第39話 ノイスバイン帝国9
「話が逸れているようですが、そろそろ本題に入っていただけませんかね。それとも、くだらない話をするために来られたのですか?」
ノーヴェは呆れて肩を竦める。
オヴェールとて魔法の話を聞きに来たのではない。本題は別にある。争う意思がないことを告げるため、改めて居住まいを正して背筋を伸ばした。
「先ずお聞きしたい。貴殿らはドレイク王国とはどのような関係なのですかな?」
「関係ですか? ドレイク王国は竜王様の配下のようなものです」
「配下……、ですか……。それでは貴殿も竜王殿に使えているのですな」
「竜・王・様・です。今度言い間違えたら許しませんよ」
ノーヴェが鋭く睨みつける。ジュンとエイプリルも不快感を隠さず、ゴミを見るようにオヴェールを見ていた。
明らかに様以外の敬称は許さないと訴えかけている。あまりの剣幕に、オヴェールの背中が椅子の背もたれに寄り掛かる。
「も、申し訳ない。我々はその、竜王様に逆らうつもりはないのだ」
「ならば結構です。昨日ライセル殿にもお伝えしましたが、こちらには食糧支援の用意があります。黙って受け入れてもらえると有り難いのですがね。勿論、その代償としてこちらの要求を聞いてもらいますよ」
(はぁ!?)
オヴェールを始め、同行した皆がキョトンと目を丸くする。
もともと争いを避けることができれば御の字と思っていたのに、まさか食料支援の話が出るとは予想もしていなかったことだ。
「どういうことだ? 食料の支援を行ってくれるのか?」
「勿論です。それが竜王様からのご命令ですからね。ただし、こちらの要求は必ず呑んでもらいます。既に聞いていると思われますが、一つは戦争を止めること。もう一つは国を立ち上げる際に後ろ盾になってもらうこと。要求はこの二つです。既にドレイク王国は国境から撤退させています。帝国も速やかに軍を解散して下さい」
本当ならオヴェールに取っても願ってもない話だが、ライセルの言葉と照らし合わせると信憑性に欠ける部分がある。
仮に食糧支援の話が嘘であったとしても、帝国は敗戦国の立場から要求を呑むつもりでいた。
それでもだ。僅かでも食料を貰える可能性があるのなら、やはり食料は喉から手が出るほど欲しいのだ。
オヴェールの視線が迷いで揺れ動いた。
(本当に食糧支援をしてくれるなら願ってもないこと。しかし、ライセル候から聞いた話では
「食料は死の大地で作っているとお聞きしている。それは本当ですかな?」
「本当ですとも。竜王様を疑うのですか?」
「い、いえ、そのようなことは……」
「では従っていただけるのですね」
敗者に選択肢はない。
まるでそう告げられている気がした。
「分かった。貴殿の言うことに従おう。元より我々に拒否権はないのだ」
答えなど初めから出ている。
それに食糧難はノイスバイン帝国の問題でり、他国の支援に委ねること自体が間違っているのだ。
今回の件もそうだ。降って湧いた食糧支援の話が頓挫したからと言って、相手の竜王国を責めることは出来ない。
本来は自国でどうにかすべき事案だ。
オヴェールもそのことをよく分かっていた。それでも未練がましく食料のことを尋ねるのは、もう本当に後が無いからだ。
ノーヴェの話が本当かは分からないが、それでも言質は取る事が出来た。
本来の目的も既に達成している。
オヴェールとしては上々であった。
丘の上の第三者との争いは回避し、ドレイク王国との戦争も避けることが出来た。
後は責任を取るだけだ。
「ノーヴェ殿、私は戦争を起こした責任を取り、この首を差し出す覚悟は出来ている。その代わり、他の者には寛大な配慮を願いたい」
「貴方は何を言っているのですか?」
冷ややかな声を聞き、自分一人の命では駄目かとオヴェールは唇を噛みしめた。
自国の皇帝が全ての責任を取ろうとしている姿を見て、ライセルとゼファインも頭を下げようとする。
ゼファインは十分長生きをすることが出来た。自分の命で他の者が助かるのであれば、それで本望だと思っていた。
