第40話 ノイスバイン帝国10

 帝都にあるシュレーバル城の執務室では、オヴェールが頭を抱えていた。手元の資料に目を落とす度に、溜息を漏らし項垂れている。

 戦争のため食料を掻き集めたことで、備蓄されている食料は残り少なく、帝都の店からは食料品がなくなっていた。

 今は国が食料を配給しているが、それも二週間で尽きてしまう状況である。主食である穀物の収穫は半年以上も先のこと。

 冬のこの時期に収穫できる作物は種類も量も少なく、一ヶ月後には食料が完全に尽きてしまう。

 帝都カルニアですらこの有様だ。


(このままでは帝都でも餓死者が出てしまう。どうしたらよいのだ……)


 頭を悩ませていると扉がノックされ従者の声が聞こえてきた。


「陛下、ライセル侯爵様とゼファイン侯爵様をお連れしました」

「入れ」


 扉が開く音が聞こえ、ライセルとゼファインが部屋に入るが、二人は酷く落ち込んで見えた。

 食料のことで奔走させていたが、結果はかんばしくなかったのだろう。

 オヴェールの気持ちは更に沈む。


「失礼します、陛下」

「二人ともよく来てくれた。先ずは座ってくれ」


 部屋の中央に置かれたソファに座るが、二人は言葉が出ないのか、ただ目の前のテーブルを見つめ俯いたまま黙っていた。

 オヴェールは向かいのソファに座り直して二人の様子に顔をしかめる。


「その様子では食料の確保は難しいようだな」


 図星だ。

 食料を買い付ける目処も立たず、この時期に収穫できる作物も十分な量を確保できずにいた。二人の試算では食料が尽きるのに三週間ほど、一ヶ月と持たずに自国の食料庫は干上がってしまう。

 ゼファインの乾いた唇がゆっくりと開いた。


「陛下、このままでは一ヶ月と持たずに食料は尽きるでしょう」

「そうか……」


 オヴェールはただ頷いた。

 少なくとも二人は商業ギルドに太いパイプを持っている。その二人が手を尽くして駄目ならもうどうにもならない。

 重苦しい空気の中でライセルが尋ねた。


「陛下、ノーヴェ殿が言っていた食糧支援は、やはり嘘なのでしょうか?」

「気持ちは分かるが、ノーヴェ殿を責めるのは筋違いだ。ただで食料を寄越せなど、そんな虫のよい話はない」

「ですが、我々はその見返りとして国を作る際の後ろ盾になると」

「後ろ盾と言っても国家樹立を認めるだけであろう。それに我が国は敗戦国だ。食糧を支援する話がなくとも、後ろ盾を断ることはできまい。ノーヴェ殿は食料を支援すると言っていたが、昨今ではどの国でも作物が高騰している。支援の話が頓挫しても仕方のないことだ」


 三人は考え込むように静かになる。

 長いようで短い時間、ゼファインは意を決して口を開いた。それは幾度となくライセルと話し合ったことだ。

 危険ではあるが、食料を確保するにはこれしか残されていなかった。


「陛下、我が国の北には海が広がり、そして西には広大な森がございます。沖に出れば魚が取れますし、森には自然の恵みが溢れているでしょう」


 オヴェールは眉間に皺を寄せる。

 喜ばしい話ではなかった。

 ノイスバイン帝国の西――ウェンザー山脈の北に広がる森は魔物の巣窟だ。凶悪な魔物が多数存在し、おいそれと人間が侵入できる領域ではない。

 ライセルが戦争で火を掛けようとしていた小さな森とは訳が違う。もし下手に手を出し魔物が森から溢れ出ようものなら、帝国は甚大な被害を被ることになる。

 北の海もまた然りだ。

 海には魚がいるが、同時に大型の魔物が多数存在した。

 船を触手で絡め取る巨大なイカの化け物や、人間を丸呑みにする肉食魚。中には渦潮を操る半人半魔の化け物まで存在する。

 質が悪いのは近海に魚が存在しないことだ。北の海に生息するのは中型と大型の魚ばかりで、水深のある沖に出なければ魚は捕獲できない。そのため港町や漁村で働く多くの者が、海水から塩を作り生業にしている。

