第48話 国家樹立5
「オーガスト、どういうことか説明しろ」
レンの声にインドラがピクリと反応する。
鼓動が高鳴り頬を朱色に染めるが、目の前ではバハムートが睨みを利かせているため動けずにいた。
オーガストという初めて聞く言葉も引っかかるが、今それは問題ではなかった。
何よりレンの声に惹きつけられたのだ。子守唄のような安らぎを与える心地良い声だが、同時に猛々しい咆哮が体中を巡る力強さも感じられた。
表現しがたい高揚感が湧き上がり、インドラはこの不思議な感覚をもう一度味わいたいと、頭を下げながら耳に全神経を集中させていた。
レンに問いかけられたオーガストは、インドラから視線を外すことはない。もし暴れられたらレンを巻き込んでしまうため、牽制するように一挙手一投足にまで注意を払っている。
「この者は
怒気を含むオーガストの言葉から抑えきれないほどの怒りを感じ、レンは飛び出したのも無理はないかと頷いた。
レンとて自分の配下が殺されたら激怒するだろうし、殺した者に復讐しようと考えるはずだ。それを考慮すれば、オーガストを止めることはおこがましいことだと頭の中では理解している。
だが……。
レンは土下座する少女に視線を移した。
外見はまだ幼い少女だ。見た目より遥かに歳を取っているのは分かっているが、どうしても見殺しにするのは忍びないと思ってしまう。
(オーガストは
レンは少女を見て深いため息を漏らす。
(でも相手は幼い少女なんだよな……。見た目通りの年齢じゃないにしても、見殺しにするのは後味が悪すぎる。それに
レンは苦笑するとオーガストに視線を移した。
「オーガスト、その者は私に預けてくれないか?」
オーガストはレンの慈悲深さをよく理解している。そのため、レンが止めることも分かっていたのだろう。振り返ったその顔には、険しかった表情は消え失せ、いつもの笑みを浮かべていた。
「全てはレン様の御心のままに」
インドラは会話のやり取りを聞いて胸を撫で下ろす。
(た、助かったのか? それに話を聞く限り、バハムートの名がオーガストに変わっておる……)
素敵な声の持ち主に一言礼を述べたいが、許可もなく頭を上げることは不敬に思われた。何故かは分からないが本能がそう思ってしまうのだ。
レンは土下座をする少女の前に歩み寄ると、身を屈めて顔を近づけた。
「顔を上げてくれないか?」
魂を打ち震わす声にインドラが顔を上げると、自然にレンと視線が合う。
インドラは熱に浮かされた様にポウッと赤くなり、レンから目を離す事ができずにいた。
「私はグラゼルの後を継いで竜王になった、レン・ロード・ドラゴンだ。お前の名前を教えてくれるか?」
目の前にいる素敵な男性が竜王であると聞かされると、インドラは更に顔を赤らめた。今にも湯気が吹出るのではと思うほどだ。
「イ、インドラなのじゃ、竜王様」
「インドラか、私のことはレンと呼ぶがよい。さて、お前の処遇をどうするかだが……」
レンは振り返りオーガストの様子を窺う。
先程までインドラに向けていた殺気は感じられず、レンの視線に気が付くと微笑み返してきた。
レンはオーガストの様子から、インドラを側に置いて問題ないと判断するや、厳かに口を開く。
「インドラ、お前は私の元で保護程観察処分とする」
「……ほごかんさつ?」
「うむ、悪さをしないように私と一緒に暮らすのだ。もし、どうしても嫌なら他の方法も考えるが――」
「一緒に暮らすのじゃ!」
レンが言い終わるのも待たずにインドラが大声を上げた。
「……そ、そうか、では新たな名を与える」
突然の大声にたじろぎながらも、レンは新たな名前を考えるべく、腕を組んで瞳を閉じた。
(インドラか……。確かオーガストが
レンは一人頷くと目を見開く、真っ直ぐにインドラの瞳を見つめて名を与えた。
「では今よりお前の名はサンドラだ。私の元には数多くの
「分かったのじゃ。絶対に喧嘩はしないのじゃ」
サンドラは瞳を輝かせて竜王の元に居られることに歓喜するが、レンはサンドラの過ちまで許した訳ではない。それではオーガストが納得しないだろうし、過去のわだかまりが消えるはずがないからだ。
