第42話 ノイスバイン帝国12

 レンは大通りを逃げるように駆け抜ける。

 途中で人の視線を避けるため脇道に入り、大通りから見えないように複雑な路地を何度か曲がった。

 人の姿が完全に無くなるのを確認して、レンは足を止めて息を整えた。手を引かれていたエイプリルが、不思議そうに見上げているのを見てレンは慌てて手を放す。


「すまんな。つい手を引っ張ってしまった」

「いえ、問題ございま――問題ないっす」


 エイプリルは言い直して笑みを浮かべる。


「ところでレン様。どうして逃げたんすか?」


 決まっている。

 通報されそうになったからだ。

 竜王の従者が少女虐待で通報されたら、竜王国の品位が疑われかねない。その後の取り調べで、虐待していたのが竜王本人だと知られた日には、目も当てられなかった。 

 犯罪を犯す王に協力する国があるとは思えず、竜王国は建国前に滅んだも同じである。


「衛兵に通報すると話し合う声が聞こえたからな。面倒事を避けるためだ」


 エイプリルはムッとして、大通りの方角を睨む。


「レン様! そいつはもう殺した方がいいっす! 許可を貰えれば私が探して後悔させてやるっす!」


 突拍子も無いことを言われてレンは直ぐに制止する。


「まて、必要ないからな? 誤解されかねない私の行動が悪いのだ。お前は何もするな」

「分かりました……」


 エイプリルはシュンと肩を落として了承した。

 思うことはあるが竜王の言葉に背くのは好ましくない。嫌われたくないし、傍から遠ざけられたら生きる意味を失ってしまう。

 レンはこれで一件落着とばかりに、後を着いてきたセプテバに背視を向けた。


(街の見物に戻るか。冒険者ギルドにも行かないと……)


 レンはセプテバを見て目を丸くする。


(え? セプテバさん? 何してんの? 体からバチバチ赤いオーラが出てますよ? あと何で剣を全部抜いてんの?)


 嘗てレンも見たことのある竜力ドラゴンフォースが、セプテバの全身を覆っていた。

 以前に見たカオスの竜力ドラゴンフォースは黒だが、セプテバは赤い竜力ドラゴンフォースを身に纏っている。もちろん違うのは色だけで無く、性質も異なるが、今のレンには知る由もないことだ。

 セプテバの腰から抜き放たれた八本の剣は、それぞれ片手に四本づつ、指の間に挟むように握っていた。

 背筋をピンと伸ばし仁王立ちの様に立っているが、顔は大通り方角に向けられ、細い目で睨みを利かせている。


「セプテバ、お前は何をしようとしている?」


 セプテバは神妙な面持ちでレンに向き直り、さも当たり前のように告げた。


「レン様、その暴言を吐いた人間は殺すべきです。レン様を貶めるとは生きる資格がございません」


 レンはもはや意味が分からない。

 別に暴言を吐かれた訳でもなければ、生きるのに資格が必要とは思えない。この世界でそんな資格が必要なら、資格を持たないレンは生きてはいないだろう。


「お前の言いたいことは分かった。だが些細なことは気にするな。最初に言ったが、私は他種族との共存を望んでいる。この程度のことで殺していたら、共存など夢のまた夢だ」

「……畏まりました」


 返答までの僅かな間が、セプテバの心情を物語っている。

 思うところはあるが竜王の命令に背くことは出来ず、目にも止まらぬ速さで刀を鞘に収め、少し離れた場所に控えていた。

 全身を覆っていた竜力ドラゴンフォースも消え失せている。

 レンは疲れた顔で足を踏み出す。

 なんでこんなに過保護なんだと思いつつも、それだけ心配される自分が情けないのだと、一人で納得するしかなかった。

 面倒事――人通り――を避けるように路地を進むが、初めて訪れる街で当然ながら道など分かるはずも無く、レンは適当に路地を歩いた。横にはエイプリルが並び、少し後ろからセプテバが付いてくる。

 レンは隣のエイプリルを見るが、笑みを浮かべるだけで何も語らない。適当に歩いていることは分かっているだろうに、何が嬉しいのかレンには理解できずにいた。


(まいったな。完全な迷子だ)

 

 レンは少しでも大きい通りを目指して歩くが、路地は複雑に入り組んでおり、冒険者ギルドの方角も見失っていた。

 路地裏は大通りより更に閑散としていて、民家と思しき扉や窓は全て閉め切っている。恐らくは治安の悪化による弊害だろうが、ここまで徹底されると人に会うこともないため、道を聞くことも出来ない。

