるんじゃないか?

 このベヒモスは一体全体何歳なんだよ!


『起こしてしまった責任もあるし、森に返して蛮族が襲われても困る。私が責任を持って飼うしかないだろうな』

「この子、飼っても良いの」


 メイが瞳をキラキラと輝かせている。


『私にも責任があるからな。ベヒモスの世話はメイに任せても良いな?』

「メイお世話するの!」


 メイはベヒモスに抱きつき体毛に顔を埋めている。

 ベヒモスも気持ち良いのか微動だにしない。


『ベヒモス、お前は私たちが飼うがそれでも良いか?』


 レンがベヒモスに問いかけると短く唸り声を上げた。

 それを聞いたメイは、ガバッと顔を体毛から離して満面の笑みでレンを見上げる。


「竜王様に従うって言ってるの!」

『私が竜王だと分かるのか?』

「この子は賢い子なの。気配でちゃんと分かってるの」

『そうか、なら決まりだな』

「今日からこの子はうちの子なの」


 メイは再びベヒモスの体毛に顔を埋めて幸せそうにしていた。

 その光景にレンも表情を緩ませる。


 大きい猫だと思えば問題ないか。

 逃げていった兵士たちにも安全な魔獣だって教えないとな。


『ベヒモス、お前の背中に乗ることは出来るか?』


 ベヒモスは何も言わずに伏せの状態になり乗りやすいように身を屈めた。

 それでもレンの身長よりも高さがある。

 どうしようかと悩んでいると、メイはガシガシとベヒモスの体毛を掴んで登っていく。ベヒモスも嫌がることなく成すがままだ。

 登りきったメイはレンを見下ろして楽しそうに笑いかけた。


「レン様も早く登るの」


 だが、メイとレンでは体重が違う。しかも、レンは重い鎧を身に纏っている。

 メイと同じように体毛を掴んで登ってはベヒモスが痛がるだろうと躊躇していた。

 だが、そんな心配は無用らしく、ベヒモスは顔だけ動かして大丈夫と言わんばかりに頷いた。

 顔でクイックイッと、登れと意思表示をするベヒモス。レンはベヒモスに急かされながら体毛を掴み登り始める。

 メイの背後に回り込み、メイを包み込むようにベヒモスの背に跨った。

 体毛はしっかりしていて、レンが登っても抜けることはない。

 ベヒモスにも痛みはいらしく大人しくしている。

 流石にステータスが高いだけのことはある。レンはベヒモスの背で感心していると急に視界が高くなった。

 ベヒモスが立ち上がったのだ。

 視界が高くなってメイがはしゃいでいる。


「ふさふさで高いの!」


 小さなメイの体は半分近くがベヒモスの体毛に飲み込まれていた。

 レンはメイの頭を撫でながら、しっかり掴まる様に言い聞かせる。


『ベヒモス、先程の兵士たちを追ってくれ。それと人には危害を加えないようにな』


 ベヒモスは一度唸り声を上げると大地を蹴った。

 小さな草木は障害物にもならないのだろう、全て踏み倒して豪快に駆け抜ける。

 その速さは凄まじく周囲の景色が勢いよく流れていく。

 揺れ動くベヒモスに振り落とされないよう、レンは必死でしがみつくので精一杯だ。

 メイはそれとは真逆である。新しい遊びを見つけた子供のように、両手を離してはしゃいでいる。


 兵士たちも全力で逃げたのだろう、森の出口に差し掛かってやっと数人の兵士が視界に入った。

 早い者は街と森の中間まで走り抜けている。

 迫り来るベヒモスの振動に、兵士たちは更に力を振り絞って走り出す。


「嫌だ!死にたくない!」

「誰か助けてくれぇぇえええ!」

「駄目だ!食い殺される!」


 森を抜けたところで数人の兵士が力尽きて倒れ込んだ。

 安全な魔獣であることを伝えるために来たにも関わらず、傍から見れば兵士を追い回しているようにしか見えなかった。

 レンは兵士たちを落ち着かせるため声をかけながら近づいた。


『安心しろ!この魔獣は人に危害を加えない!』