ライセルも軽率な行動で現状を作りだした責任を感じていた。オヴェールには許されたが、一度は死を覚悟した身である。この時のために自分が生かされていると思うことで、少しは罪悪感も薄れた。
それぞれが派閥を代表する貴族であり、差し出す首としては申し分ないだろう。
しかし……。
「責任など取っていただかなくて結構です。戦争はまだ起きていませんからね。いま貴方に死なれては、私が竜王様に叱られます」
二人が言葉を出す前に、有り得ない返答が返ってくる。
「……責任は取らなくともよいと?」
オヴェールが戸惑うのを横目に、ノーヴェの視線はライセルを捉えていた。
「そうですね。ライセル殿、貴方には改めて謝罪をしてもらいましょう」
不意に名指しされたにも関わらず、ライセルは予見していたかのように頷いた。
仮にもノーヴェたち三人を殺そうとしたのだ。戦争の責任は回避できても、もう一つの責任は果たす必要があった。
ライセルはどう転んでも命で償う覚悟が出来ている。この時のために自分の命があるのだと確信を持っていた。
神妙な面持ちで立ち上がると。
「貴殿らを殺そうとしたのは紛れもない事実。この命でそれを償わせて欲しい」
ライセルは腰に差す短剣を鞘から抜き放ち、その切っ先を自らの喉に勢いよく突き立てた。
突然の行動に誰もが目を見張る。
腕の振りは早く、勢いのまま躊躇無く短剣の切っ先が喉を狙っていた。
間違いなく即死の一撃だ。
鋭い切っ先が喉を貫く瞬間!
短剣の動きがピタリと止まった。
床からは触手に似た黒い影が短剣に伸びている。
影は短剣の刀身を覆い、ライセルが力を入れるも1ミリも動かない。床から伸びた細い影を動かそうとするも、鋼のように硬くビクともしなかった。
ライセルの行動を見てエイプリルは呆れ返る。
「ノーヴェさんの言ったこと聞いてないんすか? 死なれたら私らが叱られるんすよ。もしかして理解できないほど馬鹿なんすか?」
「し、しかし、私は貴殿らを殺そうとした責任を取らなくてはならない」
「やっぱり馬鹿っすか。はぁ、ほんと面倒っすね。私らが謝罪して欲しいのは竜王様に対する暴言っすよ」
「暴言ですと? 私は何か言ったのでしょうか?」
「あ゛、……本気で覚えてないんすか? それはそれで頭にくるっすね」
エイプリルの口調が突如として暗くなる。
次の瞬間には影で覆われた刀身が、バキバキ音を鳴らして砕け散る。支えを失った短剣の柄は床に転がり、その上からは粉々になった刀身が振り注いでいた。
誰もが目の前の出来事を呆然と見ていたが、今度は行き場を失った影がライセルの体に巻き付いていた。
「自分が何を言ったのか、よく思い出した方がいいすっよ」
死ぬ覚悟は出来ているが、相手を怒らせるのは本末転倒だ。
ライセルは必死に思い出そうとするも、混乱して思い出すことができない。影は真綿で締め上げるように、ゆっくりとライセルの体を締め上げた。
肉が押されて骨が軋み、苦痛でライセルはくぐもった声を上げた。見かねたジュンがエイプリルを制止する。
「エイプリル、それ以上は駄目よ」
「何で私だけ駄目なんすか? ジュン姉だって怒って水で押し流したのに」
「私は目障りなゴミを流しただけよ。一人も殺していないわ」
「私だって殺す気はないっすよ。でもこいつ竜王様のことを頭が可笑しいって言ったんすよ。痛めつけてもいいじゃないすか」
「いいから影を解きなさい。それでは謝罪の言葉を口に出来ないでしょ?」
「……わかったっすよ」
エイプリルが渋々影を消すと、息苦しさから解放されたライセルは大きく呼吸をする。空気を体に取り込み一息ついた頃には、ライセルも思い出していた。
記憶に間違いが無ければ、確かに頭の可笑しい変人と言っている。
今の話を聞く限りでは、竜王に暴言を吐いて目障りだから、魔法で帝国軍を押し流した。そう言っているように聞こえた。
ライセルはそれに気付くと直ぐに謝罪の言葉を述べた。
「頭の可笑しい変人だと言ったのは、過去最大の私の過ち。偉大なる竜王様への暴言を心からお詫び申し上げる」