 全ての海がそうとは言い切れないが、特に海水温の低い北の海では凶悪な魔物が多く確認されていた。

 ゼファインが何を言わんとするか分かるだけに、オヴェールは顔をしかめた。


「どちらも魔物がはびこる未開の地ではないか……」

「分かっております。しかしながら、これしか方法は残されていないと思われます。多少の危険は覚悟すべきかと――」


 話を聞いていたライセルが直ぐに割って入る。


「ゼファイン候、それは無理だと言ったはずだ。私が海に船団を派遣した時、どうなったかご存じのはずだ」

「忘れるものか……。沖に出た30の船が全て帰らなかったのだからな。失われた命はその数十倍にも及んでいる」

「その通りだ。しかも、その内の半数は兵士を乗せた護衛船にも関わらずだ。ゼファイン候も西の森に兵を派遣し、手痛い目に遭っているはずだ。また村が魔物に襲われるとは思わないのか?」


 ゼファインは当時のことを思い出して顔をしかめた。

 食料調達のため森に兵士を派遣したはいいが、その殆どの兵士は帰ってこず、更には魔物の怒りを買い、近くの村が地図から消えている。

 苦い思い出だ。


「そんなことは分かっている。だが食いつなぐためには、これしか方法がないではないか……」


 ゼファインは小さく肩を落とす。

 無謀なのは百も承知で提案していた。


「陛下も何か仰ってください。無理をすれば、また帝国領内に魔物が溢れ返ることになります」


 ライセルは真摯に訴えかける。

 オヴェールは視線を落として考え込むが、どちらが正しいかなど分かるはずがない。唯一分かるのは、ゼファインがこんな無謀な提案をしてくるほど、自国の現状が切迫しているということだ。


「……やむを得まい」

「陛下!」

「船の数には限りがある。沖に出るのは無理だろう。確かヴェルニュー侯は戦後処理をしていたな。もう一度、軍を編成して西の森に遠征させる」

「本気で仰っているのですか?」

「そうだ」


 オヴェールはライセルを見据えてはっきり答えた。

 皇帝が決断したことだ。ならば全力でそれを支えるのが臣下の務め、それが皇帝に罪を許された今のライセルの矜持でもある。


「分かりました。陛下に全て従います。ですが何か策があるのですか?」

「うむ。先ずは森の中に入る軍と、森から出た魔物を討伐する軍の二つに分ける。防衛線には簡単な馬防柵を作りたいが、恐らくそんな時間はないだろう。代わりに森の入り口に槍を持たせた兵士を並べて防衛線とする。その後ろに弓を扱える兵士と魔術師を揃えるのはどうかと思うが……。ライセル候はどう思う?」


 オヴェールに魔物の戦い方が分かるはずも無く、これは戦争を行う際の基本戦術でしかない。


「よろしいかと思います。ですが炎や雷の魔法は使えません。万が一にも森が燃えたら、魔物は大挙して森を出る恐れがあります。そうなれば防衛線は持ちません。後は森に入る兵士です。多くの兵士が森での戦闘経験が無いため、そこをどう補うかです」

「難しそうか?」


 声のトーンが僅かに下がり、オヴェールが不安げに尋ねた時だ。

 勢いよく扉が開いた瞬間、突如としてホフマンが部屋に転がり込んできた。よほど長い距離を走ってきたのか、ドアの枠に体を預けて息も絶え絶えに声を上げる。


「へ、陛下! ドラゴンです! ドラゴンが現れました!」


 以前にも何処かで見た光景だ。

 流石に二度目になるとオヴェールも冷静である。


「ノーヴェ殿が来たのであろう。私も出迎える準備をしなくてはな。ライセル候、ゼファイン候、すまんが話は後回しだ」

「畏まりました」

「そうですな。出迎えが遅れて不機嫌になられても困りますからな」


 二人も二度目だ。

 国境近くの天幕で騒いでいた時とは訳が違う。

 三人は立ち上がり部屋を出ようとするが、次の言葉を聞いて我が耳を疑う。


「それがドラゴンの数は16体、帝都上空を旋回しております」


 三人は口をぽかんと開けていた。


(はぁ?)


