第56話 国家樹立13
荒野の中を馬に乗った集団が颯爽と駆けていた。
集団が目指す先は死の大地にあると言われている不確定な国だ。彼らは第一王子リッテルの密命を受けて動く特殊部隊で、その中でも暗殺を専門とする暗部と呼ばれる部隊である。
皇帝が殺され何もしないでは国の
自国の王が殺されるという大失態。
多くの貴族は報復措置として、各国の王を暗殺することを直ぐに企てた。これにより自らの領地を他国から守り、何者にも屈しない意思を示すことで、自国の体面を保つ腹づもりでいた。
中には暗殺者を差し向けることを良しとしない貴族もいたが、リッテルの取り巻きの多くが強硬派で、またリッテルが政治に疎いこともあり、結果的に他国を牽制する名目で特殊部隊は送り出されることになった。
貴族との会談を終えたリッテルは自室に戻り、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、自分に指図をした貴族の顔を思い浮かべる。
我が物顔で暗部を動かせと言われたことが頭から離れず、怒りのままに拳を壁に叩きつけた。
大きな衝撃音が響き、壁には拳から滲んだ血液が付着した。それでも憂さ晴らしにはならず、拳の痛みが更に怒りを増長させた。
だから誓う。
皇帝になった暁には、俺に指図をした奴は絶対に後悔させてやると。
しかし、愚かな貴族の思わくは外れ、第一王子の願いは叶うことはなかった。
彼らはそれを直ぐに思い知ることになる。
死の大地に送り込まれた暗部は、近隣諸国において知らぬ者がいないほどの実力者揃いであった。
徹底的に訓練され、暗殺、隠密においては右に出る部隊はない。更に低等級ではあるが全員攻撃魔法を使うこともできた。そのことからも暗部への入隊は狭き門であり、魔法適正、身体能力、判断力、その全てが一定水準を満たさなければ入隊はできなかった。
しかも、苦労して入隊した後は過酷な訓練の日々だ。これによって近隣諸国最強と呼ばれる暗部が長年維持されていた。そんな殺しのエリートが死の大地に送り込まれて数日。
暗部たちは街から街へ、馬を乗り潰しながら驚くべき速度で移動していた。一週間以上かかる道のりを僅か二日で移動し、既にエルツ帝国の外れまで来ている。
装備は利き腕に仕込みナイフ、反対の腕には盾の役割も果たせる大きめの小手を装備し、その上に小型のクロスボウを装着している。
動きを重視するため防具は片腕の小手のみ、動きやすい軽装で腰には数本の短剣と短い矢筒を差していた。
頭の上から黒ずくめの
「本当に国なんてあるのか?」
不意に暗部の一人が誰ともなく呟いた。それを耳にした近くの男が馬を並べる。
「そんなことは関係ない。我々は命令に従うだけだ。国があるなら命令通り国王を殺せばいい。国がなければそれを報告するだけだ」
「確かにその通りだが、不確かな情報で暗部を全て動かすとは、王子は何を考えているのか……」
「王子ではなく取り巻きの貴族だろうな。それに国があるのは間違いないだろう。ノイスバインに放っていた密偵を通して以前から情報はあったらしい」
「それなら城の在り処も調べておけばいいものを……」
男は面倒くさそうに呟いた。何せこれから広大な死の大地を隈なく探さなければならない。幾ら人数が多いとは言え、運が悪ければ何日掛かるか分からないのだ。
もし密偵の情報が偽りで、居城や国がなければ膨大な時間が無駄になる。それを考えると顔を顰めずにはいられない。
先頭を走る暗部の男が肩越しに視線を後ろに向けた。
「もう直ぐ国境だ! 気を引き締めろ! 先ずは手はず通り部隊を複数に分けて城の捜索だ!」
暗部という特殊な部隊では僅かな油断が命取りになる。男は今までにも任務半ばで命を落とす仲間を数多く見てきた。その殆どが気の緩みからくる油断が原因だ。
声を上げて部隊を引き締め、自分もまた気持ちを切り替えた。真っ直ぐに前方を見据え、やるべきことに集中する。