 しかし、倒れ込んだ兵士からはレンの姿は見えず、口を開けたベヒモスの巨大な牙だけが視界に飛び込んできた。

 悠然と歩み寄るベヒモスに、倒れた兵士は恐怖のあまり意識を手放した。

 微動だにしなくなった兵士を見て、レンは思わず『えぇぇ……』と声を上げていた。


 俺は安心だって言ったのに……

 放っておく訳にもいかないしな。

 仕方ない、[転移テレポート]で南門まで兵士を運ぶか。


『メイ、倒れている兵士ごと[転移テレポート]で移動できるか?』

「出来るの」

『なら街の南門まで移動してくれ』

「はいなの」


 メイが魔法を唱えると、レンたちは一瞬で南門の前に現れた。

 突如現れたベヒモスに門の衛兵が瞳を見開いて腰を抜かしている。

 森から駆け出していた冒険者や兵士たちも、その足を止めて絶望に打ち震えていた。

 先頭を走っていた冒険者は街の直ぐ傍まで来ており恐怖で顔を引き攣らせている。

 その姿はレンからもはっきりと捉えることができた。


 ん?あれはアンジェか?

 やっぱり足が早いんだな。

 真っ先に依頼を放棄した冒険者を抜き去っている。


 レンはアンジェに向かって声を張り上げた。


『アンジェ!この魔獣は人に危害を加えたりしない!安心してくれ!!』


 踵を返して逃げようとしたアンジェだが、聞き覚えのある声にピタリと動きを止めた。

 そして、魔獣の上で輝く黄金の鎧に目を見張る。


 う、嘘でしょ?

 レンなの?

 でも、それなら魔獣が突然街の方に現れたのも頷けるわ。

 あの瞬間移動の魔法を使ったのね。

 でも何で魔獣に乗ってるの?


 アンジェは注意深く魔獣の動きを観察しながら歩み寄る。

 その様子にレンは苦笑いを浮かべた。


『アンジェ、警戒しなくても大丈夫だ』

「この子は良い子なの」


 ひょっこりと魔獣の背から顔を出すメイを目の当たりにして、アンジェはそこで警戒心を解いた。

 魔獣にズカズカ歩み寄り、レンにキッと鋭く睨みつける。


「レンは何をやっているの!この魔獣は何なの!」


 何故かアンジェは一人戦慄わななきながら拳を握り締めていた。


『何なのと言われてもな。メイが気に入ったらしくて家で飼うことになった』

「はぁ?飼う?この魔獣を?レンはやっぱり馬鹿なの?」

「この子は良い子なの!馬鹿って言った方が馬鹿なの!」


 メイが顔を膨らませてアンジェに食ってかかった。

 アンジェもメイ相手では強く言えないのか困った顔を見せている。

 そして、お前が悪いと言わんばかりにレンのことを睨みつけた。

 レンはもはや返す言葉もない。それよりもベヒモスが安全であることを伝えるのが先決である。


『アンジェ、すまないが兵士や冒険者に、この魔獣は安全だと伝えてくれないか。魔獣を近づけると怖がられて話を聞いてくれないのだ』

「そんなの当たり前でしょ!レンが魔獣から降りて話をした方が早いんじゃないの?」


 レンはどうしようかと考えるが答えは既に出ている。

 ベヒモスは従ってくれているが、まだ出会って数十分だ。信頼関係を築くには余りに短い時間である。

 離れて、もし何か取り返しのつかないことが起きたら目も当てられない。

 そのため、ベヒモスの傍を離れることは得策ではなかった。


『この魔獣とは出会ったばかりだ。私が離れてもし何かあったら困るだろ?それともアンジェが何とかしてくれるのか?』


 そう言われてもアンジェにはどうすることもできない。

 この巨大な魔獣を押さえ込むなど到底不可能なことであった。


「はぁ~、分かったわよ。伝えに行くわよ」


 アンジェは渋々了承する、踵を返して森の方へと駆け出した。

 立ち去り際に「何が安全なのよ!」と捨て台詞を吐きながら……

 レンはその言葉に返す言葉もなく、唯々苦笑いを浮かべるしかなかった。


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