 オヴェールが真っ先に口を開く。


「16体だと!? あの国境にいたサイズのドラゴンがか?」

「大きさは上空のため詳しく分かりませんが、恐らくそうではないかと。それとドラゴンは、岩の様な四角い塊を運んでおりました。帝都に落とす気ではないでしょうか?」

「馬鹿な。そんな事はあるまい」


 有り得ないと思いながらも、気になり廊下の窓に駆け寄る。

 遥か上空を見上げれば、確かにドラゴンが旋回していた。その下には白い塊がぶら下がっている。


「外に出るぞ。直接この目で確かめる」

「危険です。近衛騎士団が安全を確かめるまでは――」

「不要だ。ドラゴンが運んでいるのは岩にしては形が整い過ぎている。落とすようなことはしないはずだ」


 オヴェールの駆け足に合わせて、ライセルとゼファインも後に続いた。三人の後を慌ててホフマンが追う。


「お、お待ち下さい。陛下!」


 外に出れば誰もが不安そうに空を見上げていた。

 オヴェールも釣られて見上げると、空から何かが落下してくる。あの白い塊が落とされたのかと一瞬、肝を冷やすが、よく目を凝らせばそれほど大きくはない。

 上空で豆粒の様に見えた物は、落下するにつれ徐々に人の形に見えてきた。それがオヴェールの前に落ちると、周囲に轟音が響き渡る。

 土煙が巻い一気に視界が悪くなる中、オヴェールを心配するホフマンの声だけが聞こえてくる。それでもオヴェールは声に反応することなく、目の前を真っ直ぐに見つめていた。

 土煙が舞う直前に、見知った人物の姿を捉えていたからだ。

 視界が晴れていく中で、人の姿が薄ら浮かび上がる。其処では交渉の場にいたノーヴェが、何事もないかのように衣服の汚れを手で払っていた。

 オヴェールは苦笑する。

 薄々気が付いていたことだ。


(遥か上空から落下して無傷とは。やはりノーヴェ殿も人外の化け物か……)


 ライセルとゼファインもノーヴェの姿を見て苦笑いを浮かべるが、それ以外の従者や護衛の人間は、瞳を見開いてギョッとしていた。そんな人間の反応などお構いなしに、ノーヴェは自然に挨拶を交わす。


「お久し振りですオヴェール殿。このような形で失礼しますよ。何せ此方も、竜王様を上空で待たせる訳にはいかないもので」


(竜王様だと?)


「竜王様も来られたのですか?」

「ええ、国家樹立に関してご相談もありますからね。ドラゴンはここに降ろしても?」


 城の前には手入れの行き届いた広大な庭園が広がっていた。体長40メートルのドラゴンが10体以上入る大きさだ。

 もっとも、ドラゴンを降ろせば、その代償として庭園が破壊されるのは目に見えていた。


「構わんが……。あの白い塊は?」

「ゴンドラですよ。一つは竜王様専用のゴンドラです。残りはお約束の食料を入れております」

「食料ですと!」


 オヴェールが驚きの声を上げたことで、ノーヴェは訝しげに眉をひそめた。何も驚くようなことはしていないが、直ぐに合点がいく。


「ああ、なるほど。確かに驚かれるのも当然でしょう。オヴェール殿は食料が足りないと仰りたいのですね? 当然ですが今回運んだ食料が全てではございません。食料は順次この国へ運びますので安心ください」


 話を聞いていたのはオヴェールだけではない。

 ライセルやゼファイン、それにホフマン。他にも従者や護衛の騎士など、誰もが信じられないと呆然と立ち尽くしていた。

 ドラゴンと比較することで、遠くからでもゴンドラの大きさは見て取れる。今回運んだ分だけでも、大きな街が一年は食べていける量がある。


「それではドラゴンを降ろしますので、少し後ろに下がってください」


 オヴェールはただただ頷くばかりだ。

 了承を得てノーヴェが指輪に何かを呟き、帝国の人間はそれを不思議そうに眺めていた。


『レン様、ドラゴンを城の前に降ろしてよいとのことです』

『分かった。直ぐに城の前に降ろそう』


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