第50話 国家樹立7

 小石が振る音がパラパラと鳴り、オーガストは上空を見上げた。

 天井に空いた大穴から見えたのは、半壊した無残な城の姿と、それとは対照的な清々しい青空だ。

 追い求めていた宿敵が現れ、本能的に体が動いたとは言え、勝手に城を破壊した行為が許されるとは思っていない。

 オーガストはレンの前に跪き深々と頭を下げる。

 

「レン様、勝手な行動を取り申し訳ございません。如何なる処罰も受ける所存でございます」

「その前に一つ聞きたい。私が下に降りてくるとき、城壁の上にいた兵士が全員倒れていたが――もしかして殺したのか?」

「レン様の許可も無く人間を殺したりは致しません。私の殺気で気を失っているだけで御座います。もちろん、人間の居ない場所を選んでこの場に来ましたので、城の崩落に巻き込まれた者はいないと思われます」

「それなら問題はないな。確かに城を破壊したのは許されざる行為だが、結果として話は纏まり協力を得ることが出来た。相応の賠償金を支払う必要はあるだろうが、壊れた城に関してはアテナに修復させればよい。お前がもし今回のことで責任を感じるなら、我が国の国王としての役目をしっかりと果たせ。それなら今回の不始末の件も、誰も咎めたりはしないはずだ」


 最後の言葉はオーガストに当てたのではなく、暗にノーヴェに言ったものだ。

 先程からノーヴェがオーガストに鋭い視線を向けているのには気が付いていたし、ゴンドラ内のやり取りを見ても二人は仲は悪いように思えた。

 ドラゴンの喧嘩は古代竜エンシェントドラゴンで懲りている。火種を消すのに早いに越したことはない。

 

「お前もそう思うだろ? ノーヴェ」


 レンはノーヴェの言質を取るため敢えて尋ねた。


「……はっ、その通りでございます」

「返答までに間があるな。私の考えが不服か?」

「いえ、そのようなことは決して。レン様がお決めになられたことが全てで御座います」


 ノーヴェは恭しく頭を下げているが、表情は少し険しく明らかに不満そうだ。


(俺の言うことだから従っているが、納得は出来ないと言ったところか。余り使いたくない手だが、今後の事も考えて序列をはっきりさせる必要があるな……)


「ノーヴェ、もしお前たちに序列を付けるなら、お前はオーガストより下だ」


 ノーヴェの眉がピクリと反応する。 


「存じております。オーガストは我ら上位竜スペリオルドラゴンの纏め役で御座いますので……」

「そうだな。だがそれだけではない」


 レンは深く息を吐き、意を決して口を開いた。


「オーガストは私の婚約者だ。お前がオーガストに異を唱えることは、私に異を唱えるのと同じだ。そのことをよく覚えておけ」


 ノーヴェの背筋に冷や汗が流れる。

 分かっていたことだが、改めて竜王の口から聞かされると言葉の重みが違う。敢えて口に出して警告したと言うことは、今の自分の態度が主を不快にさせているからに相違なかった。


「も、申し訳ございません。決して竜王様のご気分を害したい訳ではなく――」

「分かっている。お前の助言は竜王国を思ってのことなのだろ? それは間違っていないし、今後ともお前の助言には期待している。しかしだ。意見が割れたときには、序列が上のオーガストの意見を尊重しろ。言い争いで喧嘩の火種を起こすような真似はするな」

「はっ、肝に銘じておきます」


 頭を下げるノーヴェは深く反省する。


(レン様が側に居られるのだ。もしオーガストの意見が気に入らないのであれば、レン様が異を唱えていたはずだ。最初にオーガストの意見を聞いて何も仰らなかったのは、オーガストの案を受け入れたと言うことだ。それを私が単身で乗り込むなと異を唱えたのは紛れもない過ち。最終的にレン様は私の意見も汲み取り、同行を申し出てくれたが、本来はオーガストが一人で乗り込んでも、それを良しとしていたに違いない。それにオーガストはレン様のご婚約者。私は出過ぎた真似をしたと言うことか……。今後のためにも考えを改めねば)


 ノーヴェが神妙な面持ちで俯く中、すすり泣く女の声にレンは敏感に反応する。鳴き声の方に視線を向ければ、オーガストが顔を手で覆い嗚咽を漏らしていた。指の隙間からは溢れた涙が地面こぼれ落ちている。


「ど、どうしたオーガスト? やはり私の婚約者は嫌か?」


 オーガストが泣いている理由など、それしか思い浮かばない。

 レンは普段のオーガストの仕草から、好意を持たれていると感じていたが、それはあくまで憶測でしかなかった。

 自意識過剰も良いところだ。

 古代竜エンシェントドラゴンの言動に多分に影響を受けているとは言え、ノーヴェを言い聞かせるために婚約者は流石に言い過ぎである。


「そうだな、嫌だな。無理を言って――」


 レンは咄嗟に言葉に詰まる。

 次の言葉を言わせまいと、柔らかな感触がレンの胸に押し当てられていた。オーガストはレンに抱きつき、背中に腕を回して体を密着させている。

 見上げた瞳からは涙が零れ落ちているが、その表情は笑みで溢れていた。


「嫌なことなど御座いません。レン様の口から婚約者と言われたことが、私は何より嬉しいのです。もちろん、私がレン様と添い遂げるのは、お三方の後だと理解しております。ですが今は、もう少しだけこのままで居させて下さい」