次第に荒野は草原に変わり、辺りには背丈の短い草が生い茂る。真夜中の僅かな月明かりの中でも、夜目の効く暗部にはその光景がはっきり見えた。
先頭を走る暗部の男は、その異様な光景に馬を止めた。それに釣られるように後続の男たちも次々と馬を止める。
「死の大地に草原だと?」
一行は前方の草原を見つめて困惑する。死の大地は数百年ずっと荒野のはずで、こんな情報は聞かされていない。
男たちが足を止める中、前方に人影が浮かび上がり若い女性の声が聞こえた。
「やれやれ、待ちくたびれたぜ。それにしても、数日に渡って国境全域を
不測の事態に暗部は警戒を顕にする。
暗部には女性だから、少数だからと油断する愚か者は一人もいない。そんな甘い考えでは暗部で生き抜くことはできないからだ。
何より草原に一人で佇む女性の異様さに目を見張った。この近くに街や村はなく、夜に女性が一人で来られる場所ではないからだ。
言動からも明らかに敵対者だ。
暗部の誰もが油断なく女性の様子を窺っていた。
「さてと、命令だから取り敢えず警告はしてやる。私の名前はフェブ、竜王国の重臣の一人だ。今すぐ引き返すなら命は助けてやる。だが、このまま進むなら――殺す!」
フェブは腕を組みながら暗部を見渡す。
どうやら引き返すつもりはないらしく、じっとフェブを観察しながら、包囲するように場所を移していた。
「……そうか、ならお前らは皆殺しだ。さて、どうしたもんかな? 取り敢えず逃げられないようにするか」
余裕を見せるフェヴを尻目に暗部が先に動いていた。
フェブを襲ったのは漆黒の矢だ。それは1本や2本ではない。暗部の男たちは射線上に仲間が重ならないよう陣取り、約100本もの矢を射かけていた。しかも矢には漆黒の艶消しが塗られ、僅かな月明かりでは目視することができない。
フェブは微動だにせず、その全ての矢を全身で受け止めた。暗闇で見えないからではない。回避する必要がないからだ。
全方位から襲いかかる矢に暗部の誰もが殺ったと確信する。
しかし……
「[
矢で射殺した。暗部の男がそう思ったのも束の間、フェヴは何事もないかのように魔法を発動させていた。
直後、男たちの背後に火柱が立ち上る。それはフェブを中心に巨大な円を描き、気が付けば全ての暗部が炎の壁で包囲されていた。
想定外の出来事に一部の暗部の顔色が変わる。炎の壁を横目で見るや、即座に馬から降りて身構えた。
退路のない限られた空間では、馬はかえって邪魔になると判断してのことだ。身構える暗部を見てフェブは笑みを浮かべる。
「やる気があっていいじゃねぇか。そんなお前らに猶予をくれやる。私は今から10分の間、攻撃も回避もしない。これならお前らも少しは楽しめるだろ?」
何を馬鹿なことを、多くの暗部がそう思う中で、一部の暗部はこの窮地をどう脱するかを考えていた。
炎の壁を見上げるも、
男はフェブの様子を窺い瞳を細める。10分も何もしないのは手傷を負わない自身があるからだ。
個別に攻撃しても効果は薄いだろうと、男は他の暗部に呼びかけた。
「あの女は強い! 連携して波状攻撃を仕掛ける!」
その言葉に他の暗部も同調する。何故なら声を発した男は暗部を束ねる実力者、その男が強いというのだ。目の前の女は一筋縄では殺せないと、誰もが即座に判断した。
先程と同じく全方位から漆黒の矢がフェブを襲う。その数は200、しかも矢には致死性の毒も塗られていた。
しかし、結果は同じだ。フェブは弾かれた矢を空中で手に取ると、先端の毒に指先で触れて大きく肩を落とす。
「この液体は毒か? こんなんで殺せるわけねぇだろ」
矢を放り投げると次はまだかと手招きをする。
男たちの体に汗が吹き出す。背後の炎が熱いからではなく、恐怖から滲み出る嫌な汗だ。それでも冷静に合図を送り、今度は同時に魔法を放った。
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使われた魔法の殆どが第2等級以下の魔法だが、それぞれの魔法が相乗効果を生み殺傷能力を高めていた。