「サンドラ、如何に私の元に来るとは言え、お前の過去の罪が消えたわけではない。よって罰を与る。そうだな……、オーガストの仕事を手伝わせるか」
サンドラは早速任務を与えられたと破顔する。臣下として竜王の役に立つことは、
逆にオーガストは眉をピクリと上げ、その表情は険しくなる。それは罰ではなくご褒美だ。しかも、自分の任された任務に介入されるなど冗談ではなかった。
「恐れながらレン様。それは褒美でございます。罰を与えるのであれば、暫しレン様から遠ざけることを具申いたします」
オーガストの提案を聞いてサンドラは大きく肩を落とした。
せっかく与えられた任務を帳消しにされてしまうばかりか、竜王から遠ざけると聞かされては悲しみが込み上げてくる。
「後生なのじゃ。儂はレン様の側に居たいのじゃ。オーガスト、何でもするから許してたもう」
サンドラの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
レンはサンドラを泣かせるつもりはないし、どうして泣いているのかよく理解できずにいた。
何十年も連れ添った夫婦や家族ならまだ分かる。離れ離れになったら泣きたくなるほど寂しいのかもしれないが、生憎レンとサンドラは出会ったばかりだ。
レンは目の前の少女が泣く理由に思い当たる節は無く、オーガストに意見を求めて振り返っていた。
「オーガスト、どうしたらよいと思う」
「甘やかすのはよろしくありません。気丈に接し御身より遠ざけることを進言いたします」
それを聞いてサンドラは益々泣きじゃくる。
「オーガスト、儂は本当に反省してるのじゃ。城を破壊した時も、お主の
「ほう、それで私の下僕を殺したと?」
「だ、だって……、城の近くを通ろうとしたらいきなり攻撃されたんじゃもん。儂は何もしてないのに……。すごく痛くて頭にきたのじゃ。だから、見せしめに殺して財宝を奪ったのじゃ。儂だって奴らが攻撃しなければ何もしなかったのじゃ」
レンは首を傾げる。
(ん? 今の話を聞く限り、先に手を出したのは城に居た奴らじゃないか? サンドラが怒るのは当たり前だ。相手がサンドラを殺すつもりで攻撃したのなら、自業自得としか言い様がない。命を奪おうとしたんだ。命を奪われても文句を言う資格はないはずだ)
「サンドラ、今の話は本当か?」
「本当なのじゃ。先に攻撃したのは儂ではないのじゃ」
「レン様、嘘をついているとも考えられます。鵜呑みにしない方がよろしいかと」
「本当なのじゃオーガスト。儂は嘘などついておらんのじゃ」
レンはサンドラに向き合い真剣な面持ちで尋ねた。
「サンドラ、私に嘘をつくことは絶対に許さん。真実だけを述べよ。先程お前が言ったことは紛れもない事実か?」
その真剣な表情に、サンドラも涙を拭い真っ直ぐに向き合う。
「レン様、儂は嘘はついていないのじゃ。先程の言葉は全て真実だと、この命にかけて誓えるのじゃ」
サンドラの真っ直ぐな眼差しと言葉を受けて、レンは嘘はないと判断する。何より竜王としての感覚が、サンドラの言葉を違和感なく、すんなりと受け入れていた。
レンは未だに正座をしているサンドラに手を差し伸べると、サンドラは不思議そうにその手を見つめる。だが、笑いかけるレンの姿を見てその真意を察すると、笑みを見せて手を取った。
引き寄せられた小さな体は、レンの胸へと吸い寄せられ抱き抱えられる。ぎゅっとレンの首元にしがみつくサンドラを見て、オーガストは仕方ないかと笑みをこぼした。
竜王にあそこまで言われて嘘をつけるほどサンドラは器用ではない。何年も追い回していたオーガストにはそれが分かっていた。そのため先程のサンドラの言葉に嘘はないと確信したのだ。
自ずと心の内で溜息が漏れた。
(はぁ……。
レンに抱き抱えられるサンドラを羨ましそうに見つめ、今日くらいはいいかと肩を竦めるオーガストであった。
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