 オーガストの腕が程よい力加減でギュッと締め付けてくる。レンも自ずとオーガストの背中に腕を回していた。

 二人は互いを慈しむように抱きしめ合う。

 レンも自分がどうしてそんな行動を取ったのかは分からない。ただ愛おしいと思ったのは確かだ。

 ノーヴェは空気を読み二人に背を向け、サンドラは口をポカーンと開けて二人を見上げていた。

 時間にして数分もの間、この場に居た四人は時が止まったかのように動かなかった。

 最初に口を開いたのはサンドラだ。


「バハ――オーガスト。お前は竜王様の婚約者なのか?」


 信じられないと瞳を見開いているのが視界に入り、レンはオーガストの体から腕をそっと放した。

 オーガストも名残惜しそうに体を離して、邪魔をしたサンドラに鋭い視線を向けた。


「そうだ。それに私だけではない。確実にお世継ぎを残すためにも、レン様には他にも複数の婚約者がおられる」

「ふ、複数? じゃ、じゃあ儂も――」

「レン様にお会いしたばかりで図々しいな。もう少し痛い目に合わないと、自分の立場も分からないのか?」


 オーガストがサンドラに歩み寄る。褐色の手がサンドラの額に伸びるのを見て、レンは呆れて溜息を漏らした。


「喧嘩は駄目だぞ」


 ジト目を向けるとオーガストはサッと背中に手を隠していた。


「当然で御座います。少しだけ躾をしようとしただけですので、ご心配には及びません」

「それならよいが……。サンドラ、こっちに来てくれないか?」


 レンがしゃがんで話しかけると、サンドラは満面の笑みで駆け寄ってくる。こういう仕草はメイにそっくりだ。

 サンドラが目の前で立ち止まるのを見て、レンは懐から指輪の予備を取り出していた。

 他の上位竜スペリオルドラゴンに指輪を持たせているのに、サンドラに渡さないのは余りに不公平だからだ。


「さぁ、左手を前に出して」


 レンは子供に言い聞かせるように話しかける。言われるがまま差し出したサンドラの指に、レンは指輪を優しく嵌めていた。

 驚いたのはサンドラだ。

 指輪をまじまじと眺めて笑みを浮かべて、頬を赤く染めていた。


「それは通話をするための指輪だ。使い方は後でオーガストから聞いてくれ」

 

 そう言って頭を撫でると、サンドラが胸に飛び込んでくる。


「嬉しいのじゃ。この恩に報いるためにも、儂も竜王様のお役に立ちたいのじゃ」

「その気持ちだけで嬉しいよ」


 指輪を渡し終えたレンは立ち上がり、気持ちを切り替えてオーガストに向き合う。 


「オーガスト、今回のサウザント王国の件を踏まえ、エルツ帝国の城にはドラゴンで直接乗り込むのは止めにしよう。街の住民を混乱させたくはない。ゴンドラには馬車も入るはずだ。帝都の近くまではドラゴンで移動して、途中から馬車に乗り換えて街に入ろう。時間は掛かるが、それなら混乱はないはずだ」

「ではサントスに馬車を用意させましょう。ゴンドラの一階に馬車を運び入れ、各国の王は二階の会議室に移動してもらいます。それと示威行為に不要となったドラゴンは竜王国に帰還させますが、それでよろしいでしょうか?」

「構わん。サントスが戻ってきたら話をしてくれ」

「承知いたしました」


 程なくしてサントスが戻る。

 重臣や使用人を予め玉座の間に集めていたらしく、自国の神でも敵わない相手だと知らされると、話はすんなり通ったようだ。

 城の中で衛兵に襲われる心配がなくなり、レンを初めとした一行は移動を開始する。歩きながらオーガストが指示を出し、それをサントスが嫌な顔一つせず頷いていた。

 ゴンドラを下げたドラゴンが城の庭園に降下して、直ぐに外交用の馬車が城の前に並べられる。

 本来は王族が使用する豪奢な馬車を用意すべきところだが、これからエルツ帝国に赴くのは、竜王国、ドレイク王国、ノイスバイン帝国、そしてサウザント王国の四カ国である。

 当然ながら、乗り込む馬車で優劣が出てはいけない。

 同じ馬車を最低4台用意する必要があり、サントスはその条件に見合う馬車で、最も見栄えの良い馬車を選んでいた。

 馬車とそれに必要な御者をゴンドラに乗せて、最後にサントスは自ら歩み進める。しかし、不意に重臣の一人がサントスの足を止めていた。


「陛下、本当にお二人で行かれるつもりですか? もし陛下の身に万が一のことがあれば――」

「私には最強の護衛が付いておる。サンドラ様がいる限り死にはせんよ」

「そうじゃ、儂に任せておけ。爺のことは儂が必ず守るのじゃ」


 サンドラは自慢満々に胸を張る。自慢の巨乳が着崩した着物からこぼれ落ちそうな程だ。サントスの重臣たちは自国の神のことをよく知っているが、それでも安全が確保された訳でない。