 幾つかの角を曲がりレンは思わず足を止めた。

 路地裏に入ってから初めて見る人間が視界に入るが、その人物を見てレンの顔が険しくなる。

 大きな建物の前では、少年や少女、中には幼い子供までもが地面に蹲っていた。近くに歩み寄るとよく分かる。

 子供たちは継ぎ接ぎだらけの衣服であばらが浮き出るほど痩せこけていた。何より目を引いたのは足の枷だ。

 逃げられないように足枷が嵌められ、地面に打たれた杭と鎖で繋がれていた。子供たちは怯えた目でレンを見上げている。 

 日本では見ることのない酷い有様に、レンは思わず目を覆いたくなる。


「エイプリル、これは何だ?」

「……奴隷ですね。ここは奴隷商館みたいっす」


 奴隷という言葉に思わず顔をしかめた。足枷で擦り切れた傷が痛々しく、中には地面に横たわり、生きているのか分からない子供までいる。


「これだけ多くの子供がどうして奴隷にされている?」

「食料を得るため、労働力に乏しい子供を売ったのではないでしょうか? 口減らしもできますから……」


 余りの残酷な現実にレンは泣きそうになる。

 親は自分の子供をどんな思いで手放したのか、売られた子供は親を恨んでいるのではないか。親なら自分の子供は可愛いはずだ。子供だって親と一緒に暮らしたかったはずだ。

 様々な思いが込み上げ胸が締め付けられた。


「エイプリル、奴隷を買いたいがどうすればいい?」

「奴隷をですか?」

「そうだ。子供の奴隷を全て購入する」

「やっぱりレン様は優しいすっね。中に奴隷商人がいると思うので入ってみましょう」


 エイプリルは笑みを見せて奴隷商館の中へ足を踏み入れた。

 レンとセプテバも後を追うが、廊下も子供で溢れ返り、人が一人通る隙間が僅かに空いているだけだ。

 子供たちは視線を合わせようとはせず、逃げるように廊下の端に蹲っている。今まで不当な扱いをされてきたのだろう。明らかに客を怖がっていた。

 レンが気を取り直して視線を前に戻すと、突き当たりの部屋で恰幅の良い男が一礼をするのが見えた。

 正面の部屋の扉を開けているのは、廊下の子供を監視するためなのかもしれない。廊下の横にも部屋はあるが、それらの扉は閉められていた。

 レンが突き当たりの部屋に入ると、男がニコニコと営業スマイルを浮かべている。部屋には男が雑務をする机しか置かれおらず、客が座る椅子は何処にも見当たらない。


「いらっしゃいませ。今日はどのような奴隷をお探しでしょうか?」


 恐らくは奴隷商館の主だろう。三人を出迎えてレンが買い手と一瞬で判断するや、再び丁寧に頭を下げて口を開いた。それを遮るようにエイプリルが一歩前に出る。


「子供の奴隷は何人いるんすか?」

「子供ですか? 今ですと127名でございます」

「じゃあ、それを全部っす」

「……えっと、言っている意味が分からないのですが?」

「子供の奴隷を全部買うっす」

「ぜ、全部でございますか? 失礼ですがお代はお持ちでしょうか?」


 エイプリルは懐から袋を取り出し、放物線を描くように無造作に投げつけた。男が怪訝そうに袋を受け止めると、ずっしりした重さで危うく落としそうになる。

 思わず「おっとっと」と、口にしながら何とか受け止め、口紐を解き中を確かめて思わず固まった。

 袋の中に入っていたのは希少な金属で作られた黒金貨で、その価値は普通の金貨の100倍に当たる。それが袋一杯に入っていたのだ。


「見ての通り金はあるっすよ」

「も、申し訳ございませんでした。これは一先ずお返しいたします」


 男は丁寧に袋を返し、慌ただしく椅子に座ると、引き出しを開けて必要な書類を机の上に並べた。

 羽ペンにインクを付けた手がピタリと止まる。


「失礼ですが、お嬢様のお名前は何と仰るのでしょうか?」

「主人は私じゃないっすよ。レン様です」


 エイプリルが隣に立つレンに視線を向けて、男は納得したように頷いた。


「これは失礼いたしました。それではレン様のフルネームを教えていただけないでしょうか?」

「レン・ロード・ドラゴン様っす」

「レン・ロード・ドラゴン様ですね。直ぐに新たな契約書をお作りいたします」

「幾らくらいになりそうすか?」

「そうでございますね。手数料なども含めまして、全部で黒金貨12枚で如何でしょうか?」

「随分と足元を見るっすね。見たところ健康状態の悪い子供が多いっすよ。商品にならない子もいたっす。それに奴隷が売れなくて困ってるんじゃないすか? この国の現状だと、買い手が付きそうに無いっすからね。建物に奴隷が溢れているのがいい証拠っす」