胸に手を当て、深々と頭を下げて謝罪の意を示した。相手を怒らせないよう、細心の注意を払い言葉を選んだつもりだ。
ライセルがゆっくり顔を上げると、笑みを浮かべるエイプリルの姿が見えた。
「いやぁ、分かればいいんすよ。これからは慈悲深い竜王様に感謝しながら生きるといいっす」
ジュンとノーヴェがまさにその通りと頷いている。どうやら許しは貰えたらしく、ライセルは一先ず胸を撫で下ろした。
オヴェールは苦笑いを浮かべるばかりだ。これからは竜王を神として崇めた方がよいのだろうか、そんなことも思ってしまう。
(これで話は纏まったか。結局、責を問われることもなく争いも回避できた。これ以上ない成果だ。出来過ぎと言ってもいい。後はこのことを早く皆に伝えなければ)
「ノーヴェ殿、我々は竜王国の後ろ盾になることを必ずお約束する。後で正式な文章でお届けするが、それでよいだろうか?」
「構いません。出来るだけ早くお願いします」
「分かった。それでは我々はこれで失礼する。戦争がなくなったことを早く伝えねばならぬからな」
「その方がよろしいでしょう。大勢の兵士が押しかけてきても面倒なだけです。我々も食料の用意が出来次第、直ぐに帝都にお運びしましょう」
オヴェールは椅子から立ち上がると深く一礼し、そのまま天幕を後にした。
馬車の傍では護衛の騎士と魔術師が、心配そうに天幕の様子を窺っていた。
皇帝が並々ならぬ覚悟で交渉に向かったのを知っている。下手をすればその場で殺されることも考えられた。
相手に警戒されないようにと護衛だけは残されたが、全ての護衛が納得したわけではない。魔術師はいつでも魔法を打ち込めるように杖を握り締めているし、騎士は馬で駆け出す準備をしている。
天幕から皇帝の姿が見え無事が確認できると、護衛の誰もが表情を緩ませた。中には安著の余り泣き出す者までいる。
帰りの馬車では先程の会話を踏まえて、今後について話し合われた。
「陛下、確かにドレイク軍はいませんでしたが、本当に軍を解散してよろしいのでしょうか?」
「ゼファイン侯、それはどういうことだ?」
「我々が軍を解散した隙を狙い、ドレイク王国が攻め込んでくるのでは?」
ゼファインが心配するもオヴェールは即座に否定した。
「そんな回りくどいことをするとは思えん。本気で攻め込む気であれば、我が軍は最初の魔法で一人残らず殺されている」
「そうですな……。確かドレイク王国は竜王の配下、そう言っておりましたが、竜王とは何者なのでしょうか?」
「分からんが人ではないだろう。竜王と言うくらいだ。
皇帝の言葉に皆が同意した。
オヴェールは溜息を漏らす。
争いは回避できたが心配は尽きることがなかった。もし食料支援がなければ、この冬をどう乗り切ればいいのか見当も付かない。
飼育している家畜はいるが、残っているのは全て繁殖用で、これに手を出したら来年は更に厳しくなる。全てを食べ尽くすわけには行かなかった。
ライセルも思うことは同じだ。
「陛下、本当に食料を支援していただけるのでしょうか?」
オヴェールに分かるはずがなかった。
ノーヴェが嘘を言っているとは思いたくないが、それでも内心では望みは薄いだろうと感じていた。
「分からん。だが、争いを避けることができたのだ。それだけで良しとしなければ……」
ライセルは無言で頷く。
思えば奇跡のようなものだ。争いは回避し、自国の皇帝は無事に帰還することが出来た。宣戦布告をしておきながら、これ以上を求めるのは余りに都合が良すぎた。
皇帝の言葉からも期待感は感じられない。支援を当てにしていないことが、手に取るように伝わってきた。
(いざとなったら繁殖用の家畜を肉にするしかないか……。出来れば五日は食いつなげるといいが、領民全てとなると、恐らく二日分も無いはずだ。これで来年は更に厳しくなるな……)
ライセルの心配は杞憂に終わることになる。
それは後日、天空を舞う
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