「インドラ様、陛下のことを頼みましたよ」

「今の儂の名はサンドラじゃとさっき言うたであろう。何度も言わすでない」


 頬を膨らませる姿は普通の子供と変わりない。


「申し訳ございません」


 笑顔で頭を撫でながら謝罪するが、サンドラはご機嫌斜めでムスッとしている。普段であればこれで機嫌をとれるのだが、今回は難しいとみるや、サントスに目配せをして助けを求めた。


「サンドラ様、名前を間違えたくらいよいではありませんか」

「よくないわ! 竜王様から頂いた名前じゃぞ!」

「……帰ったらお菓子を好きなだけ差し上げますので、どうか機嫌を直して下さい。配下の者に十分注意するように伝えておきますので」


 サンドラの顔が無意識の内に、ぱぁっと綻び、口からは少し涎も垂れていた。


「し、仕方ないのう。今回は特別に許すのじゃ。別にお菓子に釣られた訳ではないぞ? 儂は寛大じゃから許してやるのじゃ」

「ありがとうございます。では竜王様もお待ちしておりますので、そろそろ参りましょうか?」

「そうじゃのう。それとお菓子のことは忘れるでないぞ?」

「はい、はい。分かっておりますとも」


 走り出し出すサンドラを尻目に、最後にサントスは自分の重臣に視線を戻した。


「色々と大変だろうが、私の留守の間は任せたぞ?」

「畏まりました。陛下もお気を付けて」


 互いの意思を確認し合う二人に、遠くからサンドラの声が聞こえた。 


「爺! 早く行くぞ!」


 サントスは踵を返して歩き出す。

 各国の王に会うのは数年振りのことだ。自分の国の立場をどうすべきか、サントスは歩みを進めながら思い悩んでいた。




 ゴンドラの一階には、四台の馬車が所狭しと並べられていた。

 もともと中央に置かれていたソファセットは壁際に追い込まれ、其処には各国の騎士や従者が腰を落としている。

 サントスはサンドラの後を追って二階に上がり、久し振りに見る面々に形容しがたい笑みを見せた。

 中央に置かれた円卓に座っていたのは、各国の王とその側近だ。

 サントスは円卓に近づき軽く頭を下げる。


「久し振りですな、ルボルトス殿」

「サントス殿もお元気そうで何よりです。私のことはヒューリとお呼びください。ドレイク王国には家名で呼ぶ習慣はありませんので」

「そうでしたな。では改めてヒューリ殿、貴殿もオーガスト様に協力を?」

「我が国は竜王様を神として崇めております。協力をするのは臣下としての義務です」

「そうですか……」


 二人の会話でノイスバイン帝国のオヴェールは顔をしかめた。

 竜人ドラゴニュートのヒューリならまだしも、サウザント王国の王が、他国の王――オーガスト――に様と敬称を付けたからだ。明らかに対等な関係ではない。

 僅かな時間に何があったのかは気になるところだ。オヴェールが問いただすよりも、サントスの言葉が僅かに早かった。


「オヴェール殿は何故オーガスト様に協力を?」


 国の恥を晒すようで言いたくはないが、隠しても何れは知られることだ。


「我が国はオーガスト殿より多大な食糧支援を受けている。その恩は返さねばならぬ。そう言うサントス殿は、どうして協力をしようと思われたのです。それも僅かな時間に」


 サントスは少し困った顔をしてサンドラに視線を移す。

 サンドラは話を聞いていなかったのだろう。既に手近な席に着き、「なんじゃ?」と、首を傾げている。サントスはそんなサンドラに柔らかい笑みを浮かべて、再びオヴェールへ視線を移した。


「我が国の神が竜王様の配下になられたのです。竜王国に協力するのに、これ以上の理由はありませんな」

「神が配下に、ですか……」


 オヴェールはジュンのことを思い出していた。

 一人で国を滅ぼせる圧倒的強者、あの強大な力を持つ者が、また一人竜王国に加わったのかと思うと溜息を漏らしたくなる。

 この大陸ではサウザント王国の神のことは有名な話だ。その姿を実際に見た者は少ないが、数多くの災厄を撥ね除けた化け物として、長い歴史の記録には記されている。


(神か……。どれ程の過剰戦力が集まっているのだ。いっそ竜王国の属国になった方が幸せかもしれんな)


 オヴェールは褐色の少女の隣に座るサントスを見て、ただ静かにそんなことを考えていた。


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