 図星を突かれて男は苦笑いを浮かべる。


「わ、分かりました。では――」

「主、黒金貨12枚でかまわない」

「レン様?」

「ただし、奴隷たちにまともな服を用意して、腹いっぱい食事を与えろ」


 男は暫し考えてから頷いた。十分利益が出ると判断してのことだ。


「畏まりました。衣服を用意して、十分な食事を与えましょう」

「ついでだ。他にも奴隷商館があるなら教えてくれ。出来れば案内をしてもらえると助かる。当然だが謝礼を払うことを約束する」

「他にもですか?」


 男は暫し思考を巡らせ頷いた。


「……本当は商売敵に塩を送る真似はしないのですが、謝礼を頂けるなら断る理由はございません。私が責任をもってご案内いたしましょう」


 レンが頷き返すのを見て、エイプリルが気まずそうに口を開いた。


「ですがよろしいのですか? 冒険者ギルドに行く時間が無くなりますが……」


 当初の目的は冒険者ギルドに行くことだ。

 セプテバとエイプリルが正式に名前を変えるのに便乗して、レンは密かに自分も冒険者になろうと考えていた。次はいつ冒険者ギルドに行けるか分からないため、レンとしてはこの機を逃したくない。


「……そうだな。では奴隷の購入はセプテバに任せる。私とエイプリルが冒険者ギルドに行くとしよう。これなら問題はないはずだ」

「了解っす。じゃあセプテバさん、これ渡しておくっすね」


 エイプリルは黒金貨の入った袋を手渡し、代わりにセプテバから冒険者の認識票を受け取る。 


「俺の再登録は任せたぞ。金は他にも持っているんだろうな?」

「金貨を入れた袋があるんで大丈夫っすよ」


 レンは二人の会話に割って入り、セプテバに念を押す。 


「セプテバ、購入した子供には綺麗な衣服と十分な食事を必ず与えろ。購入金額に多少は色を付けても構わん。いいか、絶対に買い漏らしがないようにしろ。購入した子供は一先ず城の前に集めておけ。竜王国に連れて行くかは個別に判断する」

「はっ!」

「購入を終えたら、その男に謝礼として黒金貨を1枚渡すのを忘れるな」

「畏まりました」


 奴隷商館の主は一瞬だけ驚きの表情を見せるが、悟られまいと直ぐに何時もの営業スマイルに戻る。

 案内だけで黒金貨を貰えるのだから、これほど美味しい話はない。同時に案内に不備がないよう気を引き締めた。

 レンが謝礼に大金を積んだのは、案内漏れが無いようにするためだ。それとなく男の様子を確認して問題ないと判断するや、レンは簡単な街の地図を貰い、奴隷商館を後にした。

 地図を見る限りでは、路地を迷っていた時に逆の方向に進んでいたらしく、冒険者ギルドは思いのほか遠い場所にあった。

 当たり前と言えば当たり前だが、路地裏は入り組んでいるらしく、大通りから行くことを勧められている。

 地図の通りに真っ直ぐ進み、突き当たりを左に曲がると大通りに出る。更に閑散とした大通りを右に曲がり、後はひたすら歩くだけだ。

 帝都に来たのは昼を少し回った頃だが、今は陽が落ちかけ、空が薄らと赤く染まっていた。歩くことになれているレンでも、ジトッと背中に汗が出てくる。自動車や電車は無理でも、せめて自転車くらいは欲しいところだ。

 ようやく目当ての看板を見つけると、レンは足を止めて建物を見上げた。既に空は真っ赤に染まり、4階建ての建物は夕陽で赤く染まっていた。


「やっと着いたか。思ったより長かったな」


 レンが一息ついていると、エイプリルはまだ歩き足りないのか「もう着いたんすね……」と、残念そうに呟いている。しかし、大好きな主の視線に気が付くと、普段の笑顔に戻っていた。