炎の魔法を風が巻き上げ、水の魔法が雷の効果範囲を広げ稲妻の貫通力を上げた。絶え間なく魔法が放たれた後には、広範囲に渡り地面が焼け焦げている。
それでもだ。その中心でフェブは腕を組み、変わらぬ姿勢で佇んでいた。衣服も無傷で何事もなかったように余裕の表情を浮かべていた。
流石に暗部たちにも動揺が走る。
低等級の攻撃魔法ではあるが、暗部全員から放たれた魔法だ。その数は百にも及ぶ。その集中攻撃を受けて衣服すら破れることがないのは、余りに想定外のことだ。
予想されるのは魔法を無効化する特殊な
問題は一人を大勢で襲った場合、互いが邪魔になり動きが制限されることだ。十全に動ける空間を確保するには、人数を大幅に制限する必要がある。そのため近接戦に長ける男たちは互いに合図を送り、真っ先にフェブ目がけて駆け出していた。
一瞬で距離を詰めて腰から短剣を抜き放つ。それぞれが急所めがけて短剣を突き立てた。
ある者は背後から心臓を、ある者は横から喉元を、ある者は正面から眼球に、月明かりに照らされた短剣は僅かに煌めき、真っ直ぐフェブに突き刺さった。
回避はされていない。
間違いなく死んだはずだ。そんな淡い期待を裏切り、「キンッ」と、甲高い音が三つ鳴り響いた。
男たちは有り得ないと目を見張る。フェブは薄い肌着を一枚着ているだけ、防具は全く身につけていない。それなのに金属がぶつかり合うような硬質の音が響いたのだ。
しかも、眼球に突き立てられた短剣は、その瞳を抉ることはなく、見開いた瞳の前で止まっている。
無理やり短剣を押し込もうと柄を全力で殴りつけるも、まったく切っ先が入っていかない。
驚く男たちを見てフェブは口元を歪める。その異様な雰囲気に男たち後ろに飛び退き距離を保つ。
「何なんだお前は!」
「貴様人間ではないな!」
「この化物め!」
フェブはそれを聞いて、
「そうだな。お前たちにも分かりやすいように改めて自己紹介をしてやる」
深く沈んだ声と放たれた殺気に、全ての暗部たちに悪寒が走る。
ここに居ては不味い! 本能が警鐘を鳴らすも逃げ場などあろうはずがない。
「オレの以前の名はファフニール。お前ら人間の中では伝説や御伽噺で謳われる存在だ」
「……馬鹿な。ファフニールは最強と呼ばれる
暗部の言葉にファブは落胆する。
真実を明かすことで相手が恐怖で怯える姿を期待していたが、そんな僅かな楽しみも否定の言葉で奪われた。
思わず俯き小声で呟く。
「はぁ~、オレの言葉が信じられなってのかよ。所詮は人間か――話しをする価値もなさそうだ。それにオレの感覚ではちょうど10分経つ頃だしな……」
自分の所に来た手柄は僅か100人程度。しかも遙か格下の人間に自分の言葉を否定されたことで、フェブの機嫌は悪くなる一方だ。
だから顔を上げて無慈悲に言い放つ。
「時間だ」
フェブの身の回りを
異様な光景に暗部たちに冷や汗が流れる。
助けを請うため口を開こうとしたが既に遅かった。
「ま、まて――」
「[
途端にフェブの身に纏う赤い炎が青く光り、青白い炎が放射状に周囲を覆い尽くした。
暗部たちや馬は勿論、
地面は融解し、マグマとなり赤く溶け出している。全ての生物の存在を否定するかのように、一瞬にして大気の温度が上昇していた。上空を飛び交う夜行性の鳥が焼け落ち、羽が燃える不快な臭いが周囲に立ちこめた。
青白い炎が消えた後には、赤く融解した大地だけが残されていた。人や馬だけではない。金属で出来た武器や防具でさえも何処にも見えたらなかった。
フェブは赤く煮えたぎる大地に、どかっと
「貴族の説得が終わるまでここで待機か、退屈だな……」
あと数日、ここで国境を守らなければならなかった。
折角来た侵入者は簡単に死んでしまい、暇潰しにもなりはしない。
フェブは大きく
「ふぁあぁぁあ。レン様に会いてぇなぁ……」
フェブの切なる願いを聞く者は誰もいない。その言葉は融解した大地に溶けて消えていった。
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