 レンは何が残念なのか分からず苦笑するばかりだ。


「中に入るか」

「はいっす」


 扉を開けると訪問者を知らせるドアベルがカランと鳴り、奥の受付嬢がチラリと入り口に視線を向けた。

 冒険者ギルドはシンプルな造りで、入り口の正面には依頼が張り出されたボードが多数並んでいる。左の奥にカウンターが置かれて、その向こう側に受付嬢が数人座っていた。

 階段なども見えるが部外者は上がれないらしく、カウンターの奥に設置されている。

 良い依頼がないのか、冒険者はまばらで活気がないように見えた。


「冒険者ギルドは何処もこんな感じなのか?」

「この時間帯なら、依頼を終えた冒険者で賑わってるはずなんすけどね。食糧難の影響で、活動拠点を移したのかもしれないっす」

「……そうか」


 日本では金を出せば24時間食べ物が買えるが、食糧難のこの国では別だ。

 どんなに稼いでる冒険者でも、食料が売っていなければ飢え死にするだろうし、依頼を受けるにしても、この国の現状では、まともな依頼は少ないと思われた。

 国を変えたと聞かされても素直に頷ける。


(全ては食糧難のせいか……。俺の国ではこんなことがないようにしないとな。食料を量産して他国に安く売るのもいいかもしれない。周りの国が潤えば、自然と行商人は俺の国を通行するはずだ)


 レンが理想の国を思い描いている間に、エイプリルは一足先に奥に進み、カウンターの前で手を振っていた。


「レン様、こっちです」


 レンも後を追い後ろからカウンターを覗くが、なぜか受付嬢が青ざめ震えている。

 カウンターの上には黒いプレートが2枚出されていた。


「よ、ようこそお出でくださいました。ジャンヌ様、きょ、今日はどのようなご要件でしょうか?」


 ジャンヌと聞いてギルド内にどよめきが起こる。

 周囲の冒険者は遠巻きに様子を窺い、隣の受付嬢はカウンターに置かれたプレートを見てギョッとしていた。


「私とオロチさんは名前を変えたんで、登録している名前を変更して欲しいっす。ちなみに私の名前はエイプリルで、オロチさんはセプテバさんになったっす」


 対応した受付嬢は混乱するばかりだ。

 結婚して姓が変わることはあっても、名前を変えるのは有り得ないからだ。姓を持たない冒険者は数多く居るが、それらの冒険者が名前を変えた話も聞いたことがなかった。


「も、申し訳ございません。お名前の変更は出来ないと思うのですが……」


 青ざめた顔で怖ず怖ず話す受付嬢に、エイプリルは溜息を漏らした。


「話にならないっすね。ギルドマスターはいるんすか?」


 受付嬢の顔が見る間に白くなり、倒れそうになりながらも必死に謝罪の言葉を繰り返した。


「申し訳ございません。申し訳ございません。申し訳ございません……」


 受付嬢は平謝りをするばかりで全く話が通じない。


「……もういいっすよ。後で知り合いの所でやってもらうっす」


 もともと名前の変更は重要ではないため、エイプリルは埒が明かないと見るや、早々に見切りをつけた。


「という訳なんでレン様。申し訳ないんすけど――」


 エイプリルが全て言い終わる前にレンは口を開いた。


「別にかまわん。名前の変更は急ぐことではないからな。だが折角ここまで来たのだ。ついでに私も冒険者になっておこう』

「レン様が冒険者にですか?」

「駄目なのか?」

「い、いえ、駄目ではないのですが……」

「では問題は無いはずだ」


 レンの本当の目的は自ら冒険者になることだ。

 歯切れの悪いエイプリルの言葉を遮り、レンは有無を言わさずカウンターに視線を向けた。エイプリルの相手をした受付嬢は、虚ろな瞳で死人のように項垂れている。

 自然と隣の受付嬢に視線が向いていた。


「すまないが冒険者になりたい。手続きをしてくれないか?」

「それでは、こちらに記入をお願いします」


 慣れた手つきで用紙を差し出し、レンは言われるまま記入をする。項目は少なく程なくして書き終わると、受付嬢は用紙を受け取り怪訝そうに顔をしかめた。


「あの、申し訳ございません。出身国が竜王国となっているのですが、何処の国でしょうか?」

「竜王様の国っすよ」


 エイプリルが即座に答えるが、受付嬢は混乱するばかりだ。


「そ、その、聞いたことがないのですが?」


 問われるも、エイプリルは有無を言わせない。


「お前が知る必要はないっす。書かれた通り、さっさと発行した方がいいっすよ」

「わ、分かりました。申し訳ございません」


 受付嬢は泣きそうになりながら作業を進める。


「あ、そうそう。レン様は私より強く偉大なお方っす。冒険者ランクはSSS以外は有り得ないっす」

「ジャ、ジャンヌ様、それは無理でございます。如何にジャンヌ様の頼みでも……。それに認識票に使われているのは希少な金属です。直ぐに認識票を作ることはできません」

本気マジで使えないっすね」


 憤慨するエイプリルをレンが直ぐに止めに入る。


「エイプリル、お前は少し下がっていろ。私の連れが無理を言ってすまない。特別なことはしなくていい。普段と同じで頼む」


 レンが受付にそう言ってる間も、横ではエイプリルが睨みを利かせている。


「え、ですが……」

「かまわん。早くしろ」

「で、では、この認識票に血を一滴垂らしてください」


 認識票と呼ばれる金属のプレートと、細長い針がカウンターに差し出された。


「分かっ――」

「ぶっ殺すぞ!! 竜王様の神聖な御身に傷を付けろだと? ドラゴンの血の価値も知らないクズが! 巫山戯たことを抜かすな!!」


 エイプリルの口調が激しく変わり、怒気を当てられた受付嬢は泡を吹いて瞬時に倒れた。


「よせ! 何をそんなに怒っている?」

「気高き竜王様のお体に傷を付けようとは、万死に値します! 本来であれば、国を滅ぼしても余りある行為です!」


 レンは盛大に顔をしかめた。

 エイプリルの主張を真に受けるなら、竜王が冒険者の登録をするだけで国が滅びるらしい。

 世も末だ。

 周りの冒険者は怒気に当てられ身動きが出来ず、ただ成り行きを見ていることしか出来なかった。


「うるせぇな。一体何の騒ぎだ?」


 騒ぎを聞いて一人の男が階段から降りてくる。

 がっしりした体格の偉丈夫は、倒れている受付嬢を見て目を丸くする。受付嬢を睨みつける冒険者が視界に入り、声を荒げた。


「おい! てめぇ、もう冒険者じゃいられねぇぞ! 分かってるんだろうな!」

「分かってないのはお前だ! 馬鹿が! 受付の躾がなってないんじゃないのか?  どう考えても、私を怒らせたお前らが悪い!」


 怒気を孕んだ声と共に、エイプリルの影が床一面を覆い尽くした。

 次の瞬間、冒険者は背筋が凍る悪寒に体が震え出す。影から感じる圧倒的な殺気を感じ、修羅場を潜り抜けてきた強者は誰もが死を覚悟した。

 当然、階段から降りてきた偉丈夫も。

 だが……。


「やめろエイプリル! これは命令だ!」


 レンの一言でエイプリルは殺気を鎮め、床に広がる影は本来の姿に収束した。


「迷惑を掛けた。我々はもう出るからそれでいいだろ」


 レンはエイプリルに「行くぞ」と告げると、冒険者ギルドを足早に立ち去る。残された冒険者やギルド職員は安著の溜息を漏らし、その場に崩れ落ちていた。

 最強の冒険者と謳われるジャンヌが、なぜ怒りを顕わにしたのか分からず、誰もが二人の出て行った扉を暫く眺めていた。




 完全に日が暮れた帰り道で、エイプリルはシュンと肩を落とす。


「申し訳ございません。つい頭にきてご迷惑を……」

「気にするな。お前は私のために怒ってくれたのだろう?」

「ですが……」

「普段の口調で話しかけていいと言ったはずだ。命令を忘れているぞ?」


 明るく声を掛けるもエイプリルの表情は暗いままだ。


「申し訳ないっす……」

「私は幸せ者だな。こんなにも私のことを心配してくれる配下がいるのだから」


 レンもある程度の事は理解できていた。

 自分の主人が怪我をするのを恐れて、エイプリルは怒声を上げたのだと。


(全ては俺のためを思っての行動だ。怒れるはずがないじゃないか……)


「エイプリル、これからもよろしく頼むぞ」


 そう言って頭を撫でてやると、エイプリルは泣きそうな顔で見上げる。


「私はこれからも、レン様のお側に居てよいのでしょうか?」

「当然だ。お前がいないと私が困る。それと言葉使いが硬くなっているぞ」

「へへ、嬉しいっす」

「ああ、私もお前と一緒に居られて嬉しいよ」


 二人はいつの間にか手をつないでいた。

 エイプリルは涙混じりの幸せな表情で歩く。そして、優しく慰めてくれるレンを、ますます好きになるのであった。


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